第55話:最古の仕様書(ソースコード)と、共同開発の真実
私がルークに与えた【十五分(SLA)】の制限時間が、砂時計の最後の砂粒と共に尽きようとしていた。
ギルドのフロアは、エルフの若きシステムアーキテクト・ルシエンが放つ威圧感と、王都のインフラが止められるかもしれないという冒険者たちの恐怖によって、重苦しい静寂に包まれていた。
「……ふん。時間切れだぞ、受付嬢」
ルシエンが、手元の魔道具を弄りながら嘲笑した。
「あの人間の小僧が、深層アーカイブとやらで迷子になって野垂れ死んだか? どちらにせよ無駄なことだ。短命で愚かな人間どもに、我々エルフの至高の術式の真髄が理解できるはずも――」
『バァァァァンッ!!』
ルシエンの言葉を遮るように、ギルドの扉が勢いよく開かれた。
そこには、全身を真っ黒な埃と蜘蛛の巣にまみれさせ、肺が破裂しそうなほどゼイゼイと肩で息をしている新人職員、ルークの姿があった。
彼はフラフラと千鳥足で私の窓口まで歩いてくると、抱き抱えていた分厚く重厚な『木箱』をカウンターの上にドンッと置いた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ! ア、アイラさんッ! 第一星暦、王都創設期における『魔力浄化システム・基本設計書』および『初期契約書原本』……発掘、完了しましたぁぁッ!」
ルークはそのまま糸が切れたように、カウンターの下へズルズルと崩れ落ちた。
「ご苦労様、ルーク。見事なタスク完了よ。ゆっくり休んでいて頂戴」
私は彼に労いの言葉をかけつつ、カウンターの上に置かれた木箱の留め金を外した。
「おいおい、なんだそのカビ臭い箱は」
ルシエンが、汚物でも見るかのように鼻をつまんだ。
「そんな大昔のボロ紙を引っ張り出してきて、一体どうしようというのだ? その設計書に『エルフの皆様の寛大なる技術供与に感謝します』とでも書かれているのを確認したいのか?」
「いいえ。私が確認したいのは、システムの【著作権の帰属】です」
私は白い手袋をはめ、木箱の中から崩れそうなほど古い羊皮紙の束を、慎重かつ手慣れた手つきで取り出した。
「どれほど表面のコード(術式)がアップデートされようと、根幹となるシステムの『知的財産権』は、初期開発時の契約に依存します。……さて、当時の仕様書には、なんと記されているでしょうか」
私は分厚い基本設計書を開き、目次から『コア術式』のアーキテクチャ構造が記されたページを一瞬で特定した。
そこには、古代エルフ語と古代公用語(人間の言葉)が混ざり合った、複雑怪奇な魔法陣のソースコードがびっしりと描かれている。
「な……ッ! 貴様、なぜ古代の術式構文をそんな速度で読める!?」
ルシエンが、信じられないものを見るように目を見開いた。
「前世で、退職した前任者が一切のコメントを残さずに書き逃げした『解読不能なレガシーコード』を、徹夜で何十万行も解析させられた経験がありますので」
私は顔色一つ変えずに答えた。
「……ありました。王都地下に埋設された魔力浄化システムの心臓部、コア術式【シルヴァン・プロトコルVer.1.0】の設計・開発者署名です」
私は、そのページをルシエンの目の前に突きつけた。
「ルシエン様。貴方がたエルフ技術局は、『このコア術式は我々エルフの完全なる独自技術である』と主張されていましたね?」
「と、当然だ! 人間などという魔力に乏しい劣等種族が、あのような緻密で美しい術式を組めるはずがない! それは我が精霊の森の大賢者、エルロンド様が独力で構築されたものだ!」
「では、なぜ。——エルロンド様の署名のすぐ隣に、王都創設の英雄であり、人間の大魔導士である【アルベール卿】の署名が、堂々と並んで記載されているのでしょうか?」
ギルドのフロアに、再び完璧な静寂が訪れた。
「……は?」
ルシエンの口から、間の抜けた声が漏れた。
「署名だけではありません。仕様書の注釈を読み解けば、この魔力浄化システムは『エルフの精霊魔法の基盤』に、『人間の錬金術による物質変換アルゴリズム』を組み込むことで、初めて稼働する設計になっています」
