第64話:想定外の超高効率(ハイパフォーマンス)な部下たちと、手書きの罠
窓口のカウンターに差し込む午後の日差しが、初夏の力強さを帯びてきた頃。
私は、冒険者ギルドの一階窓口で、手元の申請書に完璧なリズムで承認印を押しつつ、本日の【定時退勤後のサブ・ミッション】のシミュレーションを脳内で実行していた。
昨日から引き続いている『大ハマグリの酒蒸し』と『初鰹の叩き』のメイン・タスクに加え、今日は追加のオプション(ご褒美)を実装する予定だ。
――『アスパラガスとホタテの春色かき揚げ』である。
瑞々しく太いアスパラガスを一口大に切り、新鮮で甘みの強いホタテの貝柱と合わせる。それを薄衣でサクッと揚げ上げれば、アスパラの青々とした香りとホタテの濃厚な旨味が、熱々の油の中で完璧なマリアージュ(互換性)を生み出す。
それに合わせるのは、キリッと冷えた辛口の白ワイン。サクサクの衣を噛み砕き、溢れ出す初夏の旨味を冷たいワインで洗い流す。想像しただけで、私の脳内メモリは幸福物質で溢れかえりそうになる。
(……素晴らしいわ。この完璧なディナーのためなら、どんなイレギュラーな業務も秒速で処理できる)
私は手元の書類仕事を片付けながら、視線をカウンターの端に置かれた『遠隔投影水晶』へと向けた。
映し出されているのは、王都の東に位置する『東の洞窟』の内部。
昨日、無能なマスターのトップダウンにより、新人十五名の引率を無理やり押し付けられ、過労死寸前で出発したAランク女性剣士・セリアの姿があった。
『……はぁ……。いい、お前たち。絶対に私の後ろから離れるんじゃないわよ。足手まといになったら、置いて帰るからね……』
水晶越しに聞こえるセリアの声は、今にも倒れそうなほど弱々しい。彼女は、新人たちがすぐにパニックを起こし、自分がその後始末に追われる最悪の事態を覚悟していた。
だが。
私の地獄の適性審査を生き抜き、さらに昨日の遠隔ナビゲーションで『コスト意識』を極限まで叩き込まれた十五名の新人たちは、彼女の予想を遥かに超える【ハイパフォーマンスな部下】へと変貌を遂げていたのである。
『セリア先輩! 前方の通路にゴブリンが五匹、スライムが三匹配置されています!』
小柄なシーフの少女、ミアが、セリアが剣を構えるよりも早く索敵データ(ログ)を報告した。
『あ、え? ちょっと、あんたたち下がって……』
『お待ちください!』
新人の魔術師が、手元の羊皮紙を素早く確認し、セリアを制止した。
『ゴブリンとスライムの討伐報酬に対し、先輩がここで剣を振るうカロリー消費量と、武器の摩耗コスト(原価)が見合いません! 右の迂回ルートに採掘ポイントがあります。ここは戦闘を回避し、鉱石の採取で利益率を上げるルートを推奨します!』
『……は? り、利益率……?』
セリアが、目を丸くしてぽかんとしている。
だが、新人たちの完璧なサポートはこれだけではなかった。
『セリア先輩、現在の進行度と先輩の歩幅から計算し、五分間のインターバルを推奨します! はい、これ、水分補給用のポーション水割りです!』
『討伐した魔物の素材回収と、ポーションの在庫管理、および本日の経費計算は、バックオフィス班の私たちがすでに完了しています。先輩は前方の索敵と、ボス戦の火力温存に集中してください!』
『えっ……あ、うん。ありがとう……? じゃなくて、あんたたち、本当に最近冒険者になったばかりの新人なの……!?』
水晶越しに見るセリアの顔には、疲労よりも『極度の困惑』が浮かんでいた。
当然だろう。「足手まといのお守り」を覚悟していたはずが、いざ現場に出てみれば、彼女の指示を待つまでもなく、データに基づいた最適な行動を提案し、雑務を完璧にこなす優秀なアシスタント集団だったのだから。
(……ふふっ。当然ね。彼らは私が直々に【効率化】をインストールした、王都ギルドが誇る最新鋭の人的リソースよ。Aランクの貴女の邪魔をするような、無駄なトラフィックは起こさないわ)
私は水晶の前で、満足げに紅茶を一口飲んだ。
新人たちが現場の雑務とコスト計算をすべて引き受けている以上、セリアの肉体的な負担は劇的に軽減されるはずだ。これで彼女のバーンアウトは回避され、ギルドの業務も正常に回る。
