澱みし憤怒、波濤の聖女①
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――西門の制圧が終わった後。
零仁は、グスティア城外廓の北側で馬を走らせていた。さすが騎馬隊で鳴らすリカルドが整備しただけあって、並走しても悠々と駆けられるほど道が広い。
隣をアリシャが走り、脇をクルトとメイアが固めている。後方には騎兵二五〇。
残り二五〇は西門周辺の制圧に回してある。
「それにしても見事なもんだ。ほんとに寝返らせちまうなんてな」
隣へ流し目を送ると、アリシャが微笑んだ。
西門を守っていたのは、バルサザールの工作によって旧王派から寝返った者たちだった。曰く、旗頭と仰ぐ“落胤”の正当性を問われた上で、免税や報酬、領地といった餌をちらつかされたらしい。
そこまで聞いたアリシャが、“御印の力”で正当性を示した結果――。
西門を守っていた小領主たちは、こぞって跪いたという。
「別に無理強いしたわけじゃないわよ? 一緒に戦わせてくれって言うから、監督付きでそのまま守備をお願いしただけ」
「“御印”を示して回れば、他にも新王派から離反する者が現れるかもしれませんね」
クルトが同調する一方で、メイアが険しい表情を見せた。
「でも最上位級たちには通じない。この先で出てきてもおかしくないんだから」
「分かってる。その時は、“御印”の力が何たるかを存分に見せてあげるつもりよ」
得意げに答えたアリシャの顔には影がない。
安堵しつつも、さらに馬脚を速めようとした時――。
『……こちら【意志の神盾】。外廓の南側で【地恵の女君】、【焦熱の女帝】と交戦中!』
脳裏に、室沢の声が響いた。
続けざまにノイズが割り込み、角田の声が重なる。
『こちら【繋ぎ話すもの】! 東門に敵兵多数! 【一心の射手】離脱のため苦戦!』
『こちら【意志の神盾】。いま【一心の射手】と共に交戦中! 援軍の余裕なし!』
顔をしかめてアリシャに視線を送ると、彼女は頷きを返した。
差配は任せる、という意思表示だ。
『こちら【遺灰喰らい】、状況了解。東門に送る兵に精鋭をつける。なんとか持ち堪えてくれ、交信終わり』
交信を切ると、零仁はクルトとメイアに視線を移した。
「室沢組に最上位級が二人、引っ掛かった。東門もヤバい。クルトとメイアは騎兵を連れて東門に行ってくれ」
「最上位級はどうされます?」
「……【意志の神盾】たちを信じる」
「分かりました。東門が落ち着いたら、我々が援護に向かいましょう」
「アリシャ様を、お願いね……!」
クルトとメイアは一気に先頭に出て、騎兵たちを率いて外廓をまっすぐ駆け抜けた。
一方の零仁たちは、内壁に沿うよう右へ折れる。目指すは東側だけにある、内廓への橋だ。
(室沢たちが二人相手してるってことは……主棟にあと一人!)
やがて内廓にかかる橋が見えた。
馬を下りて橋を渡った瞬間、内堀の水が突如として噴き上がる。
まるで滝が逆さに落ちているかのような水勢は、容易に潜れそうもなかった。
「水が、勝手に……⁉」
「歓迎の花火代わりってか。誰がいるかハッキリしたな」
内廓の庭園は、水路が縦横に走り、草花を植えた造りになっている。
罪斬之剣を手に進むと、庭園の中央――主棟へ続く大きな島に人だかりが見えた。
横陣を組む兵士は五〇ほど。
手前には全身鎧を纏い、大剣と大盾を構える白髪の壮年。
その傍らには、黒髪のウェーブロングの少女が並び立つ。
「……やっぱり、主棟に来たね」
青地に白い刺繍を施した魔法戦衣。
手には以前と違う、青い宝石を飾った長杖。
【波濤の聖女】――楢橋波留。
「分かってた割には、ずいぶんショボいお出迎えだな?」
わざと挑発すると、白髪の壮年が眦を釣り上げた。
「貴様……! この【衝波反剣】、ディエゴ・ヴァン・ラングストンを愚弄するかっ!」
「【遺灰喰らい】、レイジ・フツガワ……。喰われたくなきゃ、そこをどけ。何なら、こっちに付いてくれてもいいぜ?」
そう言った時、アリシャが前へ出た。
「ディエゴ? かつて父を支えたグランス公の戦友――ディエゴ卿ですか?」
「いかにも。グランス公爵とは、かつて共に戦場を駆けた仲……。なぜ貴様のような小娘がそれを知る?」
「わたくしは、アリシャ・ウル・ハイエルラント。先王ヴィルヘルムの血を継ぐ者です。あなたのお名前は、グランス公よりつとに伺っておりました」
途端、ディエゴの顔が怒りに染まる。
「おのれッ……ついに姿を現しおったか! 浅ましくも先王陛下の血縁を名乗るとは言語道断! この手で引導を渡してくれる!」
「嘘偽りではありません。この剣も、グランス公よりすべてを聞いた時に託されたものです」
アリシャが大剣を掲げ、片刃の紋を光に晒す。
「それは先王陛下の愛剣――誓断之剣! 陛下の遺品を、このような小娘が……我が戦友よ、失望したぞっ!」
「グランス公に罪はありません! それに、証ならこれを――」
アリシャが手を掲げる前に、巨大な水の刃が振り下ろされた。
「……【大いなる御手】ッ!」
召喚した不可視の腕が、水の刃を弾き散らす。
「【衝波反剣】殿。信じぬなら、言葉は不要のはず」
杖から水の刃を放った楢橋が、静かに言い放つ。
「ぐうっ、いかにも……!」
「ここはわたしが引き受けます。もう一度、エウロ砦へ援軍の要請を!」
「しかし、愚弄してきた相手を前に退くなど……!」
(そっちこそ長話してんじゃねえかっ!)
