表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ギルドの受付嬢はうごかない ~定時に帰りたいので、一歩も動かず事件を解きます~  作者: ぱすた屋さん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/74

第63話:トップダウンの無茶振りと、限界女性剣士の受難



 うららかな春の陽気が過ぎ去り、王都を吹き抜ける風に、ほんのりと初夏の湿り気が混じり始めた五月の下旬。

 私は、王都冒険者ギルドの一階窓口で、手元の羽ペンを極限の処理速度で走らせながら、本日の【定時退勤後の絶対目標ターゲット】に向けて、脳内のスケジュールを完璧にコンパイルしていた。


 本日の標的は、王都の裏路地にある隠れ家的な小料理屋『波音なみおと』の初夏限定メニュー。

 ――『殻付き大ハマグリの酒蒸し』と、『初鰹の叩き(薬味まみれ)』である。


 手のひらほどもある立派な大ハマグリを、極上の純米酒で一気に蒸し上げる。パカッと開いた分厚い殻の中には、プリプリにはち切れんばかりに膨らんだ身と、海のエキスが凝縮された乳白色のスープがなみなみと満たされている。

 それに合わせるのは、初夏の海を回遊してきたばかりの「初鰹」。表面をサッと炙って香ばしさを引き出し、中身は艶やかなルビー色の生肉。そこに、たっぷりの新玉ねぎ、大葉、ミョウガ、おろし生姜を山のように乗せ、ポン酢を豪快にかけていただく。


(……完璧パーフェクトね。貝の旨味成分(コハク酸)と、鰹の濃厚な鉄分。この二つのリソースを、キリッと冷えた日本酒で胃袋へ流し込む。初夏の気配を感じる夜風の中で味わうその一瞬のために、私は今日のすべての業務タスクを、一切の遅滞なく十七時ジャストに終了させる……!)


 私が脳内で、大ハマグリの身を噛み締めたその時だった。


『……ハァ、ハァ……』


 ギルドの扉が重々しく開き、一人の冒険者がふらふらとした足取りで入ってきた。

 背中には、彼女の身の丈に合わないほど巨大な両手剣。無駄のないしなやかな体躯を包む黒銀の軽鎧。そして、腰まで届く鮮やかな真紅の長髪。

 王都ギルドが誇るAランクの凄腕女性剣士であり、誰ともパーティーを組まない「一匹狼」として名を馳せる実力派、セリアだ。


 普段なら、彼女がギルドに現れると、周囲の冒険者たちが「おお、氷の刃のセリアだ」と道を空けるほどの威圧感と美貌を放っているのだが。

 今日の彼女は、どう見ても様子がおかしかった。


「……あ、アイラ。昨日の西の森での討伐報告……」

 私の窓口カウンターに手をついたセリアは、まるで三日三晩ダンジョンに閉じ込められていたかのような、深い疲労感を纏っていた。

 透き通るような白い肌には生気がなく、美しい切れ長の目の下には、ひどく濃いクマができている。今にもその場に崩れ落ちそうなほどの、完全な【処理落ち(フリーズ)状態】だ。


「セリア様。お疲れのようですね。昨日の討伐は、たしか単独でのワイバーン三体の処理だったはずですが。貴方の実力なら、そこまで疲弊する難易度ではないはずでは?」

 私が極上の『営業用スマイル』を崩さずに尋ねると、セリアはギリッと奥歯を噛み締めた。


「……ええ。ワイバーン自体は、一時間で終わったわ。問題は……その後よ」


 彼女が恨めしそうにギルドの入り口を振り返る。

 セリアの背後から、ワラワラとギルド内に入ってきた集団があった。

 それは、先日私が三日間にわたる地獄の適性審査フィルタリングによって鍛え上げ、ノイズから【正式な人的リソース】へと昇格させた、十五名の新人冒険者(元インターン)たちだった。

 先頭には、小柄なシーフの少女、ミアの姿もある。彼らは一糸乱れぬ動きでセリアの後ろに整列し、私に向かって深々と一礼した。


「アイラ先生! おはようございます! 本日もセリア先輩のご指導のもと、ギルドの利益に貢献してまいります!」

 ミアが、完全に私と同じ『事務職のトーン』で報告を行う。


「……おはようございます、ミア。……セリア様、これは一体どういう状況でしょうか?」

 私が首を傾げた、その直後。


「おお、アイラ君! セリア君! 今日も朝から精が出るねぇ!」

 二階の執務室から、ギルドマスターのバーンズが、なんとも胡散臭い笑顔を浮かべながら階段を降りてきた。手には、真新しいバインダー(評価シート)が握られている。


「マスター。……説明を求めます。なぜ、一匹狼であるAランクのセリア様が、Fランクの新人十五人を引き連れているのですか?」


「ふっふっふ。実はね、ギルド本部から来期の【重要業績評価指標(KPI)】として、『新人冒険者の定着率の大幅な向上』が厳命されたんだよ!」

 マスターは、いかにも自分の一手柄だと言わんばかりに胸を張った。


「そこで私は考えた! 新人を定着させるには、優秀な先輩の背中を見せるのが一番だ。だから、我がギルドが誇る実力派のセリア君に、この十五人の【合同実地研修の引率】を任命したのさ!」


