在りし日の記憶
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零仁が主棟を出ると、外には黄昏時の光が射していた。
堀の水を用いた庭園の向こう、黒く煙る橋の上に目指す姿があった。
大柄な体に逆立った髪。右手には大剣をだらりと下げている。
(グランスさん……ッ!)
走り出した身体が鉛のように重い。それでも、止まろうとは思わなかった。
距離が狭まった時、グランスの身体がどうと倒れた。血塗れの全身鎧を纏ったその身体には、何本もの剣が突き立っている。
「ッ……グランスさんッ!」
呼びかけたと同時――。
「零仁、くん……?」
視界の外から、声が聞こえた。
目を向けると、黒髪を振り乱した颯手だった。橋の欄干にもたれるようにして座り込み、潤んだ瞳で見つめてくる様は、妙な色香を帯びていた。
かつては秘かに想っていた顔。だが今は、胸の中で黒い炎が渦巻くばかりだ。
(グランスさんを、こんなにしておいて……ッ! そんな目で見てんじゃねえよっ……!)
握りしめた拳に力がこもる。
だがその時、グランスの身体がわずかに動いた。
「んッ、ぐうぅ……その声……レイジか?」
「グランスさんッ!」
駆け寄ってグランスを抱き上げる。
裂けた鎧の下には斬り傷、全身に突き立てられた剣。生きているのが不思議なほどだった。
「しっかりしてください……ッ! 迎えに来ました、脱出しましょう!」
「ガッハハハ……わざわざ、来てくれたのか……」
肩を貸して引き起こすと、グランスは意外にもしっかりと立ち上がった。右手に握りしめた罪斬之剣も、離すことはない。
橋を渡り切った時、視界の片隅にいた颯手が動いた。
「待って、零仁くん……っ!」
「ッ……! 猛火障壁ッ!」
応じる代わりに、主棟への入口に炎の壁を張る。
颯手が何かを叫んだ気がした。だが零仁は構うことなく、グランスを担いで主棟へと歩いていった。
* * * *
誰もいなくなった主棟の中は、妙にひんやりとしていた。
入口を潜ってすぐのところでグランスを寝かせると、わずかに目を開いた。
「ハハ……すまんなぁ、手間をかけた……」
「しっかりしてくださいっ! すぐに、すぐに他の連中も来ますからっ!」
「アリシャは……アリシャはどうだ。ちゃんと逃げたか」
「はい、無事に脱出しました! だから、グランスさんも……!」
「そうかぁ、よくやってくれた……じゃあ、手間かけたついでにもう一つ……頼まれてくれ……」
グランスは血に塗れた顔で、零仁に笑いかけた。
「…………オレを、喰ってくれ」
時が止まった気がした。
言われたことは分かる。そうしなければいけない時だということも分かる。
だが、それを理解することを意識が拒否していた。
「そんなっ、大丈夫ですよっ! グランスさんは、まだっ……!」
「自分の……身体のことくらい、自分で分かるさ……もう、ダメ……なん、だろう」
分かっている。
橋で見た時から、グランスの身体からは黒い遺灰が舞っていた。級友たちから舞う遺灰と相まって、景色が黒ずむほどだった。
「頼む……首を掻かれるくらいなら、お前さんが喰ってくれた方が……なあ?」
「んっぐっ……ううっ……!」
声を詰まらせながら、その大きな掌を握りしめた。
弱々しく握り返してくるのを確かめ、空いた右手をグランスの額に当てる。
「ッ……【遺灰喰らい】ッ!!」
掌に現れた黒い紋が、グランスを喰らい始めた。遺灰になって消えていく顔は、かすかに笑っているように見える。
「ガッハハ……ヴィル、マリー……やっと……お前らの、ところ、に……」
声が、耳障りな音に呑み込まれた。
グランスのすべてを喰らった時、脳裏にひとつのイメージが生まれる。
――両開きの扉が開かれ、豪華な装飾が施された部屋に出た。
視界はその中央、天幕付きのベッドに近づいていく。
寝ているのは男だった。
歳は四十前後だろうか。整った男前だが、蒼白な顔色と額に浮いた脂汗のせいで精悍さはない。
『ヴィル……!』
『よ、お……すまん、な……』
『何が、何があった……!』
『さあてな……どこからともなく飛んできた矢が、ぶすり、さ……』
『貴族評議会のヤツら、ここまでやるのか……!』
『ハ、ハ……そうと決まったわけでもないだろう……恨みを買う覚えは、いくらでもあるからな……』
その言葉に、視界の中でグランスの拳が握り固められた。
(先王ヴィルヘルム? この人がアリシャの父親?)
『いいさ……やれることは、全部やった……それより……』
ヴィルと呼ばれた男が伸ばした手を、グランスの手が握り返す。
『あの子を……アリシャを頼む』
『安心しろ。お前の……いや、オレたちみんなの子だからな』
グランスが言うと、ヴィルは弱々しく笑った。
『フフッ……お前、マリーに気があったからなあ……』
『ガハハッ、国王サマが今わの際に言うことかよ』
『すまない、お前たちには苦労をかけた……。王家なんて、なくなっちまえばいいのにな』
ヴィルはそう言って手を離すと、掌を掲げた。
次の瞬間、黒い雷のようなものが小さく弾ける。
(今の、アリシャが使った……! でも魔法じゃないし、王様なんだから転移者でもない。つまり……能力じゃない?)
『王家は王家、御印は隠したって御印だ。お前ひとりのせいじゃねえ……!』
『この力のおかげで、幾多の犠牲が出た。フィプノスも……死なずに済んだんだ』
(たしか、前の内戦でこの人と王位を争った弟だっけか……?)
