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諸国民の戦争

 一八一三年十月、ナポレオンが「ライプツィヒの戦い」という名の巨大なおりに追い込まれたとき、彼の軍勢はすでに満身創痍まんしんそういであった。

 ベルナドットが仕掛けた「トラッヘンベルク・プラン」により、戦わずして引きずり回され、なけなしの兵站へいたんはチェルニショフの軽騎兵コサックによって執拗しつように削り取られていた。


 ベルナドットは北方軍の本陣で静かに懐中時計を閉じ、最終的な「処理」を命じた。


「ボヘミア軍やシレジア軍の連中に、高尚な戦術を期待しても無駄だ。どうせ彼らは、こちらの言う事など最初から聞きはしない。だからこそ、ナポレオンを逃がさぬよう『ふた』をしてもらう。彼らに徹底的に、防御に、徹してもらい、南北に伸びきったフランス軍に対して我々北方軍が側面から盤面を撃ち抜き、一気にライプツィヒへ入る」



【第一日:神の啓示とボヘミア軍の特攻】


 十月十六日。戦いの火蓋を切ったのは、アレクサンドル一世率いるボヘミア軍であった。


「神が命じておられる! 正義の進軍をしろと!」


 ベルナドットの「防御に徹しろ」という指示を当然のように無視し、啓示に燃えるロシア・オーストリアの大軍が、南からナポレオンの正面へと突っ込んだ。

 合理的な戦略など何一つ存在しない、数に物を言わせた怒濤どとうの特攻。


 ナポレオンはこの猛攻を食い止めて苛烈な反撃を繰り出し、ボヘミア軍は崩壊寸前にまで追い込まれ、戦線は兵たちの血で赤く染まった。



【第二日:泥と気合のシレジア軍】


 十月十六日、ライプツィヒ北方。

 南側の戦場では、ナポレオンの猛攻を浴びた連合軍主力のボヘミア軍が崩壊寸前に陥っていた。


「閣下! 王太子ベルナドットの計算では、ここは北方軍の到着を待って包囲網を――」


「知るかァ! あのガスコーニュの青二才の算術など、十回足してもゼロじゃッ!」


 七十歳のブリュッヘルは泥まみれの軍旗を振り回し、隣ではグナイゼナウが狂気の超高速爆音太鼓(ドコドコドコドドドドドドン!!!)で全軍の理性を消し飛ばしている。


「計算で勝てるならナポレオンが世界を支配しとるわッ! これが最後の『気合』だ! 全員でフランス軍の喉笛のどぶえを噛み切れェ!」


「突撃ィィィ!!!」


 ミュッフリンクが(だからそれでいつも死にかけてるって言ってるでしょうが……!)といつもの涙を流した刹那、シレジア軍が遮二無二なだれ込んだ。


「何なのだあいつらは!? なぜあの地形から連携もなく突撃してくる!?」


 防衛するフランス軍のマルモン元帥は、北から響く「理解不能な気合」に激しい頭痛を覚えた。

 本来、マルモンはナポレオンから「全部隊を率いて南へ合流せよ」と命令されていたが、この強襲のせいで一歩も動けなくなっていた。


 南でボヘミア軍をあと一歩まで追い詰めていたナポレオンは、マルモンがシレジア軍の猛攻を受けているという報せを聞き、帽子を地面に叩きつけた。


「ええい、プロイセンの老いぼれめ!」


 だが、マルモンが放ったフランス軍の集中砲火は苛烈だった。

 無謀な突撃を仕掛けたシレジア軍の戦列は引き裂かれ、たちまち数千の死傷者を出してボロ雑巾のように行動不能へ追い込まれる。


(あっ 終わった)