「……」

 私の右眉が、ピクリと動いた。

 セリアの顔を見ると、彼女は完全に虚無の表情(死んだ目)になり、ギリギリとカウンターの木枠を握り潰さんばかりの力で握りしめていた。


「マスター。貴方は正気ですか」

 私は、一切の感情を排した【絶対零度のSVボイス】で、マスターを刺した。


「一匹狼として単独行動に最適化されている彼女に、いきなり十五人もの初心者の面倒を見させる? それは教育(OJT)ではありません。単なる現場への【無茶振り(丸投げ)】です。彼女の本来のパフォーマンス(Aランクの討伐効率)を著しく低下させる、致命的なシステム・バグですが」


「あ、アイラ君……言葉がキツいよ! だが、これは本部からの決定事項でね! すでに昨日の午後から、セリア君には引率をお願いしているんだ。ほら、セリア君。昨日の『新人十五名分の詳細な戦闘ログと改善点の評価シート』は提出してもらえるかな?」

 マスターが、ニコニコとセリアに手を差し出す。


「……徹夜で、書いたわよ……。ガキどもの装備の直しから、歩くペースの配分、誰がどの魔物を殴ったかの記録まで……。私、いつ寝たのかしら……」

 セリアは、血を吐くような声で、分厚い羊皮紙の束をカウンターに叩きつけた。


 私の目——【残響の波紋エコー・パルス】が、セリアの声から放たれる色を捉える。

 それは、疲労とストレスで完全に淀みきった、真っ黒に近い「灰色」の波紋だった。彼女の精神的・肉体的なバイタル(魔力波長)は、すでに【バーンアウト(燃え尽き症候群)】の臨界点を突破しようとしている。


「マスター。この評価シートの手書き提出も、貴方の指示ですか?」

「あ、ああ! 本部に『うちはこれだけ細かく新人をケアしています』ってアピール(報告)するために必要でね! セリア君、今日も引率よろしく頼むよ! じゃあ、私は忙しいからこれで!」

 マスターは、私の冷たい視線から逃げるように、評価シートを引ったくって二階へと逃亡してしまった。


「……セリア様。大丈夫ですか」

 私は、珍しく同情の念を込めて、セリアに温かいお茶を差し出した。


「……最悪よ。なんで私が、こんなガキどものお守りを……。ワイバーン十体と同時に戦う方が、よっぽどマシだわ……」

 セリアはお茶を一気に飲み干し、フラフラと立ち上がった。

「行くわよ、お前たち。……今日は東の洞窟よ。絶対に私の後ろから離れるんじゃないわよ。足手まといになったら、置いて帰るからね……」


「「「はい! セリア先輩、よろしくお願いいたします!!」」」

 新人たちは、軍隊のような完璧な敬礼をして、死に体のセリアの後についてギルドを出て行った。


(……典型的な、中間管理職の悲鳴ね)


 現場の現実リソースを完全に無視してトップが決定した、見栄えだけの数値目標(KPI)。

 それを達成するために、最も優秀な個人の『善意と責任感』にすべての負担(しわ寄せ)を押し付ける。企業が腐敗し、優秀な人材から順に壊れていく、最も醜悪な【組織のアンチパターン】だ。


「……ルーク」

 私は窓口から一歩も動かず、カウンターの端で書類整理をしていた新人職員を呼び寄せた。


「は、はいッ! アイラさん!」

「ギルドの経理ファイルから、今月の【マスターへの特別報酬額】と、セリア様に対する【メンター引率手当の規定額】のデータを、すべて私の端末(手元)にコピーしてきなさい。……それから、通信魔導具を繋いでちょうだい。宛先は、新人パーティーの代表、ミアです」


「えっ? ミアちゃんにですか? わかりました!」


 数秒後、私のインカムに、ダンジョンへ向かっているミアの回線が繋がった。


『はい、こちらミア! アイラ先生、いかがなさいましたか?』


「ミア。貴方がたに、一つ【裏タスク】を命じます」

 私は、手元の羽ペンを静かに置き、モニター越しの彼女に指令を下した。


「本日一日。引率者であるセリア様の『戦闘参加時間』『消費魔力量』『指示を出した回数』、および『休憩時間』のデータを、正確に記録ロギングしなさい。……おそらく、今日の夕方には、あの美しい剣士は過労で倒れるでしょうから」


『えっ!? セリア先輩が!? わかりました、完璧に記録して持ち帰ります!』


 通信を切り、私はフッと冷たい息を吐いた。


(……ギルド本部と無能なマスターが、私の大切な【未来の人的資産(新人たち)】と、優秀な前衛リソースであるセリア様を、このような不当なバグ(搾取)で使い潰そうとしている。……到底、看過できるものではありませんね)


 手元の砂時計の砂が、さらさらと落ちていく。

 定時の十七時まで、残り八時間。

 私の『大ハマグリの酒蒸し』と『初鰹の叩き』を、誰にも邪魔させず、完璧な状態で味わうため。


 窓口から一歩も動かずに、無能な経営層の『不当なKPI』を論理で解体デバッグする、新たな事務処理プロセスが、静かに起動した。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