軍事幾何学の戦い方
デネヴィッツでは深く描写しなかったのですが、ライプツィヒの戦いで描写したように、ベルナドット総司令官とビューロー将軍が率いた「北方軍」の戦い方は、当時の常識を遥かに凌駕するほど極めて合理的、かつシステム化されたものでした。
1. 圧倒的な物資を支えた「資本の調達」
彼らは、イギリスから提供された莫大な軍事補助金を原資とし、さらにフランスの圧政から「解放」したハンザ同盟やドイツ諸邦から厳格に軍税(物資調達金)を徴収しました。
これに加え、大陸封鎖令を無視しイギリスとの密貿易を再開させることで莫大な関税収入(資本)を確保。この強固な財政基盤により、最新式の兵器と膨大な兵站を完全に揃えることに成功したのです。
2. 消耗なき行軍と「瞬間的なエネルギー爆発」
北方軍は、軍の移動による兵士の病死や脱走(移動による消耗)を徹底的に排除しました。そのため、後方の「移動式パン焼き窯(野戦オーブン)」の供給速度を超えないよう、通常はあえてゆっくりと慎重に進軍したのです。また、この事により巨大な「臼砲」すら運ぶ事が可能となり野戦に投入できたのです。
また、兵士のメンタルケアや衛生維持のため、妻帯者の家族が後方車列に同行することも公式に許可されていました。
道中で一切消耗せず、戦場に到着した時点で兵士も馬も満腹であり、靴すら真新しい状態だからこそ、いざ決戦となった瞬間に彼らは他軍の追随を許さない「異常な機動力と爆発力」を発揮することができました。
3. 「軍事幾何学」に基づく複合火力と斜角突撃
まずは、弟ハインリヒの『軍事幾何学』の理論通り、自軍の歩兵戦列の後方の高地に重砲(ハウィッツァーやロケット砲)を配置。さらに地形の死角となる起伏の底には、巨大な「臼砲」を配置していました。
敵と激突した際も、陣地を過信した無謀な正面突撃は絶対にしません。それどころか、敵の攻撃が激しい時は無理せずに後退し攻撃を受け流して敵を誘導します。
誘導された敵は、この時代には極めて珍しい、味方の頭上を飛び越えさせる「間接曲射」によって、安全圏から一方的にすり潰されます。特に、地形の遮蔽物を無視して真上から死の雨のように自由落下してくる臼砲の榴弾は、突撃のために固まったフランス軍の縦隊を内側から木っ端微塵に破砕し、敵の戦列に致命的なパニックを引き起こしました。
その上で、手厚い兵站で維持された機動砲兵(騎兵砲兵)が敵の弱点へと目にも留まらぬ速さで急接近し、ゼロ距離からの直接射撃(散弾)で追い詰めます。この遠近・高低の複合火力によって敵の隊列がパニックを起こした瞬間、敵の最大の抵抗線(正面)を避け、最も脆弱な横腹を幾何学的な「適切な斜角(角度)」で切り裂くように突撃を敢行したのです。
4. 逃げ道を用意する「チェックメイト」の包囲
敵の側面に回り込むことに成功しても、決して完全な包囲はしませんでした。
あえて敗走できる空間を残しておくのです。逃げ道があることで敵は「死兵」とならずに戦意を喪失し、狭い空間から蜘蛛の子を散らすように逃げ出す過程で、過労に耐えかねて大砲や重い武器を自ら投げ出していきました。血を流さずに敵を自滅させる、チェスのチェックメイトのような包囲戦術です。
5. 本隊を追わず、兵站線を「先回り」して窒息させる
そして、敗走する敵の兵士そのものを後ろから追いかけるような、味方も消耗する下策はとりません。ハインリヒの理論から敵の補給ルート(兵站線)を数理的に割り出し、そこを徹底的に遮断しました。
その上で、俊敏な騎兵隊や機動砲兵を敵の「補給基地」へと先回りさせて強襲・焦土化します。飢えと疲労に塗れて辿り着いた拠点で、パンも弾薬も得られなかったフランス軍は、さらに絶望的な敗走を続けるしかありません。これを繰り返すうちに、敵軍は戦闘を交えることなくチフスや餓死、脱走によって勝手に溶けていき、最終的に残る兵力はほんのわずかとなりました。
結論:
敵の本隊と直接ぶつかり合わないため、北方軍は追撃戦において自軍の損害をほぼ皆無に抑えることができました。さらに、完備された後方病院システムにより、負傷兵の6割を即座に戦線復帰させる循環構造まで持っていたのです。
後世のプロイセンやフランスの歴史家たちが「気合と根性の精神論」で隠蔽しようとした歴史の裏には、この徹底的な「数理と物流のシステム」による一方的な殲滅戦の真実が横たわっていました。