 ミュッフリンクが天を仰いだその時、奇跡が起きる。

 泥まみれで咆哮し、死すら恐れず突き進んでくるプロイセン兵の「狂気」に、理性あるマルモン軍団は恐怖に包まれ、メッケルンの要衝から逃げ出してしまったのである。


「これで元帥の座は俺のものだ! ガハハ! 気合だ!」


 満身創痍のブリュッヘルが、流血しそうな惨状のなかで早くも手柄を確信してドヤ顔をキメる。


「……最悪だ。また『死ぬ気で突撃すればなんとかなった』という習性を覚えさせてしまった……」


 口の中の血と泥を吐き出しながら、ミュッフリンクは絶望した。

 この大出血の尻拭いを、どうやって後から来る北方軍ベルナドットに頼めばいいのか。


 目の前では「ガハハ! 元帥じゃ!」と血を噴き出して笑う元気いっぱいの老人。

 結局、ヴィンツィンゲローデの軍がシレジア軍の穴を埋めるのだが、この時のミュッフリンクは、それを知る由もなく、この戦場で血よりも濃い涙を流するのだった。



【第三日:理詰めの「正解」と皇帝の逃亡】


 十月十八日 ナポレオンは、南のボヘミア軍と北のシレジア軍による二日間の激戦によって消耗しきった自軍を見渡し、まだ「東の防衛線」が健在であることに一縷いちるの望みをかけていた。


 しかし、その東から現れたのは、これまでの泥仕合とは無縁の、一点の曇りもない「ぴかぴか」の軍勢であった。


「……勝てるわけがない」


 防衛を任されていたフランス軍のマルモン元帥は、完璧な布陣で迫るベルナドットの軍勢を見た瞬間、絶望に膝をついた。

 

 さらにその少し南方で、盤面を決定づける地鳴りのような衝撃が走った。

 その地平線から現れたのは、ベニグセン率いる「ロシア・ポーランド軍軍団」であった。

 それはロシア兵、プロイセン兵、そして寝返ったドイツ諸邦とポーランドの兵が継ぎ接ぎされた混成部隊であった。北方の重しとしてダヴーをハンブルクに縛り付けた盟友ヴァルモーデンを現地に残し、ベニグセンはこの決戦のために、忠誠の定まらぬ軍を率いてこの巨大な盤面へと滑り込んできたのだ。


 かつてアイラウの地獄でナポレオンと互角に血を流し合ったこの老将は、今、自軍がナポレオンが最も必死に退路を死守しようとする「東のボトルネック」に配置されていることなど、百も承知であった。


 老将は戦場を睨みつけて号令する。


「慌てるな、諸君。ナポレオンに『我が軍の価値』を、嫌というほど思い出させてやるぞ──全軍、戦列を維持せよ!」


 西側の橋から全軍を脱出させるための生命線は──ナポレオン自身が直率するフランス軍の「本隊」が防御していた。ここを突かれれば撤退すらできずに全滅する。そう悟った皇帝は、最後の狂気を振り絞り、ベニグセンの戦列へ向けて決死の反撃カウンターを仕掛けてきたのだ。

 

 ベニグセンの寝返った軍団だけが、連合軍への忠誠を疑われるこの軍団だけが「怪物」の執念と真っ向から激突する役割を担ったのである。


「近衛隊が突っ込んできます! 皇帝直率、退路を確保するための死に物狂いの猛撃です!」伝令の悲鳴が響く。


「受け流せ! 王太子の指示通り、決して奴の戦術に付き合うな!」


 ベニグセンは徹底して無理な正面衝突を避け、後方に配置されたスウェーデン軍の重砲兵隊の射線へ親衛隊を誘い込んだ。

 だが、退路を賭けた怪物そのものが放つ絶望的なまでの圧力は、激突の最前線となったベニグセンの戦列を執拗しつように削り、北方軍のなかで最も多い数千の死傷者を強いていく。だが、その出血すらも、その忠誠心の証明すらも、ベルナドットが「ナポレオンの脱出を阻止し、親衛隊を無力化するための、最小必要コスト」として算定していた変数の範囲内であった。


「……なぜ、押し切れん!」

 ナポレオンは戦況報告をにらみつけ、焦燥に唇をんだ。

 

 確かに目の前の敵は血を流している。だが、どれほど削っても、ベニグセンの戦列は決して決壊しない。それどころか、流した血のコストと引き換えに、包囲の網はジワジワとナポレオン自身の背後──西の橋へと回り込んでくる。

