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逝く者、逃れる者

お読みいただき、ありがとうございます!

 夜空すら呑み込みそうな黒の紋が、楢橋の左腕を喰い始めた。


「あっぐうっ……ああああああっ!」


 グスティア城の庭園に、楢橋の苦悶が響き渡る。


(よし、勝った……っ!)


 その顔を見て、零仁はほくそ笑んだ。

 問題が起きるとすれば、主棟へ消えたディエゴたちが背後でへたばっているアリシャに危害を加えるくらい。しかし今のところ、その気配はない。


「それが……【遺灰喰らい(アッシズ・イーター)】……?」


 声に振り向けば、片刃の大剣を杖に立ち上がったアリシャだった。

 楢橋の攻撃はことごとく“御印”で無力化されたようで、目立った外傷はない。


「ああ、そうだよ。待ってろ……すぐ終わるから」


 一度【遺灰喰らい(アッシズ・イーター)】で“捕食”したら、止める手段はない。

 加えて黒い紋からまき散らされる灰により、いかなる攻撃も受け弾く。


(これでようやく……最上位級(ハイエンド)を一匹……!)


 口の端をさらに釣り上げた時――

 風が、吹いた。幾度も感じた視線が、突き刺さる。


(……ッ! この感じ、まさか……!)


 脳裏で答えを紡ぐ前。

 視界の右側から黄金の光が射した。黒い紋が喰っていた楢橋の左腕が、肩先から両断される。


「なに……ッ⁉」


 唐突に吹き抜けた風が、左腕を失った楢橋の身体を攫った。

 瞬きほどの間の後、零仁たちの立つひとつ先の島に、それは降り立つ。

 吹き上がる遺灰(はい)を纏うその姿を見た瞬間――


「颯手……ッ!」


 零仁は目を見開き、名を呼んだ。

 乱れた黒髪に、ボロボロに破けた白地の魔法戦衣(マジック・ガーブ)

 白い肌は青あざや血で汚れ、切れ長の目は片側が醜く腫れ上がっている。


 まるで大型車に撥ねられた後のような有様だが、楢橋の腰に回した手には確かな力があった。


「……アリシャ、こっちに来い」


「あいつ、誰……?」


「【業嵐の魔女(ストーム・ヘクセ)】だ……! 早く!」


 怒鳴りながら、転がっていた罪斬之剣(クライム・ヴェイン)を拾い上げる。

 その間、颯手は何をするでもなく零仁を睨みつけていた。そんな中、楢橋が口を開く。


「り、里緒菜……?」


「はあっ、はあっ……ごめん……遅く、なった……」


 颯手は息も絶え絶えの調子で応じ、軽くせき込んだ。口から、いくばくかの血が飛ぶ。


(……今なら、二人とも喰える!)


 背に隠れるように寄ってきたアリシャを庇いながら、標的までの距離を目算する。

 楢橋は元より、颯手からも遺灰(はい)が見える。身体に触れさえすれば、【遺灰喰らい(アッシズ・イーター)】は発動するはずだ。


 楢橋の左腕を喰い終えたおかげか、疲労感はない。アリシャの“御印”の影響もない今、魔法も遣える。


「……アリシャ、まだ力は使えるか?」


「“帳”は無理だけど、“撃つ”くらいなら一回は……」


「多分、仕掛けてくるのは【業嵐の魔女(ストーム・ヘクセ)】だ。最初の攻撃を弾いてくれ。先にあいつを狙う」


 小声で告げ、静かに構える。

 無限のような、刹那の後――颯手が、空いた左手を構えた。


「風、我が掌に集いて弾けよっ! 風矢操弾(エアロ・ダート)ッ!」


 放たれた黄金色の風弾が、大きく分かれて包み込むように飛んでくる。

 狙いはアリシャ。しかし一拍後、すべての風弾が消え失せた。


(ここだ……っ!)


 ひと息に駆ける。颯手たちが立つ島までは目測わずか五メートル。今の身体能力なら一瞬で詰められる距離。

 だがその時、ぐったりとしていた楢橋の右手が動いた。


「漂う水精……その身を針と成し彼の者を撃てっ! 飛沫針撃スプラッシュ・ニードルッ!」


(まだ動けたのか……っ!)