……そう、完璧な解決だと思っていた。
* * *
翌日の午前九時。
ギルドの扉が開き、東の洞窟から無事に帰還した新人たちとセリアが姿を現した。
「アイラ先生! おはようございます! 昨日は利益率200%の黒字で帰還いたしました!」
ミアをはじめとする新人たちは、充実感に満ちた明るい顔で挨拶をしてきた。
「おはようございます。見事なタスク完了ですね。……ですが」
私の視線は、彼らの後ろをフラフラと歩いてくるセリアに向けられていた。
肉体的な負担は減ったはずなのに、彼女の顔色は昨日よりもさらに白く、目の下のクマはもはや魔物のそれに近くなっていた。
「……セ、セリア……様?」
「ああ、アイラ……。おはよう……。これ、昨日の、報告書……」
ドンッ。
セリアが私のカウンターに叩きつけたのは、昨日よりもさらに分厚くなった、異常な量の羊皮紙の束だった。
「……これは?」
「マスターから、言われてるのよ……。本部に提出する『新人定着のための教育評価シート』……。新人十五人分の、昨日の行動ログ、良かった点、改善点、今後の指導方針……全部、一人ずつ詳細に手書きで書けって……」
セリアの声は、限界を超えてかすれていた。
「あいつら……現場じゃ優秀なのに……マスターの要求する報告書の項目が細かすぎて……。私、昨日も一睡もしてないの……。剣を振るより、羽ペンを握ってる時間の方が長かったわ……」
そのまま、セリアは糸が切れた操り人形のように、カウンターの上に突っ伏して動かなくなってしまった。
私の目——【残響の波紋】が、彼女の沈黙から放たれる色を捉える。
それは、もはや怒りすら通り越した、完全な生命力の枯渇を示す「漆黒」だった。
(……なるほど。そういうことですか)
私は、手元の分厚い報告書(評価シート)の束をパラパラと捲った。
そこには、「本日の気付き」「メンターとしての反省」「今後のモチベーション向上策」など、現場の戦闘には一切関係のない、ギルド本部が【やってる感】をアピールするためだけの無意味なポエム(記述項目)がびっしりと並んでいた。
現場の肉体的な負担は、新人たちの効率化によって削減された。
だが、無能な経営層が課した【無意味な事務ノルマ(ペーパーワーク)】が、中間管理職であるセリアの睡眠時間を削り、精神を完全に破壊していたのだ。
「……ルーク」
私は、一切の感情を排した声で、新人職員を呼んだ。
「は、はいッ! ア、アイラさん、今度は何を……!」
「マスターは今、どこにいますか」
「二階の執務室で、本部から来た『人事統括官』の人とお茶を飲んでます! なんでも、今回の新人研修が上手くいっていることを報告して、自分の評価を上げようとしているみたいで……」
「……そうですか」
私は、手元の羽ペンを『ポキリ』と真っ二つにへし折った。
その瞬間、窓口の周囲の温度が物理的に数度下がったのを、ルークも、起立していた新人たちも敏感に察知し、息を呑んだ。
「ミア」
「は、はいッ! アイラ先生!」
「昨日命じていた【裏タスク】……セリア様の『戦闘参加時間』および『実働時間』の正確なログは、すべて記録してありますね?」
「はい! 一秒の狂いもなく、完璧に記録してあります!」
「よろしい」
私は、気絶しているセリアの頭を優しく撫でながら、極上の、そして絶対零度の『氷の微笑』を顔面に展開した。
「優秀な前衛リソース(セリア様)を、無意味な事務作業で使い潰し、その手柄だけを横取りしようとする無能な管理者(経営層)。……私の大嫌いな『組織の腐敗』です」
私は立ち上がらず、窓口の椅子に深く腰掛けたまま、手元の【増幅用魔導具】のスイッチを入れた。
「……ギルド本部の人事統括官。ならびにマスター・バーンズ。……至急、一階窓口までお越しください(エスカレーション)。貴方がたの策定したKPIに、重大な【コンプライアンス違反(規約違反)】が発見されました」
定時の十七時まで、残り七時間。
私の『アスパラガスとホタテの春色かき揚げ』を阻害する、組織構造のバグを根本から解体するための、冷酷な内部監査が今、始まる。




