監視者と監査役
【歪曲の数式 ボイエン】
一方、ビューローの傍らでボイエンは、不機嫌を絵に描いたような顔で鼻を鳴らした。
「ボイエンか。シャルンホルストの遺言を預かってきたそうだな。『ガスコーニュ人の臆病な計算を、プロイセンの気合で補ってやれ』……だったか?」
ボイエンは一瞬たじろいだが、すぐに胸を張った。
「その通りです! 私は殿下の実務を監視し、プロイセンの『魂』を注入するために参りました。シャルンホルスト閣下の遺言です。戦争は算術ではない、燃えるような熱狂なのだと!」
ベルナドットは、自分を監視しようとするボイエンを見つめ、楽しそうに声音を弾ませた。
「面白い。ボイエン……貴公は存分に私の隣で『監視』するがいい」
「監視……ですか?」
「ああ。君たちの言う『精神力』が、私の『物流』という現実の前にいかに脆く、いかに非効率な誤差に過ぎないか。特等席でじっくりと、その証明を見せてやる」
大広間の窓の外では、相変わらず冷たい雨が降っていた。
だが、その中を北方軍の小麦を積んだ馬車と移動式パン焼き窯が、完璧なダイヤグラムに従って続々と到着し始めていた。
【虚飾の数式 スチュワート】
「……やれやれ。ボイエン, 君の歩幅に合わせて歩くのは、ロンドンの泥道を裸足で歩くより骨が折れるよ」
大広間の入り口で、泥だらけのボイエンとは対照的に、一点の汚れもない真っ赤な正装を纏った男が、優雅に軍帽の埃を払った。
「……スチュワート殿! なぜここに!」
ボイエンが驚愕して振り返ると、スチュワートは手にした銀のステッキを軽く回してみせた。
「なぜも何もない。わが英国が君たちの『気合』や『算術』にどれだけのポンドを投資していると思っているんだい? 投資家が現場の監査に来るのは、ロンドンの商館では常識だよ」
スチュワートは大広間の中を見渡すと、ベルナドットに向かって、慇懃ながらも不遜な一礼を捧げた。
「お初にお目にかかる、王太子殿下。私は英国の特使、チャールズ・スチュワート。……偏屈なボイエンの、世界で唯一の『友人』兼『介護役』です」
ベルナドットは面白そうに口元を綻ばせる。
「英国のソーントン大使から聞いていたよ、スチュワート殿。貴公は戦場にペンと金袋を持って現れる、最も『現金』な男だとな」
スチュワートは唇を意地悪な形に歪め、言葉を続ける。
「金袋の方はもう兵站ラインに組み込まれています。殿下の用意した運河の船は、わが国の金貨を運ぶには少々底が浅すぎますがね。……さて、ボイエン。君はさっき『魂』だの『熱狂』だのと喚いていたが、そんなものはこの殿下の前では、冷めた紅茶ほどの価値もないようだぞ」
「スチュワート殿! 貴公まで私を笑うのか!」
スチュワートが読んでもらえる事を想定していない同人誌みたいな回顧録を書いてくれたおかげで、色々な情報が我々に伝わっています。有名人でもないスチュワートが書いた回顧録は偶然に再発見され、一次資料として重宝されています。
ボイエンは後の陸軍大臣で大モルトケを見出したと言われる人物です。当然、ボイエンの回顧録は読まれる事を前提にしていますので、政治的な配慮が入りまくっています。




