監査報告 その1
数日後、追撃から帰ってきたチェルニショフから報告を受ける。
「ウディノの別働隊ですが、邪魔だったのでビューローの旦那の民兵と挟み撃ちにして、片付けておきました。大量の分捕り品も得ましたし、コサックたちも大喜びですよ」
チェルニショフはさも簡単な仕事のように言ってのけた。
だが、敵はフランス軍の正規兵九千人である。
対するこちらは、まともな訓練すら受けていない同数の民兵と、わずか千五百人の軽騎兵に過ぎない。
グロースベーレンでの敗戦による敵の混乱に乗じたとはいえ、コサックたちはほぼ無傷でこの大戦果を挙げたのだ。
ベルナドットは彼らの凄まじい精強さに、内心で舌を巻いた。
「負傷者はすぐに後方の病院へ運ぶよう手配してある。見事な働きだった、チェルニショフ」
グロースベーレンの戦果が、数字となって本営に届いた。
「――死者はわずか百八十四人。負傷・行方不明を合わせても、損害は約一千人か」
大英帝国の特使スチュワートは、真っ赤な正装の袖を揺らし、監査状の数字を指先で弾いた。
「対するフランス・ザクセン連合軍は五千人以上が消滅。ボイエン、君の愛する『プロイセンの気合』も、この費用対効果には敵わないよ」
スチュワートはそこで言葉を区切り、届いたばかりのもう一枚の戦報へと視線を落とし、口元を歪めた。
「おまけに、その四日後のハーゲルベルクだ。ジラールの野戦師団が丸ごと霧のように消え去った。フランス軍の死傷と捕虜を合わせれば、実に六千の損害。……対する我らが北方軍の致命的な損失は、実質、数百人といったところか。コサックにいたっては死者たったの二人」
ボイエンが何かを言いかける前に、スチュワートは鼻を鳴らしてため息を吐き出す。
「報告書には『行方不明六百六十二名』とあるがね。なぁボイエン、君のところの頼もしい『民兵』どもは、土砂降りの殴り合いに恐れをなして、そのまま地元の我が家へ逃げ帰ったそうだ。つまり、死んではいない。実質の損害は戦死者の二百三十八名だけだ」
スチュワートは傲然と胸を張り、ロシアの若き将軍の名を口にした。
「そして何より傑作なのは、この美味しい果実をすべてかっさらったのが、わずか千五百の軽騎兵を率いたチェルニショフだということさ。プロイセンの素人どもが泥まみれでフランス軍と銃床を殴り合い、敵が疲弊しきった絶妙な瞬間に、彼は横から突撃してほとんど無傷ですべてを分捕った!」
彼は上機嫌にステッキを回し、言い放つ。
「戦争とはこうやるのだよ。泥臭い精神論ではなく、無慈悲なまでの帳簿の数字と戦術眼だ」
ボイエンは苦々しい表情で、作戦室の窓から外を睨みつけながら呟く。
「――戦果は認める。だが、あの男のやることは軍隊ではない。まるで、商売人だ」
視線の先で、ベルナドットは泥まみれになりながら、救護馬車の運行ダイヤグラムを自ら差配していた。
「負傷者を野戦病院に留めるな! すぐにベルリンの本院へ回せ! 窓を開けて換気を徹底しろ、シーツは頻繁に交換だ。感染症は即座に隔離しろ!」
総司令官の怒声。
内容はすべて、驚くほど細かい衛生管理の厳命であった。
「呆れたものだな」
ボイエンが吐き捨てる。
「将軍が病室のシーツの数を数えてどうする。戦争は算術ではないはずだ」
「いや、あれこそが恐るべき投資効率だよ、ボイエン」
スチュワートは冷めた紅茶のカップを置き、シニカルに唇の端を上げた。
「あの細かすぎる『算術』の結果、負傷兵の実に六割以上が数週間で前線、あるいはベルリンの防衛任務に復帰している」
スチュワートは立ち上がり、ボイエンの肩に手を置いた。
「逆に、ナポレオンの軍にはそれがない。ロシアの極寒で、皇帝の医療インフラは完全に擦り切れている。奴らの負傷者は、治療も受けられずに病死するか、我が方の捕虜として消え去るだけだ」
「……」
「気合で傷は塞がらない。あのガスコーニュ人は、衛生という名の数式で、プロイセンの兵力を無限に再利用しているのさ。認めろ、ボイエン。これが『文明の戦い』だよ」
――ハンブルク。
この鮮やかな勝利劇の裏で、さらに北方でも、もう一つの防衛戦が火花を散らしていた。
ナポレオンの懐刀であるダヴー元帥が、ハンブルクの包囲網を突破せんと猛攻を仕掛けていたのである。だが、その鉄拳の前に立ちふさがったのは、ヴァルモーデンであった。
ハノーヴァー出身の貴族であり、英国国王の血を引きながらも、ロシアの地を一歩も踏むことなくロシア将軍の階級を得た男――彼は、露・普・英の多国籍兵からなる「ハンザ軍団」を率いる、不屈のリアリストであった。
この奇妙な混成軍の前衛には、ヴァルモーデンとともに動くテッテンボルンの軽騎兵部隊があった。彼らは執拗なゲリラ戦でダヴーの補給線と情報網を遮断していく。
ヴァルモーデンは王太子から授かった「防衛の数式」を忠実に遂行し、ダヴーの猛撃をことごとく相殺していく。
欧州全土を震撼させた鉄の元帥の進撃さえも、王太子が編み上げた堅牢な防衛線を突き破ることはできなかった。
(ウディノの軍を叩き潰し、あのダヴーすら封じ込めたというのか……)
その驚愕が、静かに欧州中を駆け巡り始める。
――ドレスデン。
グロースベーレンの敗報は、即座にナポレオンの元へと届いた。
皇帝は激怒した。
ウディノを更迭し、後任に「勇者の中の勇者」ミシェル・ネイ元帥を据える。
感情に流された、決定的な悪手。
――ベルリンの本営。
チェルニショフが、前線から持ち帰った最新の敵情を卓上に叩きつけた。
「あの一敗でナポレオンの奴、完全にトチ狂っちまったぜ。ウディノを見限って、今度はネイをベルリン方面へぶち込んできやがった。……まあ、何もかも殿下の計算通りってわけさ」
「扱いやすい変数だよ」
ベルナドットは、ハインリヒの数学書に目を落としたまま、淡々と言い放った。
「ネイの戦術は『最短時間での全力突撃』の一手しかない。裏を返せば、時間を引き延ばせば必ず自滅する。――タウエンツェーン閣下」
卓上の地図の上に、軍事幾何学による完璧な防衛線が展開されていく。
「貴公の第四軍団を、デネヴィッツの街に配置する。ネイは貴公の『新兵中心の戦列』を見て、即座に全軍で噛み付いてくるはずだ。貴公の役割はネイを倒すことではない。奴のエネルギーが一点に集中し、勝手に燃え尽きるまで、ただ耐える壁――『定数』になってもらう」
ベルナドットは無言で視線を地図へ残したまま宿将に問いかける。
「プロイセンの首都を守る、最も過酷な戦場だ。耐えられるか?」
タウエンツェーンの瞳に、すべてを呑み込んだ覚悟の光が宿る。
「――あのハノーヴァーの夜から、私はこの等式の一部です。お任せを」
「よし、諸君、数学の続きを始めよう。ネイ元帥に、軍事幾何学の恐ろしさを教えてやるのだ」




