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監査報告 その2

1.ボイエンの「気合」の限界(時間は少し遡る)


「……もう我慢ならん! 殿下の計算を待っていたら、ビューロー閣下が全滅してしまう!」


 予備兵力として後方に控えていたボイエンは、立ち込める砲煙を見てついに爆発した。彼はシャルンホルストの遺志を証明するため、独自判断で北方軍の別動隊を引き連れ、戦場へ突入しようとした。


「行くぞ諸君! プロイセンの魂を見せてやる!」


 ボイエンが剣を抜き、吹き荒れる砂塵と泥を跳ね上げて疾走したその時――。


 ドォォォォン!


 彼の鼻先数メートルの地面が、巨大な轟音とともに爆発した。フランス軍の砲弾ではない。ベルナドットが正確に配置した、スウェーデン砲兵による「警告射撃」であった。


「止まれ、ボイエン閣下」


 無造作に馬を寄せたのは、スウェーデン砲兵を率いる将校だった。


「殿下の計算によれば、貴公が今そこを横切れば、三十秒後にフランス軍の突撃路と交差し、わが軍の火力が遮断される。死にたければ勝手にしろ。ただし、殿下の『図面』を汚すことは許されない」


 ボイエンは抜いた剣を握ったまま、石のように固まった。

 自分の「情熱」が、ベルナドットにとっては単なる「射線の邪魔」でしかないという現実に、頭が真っ白になったのだ。



2.スチュワートの「監査」の衝撃


 一方、前線の本営陣地でベルナドットの隣にいた英国特使スチュワートは、別の衝撃に震えていた。


「殿下……! ネイ元帥の軍が左翼から崩れ始めました。今こそ全軍追撃の時です! 英国の補助金は、逃げる敵を追うために支払われているのですよ!」


 ベルナドットは懐中時計を見つめたまま、静かに首を振った。


「スチュワート殿。追撃には三つの変数が足りない。兵の睡眠、馬の飼料、そして何より『明日の分の弾薬』だ。今追えば勝てるだろう。だが、今日の損害は三割増え、明日の戦果は三割下がる。貴公は投資家だろう? 複利で物事を考えたまえ」


 スチュワートは絶句した。

 目の前の男は、いま戦場で崩壊しつつあるフランス軍の「勇者の中の勇者」を、まるで期限切れの不良在庫を処理するかのような淡白さで見つめていた。



3.「活躍」の結末


 戦いが終わり、ネイ軍が算を乱して敗走した夜。

 ボイエンとスチュワートは、北方軍が「一兵も略奪に走らず、整然と夕食のスープを啜る」光景を眺めていた。


「……ボイエン。君、今日何かしたかい?」

 スチュワートが、用済みのペンを机にカツリと置きながら尋ねた


「……ええ。殿下の砲兵に『邪魔だ』と怒鳴られ、泥をかぶりましたよ」

 ボイエンは日記帳を閉じ、深い溜息をついた。


「ですが、見てください。あの方の計算通り、我々は一歩も動かずにネイを消滅させた。……私の『気合』は、殿下の『予備弾薬数』に完敗したのです」


 スチュワートは、北方軍の本営から支給された最高級のシェリー酒を煽った。


「いい活躍じゃないか、ボイエン。君が動かなかったおかげで、殿下の射線が綺麗に通ったのさ。……よし、本国への報告書にはこう書くことにしよう。『北方軍、損益分岐点をクリア。英国の投資は、史上最も退屈で、最も確実な勝利を生み出した』とな」



4.最終解答


 デネヴィッツの荒野に、ベルナドットの鋭い号令が飛んだ。


「感傷に浸るのは終わりだ。今すぐ、あの『解答』の続きを書き込むぞ。――追撃!」


 ベルナドットは間髪入れずに、チェルニショフの騎兵隊、そしてヴィンツィンゲローデの義勇兵(ようへい)を解き放った。

 退路の要所だけを正確に抑え、敵を自滅へ追い込む最速で最低限の矢。


 その動きは、かつてハノーヴァーの夜に語り合ったハインリヒの教本を、そのまま戦場へ具現化したかのような機動力であった。


 逃げ惑うネイの軍団は、退路を次々と抑えられ、食事どころか休息をとることさえできず、戦う余地すら奪われたまま、文字通り解体されていった。



 十日後の夜、本営の作戦室。

 スチュワートは羽ペンを走らせ、本国への最終報告書を書き上げていた。


「見事な決算だ、ボイエン。ジャン=バティストの『追撃』という名の引き算は、ネイの軍勢を跡形もなく解体した」


 ボイエンは、差し出された損益計算書を黙って見つめた。そこには、数字という名の峻厳な正解が並んでいた。


「……ネイの軍勢、七万三千。命からがら要塞へ逃げ込めたのは、わずかに二万人か」


「ああ。しかもその生き残りも、要塞内でチフスという名の『負債』を抱えて自滅するだろう。内訳を見るかね?」


 スチュワートは冷めた紅茶を含み、淡々と数字を読み上げた。


「戦闘による直接消滅、二万三千人。ドイツやイタリア兵の脱走による消滅、一万五千人。敗走ルート上での飢えと疲労による消滅、一万五千人」


 スチュワートはパタンと帳簿を閉じた

「フランス軍最強のカードが、この追撃戦をもって、完全にチェス盤から消去されたのさ」


「……我が方の損害は」

 ボイエンが絞り出すように尋ねる。


「総数で一万人。戦死約一千八百、負傷約七千五百、行方不明が約五百だ。しかも、例のシーツを数える医療システムのおかげで、負傷者の六割以上が数週間で前線に復帰する」


 スチュワートは満足げに報告書が閉じ、封蝋を押しつけた。

「実質的な出血は、フランス軍のそれとは比較にならぬほど軽微。我が大英帝国の投資は、完全に勝利の等式を証明した」


 ボイエンは作戦室の窓から、澄み渡る秋空を見上げた。

 かつてアウエルシュタットでタウエンツェーンを美しく詰ませたあの男の包囲網が、今、さらに巨大な地政学的数式として完成したのだ。


「……認めざるを得ないな」

 ボイエンは日記帳に、最後の一行を書き加えた。


「ナポレオンの築いた恐怖の支配は今、彼らの知性と信頼によって、完全に塗り替えられた、と」

 このキルレ比を知った時には驚愕しました。ビューローって、ナポレオン戦争最強の武将なんでしょうが、幸運なビューローと言われただけです。ドイツに存在するビューローの像に興奮した人って自分ぐらいでは。

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