 それは英雄の激突ではなく、巨大な税務署によって、血税とともに帝国の資産を合法的に「差し押さえ」られているかのような、恐るべき事務処理であった。


 午後。ベニグセンの混成部隊がナポレオン本隊の猛撃をその身で受け止め、ビューローが北東からその側面をへし折った、まさにその瞬間であった。


 最前線に配置され、ベニグセンとビューローの圧倒的な圧力に挟撃されつつあったザクセン軍が、突如として進軍を止めた。ナポレオンが「前へ出ろ!」と叫ぶよりも早く、彼らは一斉に銃口をフランス軍へと反転させたのだ。


「ベルナドット王太子万歳!」


 地鳴りのような叫びとともに、ナポレオンの足元という名の地盤が完全に消滅した。


 驚くべきは、その直後のビューローの「実務能力」であった。彼は寝返ったばかりのザクセン軍の指揮官のもとへ間髪入れずに伝令を飛ばすと、彼らを即座に北方軍の戦列へと組み込んだ。


「ザクセンの諸君、よくぞ道理を選択してくれた! 挨拶代わりに、その大砲の照準をフランス軍へ合わせろ。これより引き算を始める!」


 寝返ったザクセン軍の大砲から、さっきまでの味方──フランス軍に向けて容赦のない鉄槌てっついが叩き込まれた。スウェーデン機動砲兵の援護も加わり、ザクセン軍の裏切りにより空いた戦線の穴を、ビューローの軍団がこじ開けて行く。

 

 それでも踏みとどまろうとするフランス軍に、追い打ちをかけるように異形の火が降り注ぐ。英国軍のコングリーヴ・ロケット部隊である。


「気合で避けられるものなら避けてみろ!」


 スチュワートが叫び、不規則な軌道を描く炎の雨が、フランス軍のど真ん中で爆発した。

 轟音ごうおんと白煙。これまで見たこともない新兵器の恐怖に、フランス軍の動揺は最高潮に達する。


 その瞬間、ヴォロンツォフの精兵が電撃的に突撃。フランス軍の戦列を文字通り「真っぷたつ」に叩き割ると、その側面をすり抜け、瞬く間にフランス軍の後方(背後)を遮断した。


 ナポレオンは戦場のど真ん中で、自らの足元が霧散むさんしていくのを目の当たりにし、初めて恐怖に顔をゆがめた。

「ベルナドット……。貴公は戦いではなく、私に『終焉しゅうえん』をもたらしに来たのか!」

 

 皇帝は全滅の恐怖から逃れるように、夜陰に乗じてライプツィヒを真っ先に脱出した。


【第四日〜:橋の破壊と理詰めの追撃戦】

 十月十九日。ナポレオンが夜陰に乗じて脱出した後も、戦場には地獄の数式が展開されていた。


 同日、ライプツィヒ。フランス軍は退却のための唯一のエルスター橋を誤って爆破させてしまう。東岸に取り残された殿しんがり数万人は、そのまま連合軍の捕虜となった。


 エルスター橋の爆破から数日後。かつて死体と硝煙で埋め尽くされていたエルスター川には、連合軍の工兵の手によって、頑丈な仮橋かりばしが架けられていた。東岸に取り残された数万のフランス兵を一人残らず「捕虜」として処理し終えたビューローは、手元の帳簿データを閉じると、馬上の人となった。


「まだ終わっていない! 逃げ道にある兵站地をすべて押さえ、敗走する兵士を休ませるな!」


 ビューローは馬にかせ、戦場を自在に駆け巡る快速砲兵隊をベルナドットから預かっていた。それこそが、ベルナドットがスウェーデンで磨き上げていた、「機動力のある砲兵」であり、ライプツィヒの戦いで北方軍が広い戦線で援護射撃を受ける事ができた理由であった。


 ビューローは全速力で、この機動砲兵とともに地平線を駆けて行った。

 


 橋を渡れたフランス軍も、チェルニショフの軽騎兵(コサック)がバラバラになった「破片」を混乱させ、ビューローの機動砲兵が抵抗を圧倒的な火力によって制圧し、ヴォロンツォフが丁寧に刈り取っていく。


