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諸国民の戦争

 ベルナドットが仕掛けた「トラッヘンベルク・プラン」により、フランス軍は戦わずして引きずり回され、なけなしの兵站(へいたん)もチェルニショフの軽騎兵(コサック)らによって執拗(しつよう)に削り取られていた。


 これにより、休戦期間中に集めた四十五万の兵のうち、過酷な行軍と、さらには食料不足や宿営地不足による病気の蔓延といった消耗によって、決戦を前にして実に約二十万もの兵が失われていた。戦闘による十万の損失も重なり、ナポレオンが「ライプツィヒの戦い」という名の巨大な檻(おり)に追い込まれたとき――各地からかき集めた兵でどうにか水増しして二十万を揃えたものの――すでに満身創痍(まんしんそうい)であった。

 


 ――十月十五日、ハレ。

 ベルナドットは北方軍の本陣で静かに懐中時計を閉じ、最終的な「処理」を命じた。


「ボヘミア軍やシレジア軍の連中に、高尚な戦術を期待しても無駄だ。ゆえに彼らには、ナポレオンを逃がさぬための『蓋(ふた)』になってもらう。徹底的に防御に徹してもらい、その間に我々北方軍が、このハレからフランス軍の北を迂回してブライテンフェルトに入り、そこから南下して東側へ回り込む。

