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監査報告 その1

 その夜、北方軍の本営では、ベルナドットがかつてないほど上機嫌に振る舞っていた。


「見たか、諸君! ビューロー閣下のあの突撃を! まさに完璧に証明された幾何学的な美しさだ! 彼はプロイセンが生んだ最高の芸術家だよ!」


 ベルナドットは居並ぶ将校たちの前でビューローの手を握り、これでもかと褒めちぎった。


 普段は気難しいプロイセン親父のビューローも、衆目の前で「最高の正解を出した」と絶賛され、顔を真っ赤にしながらも悪い気はしなかった。


 深夜、ビューローは天幕のなかで、雨音を聞きながら故郷の若い妻へ手紙を書いていた。

 そこには、シレジアのグナイゼナウたちが聞けば卒倒するような内容がつづられていた。


『……私は今日、生涯で最高の上官に出会えたと確信している。王太子ベルナドット)は、気合だの根性だのといった曖昧な言葉を使わず、常に我々に勝つための道筋を語ってくれる。彼の下であれば、私は何度でも死地へ向かえるだろう』

『……もっとも、あの男の「褒め癖」には困ったものだ。私を褒めちぎったかと思えば、その直後にスウェーデン砲兵の工夫や、ロシア騎兵の忍耐についても同じ熱量で賛辞を贈る。わが軍の功績が、少しばかり薄まってしまうではないか……』


 ビューローは筆を置き、ふっと口元を綻ばせた。


 ハノーヴァーでハインリヒの遺稿を介し、数学を語り合ったあの夜。

 あの日から始まった奇妙な計算式が、今、ベルリンを救うという確かな「解」を導き出したのだ。


 天幕の外では、ヴィンツィンゲローデが、部下達とともにエールを酌み交わしていた。

 義勇兵ようへいの勧誘の為に、捕虜も交えて愉快そうに騒いでいる。


「ビューローの旦那は、手紙に『殿下は食えない男だ』とでも書いているのではないか?」


 ヴィンツィンゲローデが言うと、部下達れきせんのつわものもエールを傾けながら応じた。


「ははは! だが、あんなに嬉しそうな顔をしたビューロー閣下を見たのは初めてですよ。殿下の人心掌握術は、もはや魔術ですね」


 ナポレオンが「人望」という名の変数を失いつつある中で、ベルナドットは北方軍のすべての兵士の心に、その『変数の最大値』を完全に書き込み終えていたのである。




 数日後、追撃から帰ってきたチェルニショフから報告を受ける。


「ウディノの別働隊ですが、邪魔だったのでビューローの旦那の民兵ランドヴェーアと挟み撃ちにして、片付けておいました。大量の分捕り品も得ましたし、コサックたちも大喜びですよ」


 チェルニショフはさも簡単な仕事のように言ってのけた。

 

 だが、敵はフランス軍の正規兵九〇〇〇人である。

 対するこちらは、まともな訓練すら受けていない同数の民兵ランドヴェーアと、わずか一五〇〇人のコサックに過ぎない。


 グロスベーレンでの敗戦による敵の混乱に乗じたとはいえ、一五〇〇人のコサックはほぼ無傷でこの大戦果を挙げたのだ。

 ベルナドットは彼らの凄まじい精強さに、内心で舌を巻いた。


「負傷者はすぐに後方の病院へ運ぶよう手配してある。見事な働きだった、チェルニショフ」


 


 グロースベーレンの戦果が、数字となって本営に届いた。


「……死者はわずか百八十四人。負傷・行方不明を合わせても、損害は約一千人か」


 大英帝国の特使スチュワートは、真っ赤な正装の袖を揺らし、監査状の数字を指先で弾いた。


「対するフランス・ザクセン連合軍は五千人以上が消滅。ボイエン、君の愛する『プロイセンの気合』も、この費用対効果には敵わないよ」


 スチュワートはそこで言葉を区切り、届いたばかりのもう一枚の戦報へと視線を落とし、口元を歪めた。


「おまけに、その四日後のハーゲルベルクだ。ジラールの野戦師団が丸ごと霧のように消え去った。フランス軍の死傷と捕虜を合わせれば、実に六千の損害。……対する我らが北方軍の致命的な損失は、実質、数百人といったところか。コサックにいたっては死者たったの二人」


