忍び寄る敵意【里緒菜】
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その日の昼、里緒菜は久々に波留との外食を楽しんでいた。
波留が回診に出る頻度がさらに増えたおかげで、なかなか食事のタイミングが合わないのだ。
選んだ店は、王都の二の廓にある高級料理店だった。
完全個室という中世ではありえないスタイルも富裕層向け、且つ転移者がオーナーなら納得ではある。
「……よく食べるね」
洒落っ気のあるテーブルに並んだ料理を前に、対面の波留が呆れた声で言った。
里緒菜の前には、すでに空いた皿がうず高く積まれている。
「これから特別任務ですから~! ちゃんと体力つけておかないとねえ~!」
言いながら肉を頬張る里緒菜とは対照的に、波留は右手のフォークだけでちまちまと料理をつつく。
今日の午後は、ゼノンと王宮の外で会う約束を取り付けているのだった。
外壁の上から見る王都は絶景だと言うので興味を示して見せたら、向こうから誘ってきたのだ。
「それにしても、いきなり王子様を引き当てるなんて……。悪運が強いというか、なんというか」
「私も正直びっくりよ。でも偉い人の知り合いは多いほうがいいって、波留も言ってたじゃない?」
ゼノンに図書館を案内してもらってからというもの、里緒菜は暇を見ては図書館に顔を出すようにしていた。
元の世界の資料は何の役にも立たなかったが、魔法の資料は豊富だった。
今までフィーリングでしか魔法を組み立ててこなかったので、体系的な技術書はやはり参考になる。
だが何よりの理由は、ゼノンも里緒菜に会いに来ている節があるからだ。
「あの目、あの素振り……! あれは絶対、気がある……私には分かるっ!」
「百戦錬磨の里緒菜が言うんだから、間違いないとは思うけど……」
「あれ、あんまりよく思ってない感じ?」
「そうじゃないけど……祓川くんはどこにいったのかな、って。まあそのほうが里緒菜らしいけどね」
波留は冷めた様子で、淡々と料理を口に運ぶ。
その一言に、ふと零仁の顔が浮かんだ。もっとも【遺灰喰らい】としての姿ではない。かつて教室にいた、うだつの上がらない制服姿だ。
(そういえば、なんでだろ……? 別に嫌いになったわけじゃないし、モノにしたい気持ちも変わらないんだけど……?)
逢瀬のゼノンを思い起こす。
どことなく覇気のない表情。長身なのに、所在なさげな立ち居振る舞い。
それでいて、妙に熱と湿気を帯びた視線――。
(あ、そっか……。あの人、前の零仁くんに似てるんだ。私だけを見てくれる、あの感じ)
そこに思い至った時、妙に何かが胎に落ちた気がした。
今のゼノンは、里緒菜だけを見ている。それがたまらなく愛しい。
王位継承者である以上、貴族評議会の権力者の娘あたりと娶わせられるのは容易に想像できる。どこか達観したところがあるゼノンは、自身の意志で恋をしたことがないのかもしれない。
(そうよ、私が求めてたのはああいう感じよ。それに引き換え、どっかの零仁はさあ……!)
腹立ちまぎれに、肉のひとかけを口の中に押し込む。
その時、波留がゆっくりと席を立った。
「わたし、行くね。またすぐに回診だから」
「え……? 予定、もう少し後なんじゃ?」
「早く行っても特に問題ないの。王子様に失礼のないようにね」
波留は会計票を取り上げると、さっさと個室を出て行く。
取り残された里緒菜は、そそくさと料理を片付け始めた。
* * * *
数時間後。
里緒菜はゼノンとともに、王都の一の廓にある外壁の上にいた。
「すご~い、海のほうも見えるんですね!」
実際、外壁から見る景色は素晴らしいものだった。
西を見れば城下の二の廓と、三の廓の街並み。その先には、緑豊かな平原を中央街道が伸びている。
東を見れば一の廓の雅な街並みと、三重の城壁に囲まれた大王宮。島を取り巻く霧の海を背景にしている分、ことさらに映えて見えた。
「王宮を除けば、ここが最もよく見えるんです。港に行っても見えますが、一望するならこっちですよ」
素直に驚いていると、傍らのゼノンが笑った。
簡素なジャケットにチュニック、トラウザという平服姿だが、モノがいいので身分を隠せているかは甚だ怪しい。
たまに城を抜け出し、こうして壁の上から街を見ているらしい。
(お忍びで街に出るのって、中世のお作法かなんかなわけ……? まあそれだけ王都の治安がいいってことなのかもしれないけど)
一方の里緒菜は、仕事帰りなのでいつもの魔法の戦衣。
めかし込んでくることも考えたが、万が一ということもある。
「その、【業嵐の魔女】殿は……」
「あ……殿下さえよろしければ、リオナとお呼びください。こうして二人でいる時だけ、ですけれど」
「そうですか、それでは……。リオナ殿の世界では、こうして男性と二人で出かけるのは普通なのですか?」
「仲良くなれれば、ですね。私は生憎、あまり経験がありませんけど」
(おっおっ、前方確認きたな?)
ゼノンのたどたどしい問いに、微笑みを作ってみせる。
「そ、そうなのですか。お美しいから、さぞや人気があるのかと」
「お上手ですね。私など、貴族のお嬢様がたに比べたら……」
「そんなことはありません! リオナ殿は十分に……いや今まで会った中で、一番お美しい」
「ありがとうございます。自信になります」
月並みな世辞にも飽きてきたので、そろそろ何か問い返そうか――などと考えた時。
空が轟と鳴った。次に、嫌な風が吹き始める。
『クルヨ』
『アブナイ』
『ネラッテル』
(風の精たち……⁉ わざわざ向こうから語りかけてくるなんて……!)