 そして、南北に伸びきった奴らの軍の側面から盤面を撃ち抜き、一気にライプツィヒへ打って出る


 ――計画は以上だ。どうせあの連中は、こちらの言うことなど聞きもしないだろうがな」



【第一日・午前:ボヘミア軍の特攻と神の啓示】


 ――十月十六日、ライプツィヒ南方

 戦いの火蓋を切ったのは、シュヴァルツェンベルク元帥率いるボヘミア軍であった。

「北方軍など待つ必要はない。この大戦の勝利は、我が軍の手で成し遂げねばならん」


 諸軍の配置を待って完全な包囲網で圧倒するという、最終決戦の基本方針を政治的面目のために無視。

 オーストリア陣営の独断により、軍隊を動かすには最悪の沼地と川に挟まれた狭隘(きょうあい)の地から、南の正面へと突っ込んだ。


 合理的な戦術など何一つ存在しない、ただの手柄焦りの数に物を言わせた怒濤(どとう)の特攻。


 この無謀な猛攻をナポレオンは地形の利を生かして受け止め、容赦のない迎撃(カウンター)を繰り出した。

 自ら招いた地形の罠に嵌まり、ボヘミア軍は初日だけで万単位の味方をすり潰して崩壊寸前へと追い込まれる。


 戦線が兵たちの血で赤く染まり、同盟軍の誰もが敗北を覚悟したその時――アレクサンドルの瞳に、不気味なほどの光が宿った。

「――神の啓示だ。今、我に神託が下った! 親衛隊を前線へ!」


 合理的な戦略を越えた、命を賭した皇帝(ツァーリ)の『神託の反撃』。

 最高権力者みずからが叫ぶ有無を言わせぬ大号令のもと、温存されていたロシア親衛隊の精鋭が戦場へと解き放たれた。

 この神がかった猛反撃がナポレオンの決定的な中央突破をギリギリで圧殺し、同盟軍は首の皮一枚で地獄から這い上がることになる。



【第一日・午後:泥と気合のシレジア軍】


 ――十月十六日、ライプツィヒ北方。


「閣下! 王太子(ベルナドット)の計算では、ここは北方軍(ノルト・アルメー)の到着を待って包囲網を――」


「知るかァ! ミュッフリンク、あのガスコーニュの青二才の算術など、十回足してもゼロじゃッ!」

 ブリュッヘルは泥まみれの軍旗を振り回し、隣ではグナイゼナウが狂気の超高速爆音太鼓(ドコドコドコドドドドドドン!!!)で全軍の理性を消し飛ばしている。


「計算で勝てるならナポレオンが世界を支配しとるわッ! これが最後の『気合』だ! 全員でフランス軍の喉笛(のどぶえ)を噛み切れェ!」


「突撃ィィィ!!!」


「だからそれでいつも死にかけてるって言ってるでしょうが……!」と、


 いつもの涙を流した刹那、無謀な命令にヨルクが烈火のごとく怒りながらも、部下を引き連れて突撃を敢行し、シレジア軍が遮二無二なだれ込んだ。


「何なのだあいつらは!? なぜあの地形から連携もなく突撃してくる!?」


 防衛の要となるフランス軍のマルモン元帥は、北から響き渡る「理解不能な気合」の咆哮に、激しい頭痛を覚えていた。


「全部隊を率いて南へ合流せよ」と命じられていたものの、この執拗な強襲に阻まれ、一歩も動けずにいたからである。


 一方、南側でボヘミア軍をあと一歩まで追い詰めていたナポレオンは、北がシレジア軍の猛攻に釘付けされている報せを受け、怒りのあまり帽子を地面に叩きつけた。

「ええい、プロイセンの老いぼれめ!」


 しかし、反撃として放たれたフランス軍の集中砲火は苛烈を極めた。

 突撃を仕掛けたシレジア軍の戦列は容赦なく引き裂かれ、たちまち数千の死傷者を出しながら、ボロ雑巾のように行動不能へと追い込まれていった。


「あっ、終わった」


 ミュッフリンクが天を仰いだその時、奇跡が起きる。

 泥まみれで咆哮し、死すら恐れず突き進んでくるプロイセン兵の「狂気」に、理性あるマルモン軍団は恐怖に包まれ、メッケルンの要衝から逃げ出してしまったのである。


「これで元帥の座は俺のものだ! ガハハ! 元帥じゃ!」

 返り血を全身に浴びてドヤ顔をキメ、血を噴き出しながら笑う元気いっぱいの老人。


 「……最悪だ。また『死ぬ気で突撃すればなんとかなった』という習性を覚えさせてしまった……」

 口の中の血と泥を吐き出しながら絶望するほかなかった。


 この大出血の尻拭いを、どうやって後から来る北方軍(ベルナドット)に頼めばいいのか。

 結局、ヴィンツィンゲローデの軍がシレジア軍の穴を埋めるのだが、それを知る由もなく、この戦場で、血よりも濃い涙を流すのだった。



【第二日:不気味な静寂】


 ――十月十七日、ライプツィヒ北方・ブライテンフェルト。

 休戦のための使者をナポレオンが出す中、前日の激戦が嘘のように戦場は静まりかえっていたが、シレジア軍の本営は前日の激戦の傷跡深く、鉛のような重苦しさに包まれていた。ヨルクの突撃によってフランス軍を後退させたものの、プロイセン軍の死傷者は七千を超え、比較的損害の軽かったロシア軍すら弾薬が底を突きかけていたのである。


「案ずるな、弾なんぞあのガスコーニュの野郎から奪えばよかろう!」


 昨日の勝利に沸くブリュッヘルの一喝に背中を押され、グナイゼナウは目と鼻の先を進軍している北方軍の潤沢な兵站を利用することで、この難局を打開せんとする。


「……北方軍本営へ向かい、補給を要請してまいります」


 同日、北方軍本営。

「明日十八日の総攻撃に、ランジェロンのロシア兵三万を参加させる。その代わりに、必要な弾薬と物資を融通していただきたい」

 

