澱みし憤怒、波濤の聖女②
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グスティア城の庭園は、水面の波紋のような光に包まれていた。
その中を、氷の穂先を持つ槍がアリシャへ突き進む。
(目つきだけでなんとかなるもんじゃねえよっ!)
零仁が【大いなる御手】を伸ばそうとしたその時――
アリシャは表情を変えず、黒い稲光を宿した掌をかざした。
氷の穂先が黒に衝突し、刹那――氷は爆ぜて砕け、ただの杖となって転がる。
「なっ……⁉」
楢橋の顔に驚愕の色が走る。
その間に、アリシャは掌の黒を天に掲げた。黒の雷が波紋の煌めきを遮り、迸る。
「大丈夫よ……レイジ。あたし、もう逃げないから」
言葉とともに、掌を庭園の石畳に叩きつけた。
――黒が爆ぜる。
波紋、青い竜巻、紋様を織りなす光。楢橋が築き上げたすべてが黒に呑まれ、色を失って消えていく。
同時に、時を引き延ばされたような感覚も霧散した。
(身体も能力も、思うように動く……!)
無言で楢橋へと迫る。
なおも人魚の姿を保っていたが、尾や水の羽衣はぼやけ、形を失いつつあった。
「ウソ、でしょ……⁉ なんで……なんなのよ、それっ!」
楢橋が右手に水の刃を生む。だが、先ほどまでの勢いはない。
(御印の力を広げた……⁉ 魔力の展開を抑え込んでるのか!)
零仁の不可視の腕が一閃。水刃は飛沫に変わり、散った。
そのまま白の大剣を振り下ろし、不可視の腕で挟み込むように繰り出す。
「なんで、身体が……重いっ!」
楢橋は呻きながらも後ろに跳び、隣の島へ降り立つ。
しかし次の瞬間、波紋の光が消え、水の竜巻も収まった。楢橋の姿が人のものへ戻っていく。
「だったら……慈愛の水を湛し宝瓶よ! 傷つく我らに無限の癒しを! 宝瓶湧水ッ!」
楢橋の詠唱とともに、水でできた巨大な瓶が出現する。
ややぼやけてはいるが、注ぎ口から清らかな水があふれ出していた。
「なんだ、ありゃ……! なあ、あれも消して……」
零仁がちらと視線を送ると、アリシャは苦しげに片膝をついていた。
「って、おいっ! 大丈夫か⁉」
「平気……! 御印、使うと結構疲れるの……。今も、ずっと広げて使ってるから……」
話しているそばから、楢橋が合わせた両手から水流を放つ。
アリシャが片手をかざした瞬間、水流は霧散したが、水瓶の方は健在だ。
「水瓶まで消すのは、ちょっと力が足りないみたい……ごめんね……。でも、こっちに来る魔法を消すことくらいはできるから……!」
「ああ、さっきのがなけりゃ十分、殺れる……!」
零仁は頷き、改めて楢橋へと大剣を構える。
楢橋は水瓶の前から動かず、両掌に水を溜めて迎撃の構えを取った。
“御印”の性質を、自身の魔法の効果から逆算したのだろう。
(アリシャが力尽きたら、またあの結界を張る気か。だったら……!)
罪斬之剣を両手に構え、【大いなる御手】の不可視の腕を広げる。
黒い炎は灯さない。アリシャの“御印”の影響下では、魔法の威力が十全にならないからだ。
(この手で、すり潰すッ!)
矢を引き絞るように剣先を突き出し、地を蹴る。
待っていたかのように、水瓶の口から無数の青い蛇が伸びた。
うねり迫るその様は、まるで神話に出る多頭の蛇のようだった。
「邪魔だっ!」
不可視の両掌を拳に変え、蛇の頭を砕く。
足は止めない。魔法が封じられている以上、距離を詰め切れなければ致命打には届かない。
「オオオオオ……ッ!」
無意識に雄叫びが漏れる。
零仁が数メートルの距離まで迫った時、楢橋は両手から氷刃を生み出した。
構わず、走りの勢いを殺さずに白い大剣を振り下ろす。
「あんたは……っ! あんただけはっ!」
青白い氷刃が交差し、白い刃を受け止める。
刃を引いて切り返し、楢橋の右足を斬りつけた――が、湧き出た水の蛇に阻まれ、刃は鈍る。
届いたとしても、楢橋はわずかに顔をしかめるだけだった。
(回復魔法か……っ!)
白い大剣を手放し、背の双剣を抜き放つ。
幾度か氷の刃と斬り結ぶが、新たに湧く青い蛇の対処で身動きが取れない。
(クソッタレ、手数が足りねえ! でも【大いなる御手】を出してる限り、他の能力は使えねえし……!)