 ボイエンが何かを言いかける前に、スチュワートは鼻を鳴らしてため息を吐き出す。


「報告書には『行方不明六百六十二名』とあるがね。なぁボイエン、君のところの頼もしい『民兵ランドヴェーア』どもは、土砂降りの殴り合いに恐れをなして、そのまま地元の我が家へ逃げ帰ったそうだ。つまり、死んではいない。実質の損害は戦死者の二百三十八名だけだ」


 スチュワートは傲然と胸を張り、ロシアの若き将軍の名を口にした。


「引して何より傑作なのは、この美味しい果実をすべてかっさらったのが、わずか千五百のコサックを率いたチェルニショフだということさ。プロイセンの素人どもが泥まみれでフランス軍と銃床を殴り合い、敵が疲弊しきった絶妙な瞬間に、彼は横から突撃してほとんど無傷ですべてを分捕った!」


 彼は上機嫌にステッキを回し、言い放つ。


「ボイエン、戦争とはこうやるのだよ。泥臭い精神論ではなく、無慈悲なまでの帳簿の数字と戦術眼だ」


 ボイエンは不機嫌そうに、作戦室の窓から外を睨みつけていた。


「……戦果は認める。だが、あの男のやることは軍隊ではない。まるで、経営者だ」


 ボイエンの視線の先。

 ベルナドットは泥まみれになりながら、救護馬車の運行ダイヤグラムを自ら差配していた。


「負傷者を野戦病院に留めるな! すぐにベルリンの本院へ回せ! 窓を開けて換気を徹底しろ、シーツは頻繁に交換だ。感染症は即座に隔離しろ!」


 総司令官の怒声。

 内容はすべて、驚くほど細かい衛生管理の厳命であった。


「呆れたものだな」ボイエンが吐き捨てる。

「将軍が病室のシーツの数を数えてどうする。戦争は算術ではないはずだ」


「いや、あれこそが恐るべき投資効率だよ、ボイエン」

 スチュワートは冷めた紅茶のカップを置き、シニカルに唇の端を上げた。


「あの細かすぎる『算術』の結果、負傷兵の実に六割以上が数週間で前線、あるいはベルリンの防衛任務に復帰している」


 スチュワートは立ち上がり、ボイエンの肩に手を置いた。


「逆に、ナポレオンの軍にはそれがない。ロシアの極寒で、皇帝の医療インフラは完全に擦り切れている。奴らの負傷者は、治療も受けられずに病死するか、我が方の捕虜として消え去るだけだ」


「……」


「気合で傷は塞がらない。あのガスコーニュ人は、衛生という名の数式で、プロイセンの兵力を無限に再利用しているのさ。……認めろ、ボイエン。これが『文明の戦い』だよ」


 

 

 グロースベーレンの敗報は、即座にドレスデンのナポレオンの元へと届いた。


 皇帝は激怒した。

 ウディノを更怠し、後任に「勇者の中の勇者」ミシェル・ネイ元帥を据える。


 感情に流された、決定的な悪手。



 ベルリンの本営。

 チェルニショフが、前線から持ち帰った最新の敵情を卓上に叩きつけた。


「あの一敗でナポレオンの奴、完全にトチ狂っちまったぜ。ウディノを見限って、今度はネイをベルリン方面へぶち込んできやがった。……まあ、何もかも殿下の計算通りってわけさ」


「扱いやすい変数だよ」


 ベルナドットは、ハインリヒの数学書ぐんじきかがくに目を落としたまま、淡々と言い放った。


「ネイの戦術は『最短時間での全力突撃』しか持たない。裏を返せば、時間を引き延ばせば必ず自滅する。……タウエンツェーン閣下」


「貴公の第四軍団を、デネヴィッツの街に配置する。ネイは貴公の『新兵だらけの戦列』を見て、即座に全軍で噛み付いてくるはずだ。貴公の役割はネイを倒すことではない。奴のエネルギーが一点に集中し、勝手に燃え尽きるまで、ただ耐える壁――『定数』になってもらう」


 ベルナドットは無言で視線を地図へと戻した。


「プロイセンの首都を守る、最も過酷な実務だ。耐えられるか?」


 タウエンツェーンの瞳に、すべてを呑み込んだ覚悟の光が宿る。


「……あのハノーヴァーの夜から、私はこの等式の一部です。お任せを」


「よし。……諸君、数学の授業を始めよう。ネイ元帥に、軍事幾何学の恐ろしさを教えてやるのだ」

 ベルナドットに褒められて嬉しいが手紙の内容のメインで、俺以外も褒めるなんて悔しい。という内容も入っていてなんか可愛いビューローです。この後半を膨らませまくって仲悪い説を、プロイセンが広めたのです。

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