一瞬、ベルナドットは深く考え込み、


 ――『ロシア兵を参加させなければ北方軍は進軍しない』と脅されただの何だの、どうせこいつらは戦後になったら好き放題に書き散らすのだろうなと遠い目をしながらも――


 目の前の勝利のために要求を飲むことにした。


「我が軍も移動の途上なれば、シレジア軍全体の補給は無理ですが……ロシア軍の分だけであれば、何とか工面しましょう」


 帰陣したグナイゼナウは、さっそく羽ペンを執った。

「『ベルナドットが動かないので、ロシア軍を貸し出すことで、どうにか納得させて進軍させた』――報告書にはそう書き残しておきます」


「それで良い。どうせ真実なんぞ、誰にも分かりはせん!」



 ランジェロンの軍への補給を行っている最中、地平線の向こうから泥を跳ね上げて進軍してくる巨大な軍勢が北方軍の本営に迫りつつあった。それはドレスデンに残留するフランス軍と対峙していた、ベニグセン率いるロシア・ポーランド軍団であった。


 ベルナドットが本営の天幕を出ると、馬を寄せた老将が、ロシア軍の将軍帽を無造作に脱ぎ捨てて苦笑いをした。

「王太子、ボヘミア軍は崩壊寸前、シレジア軍も損害と疲労で身動きが取れん。……まあ、想定内と言えよう。ボヘミア軍に代わり、この巨大な盤面の東側は、我が軍が完璧に塞いでみせる」


「お願いする、ベニグセン閣下。貴公の軍勢が、東からフランス軍の退路に圧力をかける。これでナポレオンを閉じ込める『檻』はどうにかなる」

 あの芝居がかったガスコーニュの笑みを浮かべ、老将の手を固く握った。


 言葉を交わす二人の実務家の後ろで、クラウゼヴィッツは、ただ渋面を作って自らの手帳を握りしめていた。

「……おい、ボイエン」


 北方軍の本営で相変わらず銀行の支配人のような顔をして書類をめくっている旧友を見つけ、忌々しげに囁(ささや)いた。

「君はここで何をしているんだ。我らがシャルンホルスト閣下の遺志は、こんな元フランス人の『帳簿』に付き合うことだったのか。戦争とは、国家の全エネルギーをぶつける精神の爆発だ。なぜ、これほど巨大な軍勢が、ただの利回り計算のように動かされている!」


「諦めろ。君の誇る『高尚な軍事理論』が輝くような戦場は、もう欧州のどこにも存在しない」

 旧友の熱い言葉に、かつての自分を重ねて寂しげに微笑むと、ベルナドットが完成させた膨大な「弾薬供給ルートの図面」を広げた。


「見てみろ。君が『精神の爆発』と呼ぶ暴力は、殿下の机の上では、単なる一日の消費弾薬数(コスト)として完全に予算化されている。我々は今、ナポレオンという名の巨大な不良在庫を、合法的に差し押さえに来たのだ。……君の理論は、殿下の高度な事務作業の前では、ただの絵空事だ」


 目の前の明確な現実に、絶句し、震えた。

「……これが、これからの戦争だと言うのか」


 絞り出すような呟きに、ただ無言で深く頷いた。


 精神も、誇りも、天才のひらめきも関係ない。

 そこにあったのは、完璧な物流と行軍によって敵を窒息させる、数式のみ。


 そしてその理詰めの計算を完成させる最後のピースを、かつてロシアの泥濘で共に馬車を押した、あのハノーヴァーの老将が担っていた。



【第三日:理詰めの「正解」と皇帝の逃亡】


 ――十月十八日。

 休戦の使者を無視されたナポレオンは、南のボヘミア軍と北のシレジア軍による激戦によって消耗しきった自軍を見渡し、まだ「東の防衛線」が健在であることに一縷(いちる)の望みをかけていた。


 しかし、その東から現れたのは、これまでの泥仕合とは無縁の、一点の曇りもない「ぴかぴか」の軍勢であった。


「……勝てるわけがない」

 防衛を任されていたフランス軍のマルモン元帥は、完璧な布陣で迫るベルナドットの軍勢を見た瞬間、絶望に膝をついた。

 

 さらにその少し南方で、盤面を決定づける地鳴りのような衝撃が走った。

 その地平線から現れたのは、「ロシア・ポーランド軍団」であった。

 それはロシア兵に、寝返ったドイツ諸邦とポーランドの兵が継ぎ接ぎされた混成部隊であった。この決戦のために、ベニグセンは忠誠の定まらぬ軍を率いてこの巨大な盤面へと滑り込んできたのだ。


