フランス国内へ
一八一四年早春。欧州連合軍がフランス国境を越えるなか、ベルナドット自身はまるで進軍を拒むかのように、ベルギーのリエージュに留まっていた。
ベルギーでの小競り合いを瞬く間に片付けたビューローは、ベルナドットの厳命通り、一歩ずつ、しかし確実な「兵站の線」をフランス国内へと伸ばしていた。
「ヴォロンツォフ閣下、ヴィンツィンゲローデ閣下。焦る必要はない。我々がここを固めるごとに、ナポレオンの『徴兵名簿』から一万人ずつ、未来の兵士が消えていくのです」
ビューローが歩みを進めるごとに、ナポレオンの補充拠点となる都市や農村は北方軍の支配下に置かれた。武器を奪い、糧食を封じ、物流を寸断する。
ナポレオンがどれほど熱狂的な演説をしても、もはや彼のもとへ兵士も靴も届かない。ベルナドットの戦略は、フランス軍の「未来」を先取りして消し去る、残酷なまでの時間稼ぎであった。
降りしきる雪混じりの雨のなか、グナイゼナウは地図に穴が開くほど指で叩き、絶叫していた。
「北方軍は何をしている! まだベルギーで溝を掘っているのか! パリは目前だというのに、あのガスコーニュ人は何を怖がっているのだ!」
隣でぬかるみに足を取られていたミュッフリンクが、深い溜め息とともに応じた。
「閣下、ベルナドット殿下は怖がっているのではありません。計算しているのです。彼がリエージュで帳簿に記入するたびに、ナポレオンが徴兵できる土地が文字通り『消えて』いる。奴は今、未来の兵士を一人ずつ引き算されているのですよ」
「そんなものは政治だ、ミュッフリンク! 軍事ではない!」
「……ええ、政治的すぎます。あの方のやり方は、もはや軍事の域を超えた巨大な事務処理だ。軍事的に正しいのは分かりますが、私ですら、あの膨大な帳簿を見せられては、己の職能が何なのか分からなくなりますよ……」ミュッフリンクは、北方軍から届く「物流の等式」を前に、知性ゆえの孤独な愚痴をこぼした。
一方、その「帳簿の主」がいる北方軍の豪華な天幕では、ナイペルク伯爵と英国特使スチュワートが、山積みの書類の隅で別の愚痴をこぼしていた。
「……ナイペルク殿。ご覧ください。北方軍はフランス国内に入ったというのに、一度もまともな戦闘をしていない。やっているのは運河の水位調整と、村役場への『協力要請』の送付ばかりだ」
スチュワートは、自分の日記が「勇猛な突撃」ではなく「小麦の輸送効率」で埋まっていくことに耐えられなかった。
「この完璧に管理された兵站のなかにいると、私も王太子の巨大な『会計システム』の歯車にされている気がしてなりません。情けない。英国議会に何と報告すれば良いのか」
スチュワートは支給された最高級のシェリー酒を揺らしながら、ため息をついた。
「スチュワート殿、諦めろ。我々は歴史の傍観者にすぎんし、ここではただの会計監査員だ」
ナイペルクは独眼を細め、にやりと笑った。
「フランス軍が要塞のなかで干からびている間に、私たちは書類の山に溺れている……。これは戦争ではなく、巨大な『差し押さえ』だよ」
ベルナドットがフランス王位を狙っていたは、まず百パーセントありえないです。ベルナドットのスケジュールに王位を狙っての行動がなさすぎるので、王位をねらっていたので進軍をしなかったなんて不思議な理屈を大真面目に語られるレベルです。実際は進軍はビューローに丸投げで、本人は後方で事務処理に追われてました。
スウェーデンの朝寝つきの優雅な生活と、フランスでいつ暗殺されるかわからない休む暇もないブラックな仕事 のどちらを選ぶかと言われて、前者を全力で選ぶのが庶民です。