ふたたび氷刃とぶつかる。
その瞬間、楢橋が零仁を睨みつけて叫んだ。
「……えしてよ!」
「ああんっ⁉」
「わたしの里緒菜をっ! 返してよっ!」
氷刃が双剣を掻い潜り、頬を掠めた。
鋭い痛みとともに、ひやりとした冷気が首元に迫る。
「お前から颯手を奪った……覚えは、ねえよっ!」
左へ跳び、足を狙って双剣を一閃する。
だが水の蛇が割り込み、新たな蛇が罪斬之剣を繰って振り下ろしてくる。
「あんたなんか好きにならなきゃ、里緒菜はそのままでいられた! 死なずに済んだっ!」
白い刃を受け止めながら、楢橋は憤怒の形相で氷刃を繰り出す。
「あんたがっ! あんたが里緒菜を殺したのよっ!」
「さっきから聞いてりゃっ! ふざけんなっ!」
水の蛇を砕き続けていた不可視の腕の指を組み、振り回す。
楢橋の身体も一緒に叩くが、水瓶による回復のおかげか顔をしかめただけだった。
「俺が追放されて、殺されかけたのはノーカンかっ⁉ てめえら、自分がやったことの自覚ねえのかよ⁉」
「わたしは戻ってきてもらおうって言ったわよっ! 里緒菜だって、あんたを連れ戻そうと頑張ってたのにっ! それを全部、撥ねつけたのはあんたでしょっ⁉」
「都合よくなったら戻ってきてもらおうなんざっ! 遅えんだよクソボケがっ!!」
双剣の刃が幾度も楢橋の肌を掠める。だがそのたびに、柔らかな水泡が包み、傷は瞬く間に消えていった。
「それに颯手は俺を所有したいだけだッ! 颯手の“好き”はなあっ、自分の手元に置いておきたい、ってだけなんだよっ!」
「里緒菜はっ……! 里緒菜はそんな子じゃないっ!」
「そんなに大事な親友ならっ! 首輪つけてちゃんと教育しておけっ! ガチ百合するなら俺の見えねえところでやってろボケっ!」
幾度ぶつかっても、氷の刃が折れる気配はない。
位置を変えても虚を突いても、楢橋が追いつけずとも、無数に湧く水の蛇が零仁の進撃を阻む。
(あの水瓶をどうにかできれば……! 手はあるが、どうやって当てる……⁉)
このままではアリシャは力尽き、楢橋の狙いどおりの結末が訪れる。
室沢たちを退けた塔村と庄山がここに戻らない保証もない。
(イチかバチか、攻撃をもらう覚悟で突っ込むか……!)
腹を決めた、その時――。
『――ガハハ。お前にしちゃあ、ずいぶん諦めが早いじゃねえか』
(グランスさん……!)
『――オレを遣え。やり方は分かってるな?』
(でも……!)
『――出し惜しみしてんじゃねえ。ここ逃したら、もうどうにもならねえぞ』
「……ッ!」
双剣を間近から投げ放つ。楢橋は一瞬だけ面食らったが、水の蛇と氷刃であっさり弾き落とした。
「それでどうするつもりっ⁉」
勝負を投げたと思ったのか、楢橋の顔に嘲りの色が浮かぶ。
だがその時、零仁はすでに大きく後ろへ跳んでいた。
「遺灰纏装――グランス・ヴァン・トラクテンバーグッ!!」
零仁の身体から舞い上がった黒い遺灰が、右手に集う。
それは瞬く間に形を取り、罪斬之剣と酷似した大剣となった。
「それも里緒菜から聞いた……! 魔法はもう消せないって!」
楢橋の表情は揺らがない。
繰り出される水の蛇と氷刃を、灰の大剣と不可視の腕で斬り払う。
(そういう問題じゃねえんだよ、ドアホッ!)
遺灰纏装を使えば、喰った人物の能力を常時発動した状態で扱える。
つまり――【大いなる御手】を維持したまま、他の能力も併用できる。
「【影潜り】!」
「え……っ⁉」
水の蛇を防ぎながら、楢橋の影へ潜り込む。
後ろに跳んだのはそのためだった。少し前に出れば、背後に隙が生まれる。
飛び出た先は、楢橋の背後――水瓶の目の前。
振り向くより早く、腰の短剣を引き抜いた。
「“雲散霧消”ッ!」
式句を唱え、銀の刃を水瓶に突き立てる。
刹那のうちに、突いた一点から水瓶が爆ぜ割れた。
「そっ、そんな……っ!」
肩越しに見えた楢橋の顔が、絶望に染まる。
イメージを具現化するタイプの結界だと直感した。
ゆえに“雲散霧消”に込められた結界解除の効果を用い、その力を消し去ったのだ。
『――ガッハハハハ、やったな! さあ、いけえっ!』
「はいっ!」
灰の大剣を両手に持ち直し、楢橋へと迫る。
不可視の手が遺灰を纏い、巨大な黒い掌となる。
「深き海に眠りし海龍よっ! その身、その顎を以て渦を成せっ! 蒼渦螺旋!」
水路から群れ集った蛇たちが楢橋の周囲を渦巻き、青い螺旋となる。
だが灰の大剣はそれを容易く断ち割り、遺灰の拳が楢橋を捉えた。
「……っう、ぐっ! 祝福涙招ッ!」
楢橋の身体に虹色の雫が落ちる。
変わらぬ動きのまま、氷刃と水の蛇が襲いかかる。
(クソッタレッ! まだ回復しやがるかっ!)
『――オレを遣えっ! ひと息に決めろっ!』
(……ッ! はいっ!)
灰の大剣の切っ先を白み始めた夜空にかざす。
遺灰の手が大剣を包み込むように、零仁の手に重なった。
「遺灰奔流――獅子心吼ッ!!」
振り下ろす。
灰の大剣と遺灰の手がひとつになり、巨大な遺灰の獅子へと変貌する。
獅子は瞬く間に楢橋へと肉薄し、巨大な爪で斬り裂いた。
「ぎゃああっ……! なに、よ、これっ!」
虹色の雫が幾たびも落ちる。
だが遺灰の獅子は止まらず、爪牙を突き立て続けた。
楢橋の身体から――灰が、零れ出す。
(今……ッ!!)
遺灰の獅子が散り散りに崩れていく。
拒絶のように前へ伸ばされた楢橋の左手を――掴む。
「捕まえた……!」
「い、いやああっ!」
楢橋が手を振りほどこうと力を込める。
だが、もう遅い。
「――【遺灰喰らい】ッ!!」
零仁の叫びとともに現れた黒い紋が、耳障りな音を立て始めた。




