悠久の王都【里緒菜】
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澄んだ青空に、轟々と風が吠える。
流れる雲の下、【業嵐の魔女】――颯手里緒菜は目を閉じて立っていた。
やがて風の声が収まると、ゆっくり目を開ける。肩まで伸ばした黒髪と、白地に金の縁取りを施した魔法の戦衣の裾も、もう揺れていない。
(この魔法、結構いいね……。精霊ってホント色んな事を知ってる)
今使っていたのは、風精知環――大気に漂う風の精霊に干渉する魔法だった。
とある人物から概念を教わり魔法を組み立ててからは、暇つぶしにしばしば使っている。
イメージを用いて精霊たちに語りかけることで、新たな魔法や武技の他、千里眼の魔法を以てしても届かぬ地の情報を得ることができる。
ちなみに精霊たちの報酬は、イメージを介して大気に伝わる術者自身の魔力だ。
(まあこっちが知りたいことを精霊が知ってるかは神頼みだけど……。そのうち、お願い事もできるようになるかなあ?)
そんなことを考えていると、右手にある建物の角から待ち人の姿が見えた。
黒髪ウェーブロングの女子で、左肩から長い青のケープを垂らしている。
「お待たせ。ちょっと出先の伯爵様と話し込んじゃった」
「波留、ほんと人気だねえ」
【波濤の聖女】――楢崎波留。
ともに異世界に降り立った級友にして、里緒菜の小学校時代からの親友である。
元は里緒菜とともに傭兵をやっていたが、グスティア城での戦いで左腕を失くし、今は療養の身。その傍らで得意の回復魔法を活かし、貴族たちを中心に出張ケアサービスのようなことをしているのだった。
「気持ちのいい人ばかりじゃないけどね。でも王都には長く居ることになりそうだし、貴族の知り合いは多いほうがいいでしょう?」
里緒菜は親友に微笑みで応じると、周囲の景色に目をやった。
絢爛な邸宅がいくつも建つ閑静な街並みは、いつぞや見た都内の高級住宅街に似ている。東には三重の城壁に守られた大宮殿の尖塔が、天を衝くようにそびえ立つ。
(王都、か……。ずいぶん遠くに来ちゃったなあ)
――王都カイゼルヘイム。
この島を統べるハイエルラント王国の首都にして、最大の都市である。
里緒菜たちが歩いているのは三重の外壁で仕切られた街のうち、もっとも王宮に近い区画だった。
前線から外されてからこの方、ここにあるローゼンクロイツ家の私有地の警備をしているのだ。
(まあ元の世界と大して変わらないくらいの暮らしできるから、バラおじには感謝してるけど……)
王都での生活に不満はなかった。
警備と言っても、一応の立哨と巡回のみ。そもそも王国五将家の一柱たるローゼンクロイツ家を相手に、狼藉を働く者などいるはずもない。
街道と巡礼道の交差点のため、都には島中の物資が集う。おかげで城下には美味い飯屋がひしめいている。
魔法と想石によって、上下水道や街灯も完備されている。もっとも外郭にある下町でも、衛生や治安は悪くない。
(それでも私は、零仁くんに会いたい。彼を取り巻く全部を壊して、私だけのものにしたい……!)
穏やかな日々も、潤沢な生活も、この異世界に転移した直後は喉から手が出るほど欲しかった。
だが今、胸の内を占めるのは、想い人である陰気な級友だけだ。
(嫌なの……私が気に入ったものが、私のものにならないのは嫌なの……)
乳がデカいだけと侮っていた級友の新治。旧王派の盟主である落胤の王女アリシャ。おまけによく分からない、銀髪の美少女。
今の想い人の周りには、邪魔な女たちが取り巻いている。
(あいつら全員殺して、その死体の横で零仁くんに跨って腰を振るの……! 前みたいに情けない感じの顔した、零仁の上で……っ!)