今は当然、風精知環は発動していない。
魔法で干渉している時ならいざ知らず、精霊のほうから語りかけてきたのは初めてだ。
呪を繰り、応じようとした瞬間。足元で硬い音がした。
(え……⁉)
視線を落とせば、そこには一振りのナイフ。
果物ナイフほどの長さだが、刃は火を灯したかのような朱色。明らかに普通ではない。
「殿下、失礼しますっ! ……颶風纏移!」
ゼノンの胴を抱きかかえ、風の瞬間移動を発動させる。
飛んだのは、数十メートル先。まばたきする間に、背後でなにかが爆ぜる音がした。魔鏃の矢と同じ性質のものだったらしい。
「な、なんだっ⁉」
それを見たゼノンの顔が、恐怖に歪む。
嫌な風は未だ止んでいない。
(暗殺者……狙いは殿下っ⁉ 王都のど真ん中だよ、ここ⁉)
外壁から降りることも考えたが、階下に追手がひしめいている可能性もある。
腰間の剣もあるので戦ってやれなくはないが、周囲の情報がない以上、さすがに無理は避けたい。
「殿下、壁を背にして屈んで下さいっ! 私が盾になります!」
「しかしそれでは……!」
「いいからっ!」
不承不承の体で指示に従ったゼノンを庇うように、サーベルを抜いて仁王立ちになる。
これならゼノンが直接狙われない上、背中が壁の縁に隠れる。後頭部を狙われる可能性は残るが、だいぶ気が楽だ。
同時、風を切る音がした。見れば、陽光を受け煌めくナイフが三本、宙を舞っている。刃の色からして、繰り出しているのは先ほどの攻撃者だ。
(あの軌道、能力と遠視魔法の組み合わせね……! しかも魔鏃の矢みたいに、遣い手の魔力を込めて遠隔で発動することもできる……!)
考えているうちに、三本のナイフが動いた。まっすぐ来るなら、ふたたび足元を狙っている。
(敢えて足元を狙って、爆発で王子ごと仕留めるつもり……⁉ なんにしてもっ!)
「烈風刃矢!」
左手から放った風の矢が、ナイフの一本を弾き落とす。残り二本、しかもうち一本は直前で軌道を変える。
(正面と、右っ!)
『アト、ウシロ』
精霊の声がした。先ほど聞こえた声とは違う。
「……っ! 烈風刃矢!」
サーベルで右のナイフを弾き落とし、正面のナイフを風の矢で消し飛ばす。
「風爆衝破!」
ノールックで名づけを叫ぶと、背後に風の音が生まれた。振り向くと、風に阻まれたナイフが眼下に落ちていく。時間差でもう一本、放っていたのだろう。
身構えながらあたりを見回すが、続けての攻撃が来る気配はない。
『オミゴト』
『ヤルジャナイカ』
『キヲツケテネ』
『マタクルヨ』
(ありがとう、精霊たち)
精霊たちの声が消えた。途端、嫌な風が収まる。
里緒菜がサーベルを収めると、屈んだままのゼノンのほうに振り向いた。
「殿下、もう大丈夫です。攻撃の気配はありません」
「ありがとう、助かった。こんなこと、今まで一度もなかったのに……」
ゼノンがよろよろと立ち上がった時、数人の男女が外壁の上を走ってくる。
「殿下っ! ご無事ですかっ!」
「先ほどの爆発は、一体……⁉」
走り寄ってきた者たちはいずれも平服姿だが、身のこなしから軍人だと分かる。さすがに護衛なしでふらついているわけではなかったらしい。
すると護衛のうち数人が里緒菜に険しい視線を送ってきた。
「おい貴様! 襲ってきた者に心当たりはないのかっ⁉」
「ここに殿下がいらっしゃることを知る者は限られている。まさか貴様が手引きしたのではなかろうな?」
「そんな、誤解ですっ!」
状況からすると、護衛たちがそう言いたくなる気持ちも分かる。だがもしそうなら、わざわざ守ったりはしない。
護衛たちがなおも口を開こうとした時、ゼノンが里緒菜を庇うように前に出た。
「よさぬか! 【業嵐の魔女】殿は、身を挺して私を守ってくれた!」
「いや、しかし……」
「もし彼女が下手人の関係者ならば、私を手にかける機などいくらでもあったはずだ! 私の恩人に、いらぬ疑いをかけるのはやめよっ!」
「ぎょ、御意……」
ゼノンの言葉に、護衛たちが沈黙する。
護衛たちの表情には、心底意外そうな驚きが見て取れた。ゼノンがここまで語気を強めることは、あまりないのかもしれない。
(でも、その通りなんだよね。私のことを抜きにしたって……こんな回りくどい真似しなくても、やりようなんていくらでもある)
なにより初撃のナイフは、里緒菜の足元に突き立った。
次撃の正確さからして、外したわけではない。最初からあそこに突き立てるつもりだったように思える。
(もし殿下が標的なら、初撃は殿下を狙っているはず。爆発で仕留めるにしたって同じこと)
次撃以降のナイフも、間違いなく里緒菜を狙ってきていた。
ゼノン狙いなら攻撃が止んだと見せかけて設置したナイフを爆発させるなど、手番は他にもあったはずだ。
(ひょっとして……狙いは最初から、私?)
王都の街並みには、戦場で感じる不穏さや殺伐とした雰囲気はまったくない。
だが里緒菜には、その裏側に潜む何者かの気配を感じずにはいられなかった。