私は、ルシエンの傲慢な前提を、根底から論理でへし折った。
「つまり、このコア術式はエルフの単独開発などではありません。人間とエルフの【種族の壁を越えた共同開発プロジェクト】による産物です。……当時の人間は、決して無知で無力な存在ではなかったのですよ」
「ば、馬鹿なッ!!」
ルシエンが顔を真っ赤にして激昂した。
「捏造だ! そんなボロ紙に書かれた署名など、人間が後から勝手に書き足したものに決まっている! 我々の神聖な術式に、人間の泥水のような技術が混ざっているなどと、あり得ない!!」
彼が喚き散らすたび、私の目には【残響の波紋】が鮮明に映し出されていた。
彼から放たれる波紋は、確信を持った怒りの「赤」ではなく、自分たちの歴史の根幹が揺らいだことによる、激しい動揺と焦燥の「黄色」に染まっていた。
(……彼自身、薄々気づいていたのでしょうね。コア術式の中に、エルフの文法(コーディング規約)とは明らかに異なる、人間のロジックが混ざっていることに。だが、エルフのプライドがそれを認めることを許さなかった)
「捏造ではありません。この羊皮紙には、当時の大賢者エルロンド様とアルベール卿の、正真正銘の『魔力署名(デジタル証明書)』が刻まれています。偽造は不可能です」
私は、設計書に付属していた『初期契約書原本(SLAの原典)』を手に取り、最も重要な一文を冷徹な声で読み上げた。
「さらに、この契約書にはこう記されています。『我々二人は、この魔力浄化の術式を、特定の国家や種族が独占する財産とはしない。後世のすべての生命が等しく恩恵を受け、自由に改良を加えられるよう、すべての権利を放棄し、共有の知識としてここに公開する』……と」
「…………ッ!!」
ルシエンの顔から、さぁっと血の気が引いた。
「現代の言葉で言えば、これは【オープンソース魔法】です」
私は、一切の容赦なく彼を追い詰める。
「ルシエン様。オープンソースとして万人に公開された技術を、一企業(エルフ技術局)が勝手に『自分たちの独自規格だ』と偽り、中身をブラックボックス化して独占権を主張し、あまつさえ法外なライセンス料(金貨一万枚)を要求する。……IT業界において、これを何と呼ぶかご存知ですか?」
「あ……が……っ」
ルシエンは、後ずさりしながら震える手で杖を握りしめた。
「明確な【ライセンス規約違反(GPL違反)】です」
私は、窓口の椅子に深く腰掛けたまま、極上の冷ややかな笑みを浮かべた。
「貴方がたは、王都をベンダーロックインで縛り付けていたつもりでしょうが、そもそも貴方がたにライセンス料を徴収する正当な権利など、最初から存在しなかったのですよ。十倍の値上げどころか、過去数百年にわたって王都から不当に搾取してきた保守費用を、全額返還していただきたいくらいです」
「ふざけるなァァァァッ!!」
論理の逃げ道を完全に塞がれたルシエンが、ついに理性を失い、獣のような絶叫を上げた。
「人間ごときが、我々エルフの技術局に説教を垂れる気か!! ライセンス違反だと!? 権利だと!? そんな大昔の紙切れの理屈など知るか!!」
彼は手元の魔道具——王都のインフラへの接続を制御するデバイスを、狂ったように頭上に掲げた。
「貴様らが我々に従わないというのなら、今この瞬間に供給を断つ! 王都の魔力浄化システムを強制シャットダウン(サービス停止)してやる! 瘴気に溺れて苦しみながら、己の傲慢さを後悔するがいい!!」
「ルシエン殿、やめてくれぇぇッ!!」
マスターが悲鳴を上げ、ギルドのフロアが絶望のパニックに包まれる。
だが。私はただの一ミリも動じず、手元の砂時計を横目で確認した。
時刻は十六時十分。
小料理屋『冬牡丹』の痛風鍋の予約まで、残り五十分。
(……ええ。どうぞお切りなさいな、悪徳ベンダーさん。貴方たちが回線を切断してくれるのを、こちらは裏でずっと待っていたのだから)
私は、王都の光が消えるその瞬間を、絶対的な自信とともに待ち構えていた。
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次回お楽しみに。