下腹部にじんわりとした熱を感じる。それに呼応するように、身体のいたるところに残った傷が疼いた。
グスティアの戦いで負った傷は風が癒してくれたはずだが、ふとした拍子で痛みが敗北の記憶とともに顔を出す。
里緒菜の怒りに呼応してか、不穏な風が吹き始めた時。
「……里緒菜?」
隣の波留の呼びかけで、我に返る。
気づけばローゼンクロイツ家の私邸の前まで来ていた。
「ああ、ごめん……考え事してた」
「それはいいけど。ディアナ様の前で、不機嫌な顔はしないでね」
(そんな怖い顔してたんだ、私……)
警備の同僚に挨拶した後、ひときわ大きな主棟を指して歩く。
王国五将家ともなれば、王都に有する私邸も広大だ。主棟の隣に二つの別邸。門の手前には、使用人や警備の傭兵たちが寝泊まりする宿舎まである。
前の雇い主だったバルサザールなども、自身の麾下である転移人を輪番で私有地の警備に就けているらしい。ちょっとした褒美のつもりなのだろう。
主棟に入り目的の部屋に着くと、これまた警備の同僚に部屋へと通される。
窓の前に設えられた大きな天蓋付きのベッドからは、白髪の夫人が半身を起こしていた。
「ディアナ様、参りました」
「いらっしゃい、ハル。あら……今日はリオナも一緒なのね」
――ディアナ・ヴァン・ローゼンクロイツ。
先代ローゼンクロイツ家当主マンフレートの妻で、現当主ダグラスの義母にあたる。
魔法研究の第一人者で、先の内戦では先王の軍に従軍。その中で転移したばかりのダグラスと知り合い、自身の娘と引き合わせたのだという。
「ごきげんよう、ディアナ様。先日教えていただいた魔法、早速試してみました」
「もう組み上げたの? さすが、早いわね」
「何度か試してみましたが、武技の記憶や新しい魔法の概念まで……。精霊って、本当に色んなことを知っているんですね」
精霊とイメージを介して会話する概念を教えてくれたのは他でもない、このディアナだった。今日は波留の回診に便乗して、お礼と報告に来たのだ。
里緒菜がディアナと話す間、波留はディアナの傍らに座り、右掌に青い光を生んだ。それはほんのりとした粒子になり、ディアナの身体に注ぎ込まれていく。
「いつもありがとうね、ハル。あなたが来てくれた後は、身体の調子がすごくいいの」
「いえ……今の私は、これくらいしかできませんから」
ディアナの病は魔力欠乏症と呼ばれ、体内の魔力が欠乏することによって肉体が衰弱していく特殊なものらしい。
若い頃のディアナは水の魔力を行使していたようで、同じ水属性の最上位級能力を持つ波留に白羽の矢を立てたのだろう。
(バラおじが王都に回してくれたの、お義母さんの病気のこともあってなんだろうな……。ま、おかげで助かったけど)
考えている間に、魔力の注入が終わった。
ディアナも先ほどより血色がいい。
「ありがとう。二人のケガはどう? 痛んだりしない?」
「わたしは自分で治しましたから。元のとおりには、戻らないけど」
ディアナの問いに、波留が自身の左肩に目を転じる。
欠損した身体の復元は、魔法の力を以てしても容易ではないらしい。しかも波留の左腕は、零仁の【遺灰喰らい】によって失われている。
仮に可能だとしても、高位の術式と大量の魔力が必要になるだろう。
「私は……治った傷が、たまに痛みます」
「戦場から帰った人には、よくあることよ。ゆっくり休んでちょうだい。あなたたちはもう十分、よくやってくれたわ」
「どうでしょう。戦場に、忘れ物してきちゃったから」
「あら、大事なものなの?」
「ええ。とっても大事な、人なんです」
心なしか波留の表情が険しくなった。そんな話をここでしなくても、と言わんばかりだ。
「あらあら……あなたが何で魔法の研究に熱心なのか、分かったわ」
