第61話:炎上(トラブル)の消火作業と、遠隔操作(リモート・コントロール)
王都の西に広がる『浅緑の森』の中層エリア。
身長三メートルを超える筋肉の塊――はぐれオーガの太い腕が振り上げられ、丸太のような棍棒が、腰を抜かしてへたり込む新人冒険者レオンの頭上に死の影を落としていた。
『ひぃぃぃぃッ! た、助け……!』
レオンの絶望の悲鳴が、水晶のモニター越しに私の耳に届く。
このままでは、彼の脳天は物理法則に従って見事に粉砕され、ギルドのデータベースに『死亡によるアカウント抹消』という忌まわしいログが刻まれてしまう。
だが、それは同時に「ギルドの管理責任問題」や「遺族への賠償説明」など、私の定時退勤を木端微塵に破壊する、膨大で煩雑な事後処理が発生することを意味していた。
(……一人の愚かな承認欲求のために、私の至高の『稚鮎の天ぷら』を犠牲にするなど、天地がひっくり返ってもあり得ないわ)
私は窓口の椅子から一ミリも動かず、極上の『氷の微笑』を浮かべたまま、手元の魔力盤をピアノの如き滑らかさで叩き始めた。
「マスター。五秒耳を塞いでください」
「えっ? アイラ君、何を……」
私は、レオンが自ら切断した通信魔導具に対し、ギルドのマスター権限を用いて【強制割り込み接続】を実行した。
『――【SVボイス・出力最大】』
次の瞬間、森の中で絶望に震えるレオンの耳元から、私の放った【鼓膜を突き破るほどの超高音量の警告音と、絶対零度の命令音声】が炸裂した。
『――動け、馬鹿!!!』
『ギャァァァァッ!? 耳が、俺の耳がぁぁッ!?』
あまりの爆音に、レオンは思わず両手で耳を塞ぎ、地面を転げ回った。
しかし、その無様な回避行動が功を奏し、オーガの振り下ろした棍棒は彼のすぐ横の地面を叩き割り、土塊を空高く跳ね上げた。
「……致命傷の回避を確認。これより、遠隔によるナビゲーションを開始します」
『ア、アイラさん!? 俺の通信は切ったはずじゃ……!』
「業務命令を無視して通信を切断した社員に対し、管制側が強制接続権限を行使するのは当然のリスクマネジメントです。……四の五の言わず、今すぐ立ち上がりなさい。オーガの次の攻撃が来ます」
水晶のモニターでは、空振りに激怒したオーガが再び棍棒を構え直している。
レオンは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、フラフラと立ち上がった。
『む、無理だ! 魔法剣も抜けないし、足が動か……!』
「剣など抜かなくて結構です。私が確認した貴方の事業計画書(装備リスト)によれば、その派手な魔法剣の柄には、初心者救済用の『魔力過負荷による緊急閃光機能』が組み込まれているはず。……【外部API】経由で、私が強制起動します」
私が手元の端末を操作した瞬間、レオンの背中に負われた魔法剣が眩い光を放ち始めた。
『なっ!? 剣が勝手に……!』
「目を閉じなさい(シャットダウン)!!」
ピシャァァァァンッ!!
強烈な閃光が中層の森を包み込んだ。
目を閉じたレオンは難を逃れたが、不意打ちで強烈な光を浴びたオーガは『グガァァッ!?』と咆哮を上げ、両手で目を押さえて悶え苦しみ始めた。
「視覚情報の遮断に成功。敵の処理落ち(スタン)時間は推定十五秒。……レオン、今すぐ北北西の方角へ全力疾走しなさい」
『ほ、北北西!? どっちだよ!?』
「右斜め前方の、太い樫の木と岩の間です。そのまま一歩も止まらず、三十メートル走り抜けなさい。遅れれば死にます」
私の氷のように冷たい、しかし一切の迷いがない声に、レオンは半狂乱になりながら走り出した。
私は水晶モニターの片隅に表示させていた『浅緑の森・中層エリアの地形図』を瞬時に脳内で解析し、最適解(最短脱出ルート)を導き出していく。
「二十メートル地点のぬかるみは左に跳んで回避。……そこからさらに十五メートル先、巨大な倒木の下をスライディングでくぐり抜けなさい」
『ひぃぃぃッ! 後ろから足音がぁぁッ!!』
「振り返るな(ルック・フォワード)。貴方の無駄な承認欲求よりも、自分の脚力だけを信じなさい」
オーガは視力を回復しつつあり、怒り狂って木々をなぎ倒しながらレオンを追跡していた。その巨体と歩幅の差により、距離は絶望的な速度で縮まっていく。
「……想定より敵の回復が早いですね。地形の環境情報を利用します。倒木をくぐった先、右手の岩肌に垂れ下がっている『赤いツタ』を全力で引っ張りなさい」
『あ、赤いツタ……これかぁぁッ!!』
レオンが指示通りにツタを引っ張った瞬間。
ガラガラガラッ!!