 ヴォロンツォフはその完璧に統制された殲滅せんめつ戦を眺め、静かに剣を納めた。


「……これだ。これこそが、私が夢にまで見た『知性の完勝』だ」



【軍事幾何学の勝利と戦略論】


 ライプツィヒの街に大砲の煙が立ち込め、果てしない戦いのあと片付けが始まっていた。 

 北方軍の司令部へ入ったベニグセンとクラウゼヴィッツを迎えたのは、ベルナドットの過剰なまでの賛辞とペンが走る音だった。


「感嘆させられましたよ、ベニグセン閣下! まさにお見事な戦いでした。ナポレオンの近衛兵を実によく食い止めてくださった。間違いなく、閣下こそが今回の勝利における一番の立役者だ!」


 抱きつかんばかりのベルナドットに、ベニグセンが泥に汚れた帽子を脱ぎ、静かに報告した。


「――我がポーランド軍の任務はすべて完了しました。ナポレオンの東側からの猛攻を、完全に食い止めました」


 ベルナドットは満足そうに報告を聞くと、優雅にペンを動かす。

 その横ではボイエンらが、失われた兵士や弾薬の数を、まるで銀行員のように淡々とノートに整理している。


「さて、クラウゼヴィッツ少佐、私の作戦は君の軍事理論の完成に少しは役に立ったかね?」 


 自分たちは、泥水をすすって戦ってきたというのに、目の前の男は全軍をほぼ無傷のまま勝たせ、その僅かな犠牲さえもポーランド兵に押し付けて平然としている。


「もっと血を流して泥臭くぶつかり合うべきだ」という理不尽な怒りが胸を焦がす。だが、その虫唾が走るほど嫌いな計算が、あのナポレオンを完全に窒息させた。

 その動かしようのない事実が、彼のプライドを叩き潰していた。


「はい。非常に参考になりました。私はこの戦場で、天才のひらめきも精神の熱量も、大量の武器と兵站の前には通用しない現実を見ました。戦争とは、ただの狂気であってはならない。目的を果たすための、完璧にコントロールされた手段でなければならないのだと……私はそれを学びました」


 答えるその瞳には、すべてを悟ったような光が宿っていた。


 クラウゼヴィッツの言葉に、ボイエンがふと目を上げ、友の成長に嬉しそうな笑みを漏らした。


 ベルナドットも深く頷くと、次の書類を引き寄せた。

「参考にして頂けたのなら結構だ。では、元の任務に戻って頂きたい」


「ハンブルクのダヴー元帥の封鎖でしょうか」


「そうだ。現地で踏ん張っているヴァルモーデンたちのところへ戻り、ハンブルクの周りを囲んで欲しい。無理に戦う必要はない。兵糧が底を突くのをじっと待てばいい。時間が経てばダヴーは降伏する」


 二人は敬礼し、静かに司令部をあとにした。 


 外に出ると、ライプツィヒの冷たい秋の風が二人の顔の汚れを拭い去っていく。

 これから向かうのは、派手な決戦ではなく、気の遠くなるような包囲戦だった。


「おい、クラウゼヴィッツ」


馬に飛び乗りながら、ベニグセンが少し疲れたように笑った。


「ハンブルクへ戻る途中、また馬車が泥に埋まったら……今度も君のあのうるさいバイオリンを聴かせてくれないか?」


 クラウゼヴィッツは、胸のポケットにある手帳――のちに世界中で読まれることになる『戦争論』のメモをそっと撫で、静かに首を振った。


「いえ、ヴァイオリンはもうやめました。もう作戦を立てるのもやめます。戦線はベニグセン閣下にお任せして、これからは書類仕事を頑張るつもりです。……ですが、今でも私は、あの男のやり方が大嫌いです。他人に血を流させ、自分や親しい部下の血を流すことだけは避ける。他人も、親しい部下も、自分も同じ人間です。そこに差はないはずです。私はどれだけ有効であろうと、あの軍事幾何学だけは認めることはできません。あんなのは戦争ではない。血の通わない虐殺にすぎません」


 だが、とクラウゼヴィッツは続けた。


「認めざるを得ません。ならば今度は私たちが、あのハンブルクの怪物を、一滴の血も流さずに我々の理詰めの包囲網で窒息させてやりましょう」


 二人は馬に拍車を当てた。 

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