 かつてアイラウの地獄でナポレオンと互角に血を流し合ったこの老将は、フランス軍の唯一の退路である「東のボトルネック」を、攻撃するように配置されていることなど、百も承知であった。


 戦場を睨みつけて号令する。

「慌てるな、諸君。『我が軍の価値』を、嫌というほど思い出させてやるぞ──全軍、戦列を維持せよ!」


 西側の橋から全軍を脱出させるための生命線は──ナポレオン自身が直率するフランス軍の「本隊」が防御していた。ここを突かれれば撤退すらできずに全滅する。そう悟った皇帝は、最後の狂気を振り絞り、猛攻を跳ね返すべく決死の反撃(カウンター)を仕掛けてきたのだ。

 

 連合軍への忠誠を疑われる、寝返ったばかりの、この軍団だけが「怪物」の執念と真っ向から激突する役割を担ったのである。


「近衛隊が突っ込んできます! 皇帝直率、退路を確保するための死に物狂いの猛撃です!」

 伝令の悲鳴が響く。


「受け流せ! 王太子の指示通り、決して奴の戦術に付き合うな!」

 徹底して無理な正面衝突を避け、後方に配置された北方軍の重砲兵隊の射線へ近衛隊を誘い込んだ。


 だが、退路を賭けた怪物そのものが放つ絶望的なまでの圧力は、激突の最前線となった戦列を執拗(しつよう)に削り、北方軍のなかで最も多い数千の死傷者を強いていく。だが、その出血すらも、その忠誠心の証明すらも、ベルナドットが「ナポレオンの脱出を阻止し、近衛隊を無力化するための、最小必要コスト」として算定していた変数の範囲内であった。


「……なぜ、押し切れん!」

 戦況報告を睨(にら)みつけ、ナポレオンは焦燥に唇を噛(か)んだ。

 

 確かに目の前の敵は血を流している。だが、どれほど削っても、戦列は決して決壊しない。それどころか、流した血のコストと引き換えに、包囲の網はジワジワと自身の背後──西の橋へと回り込んでくる。

 それは英雄の激突ではなく、巨大な税務署によって、血税とともに帝国の資産を合法的に「差し押さえ」られているかのような、恐るべき事務処理であった。


 この東のベニグセンの奮闘に連動するように、北からはランジェロンが攻撃を開始。膨大な損害を出しながらも、近衛隊をその場に引きつけることに成功する。


 ──その結果、二人が引き起こした猛攻に対応すべく、フランス軍の中央の防衛線から兵力が引き抜かれ、そこにはザクセン軍をはじめとするライン同盟の軍勢だけが取り残されることとなった。 


 午後になり、その正面に北方軍が予定通りの時刻に布陣を完了させた、まさにその時。最前線に配置されたザクセン軍が、突如として進軍を止めた。


「ベルナドット王太子万歳!」 

 彼らは一斉に地鳴りのような叫びとともに、銃口をフランス軍へと反転させたのだ。


 そして、その裏切りの波は瞬く間に伝播する。ザクセン軍の離反を目撃したライン同盟の軍勢までもが次々と、銃口を逆へと向け直した。


 この瞬間、ナポレオンの足元が完全に消滅した。


 驚くべきは、その直後のビューローの「実務能力」であった。彼は寝返ったばかりのザクセン軍の指揮官のもとへ間髪入れずに伝令を飛ばすと、新たな楽団員を己のオーケストラへ迎えるかのように、彼らを即座に北方軍の戦列へと組み込んだ。


