六日間戦役
──ヴィトリ、一八一四年二月始。
「ベルナドットの計算など待っていたら、春が来てしまうぞ! 略奪してでも進め! 敵の土地で食い繋ぐのがプロイセンの流儀だ!」
ブリュッヘルの号令一閃、シレジア軍は補給を完全に無視し、フランス国内へ深く突き進んだ。ボヘミア軍もまた、その勢いに引きずられるように鈍重な進撃を開始する。
しかし、略奪に頼った進撃はすぐに限界を迎えた。冬のフランスの農村には他国の大軍を支えるに足るパンなど残されておらず、兵站の切れた両軍からは、空腹と疲労による脱落者が続出した。北方軍の「ぴかぴか」の兵士たちとは対照的な、幽霊のような軍勢に成り果てたのである。
この「隙」を、あの怪物が逃すはずがなかった。
ナポレオンは分散し、飢え、統制を失ったシレジア軍の各部隊を、電光石火の速さで各個撃破していった。
【シャンポーベール】、【モンミライユ】、【シャトー=ティエリ】、【ヴォーシャン】──。
わずか六日間で、グナイゼナウが掲げた「気合」の作戦は粉々に打ち砕かれた。
「な、なぜだ! なぜ勝てん!」
敗走の泥濘の中で、グナイゼナウは現実を拒絶するように天を仰ぎ、声を振り絞った。
傍らのミュッフリンクが吐き捨てるように叫び返す。
「閣下! 兵站のない軍隊は、ナポレオンにとってはただの標的です! 王太子の計算を無視した報いです!」
──リエージュ、二月半ば。
北方軍の本営には、勝利の歓喜も敗北の悲鳴もなかった。あるのはただ、膨大な量の事務処理のみ。
ドイツ諸国、ハンザ同盟に加えて、新たに増えた占領地のベルギー、オランダ、デンマーク。これらの行政を再起動させて兵站地へと変え、英国との貿易を再開して関税を徴収する。
この膨大な実務と、ビューローらに送る兵站の計算。ベルナドットがベルギーのリエージュから動かなかった理由のすべてが、ここにあった。彼は王太子以外には決裁できぬ、巨大な書類の山に埋もれていたのである。
その殺人的な量の書類仕事の中、ナイペルク伯爵は、シレジア軍の「気合」がもたらした敗報を見て震えていた。
「……スチュワート殿。シレジア軍が壊滅的な打撃を受けました。あんなに威勢が良かったのに、わずか一週間で……」
「それにナイペルク殿。見たか、王太子のあの顔を」
スチュワートは執務室の奥を指差した。
ベルナドットは首の古傷をなぞりながら、静かに地図上のシレジア軍の駒を「敗走」の位置へ動かした。怒るでもなく、ただ「不確定要素がもたらした最大の損失」を検算するような、氷の冷淡さ。
「……だから言ったのだ。ナポレオンを甘く見るな、と」
シレジア軍の無謀な破産は、流石の王太子にとっても最悪の「予定外のバグ」であった。
だが、彼は動じない。すぐに代替の修正式を脳内で組み立て、羽ペンを置いた。
「シレジア軍が散らかした盤面を、今度こそ我々が片付けに行く。……これからはあいつらに、一歩も勝手な真似はさせん。ブラヘ、ビューロー閣下に伝えてくれ。『掃除の時間だ』とな。それから、エルベ川で要塞を睨みつけているタウエンツェーン閣下には、『フランスまで足を延ばし、後方の拠点を強化していただきたい』との要請を頼む」
そう断言した彼の机の上には、パリのデジレから届いたばかりの密書が広げられていた。
手紙には、六日間の戦いの勝利に狂喜乱舞するパリ市民の様子が、詳細に記されている。
『ジャン=バティスト、陛下は勝利を大々的に宣伝しているわ。でもね、あの方はまだ気づいていない。あなたが北で未来の兵力をすべて帳簿から消去している以上、その勝利は帝国の破産を数日遅らせるだけの効果しかないことに……』
ナポレオンが喧伝する最後の大勝利。
それは確かに同盟軍の想定を上回る怪物の足掻きだったが、すでに低地諸国と北の供給網をベルナドットに完璧に押さえられた今となっては、ただの「資産なき虚勢」にすぎなかった。
──フランス北部の要衝ラ・フェール要塞、二月二十七日。
「時間をかけるな。全砲門を開け。一撃で粉砕する」
ビューローの下した命令は簡潔だった。
「撃て!」
直後、平原の空気が爆圧で歪んだ。百門を超えるプロイセン軍の大砲が一斉に火を噴き、天が引き裂かれるような轟音が、ラ・フェールの町と城塞を包み込んだ。
空を埋め尽くした鉄の大弾が、放物線を描いて要塞へと降り注ぐ。
「――なっ、なんだこれは!?」
要塞の銃眼にいたフランス軍の老兵が叫んだ次の瞬間、彼の視界は真っ赤な火炎で塗りつぶされた。抵抗らしい抵抗など、最初から成立していなかった。古い石造りの防壁は、まるで乾いたビスケットのように容易く砕け散った。大量の砲弾が絶え間なく着弾し、爆煙と土砂、そして肉片が混ざり合った黒煙が数百メートルの高さまで噴き上がる。
フランス守備隊が誇った自慢の大砲も、撃ち返す暇さえ与えられずに陣地ごと木端微塵に吹き飛ばされた。わずか数時間のうちに要塞の防衛機能は完全に消滅した。水堀は崩れた土砂で埋まり、主要な城門は跡形もなく消え失せ、城壁には巨大な裂け目がいくつも口を開けている。
「……信じられん。もう、何も残っていない」
煤だらけのフランス軍の指揮官は、愕然として変わり果てた要塞を見つめた。数週間は持ちこたえると思われていた誇り高き要塞は、戦う前に「解体」されてしまったのだ。
「砲撃止め! 歩兵、突撃!」
ビューローの合図とともに、太鼓の音が響き渡る。硝煙の向こうから現れたプロイセン兵の鉄の列が、崩壊した城壁の裂け目から、まるで決壊した濁流のように城内へと流れ込んできた。生き残ったわずかなフランス兵たちに、もはや組織的な反撃を行う力は残されていなかった。
ラ・フェールの城壁は、完璧な兵站管理によってビューローが持ち込んだ「大量の大砲」という現実の前では、あまりにも旧式で、あまりにも脆弱で、あまりにも無力であった。
シレジア軍の壊滅と北方軍による救済です。You Tube の動画を見ていると、北方軍が意図的に消されているので、シレジア軍が根性で復活みたいに見えて面白いですが、現実にそんな事があるわけもなく。




