幕間:鉄の受付嬢のプレスリリースと、広報戦略の罠
数話連日で公開予定です
王都を囲む城壁の向こうの山々が、うっすらと柔らかな薄紅色に染まり始めた春の初め。
私は、冒険者ギルドの一階窓口で、手元の羽ペンを完璧なリズムで走らせながら、本日の【定時退勤後の絶対目標】ではなく、もっと先の遠大な計画に思いを馳せていた。
春。それは食材たちが長い冬の眠りから覚め、一斉に生命力を爆発させる奇跡の季節だ。
山にはえぐみを持った力強い山菜が芽吹き、海には産卵を控えて極限まで脂を蓄えた魚たちが押し寄せる。特に、この時期にしか味わえない『桜鯛』。皮目を湯引きして霜降りにし、ほんのりと薄紅色に染まったその身を、極上の特製梅醤油でいただく。想像しただけで、私の脳内メモリは幸福物質で埋め尽くされそうになる。
(……とはいえ、王都で一番の桜鯛を出すという老舗割烹『霞』は、完全紹介制のうえに予約一年待ち。しがないギルドの受付嬢の給与(予算)では、手も足も出ない高嶺の花ね……)
私が脳内で架空の桜鯛を咀嚼していた、まさにその時だった。
「アイラ君! た、大変だ、ものすごい話が舞い込んできたぞ!!」
ギルドマスターのバーンズが、二階の執務室から階段を転げ落ちんばかりの勢いで駆け込んできた。その手には、上質な羊皮紙の封筒が握りしめられている。
「どうしました、マスター。またエルフからのクレームですか? それとも領主からの理不尽な税務調査?」
私は窓口の椅子から一ミリも動かず、極めて事務的なトーンで応じた。
「違う違う! なんと、王都で一番売れている女性向け情報誌『月刊・働くお姉さん』から、うちのギルドに取材依頼が来たんだ! しかも、指名で!」
「指名?」
「ああ! 『常に冷静沈着で美しい、ギルドの顔たる受付嬢・アイラさんへの単独インタビュー』だそうだ! これを受ければ、ギルドのイメージアップは間違いなし! 新規の冒険者も増えるし、何よりギルドの広告費(PR予算)がタダで浮くんだよ!」
マスターは鼻息を荒くして興奮しているが、私は即座に手元の羽ペンを置いた。
「お断りします(リジェクト)」
「えっ!?」
「メディアへの露出は、不特定多数からの無用な注目を集め、平穏な窓口業務に支障をきたす最大の【リスク要因】です。だいたい、私のプライバシーを切り売りしてギルドの広報予算を浮かせるなど、不当な労働搾取(やりがい搾取)以外の何物でもありません。取材対応のアサインは、隣のルークにでも回してください」
「そ、そんな殺生な! 先方は『アイラ君じゃなきゃ記事にしない』って言ってるんだ! 頼む、この通りだ! これが成功すれば、ギルドの評判が上がって私の評価も……」
「マスターの自己実現(KPI達成)に、私のリソースを無償提供する義務はありません」
氷のように冷たく切り捨てた私に対し、マスターは奥歯を噛み締め、ついに【切り札】を切った。
「……わ、わかった! もし取材を受けてくれたら、特別ボーナスとして、一年待ちの老舗割烹『霞』の【春の桜鯛・特別会食コース】の席を、ギルドの交際費(経費)で用意しよう! 私のコネを使えば、明日の夜にでもねじ込める!」
「ピタッ」
私の羽ペンが、空中で静止した。
「……老舗割烹『霞』の、桜鯛コース。全額、ギルドの経費で?」
「あ、ああ! 約束する! だから、明日の午後からの取材、受けてくれるね!?」
「……商談成立です。ギルドの広報活動(PR)は、従業員の重要な義務ですからね」
私は極上の『営業用スマイル』を顔面に展開し、秒速でマスターの提案を承認した。
* * *
翌日の午後十四時。
ギルドの一角に設けられた応接スペースで、私は『月刊・働くお姉さん』の敏腕記者だという、ミリアと名乗る女性と対面していた。
彼女はキラキラとした瞳で私を見つめ、手元のメモ帳に羽ペンを走らせる準備を整えている。
「本日はお時間いただきありがとうございます、アイラさん! さっそくですが、読者が一番聞きたいことから質問させていただきますね。……血の気の多い冒険者たちが集まるこのギルドで、毎日窓口に立ち続けるその【原動力】は何ですか? やはり、愛する王都の平和を守りたいという、熱い想いでしょうか?」
ミリア記者は、いかにも「働く女性の情熱と愛」といったエモーショナルな物語を期待しているようだった。