 放たれた水の針は、零仁を避けるようにして広がった。狙いは――アリシャ。

 気づいた瞬間、零仁は大きく後ろに跳んだ。


紅蓮衝消(パイロ・イレイス)ッ!」


 アリシャの前に立って手をかざすと、水の針が消え失せる。


「風、我が意のままに吹き抜けよ! 風呼令呪(コール・ウィンド)!」


 重なった颯手の声とともに、猛烈な向かい風が吹く。

 気づけば、颯手の掌には黄金の光が宿っていた。


「颯手……ッ!」


「……我が身、想い纏いて馳せ駆けんっ! 颶風纏移(ウィンディ・ドライヴ)ッ!!」


 呼びかけた声が、轟々たる風に流される。

 やがて風が収まった時――颯手と楢橋の姿は消えていた。


「チッ……しぶとすぎんだろ、最上位級(あいつら)……」


「ごめん。あたしのこと、庇ってくれたんだよね。級友(かたき)、討てたんだよね」


 アリシャが項垂(うなだ)れる。

 零仁はため息を吐くと、敢えて笑ってみせた。


「……いいさ。ここであんたが死んだら、グランスさんに申し訳が立たねえ」


 そう告げた時。


『――ガッハッハ。わりいな、レイジ……付き合わせちまって』


 どこからともなく、聞き覚えのある声が響いた。


「おじ様……っ!」


 アリシャが虚空を見上げて叫ぶ。

 振り仰げば、白々と明ける夜空にグランスの姿があった。

 白い甲冑姿のはずだが、黒い遺灰(はい)によって形作られているせいで、遺影のように見える。


『――アリシャも、よく頑張ったな。もう心配なさそうだ』


「え、なんで……もう会えないの? レイジの能力(スキル)で出てこれたんじゃないの? だったら……!」


『――死んだ人間は生き返らねえよ。こうして最期に会えるのは、意気な計らいなのかもしれねえがな』


 遺灰奔流(アッシズ・ゲイザー)を遣えば、顕現した遺灰(はい)の武器は消える。

 それとともに能力(スキル)は失われ、永遠に戻ることはない。

 かつての恩人カークスも、同じ運命を辿った。


『――レイジ。頼み事ばかりですまんが、アリシャを頼む。できればこの国を、とも言いてえが……』


「別にいいっすよ。なんとなくですけど、俺の目的とも重なっていく気がするんです」


『――ガハハ、そうかよ。それじゃあ……よろしく頼むぜ』


「待って、おじ様ッ! あたし一人じゃムリよっ!」


『――無理なもんか。レイジの中から見てた。お前はもう立派にやっていける』


 グランスの姿は、昇る朝日の中に散りつつあった。

 黒色の輪郭が、徐々に透けていく。


『――それにお前は一人じゃねえ。みんなが……レイジたちがいる』


「イヤッ……行かないで、おじ様っ!」


 散りゆく遺灰(はい)が、二人の男女の姿を取った。

 ひとりは端正な顔立ちをした黒髪の偉丈夫。もうひとりは、短い金髪の美女。

 二人とも、顔立ちがどことなくアリシャに似ている。


『――ヴィル、マリー……待たせたな。逝こうか』


「お父様……お母様……!」


『――じゃあな、二人とも。死ぬなよ……!』


 うっすらと残っていた姿が、消える。

 零仁の身体から金色の灰が舞い、【大いなる御手(マイティ・ハンズ)】の形を取っていた記憶が脳裏から消えていく。


「おじ、様……っ」


 崩れ落ちるアリシャに声をかけようとした時、

 ふたたび零仁の身体から灰が舞った。脳裏に、ひとつのイメージが流れる。


 ――薄暗い部屋だった。

 目の前にはロッカー。この一点からして異世界ではない。


(この感じ……部室棟か? 入学した時に一度だけ見学で行った……)


 縁もゆかりもなかった建物のことを思い出していると――


『――楢橋さん。記録会、どうだった?』


 どこからか声がする。どうやらこれは、楢橋の記憶らしい。

 視界が転じた先には、懐かしいブレザーの制服を着た刈谷がいた。顔にはどことなく勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。


『――全然ダメ。まあ、わたしは趣味勢だから』


『――平泳ぎだったら負けない的なこと、言ってなかったっけ?』


『――あれは長い距離を泳ぐならって意味。タイム競うとか好きじゃないの』


『――へえ~。男子が水着姿を見学しに来る楢橋さんでも、タイム競うのは苦手なんだ? だったら水泳部でなくてもよくない?』


 刈谷の声には、あからさまに嘲りの色があった。


『――何が言いたいの?』


『――楢橋さん目当てで来る男子たち、練習の邪魔なの。レギュラー捕ろうとみんな必死なんだよ? 横でやいのやいの言われてたら、やってらんないよ』


『――それこそ、本人たちに直接言えばいいじゃない。わたしが呼んでるわけじゃ……』


『――趣味で泳ぐだけなら市民プールでも行ってれば? 際どい水着で泳げば、もっとファンも増えるでしょ』


『――ちょっと、いい加減に……!』


『――何が言いたい、って聞かれたから言っただけよ。とにかくこれ以上、私たちの邪魔しないでよね』


 そう言って、刈谷は部室のドアから出ていく。

 荒々しく閉まる扉の音を最後に、景色がどろりと溶け落ちる。


 それは形を取りきれず、脳裏に在った【水練達人(ウォーター・アデプト)】の記憶とひとつになった。

 形を変え、【淀み揺蕩う者(スタグナント・ワン)】と名を変える。


(まさか、刈谷をハゲに売ったのって……)


 ――そこまで考えたところで、視界が戻った。


「どう、したの……?」


 傍らでは、アリシャが不安げな表情で零仁を見つめている。


「大丈夫だよ。ひとり、溜飲が下がったヤツがいたってだけだ」


 そう言って、主棟のほうに目をやった。

 周囲には誰もいない。ディエゴたちは中で籠城しているのだろう。

 南のほうからは未だ、爆発音や衝撃音が聞こえてくる。ここに庄山や塔村がいないということは、室沢たちも無事ということになる。


「よし、最後の一仕事だ。さっきのおっさんをなんとかしないとな」


「……ええ、行きましょう」


 頷いたアリシャの目には、強い光が宿っていた。

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