「ザクセンの諸君、よくぞ道理を選択してくれた! 挨拶代わりに、その大砲の照準をフランス軍へ合わせろ。これより引き算を始める!」


 寝返ったザクセン軍の大砲から、さっきまでの味方──フランス軍に向けて容赦のない鉄槌(てっつい)が叩き込まれた。スウェーデン機動砲兵の援護も加わり、ザクセン軍の裏切りにより空いた戦線の穴を、ビューローの軍団がこじ開けて行く。

 

 それでも踏みとどまろうとするフランス軍に、追い打ちをかけるように異形の火が降り注ぐ。英国軍のコングリーヴ・ロケット部隊である。


「気合で避けられるものなら避けてみろ!」

 スチュワートが叫び、不規則な軌道を描く炎の雨が、フランス軍のど真ん中で爆発した。轟音(ごうおん)と白煙。これまで見たこともない新兵器の恐怖に、フランス軍の動揺は最高潮に達する。


 その瞬間、ヴォロンツォフの精兵が電撃的に突撃。フランス軍の戦列を文字通り「真っ二つ」に叩き割ると、その側面をすり抜け、瞬く間にフランス軍の背後を遮断した。


 ナポレオンは戦場のど真ん中で、自らの足元が霧散(むさん)していくのを目の当たりにし、初めて恐怖に顔を歪(ゆが)めた。

「ベルナドット……。おまえは戦いではなく、私に『終焉(しゅうえん)』をもたらしに来たのか!」

 

 皇帝は全滅の恐怖から逃れるように、ポニャトフスキの『ポーランド軍』をベニグセンの『ロシア・ポーランド軍団』の盾に残して、夜陰に乗じてライプツィヒを真っ先に脱出した。



【第四日〜:橋の破壊と理詰めの追撃戦】

 ――十月十九日。ナポレオンが夜陰に乗じて脱出した後も、戦場には地獄の数式が展開されていた。


 同日、ライプツィヒ。フランス軍は退却のための唯一のエルスター橋を誤って爆破させてしまう。東岸に取り残された殿(しんがり)数万人は、そのまま連合軍の捕虜となった。


 橋の爆破から数日後。かつて死体と硝煙で埋め尽くされていた川には、連合軍の工兵の手によって、頑丈な仮橋(かりばし)が架けられていた。ビューローは、東岸に取り残された数万のフランス兵を一人残らず「捕虜」として処理し終えると、手元の帳簿(データ)を閉じ、馬上の人となった。


「まだ終わっていない! 逃げ道にある兵站地をすべて押さえ、敗走する兵士を休ませるな!」


 ベルナドットから預かっていた快速砲兵隊は、全隊員が馬に乗り、戦場を自在に駆け巡ることのできる精鋭だった。それこそがスウェーデン軍の磨き上げていた「機動力のある砲兵」であり、ライプツィヒの戦いで北方軍が広い戦線で援護射撃を受けられた理由だった。


 その機動力を生かし、対岸へ先回りし、砲弾を浴びせかけたため、辛うじて橋を渡り、撤退に移れたフランス兵も無事では済まなかった。


 ハレから西へ回り込んだチェルニショフの軽騎兵(コサック)がバラバラになった「破片」を混乱させ、ビューローの機動砲兵が手向けの鎮魂歌(レクイエム)の如き圧倒的な火力によって制圧し、残った敗残兵を、北方軍の歩兵が丁寧に刈り取っていく。