ツタが支えていた崖の上の岩石群が雪崩を打って崩れ落ち、レオンの背後——追跡してくるオーガの頭上に降り注いだ。
『グゴォォォォッ!!?』
落石トラップの直撃を受けたオーガは、体勢を崩して土煙の中に沈んだ。
「落石による物理遅延に成功。……ナビゲーションの最終フェーズに入ります。そのまま道なりに五十メートル進んだ先の【座標データ】を確認」
私はもう一つのモニターに映し出された、ギルド所属冒険者たちの『現在位置情報(GPS)』を指で弾いた。
「レオン。その先にある開けた広場に、薬草採取の護衛任務で出ている『Cランクのベテラン討伐隊』が待機しています。そのまま彼らと合流し、救難要請を行いなさい」
『あ……ああッ! 人がいる! 助かった、助かったぁぁ!!』
広場に飛び出したレオンを見たCランクの冒険者たちが、背後から迫るオーガの存在に気づき、即座に陣形を組んで迎撃態勢に入った。
彼らの熟練した連携魔法と重戦士の攻撃により、手傷を負っていたオーガは数分の戦闘の末、見事に討伐(エラー解消)された。
「……対象魔物の討伐を確認。これにて、遠隔によるトラブル消火作業を終了します」
私はインカムのスイッチを切り、ふぅ、と短く息を吐いた。
手元の砂時計を見る。時刻は十五時二十分。
無駄な工数を使わされたが、私の定時退勤にはまだ十分に間に合う。
「あ、アイラ君……君は、窓口に座ったまま……地形の罠からベテランの位置まで、すべて計算して彼を誘導したのか……?」
背後で成り行きを見守っていたマスターが、戦慄したように呟いた。
「当然です。ギルドが管理する領域内の情報すら把握・活用できないのであれば、SV(管理者)など名乗れません」
私は紅茶を一口飲み、荒れた喉を潤した。
「それにしても、無駄な通信費(魔力)を使わされました。……この負債は、後できっちりと本人に清算していただきましょう」
* * *
それから一時間後。
ギルドの一階フロアに、討伐隊に両脇を抱えられ、泥と涙に塗れたレオンが引きずられて帰還した。
彼は私の窓口の前に放り出されると、土下座の勢いで平伏した。
「ア、アイラさん! ありがとうございました! アンタの指示がなけりゃ、俺は確実に死んでた! 命令を無視して本当にすみませんでしたぁぁッ!」
命を救われた彼からは、出立前の「ドス黒い自己顕示欲」は完全に消え失せ、純粋な後悔と恐怖、そして私への絶対的な畏怖を示す「青色」の【残響の波紋】が広がっていた。
「……無事に帰還できたようで何よりです」
私は一切の感情を排した、完璧な『営業用スマイル』で彼を見下ろした。
「では、本日の【トラブルシューティング費用(ご請求書)】を発行いたします」
「……えっ?」
レオンが、間の抜けた顔で顔を上げる。
私は、手元で作成しておいた分厚い羊皮紙の束をカウンターにドンッと置いた。
「まず、私の遠隔ナビゲーションに要した『特別対応費』。次に、魔法剣の隠し機能を強制起動した際の『システム干渉手数料』。さらに、地形を破壊した『環境保全費』。そして何より、現場で貴方の尻拭いをし、オーガを討伐したCランクパーティーへの『緊急救難・割増報酬』。……これらすべてを合算しまして、金貨八十枚となります。お支払いは一括でよろしいでしょうか?」
「き、金貨八十枚!? そんな大金、新人の俺が払えるわけないだろう!?」
レオンが悲鳴を上げる。
「払えないのであれば、実家の商会に請求書を回すだけです。……そして、ギルド規約第十五条『指示無視による重大な危険行為』に基づき、貴方の冒険者ライセンスは本日をもって【即時停止(アカウントBAN)】といたします」
「ライセンス停止!? そ、そんな! 俺はまだ冒険者になったばかりで……!」
「貴方のような、自己顕示欲という名のエラーを撒き散らし、システム全体を危険に晒すバグは、この業界に不要です」
私は、冷たい宣告(死刑判決)を下した。
「大人しく実家に帰り、金貨八十枚の借金を真面目に働きながら返しなさい。それが、貴方が己の『命の対価』として支払うべきコストです」
レオンはもはや言い返す気力もなく、床に突っ伏して号泣した。
彼を取り囲んでいた他の研修生(新人)たちは、あまりにもシビアな『規約とコストの現実』を目の当たりにし、ゴクリと唾を飲み込んでいた。
(……これで、無駄なノイズへの『見せしめ効果』は完璧ね。残った十五人のインターンたちは、二度と私の指示に逆らおうとはしないでしょう)
『カーン、カーン、カーン……』
その時、王都の時計塔が十七時の鐘を鳴らし始めた。
神聖なる、私の定時の合図だ。
「……本日の窓口業務は、これにて終了です。研修生の皆様、明日は今日学んだ【リソース管理】を活かし、安全な浅層で薬草採取(単純作業)をひたすら繰り返すように」
ガラガラガラッ!!
私は一秒の遅滞もなくシャッターを下ろし、呆然とする新人たちとマスターを置き去りにして、ギルドの裏口へと向かった。
私の心はすでに、王都の喧騒から遠く離れた名店『山海』の、サクサクに揚げられた稚鮎と山菜の天ぷらへと飛んでいた。
トラブルという名の炎上案件を完璧に鎮火させた後のビール(報酬)は、間違いなく至高の味となるはずだ。




