第60話:リソース(資産)としての魔力管理と、承認欲求(バグ)の暴走
春の陽光が差し込む王都冒険者ギルドの一階。
私は、定位置である窓口の椅子に深く腰掛けたまま、カウンターの上に設置された大型の『遠隔投影水晶』を冷徹な眼差しで見つめていた。
水晶の画面には、王都の西に広がる『浅緑の森』の光景が、複数の視点で映し出されている。
そこにいるのは、午前中の過酷な一次審査(事業計画書の提出)を生き残り、ただのノイズから【ギルド研修生】へと昇格した十五名の新人たちだ。彼らは三名一組の五つのパーティーに分かれ、森の浅層で実地訓練を行っている。
私は首元に装着した通信用魔導具のスイッチを入れ、クリアで冷ややかな【SVボイス】を遠隔地の彼らへと届けた。
「こちら管制のアイラ。全パーティー、通信音声に問題はありませんね? これより、午後からの実技講習……【リソース(資産)としての魔力・体力管理術】を開始します」
『は、はいッ! アイラさん、聞こえてます!』
『第一パーティー、ゴブリンの群れを発見しました! これより交戦に入ります!』
「お待ちください(ホールド)」
私は、意気込んで剣を抜こうとした新人たちを、冷たい声で制止した。
「水晶越しでも見えていますよ、第三パーティーの魔術師。貴方、今、たかがゴブリン三匹に対して、詠唱に十秒もかかる『中級火炎魔法』を撃とうとしましたね?」
『えっ? あ、はい! 一網打尽にしてやろうかと!』
「即座に詠唱をキャンセル(処理の中断)しなさい。……午前中の講習を忘れましたか? ゴブリン一匹の討伐報酬は銅貨五枚です。貴方の中級魔法一発分の魔力を回復するのに、ポーションが何本必要ですか?」
『あ……ええと、銀貨一本分の魔力ポーションが……』
「たかが銅貨十五枚の利益を得るために、銀貨一枚(銅貨百枚分)のコスト(魔力)を投下する。それをビジネスの世界では【完全な赤字】と呼びます。……一撃必殺の派手な魔法を撃ちたがるのは初心者の典型的なバグですが、それは全財産を一回の投資に突っ込むギャンブルと同じです」
私は手元の羽ペンを回しながら、冒険という名の業務における【絶対の真理】を説いた。
「魔法の才能とは、最大火力の大きさではなく、残量と回転数の管理能力です。ゴブリン程度なら、魔力をほとんど消費しない初級の『石礫』で膝を砕き、前衛の剣士がトドメを刺す。……利益率を最大化するために、常に最もコストの低い手段を選択しなさい」
『は、はいぃぃッ! すみません、初級魔法で削ります!』
私の論理的な指導のもと、十五人の新人たちは、無駄な動きを極限まで削ぎ落とされた「作業」として魔物討伐をこなし始めた。
中でも優秀なのが、午前中に私に質問をしてきた小柄な短剣使い(シーフ)の少女、ミアだ。彼女は私の意図を完璧に理解し、最小限の動きで魔物の急所だけを的確に突いている。
(……素晴らしいわ。あの子は将来、優良な資産になる素質がある)
私は手元の砂時計を横目で確認した。
時刻は十三時四十五分。
定時の十七時。そして、名店『山海』のサクサクに揚がった『山菜と稚鮎の天ぷら』の予約時間まで、残り三時間と少し。
完璧だ。このまま彼らがマニュアル通りに動いてくれれば、私は窓口から一歩も動くことなく、定時ジャストでこの厄介な研修業務を終了させることができる。
……そう、思っていたのだが。
やはり、システムには予期せぬ【例外エラー】がつきものだ。
『……ちっ、やってられるかよ。ゴブリンだのスライムだの、こんなの俺の実力に見合ってねぇ』
インカムのノイズ混じりの音声に、不満げな舌打ちが混ざった。
水晶のモニターの一つを拡大する。そこに映っていたのは、第五パーティーのリーダー格で、派手な装飾の施された魔法剣を背負った青年、レオンだった。
彼は、雑誌の私の記事を見て「俺ならこのクールな受付嬢を振り向かせることができる」という、ひどく歪んだ【承認欲求バグ】を抱えてギルドにやってきた男の一人だ。
午前中の『事業計画書』のテストは、実家の商会の知識を使ってなんとかクリアしたようだが、地味なコスト管理(節約戦闘)を強いられる現状に、彼のプライドは限界を迎えていた。
