休暇の終わり
一八一〇年、パリ。
テュイルリー宮殿の舞踏会場は、帝国の絶頂を象徴するような光輝に満ちていた。ナポレオンとマリー=ルイーズの成婚祝祭。その最中、長身のベルナドット元帥が歩を進めると、居並ぶ貴族たちの視線が波のように動いた。
新皇后マリー=ルイーズは夫の隣で、思わず目を瞬かせた。
「あちらの、あの方は?」
十八歳の皇后の問いに、ナポレオンは皮肉げに鼻を鳴らした。
「あれか。わが帝国で最も扱いづらく、しかし手放せぬ男……ベルナドットだ」
ナポレオンは、慇懃に控えていたベルナドットを呼び寄せた。ベルナドットは優雅に一礼し、穏やかな、しかし芯の通った声で言葉を紡ぐ。
「陛下、この度は誠におめでとうございます。ジョゼフィーヌ様も、陛下のこの幸福をきっと喜んでおられることでしょう」
ジョゼフィーヌの名をあえて出す大胆さに、ナポレオンは一瞬苦笑したが、すぐに楽しげな表情を繕った。
「相変わらずだな。……して、ベルナドット。デジレとの『休暇』は十分に楽しめたか?」
ワグラムでの解任、ワルヘレンでの追放。度重なる不遇を突きつけられたはずのベルナドットは、微笑を崩さず答えた。
「陛下のご配慮により、パリの静けさを存分に享受させていただきました。妻も、皇帝陛下の慈悲に深く感謝しております」
「ならば、休暇は終わりだ。貴公をローマ総督に任命する」
ナポレオンはベルナドットの肩に手を置き、声を落とした。
「永遠の都を貴公に託す。……私が不在の間、イタリアを、そしてこの帝国を誰が支えるべきか。その答えをローマで示せ」
暗に帝国の「次席」の座を差し出すような言葉。昨日までの追放者が、今日は皇帝の分身として都に赴く。
「……陛下、あまりに身に余る光栄。しかし、あの追放の日々は一体何であったのかと、愚鈍な私には測りかねるのですが」
「気にするな。デジレがパリを離れたくないと嘆いていたゆえ、夫を側に留めてやっただけだ。愛妻家のお前には、何よりの褒美だっただろう?」
能天気さを装う皇帝の言葉に、ベルナドットは静かに頭を下げた。
一方、ベルリン。
この報せを受けた面々は、パニックに陥っていた。
「おい! ベルナドットがローマへ行くぞ! 事実上のイタリア王ではないか!」
シャルンホルストが、気合でパンをテーブルに叩きつけながら絶叫した。
「追放されてすぐにこれか! 何なんだフランスの人事は!」
「全くだ! 私がブリュッヘル閣下のために太鼓の練習をしている間に、あいつは教皇の隣でふんぞり返るのか!」
グナイゼナウがスティックを振り回して憤慨する。
ミュッフリンクは、フランス人たちのあまりのいい加減さにあきれながら、深いため息をついた。
「……計算しても無駄ですよ、閣下たち。あんなものは単なる家族の痴話喧嘩にすぎませんから」
「ただの痴話喧嘩で国を動かすな。ついていけんよ」
ボイエンが呆れたように呟いた。
マリー=ルイーズ、ナポレオンと不仲みたいに書かれていますが、出会う前の印象はともかく、結婚してからは普通に愛し合っています。だからこそ、のちにナポレオンは絶望するのですが。