ディエゴを捉えんと、不可視の腕を振るう。
だが同時に、水路から噴き出した水の蛇がアリシャを狙った。
それらを弾いているうちに、ディエゴと兵たちは向こうの島へと渡り切っていた。
「最上位級は皆、健在です! 援軍を城に引き込めれば勝機もありましょう、早くっ!」
「ぐうっ……! すまぬ……っ!」
ディエゴが口惜しげに退くのを見送り、零仁は意地悪く笑う。
「……ひとつ勘違いしてるみてえだから、教えてやるよ」
「なにを……」
「最上位級は全員、健在じゃねえ。颯手は死んだ」
「…………うそ」
楢橋の表情がみるみる強張る。
目から光が消え、声が震えた。
「俺は分かるんだよ、颯手のことが。生きてるなら俺のところにすっ飛んでくるはずだ。だがそれをしねえ……新治がうまく殺ってくれたな」
「嘘よ……嘘、嘘、嘘ッ!」
「ご愁傷様、仲良しだったんだろ? 安心しろ……てめえも今すぐ、同じところに送ってやる」
不可視の両腕を握りしめ、振り上げた。
だが楢橋は俯いたまま、何かを呟いて動かない。
「俺に喰われて……まともに死ねるかは知らねえけどなあっ!」
不可視の腕を振り下ろした――刹那。
動きが歪んだ。腕を振る速度が、ゆっくりと遅くなっていく。
「なに……っ⁉」
「……なんでわたしが、ここで待ってたか分かる?」
驚く零仁をよそに、楢橋は水の中を漂うように宙へ舞う。
髪色が水底のような深い碧に変わり、全身から水気が放たれていく。
「あなたは里緒菜をハメたかもしれないけど……わたしも、あなたをハメたのよ」
庭園の水路から青い竜巻が立ち上がる。
その配置に法則性があることに気づいた瞬間、ひとつの仮説が浮かんだ。
(まさか、庭園の水路に想石を埋め込んだ……⁉)
「地咲と火音、無理にでも引き留めておけばよかった。庭園に誘い込めれば、誰が来たってまとめて殺れるもの」
竜巻同士を青い光が結び、小さな文字が浮かび上がる。
やがて光が織り成す巨大な文様が、庭園全体に展開した。
「でもちょうどいい。里緒菜の仇はわたしが討つ。――里緒菜から教えてもらった、この力で!」
楢橋の姿が変わっていく。
羽衣のごとき水流を纏い、足は光に覆われて魚の尾へ変わる。
水をまとった杖は凍りつき、氷の三又槍へと変化した。
まるで、深海を統べる人魚の女帝のようだった。
「殺すだけじゃ飽き足らない……! 生きたまま刻んで、水に沈めて腐らせて……魚の餌にしてあげるっ!」
三又槍を取り回し、楢橋が吠える。
その穂先が向いた先には、いまだ動けないアリシャがいた。
「おい、動けっ! アリシャ!」
白い大剣も不可視の腕も、水の重さに縛られているかのように鈍い。
楢橋が逆手に持った槍を投げつけた――その瞬間、アリシャが顔を上げた。
煌めく瞳には、諦めも焦燥もなかった。