『おい、レオン! アイラさんの指示通り、今はここで基礎訓練を……』
『うるせぇ! アイラさんは俺たちの力量を試してるんだよ! こんな雑魚狩りを見せたところで、あの冷たい顔が振り向くわけねぇだろ!』
レオンは仲間の制止を振り切り、ずんずんと森の奥へと向かって歩き始めた。
「……第五パーティー、レオン。貴方、どこへ向かっているのですか」
私はインカム越しに、氷点下の声で警告を発した。
「そこから先は『中層エリア』。新人(Fランク)の立ち入りは規約で禁止されています。直ちに指定エリア(作業領域)へ戻りなさい」
『ふんっ、モニター越しで見ててくださいよ、アイラさん! 俺の本当の力……【魔法剣】の威力を証明して、アンタのその澄ました顔を驚かせてやる!』
私の目——【残響の波紋】が、水晶越しにレオンから放たれる色を捉える。
それは、身の丈に合わない自己顕示欲と、私に対する歪んだアピール欲求が混ざり合った、ドス黒く淀んだ「黄色」の波紋だった。
(……本当に、どこの業界にも一定数存在するわね。「マニュアルを無視して自己流で成果を出そうとし、結果的にシステム全体を巻き込んで致命的なクラッシュを引き起こす」、度し難いトラブルメーカーが)
「レオン。これは警告ではありません、業務命令です。今すぐ戻りなさい。貴方の装備と現在のリソース(体力)では、中層の魔物には対応できません」
『通信オフだ! 見てろよぉぉぉッ!』
ブツッ、と。
レオンは自らの通信魔導具のスイッチを切り、無謀にも中層エリアの深い森の中へと姿を消してしまった。残された二人のパーティーメンバーが「レオン!」と叫んで後を追おうとするが、私は彼らを制止した。
「第五パーティーの残り二名。貴方がたは追わずに、その場で待機しなさい。二次被害(二次災害)を防ぐのが最優先です」
『で、でもアイラさん! 中層には……!』
「ええ、分かっています」
私は水晶のモニターを操作し、中層エリアに設置された定点カメラ(監視用魔導具)の映像を切り替えた。
そこには、自分の実力を誇示しようと息巻いて森の奥へ進んだレオンの姿があった。
そして、彼の目の前の茂みが大きく揺れ……木々をなぎ倒しながら、その『巨体』が姿を現した。
身長三メートルを超える、筋肉の塊。血に飢えた赤い目と、丸太のような棍棒を持った中層の主クラスの魔物。
――【はぐれオーガ】である。
『グォォォォォォォッ!!』
オーガの咆哮が、水晶越しにもフロアをビリビリと震わせた。
『ひぃっ!? オ、オーガ!? な、なんでこんな浅い階層のすぐ近くに……ッ!』
レオンは完全に腰を抜かし、自慢の魔法剣を抜くことすらできず、地面にへたり込んだ。オーガが巨大な棍棒を振り上げ、レオンの頭上に死の影が落ちる。
「……マスター。緊急事態発生です。第五パーティーの馬鹿が、中層ではぐれオーガと遭遇しました」
私は窓口から一ミリも動かず、二階で書類仕事をしていたマスターに告げた。
「な、なんだってェェッ!? いかん、すぐにベテランの討伐隊を編成して救助に向かわせろ! アイラ君、君も現場の指揮を……!」
「私が現場に出向く? 冗談でしょう」
私は極上の『営業用スマイル』を崩すことなく、手元の端末のキーボード(魔力盤)を叩き始めた。
「今から討伐隊を編成して現場に向かわせれば、到着までに最低でも三十分はかかります。それではあの馬鹿は肉塊になっているでしょうし、事後処理(報告書の作成)で私の定時退勤が致命的な遅延を起こします」
「だ、だったらどうするんだ!? このままじゃ彼が死んでしまう!」
「問題ありません」
私は、自分の首元のインカムを外し、ギルドの放送設備に直接回線を繋いだ。
「あの馬鹿が自発的に通信を切ったのなら、強制的に【外部接続(強制割り込み)】を行うまでです。……私の至高の『稚鮎の天ぷら』を阻害する重大なエラーは、窓口から一歩も動かずに、遠隔操作で完全消去します」
私は、モニターの中で棍棒を振り下ろそうとするオーガと、絶望に顔を歪めるレオンを見据え、冷酷なトラブルシューティングのプロセスを起動した。