「原動力、ですか」
私は一切の表情を崩さず、淡々と答えた。
「強いて言うなら、【ディザスタリカバリ(災害復旧プロトコル)の最小化】ですね」
「……で、でぃざすた?」
「はい。血の気の多い冒険者たちが窓口で暴れて備品を破壊した場合、その修理費、業務の停止時間、そして事後処理にかかる人的コストは、ギルドの予算を著しく圧迫します。ゆえに、問題が発生する前に窓口で論理的に鎮圧し、被害を未然に防ぐ。すべては、私の定時退勤という神聖な目標を守るための、コストカットの一環です」
「あ、ええと……」
記者の羽ペンがピタリと止まる。
「そ、それでは、質問を変えましょう! アイラさんはその透き通るような美しさで有名ですが、激務の中でどうやって美容を保っているのですか? 休日には、素敵な殿方とロマンチックなデートをされたり……?」
「美容に無駄なリソース(時間と金)を割くより、良質な食事と睡眠によって自己の【スループット(処理能力)】を最適化する方が、はるかに合理的です」
私は、一切の隙を見せずに即答した。
「恋愛に関して言えば、他者というコントロール不可能な要素に時間と感情を投資するのは、非常にハイリスクです。期待される【ROI(投資対効果)】が極めて不透明な不良資産に、私の貴重なリソースを投下する趣味はありません」
「あ……う……」
ミリア記者の顔が引きつり、メモ帳にはただ「ROIが不透明」という謎の文字列だけが書き込まれていた。
感性と情緒で記事を作りたい記者と、論理とコストでしか会話しない私。完全なディスコミュニケーションである。
(……困ったわね。このままでは記事にならず、私の桜鯛コースがキャンセルされてしまうかもしれない。少しだけ、顧客(読者)のニーズに合わせた迎合的な回答を混ぜるべきかしら)
私が軌道修正を試みようとした、まさにその時だった。
「おいおい! なんだ、雑誌の取材か!? 俺を差し置いて、ただの受付嬢のインタビューとは笑わせるぜ!」
応接スペースに、土足で踏み込んでくる不作法な影があった。
見れば、派手な金色の鎧を着崩した、Bランク冒険者のザックだった。彼は最近調子に乗っている若手の一人で、自称「ギルドの顔」を名乗る目立ちたがり屋だ。
「記者のお姉さん! こんな地味な事務員の話より、俺の武勇伝を聞くべきだぜ! 先週なんて、西の谷で巨大なドラゴンを俺一人で討伐してやったんだからな! どうだ、次の号の表紙は俺で決まりだろ?」
ザックはミリア記者に強引にすり寄り、肩に手を回そうとする。記者は困惑し、「あ、あの、今はアイラさんの取材中で……」と身を縮めている。
(……私の、貴重な取材時間を。……ひいては、私の極上の『桜鯛』へのプロセスを妨害する気?)
私は手元の砂時計を一瞥した。定時の十七時まで、残り二時間を切っている。
こんな無能なノイズに構っている暇はない。
「ザックさん」
私は応接室のソファから一ミリも動かず、氷点下まで冷え切った【威圧の低音(SVボイス)】を放った。
その声の冷たさに、ザックの肩がビクッと跳ねる。
「西の谷で貴方が倒したのはドラゴンではなく、ただの劣等飛竜の亜種です。それも、パーティーメンバーの魔術師が罠に嵌めたところを、後ろからトドメを刺しただけ。違いますか?」
「な、なんだと!? 人聞きの悪いことを言うな! 俺の実力だ!!」
ザックが顔を真っ赤にして反論するが、私の目——【残響の波紋】には、彼から噴き出すドス黒く淀んだ「見栄と虚栄の波紋」がハッキリと映し出されていた。
「嘘の武勇伝でメディアを騙すのは勝手ですが、問題はそこではありません。……貴方、自分が今、どれほどの【ブランド毀損リスク】を抱えているか、理解していますか?」
「ぶ、ぶらんど……?」
「先月、貴方は酒場で酔って暴れ、備品を破壊しましたね。さらに新人パーティーへの高圧的な態度で、すでに今月だけで三件の苦情が窓口に入っています。貴方のギルド内での『好感度スコア』は、現在底値(ストップ安)を更新中です」
私は、一切の感情を排した目で彼を睨み据えた。
「そんな不良債権のような貴方が、王都で最も影響力のある雑誌の記者様に対し、威圧的な態度で取材を妨害した。……もしミリア様が『ギルドの冒険者は粗暴でハラスメントが横行している』と記事に書けば、ギルド全体の【ブランド価値】は致命的な打撃を受けます。スポンサーである貴族からの支援金も打ち切られるでしょう」