 その完璧に統制された殲滅(せんめつ)戦を眺め、ヴォロンツォフは静かに剣を納めた。

「……これだ。これこそが、私が夢にまで見た『知性の完勝』だ」



【軍事幾何学の勝利と戦略論】


 ライプツィヒの街に大砲の煙が立ち込め、果てしない戦いの後片付けが始まっていた。 

 北方軍の司令部へ入ったベニグセンとクラウゼヴィッツを迎えたのは、ベルナドットの過剰なまでの賛辞とペンが走る音だった。

「感嘆させられましたよ! まさにお見事な戦いでした。ナポレオンの近衛兵を実によく食い止めてくださった。間違いなく、閣下こそが今回の勝利における一番の立役者だ!」


 抱きつかんばかりの大仰な賛辞に、泥に汚れた帽子を脱ぎ、静かに報告した。

「――我がポーランド軍の任務はすべて完了しました。フランス軍の猛攻を、完全に食い止めました」


 満足げに聞き届け、優雅にペンを動かす。

 その横ではボイエンらが、失われた兵士や弾薬の数を、まるで銀行員のように淡々とノートに整理している。

「さて、少佐、私の作戦は君の軍事理論の完成に少しは役に立ったかね?」 


 自分たちは、泥水をすすって戦ってきたというのに、目の前の男は全軍をほぼ無傷のまま勝たせ、その僅かな犠牲さえもポーランド兵に押し付けて平然としている。


「もっと血を流して泥臭くぶつかり合うべきだ」という理不尽な怒りが胸を焦がす。だが、その虫唾が走るほど嫌いな計算が、あのナポレオンを完全に窒息させた。

 その動かしようのない事実が、クラウゼヴィッツのプライドを叩き潰していた。


「はい。非常に参考になりました。私はこの戦場で、天才のひらめきも精神の熱量も、大量の武器と兵站の前には通用しない現実を見ました。戦争とは、ただの狂気であってはならない。目的を果たすための、完璧にコントロールされた手段でなければならないのだと……私はそれを学びました」

 答えるその瞳には、すべてを悟ったような光が宿っていた。


 その言葉に、ボイエンがふと目を上げ、友の成長に嬉しそうな笑みを漏らした。


 ベルナドットも深く頷くと、次の書類を引き寄せた。

「参考にして頂けたのなら結構だ。では、次の任務に戻って頂きたい」


「ハンブルクのダヴー元帥の封鎖でしょうか」


「そうだ。現地で踏ん張っているヴァルモーデンたちのところへ行き、包囲に加わって欲しい。無理に戦う必要はない。兵糧が底を突くのをじっと待てばいい。時間が経てばダヴーは降伏する」


 二人は敬礼し、静かに司令部をあとにした。 


 外に出ると、ライプツィヒの冷たい秋の風が二人の顔の汚れを拭い去っていく。

 これから向かうのは、派手な決戦ではなく、気の遠くなるような包囲戦だった。


「おい、クラウゼヴィッツ」


 馬に飛び乗りながら、老将が少し疲れたように笑った。

「ハンブルクへ戻る途中、また馬車が泥に埋まったら……今度も君のあのうるさいバイオリンを聴かせてくれないか?」


 胸のポケットにある手帳――のちに世界中で読まれることになる『戦争論』のメモ――をそっと撫で、静かに首を振った。

「いえ、ヴァイオリンはもうやめました。もう作戦を立てるのもやめます。戦線は閣下にお任せして、これからは書類仕事を頑張るつもりです。……ですが、今でも私は、あの男のやり方が大嫌いです。他人に血を流させ、自分や親しい部下の血を流すことだけは避ける。他人も、親しい部下も、自分も同じ人間です。そこに差はないはずです。私はどれだけ有効であろうと、あの軍事幾何学だけは認めることはできません。あんなのは戦争ではない。血の通わない虐殺にすぎません」


 だが、と続けた。

「認めざるを得ません。ならば今度は私たちが、あのハンブルクの怪物を、一滴の血も流さずに我々の理詰めの包囲網で窒息させてやりましょう」


 二人は馬に拍車を当てた。 

 ライプツッヒ、最初の作戦はボヘミア軍が南から、シレジア軍が北から攻めて、中央が薄くなった所をザクセン軍が裏切って、北方軍が中央突破だったのですが、ボヘミア軍の暴走でそれができなくなった為に、次善の策として、東からベニグセン、中央にビューローらの北方軍、その北からランジェロンが攻撃しています。

 ベニグセンとランジェロンによって、近衛隊が引き抜かれた隙にビューローらが、ザクセン軍の裏切りを利用して中央突破です。

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