しかしディアナは、優しい微笑みで里緒菜を見つめた。
齢七十に近いと聞いているが、今なお可憐と言って差し支えない。若い時はさぞや美貌を謳われたことだろう。
「研究熱心なのはいいことだけれど、力に振り回されてはいけませんよ。命を落とさなくとも、わたしのように身体の自由を失うこともあるわ。昔の教え子にも、そういう女の子がいたの」
「分かっています。でも……」
「忘れたものや失くしたものは、ふとした時に戻ってくるかもしれない。その時、それを受け入れられるように……今は自分自身を、元に戻しなさい。わたしがあなたたちを元の名で呼ぶのも、そのためなのだから」
この世界では、転移人の能力は二つ名としても扱われる。
だがディアナが【業嵐の魔女】や【波濤の聖女】の名で呼んだことは、一度もなかった。
「そうそう……王宮の図書館には蔵書がたくさんあるの。入城証の手続きをしておいたから、気晴らしに行ってごらんなさい。あなたたちの世界のことをまとめた資料もあるみたいよ」
ディアナはそう言うと、ころころと笑った。
* * * *
ローゼンクロイツの私邸を出た後。
別の回診がある波留と別れた里緒菜は、王宮を指して歩いていた。
仕事も非番なので、帰りがけにもらった入城証を試しておこうと思い立ったのだ。
(元の世界の情報ってのも気にはなるし。図書館に並んでる時点で色々お察しだけど……)
図書館は、王宮の中庭に別館として立っていた。
衛兵に道を教えてもらって行ってみると、体育館ほどの広さに所狭しと本棚が並んでいる。司書はいるものの、貸し出しはしていないらしい。
建屋の中ほどまで進むと、見覚えのある文字が目に飛び込んできた。
(あの本、日本語じゃん。転移者が持ち込んだ本がそのまま並んでる、ってこと?)
目当ての本は棚の上段、里緒菜の背では絶妙に届かない位置にあった。
こうなれば魔法で飛ぶか、と思いかけた矢先。
「……これかな?」
柔和な男の声とともに、礼服の袖に包まれた細腕が本を手に取った。
声のほうに目を向けると、くすんだ茶髪の男性が里緒菜に本を差し出している。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、あまり見ない人だと思いましてね。私はゼノン……あなたは?」
里緒菜から見て、少し年上に見えた。
顔立ちは良いのだが、長身で華奢な身体と色白な肌と相まって、妙に幸薄そうに見える。
「【業嵐の魔女】……リオナ・サッテです。ローゼンクロイツ公の私有地で、警備を仰せつかっています」
聞いたことのある名だ。
挨拶をしながら、脳裏の記憶を引きずり出す。
「あの、ひょっとして……ゼノン・ウル・ハイエルラント殿下ですか?」
「おや、御存じでしたか。いかにも、そのゼノンです」
ハイエルラント王国の、現王位継承者。
先王ヴィルヘルムの遺言で指名されたものの、貴族評議会の意向により、成人したにも関わらず戴冠を先延ばしにされている――。
そこまで記憶が蘇った時、心に光が射した。
具体的なイメージがあるわけではない。心に響いた言葉は、ただひとつ。
(この男、使える……!)
「ご無礼、大変失礼いたしました。ローゼンクロイツ家のディアナ様にご紹介いただいたんですけど、勝手が分からなくて……」
「ここは蔵書が多いからですね、無理もありません。もしよければご案内しますよ。司書の方に挨拶しておけば、本を見繕ってくれます」
「そんな、殿下にご案内いただくなんて……」
敢えてゼノンを立てて話し、わざとらしくないように傍らに寄る。
男を落とす、いつもの流れ。
(見つけた、私の勝ち筋)
吊り上がる口の端を、隣にいる王子はどのように見ているだろうか。
里緒菜は心の中でほくそ笑みながら、しばしの時間をゼノンと過ごした。