「ひっ……!?」
「その莫大な損害賠償と、PRのダメージコントロールにかかる費用。……すべて、今回の騒動の【根本原因】である貴方の今後の報酬から天引き(相殺)させていただきますが、よろしいですか? おそらく、今後十年はタダ働きになる計算ですが」
「ば、馬鹿な! 俺はただ、ちょっと冗談を……っ! 悪かった、俺が邪魔だったな! 取材の邪魔してごめんなさい!!」
損害賠償という現実的な数字を突きつけられたザックは、顔面を蒼白にして、脱兎のごとくギルドから逃げ出していった。
応接スペースには、再び静寂が戻った。
「……お見苦しいところをお見せしました、ミリア様。取材を再開しましょうか。ええと、美容と恋愛の話題でしたね」
私が営業用スマイルを浮かべ直すと、ミリア記者は、なぜか両手で顔を覆い、ワナワナと震えていた。
(……しまった。冷徹な対応を見せすぎて、怯えさせてしまったかしら)
そう思った次の瞬間。
「す、素晴らしいです!! アイラさん!!」
ミリア記者が、ガバッと顔を上げ、興奮に満ちた目で私を見つめていた。
「感情や精神論ではなく、徹底した論理と数字で荒くれ者を一瞬で制圧する……これこそ、新しい時代の【自立した働く女性】の究極の姿です!! 『効率の女神・窓口から一歩も動かずに世界を管理する女』……いけます! これで巻頭特集が書けます!!」
「……は?」
ミリア記者の羽ペンは、先ほどの停滞が嘘のように、凄まじい速度でメモ帳の上を走り始めていた。
* * *
数週間後。
王都の女性たちだけでなく、なぜか若手の冒険者たちの間でも爆発的な売れ行きを見せた『月刊・働くお姉さん』の発売日。
私は、仕事を定時ジャストで終わらせ、予約されていた老舗割烹『霞』の個室で、至福の時を迎えていた。
「お待たせいたしました。本日のメイン、桜鯛の薄造りと、筍と鯛の土鍋ご飯でございます」
目の前に置かれた大皿には、透き通るような薄紅色の桜鯛が、芸術的な牡丹の花のように盛り付けられている。
箸で数枚をすくい上げ、特製の梅醤油に軽く潜らせて口へ運ぶ。
「……〜〜〜っ!!」
(……システム、完全停止……ッ!!)
口に含んだ瞬間、上品で繊細な白身の甘みが、春の訪れを告げるように爆発した。
皮目の湯引きされた部分のコリコリとした食感と、噛むほどに滲み出す極上の脂。それが梅醤油の爽やかな酸味と完璧なマリアージュ(互換性)を生み出し、私の脳髄を直接刺激する。
すかさず、おこげが香ばしい鯛の土鍋ご飯を掻き込む。出汁を限界まで吸い込んだ米粒と、シャキシャキとした春筍の食感が、口の中で完璧なシンフォニー(処理効率)を奏でていた。
「……美味しい。美味しすぎるわ。メディアの『フィルター』によって私の意図がどう歪曲されようと、この桜鯛の圧倒的な鮮度の前では、すべてが些末なエラーに過ぎないわね……」
私は、ギルドの経費で注がれた冷酒をくいっと煽り、最高の春の味覚に酔いしれた。
取材対応というイレギュラーなタスクはあったものの、結果として極上の報酬を得られたのだ。広報戦略(PR)も、たまには悪くない。
……しかし。
翌朝、定時にギルドに出勤した私が目にしたのは、想定外の光景だった。
「アイラさん! 雑誌見ました! 俺もアイラさんのように効率的に稼ぎたいです!」
「アイラ様! どうか僕に、その論理的なご指導(罵倒)をお願いします!!」
ギルドの窓口の前に、私の雑誌の特集記事を握りしめ、目をキラキラと輝かせた『アイラ目当ての新人冒険者たち』が、地平線の彼方まで長蛇の列を作っていたのである。
「…………ルーク。本日の窓口、シャッターを下ろしなさい(クローズド)」
「む、無理ですよアイラさん!! マスターが『アイラ君、新人研修よろしく!』って泣きながら逃げていきましたから!!」
私は、手元の羽ペンを『ポキリ』とへし折った。
(……メディアへの露出(PR)は……やはり、最大のバグの温床ね……!)
鉄の受付嬢の平穏な定時は、春の嵐のような新人たちの殺到により、無惨にも打ち砕かれようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