『アリシャを匿ったのは、それも理由か?』
『ハハ、どうかなあ……。可愛い娘に、幸せになってほしい……ただ、それだけのつもり……なんだがな』
(御印って、あの黒い力のことか? あれをなかったことにしたい、ただそれだけのために……?)
この記憶がいつのものかは分からない。だがアリシャが真っ当に王位を継いでいれば、今の内戦はなかったかもしれない。
(本当にそのためだけに……政敵だった弟の息子を後継に指名してまで、アリシャを匿った?)
疑問の上に、さらに疑問が降り積もっていく。
その時、ヴィルが大きく血を吐いた。
『ゴホ、ゴホッ……回りが早いな……すまん、オレはもうダメだ……』
『ヴィルッ!』
『お前はもう十分やってくれた……。アリシャが巣立ったら……お前も、生きたいように生きてくれ……いい、な……』
そう言ってヴィルは、再び血を吐いた。
血塗れの、しかし安らかな顔を見つめる視界が溶け落ちる。それはすぐに、ひとつの形を取った。
記憶に、【大いなる御手】の名が刻まれる――。
視界が戻ると、敵兵はまだ主棟に侵入してはいなかった。
窓の外には燃える炎の光が揺れ、先ほど入口に張った魔法がまだ効いているのが分かる。
(逃げた方が、いいんだろうけどな)
主を喪った白い大剣――罪斬之剣を拾い上げた。
グランスを喰ったおかげで、先ほどの疲労が嘘のように力が漲っている。
(ちょっと、鬱憤晴らしさせてもらおうか)
かつての持ち主のように大剣を担ぎ、零仁は主棟の扉を開け放った。
* * * *
内堀の橋まで戻ると、級友たちはまだ橋の向こうにいた。
楢橋が回復魔法をかけているあたり、後方部隊の到着を待っているのかもしれない。
「れ、零仁くん……っ」
消えかけた炎を割って橋に出ると、颯手がホッとしたような表情を見せた。
しかしその少し後ろで、舘岡が零仁の持つ白い大剣に視線を向ける。見る間に、その顔が引きつっていった。
「全員、離れろおっ!!」
「え……?」
颯手の呆けた声とともに――。
「……【大いなる御手】ッ!!」
召喚した不可視の手で拳を作り、颯手へと殴り掛かる。
すんでのところで躱された拳が、魔法で強化された橋にひびを入れた。
「れ、零仁くん……? どうして……!」
「どうして、もクソもあるか。投降しに来たわけじゃねえ……」
白い大剣の刃に、黒い炎を灯す。
「……鬱憤、晴らしに来たんだよッ! 憎悪炎招ッ!」
振り下ろした大剣を起点に、黒い炎が噴き上がる。橋をまっすぐに突き進み、群がる級友たちを襲った。
「ちょ、待て待て待てっ!」
「ひいっ……!」
「えっ無理ムリ……!」
炎の唸りが、不協和音となった悲鳴を飲み込む――寸前。
「……地精の君よ、汝が遣わす盾を欲すっ! 地君護想!」
「……深き海に眠りし海龍よっ! その身、その顎を以て渦を成せっ! 蒼渦螺旋ッ!!」
響いたのは庄山、続いて楢橋の声。現れた岩盤が炎とぶつかり、青い竜巻がその残滓を飲み込んで消えていく。
(まだ、あんな大技を遣えるとはな)
不思議と落ち着いた心持ちでいると、零仁を目がけて三人が飛びかかってきた。
中央、黒い斧槍を打ち下ろす舘岡。
右、黄金の光を纏ったサーベルを振りかぶる颯手。
左、掌と両脚に炎を纏った塔村。
(元気なこって……!)
不可視の拳を、颯手と塔村に叩きつけた。二人が吹き飛んだところで、舘岡の斧槍を受け止める。
押し込まれる刃に、ネロスでぶつかった時のような圧は感じられなかった。
「どうした? 皆さん、お疲れじゃねえか」
「ッ……! 抜かせっ!」
刃を引いた瞬間を狙い、不可視の手を伸ばす。
舘岡は感覚を掴んでいるのか、素早く後ろに退って躱した。
そこを目がけて、大剣を突き出すように突進する。
颯手と塔村は倒れ、庄山と楢橋もへたり込んでいる。後方の級友たちは、もはや数合わせにもならない。
(殺った……!)
切先に黒い炎を灯した――次の瞬間。
舘岡の前に、赤い花弁が舞った。まるで意志を持つかのように渦巻き、白い刃を受け止める。
「……ッ⁉」
同時に、左右からも花弁の一陣が襲い掛かってきた。不可視の腕で弾き返しながら刃を引き、距離を取る。
見ると、いつの間にか橋の対面に、馬を騎士が一人。
(新手……! しかも今の能力、グランスさんが言ってた……!)
年の頃なら四十を過ぎたあたりか。遠目にも分かる堂々たる美丈夫だ。
兜の隙間からのぞく赤髪を風に靡かせ、舘岡の背後まで進んで馬を止めた。
「戦場ゆえ、馬上にて御免。ラステリオ領主……【神代の花園】、ダグラス・ヴァン・ローゼンクロイツである」
穏やかながらも威厳のある声。
花弁の陣は馬の周囲を取り巻き、隙は一切なかった。
「……【遺灰喰らい】、レイジ・フツガワ」
「やはりか。貴殿がその能力を用いているということは、グランスは逝ったのだな」
そう言うと、ダグラスは静かに馬を降りた。兜を脱いで左手に抱え、右手で腰の長剣を抜いて礼式の構えを取る。
「我が戦友……グランス・ヴァン・トラクテンバーグに、哀悼の意を表する」
花弁が取り巻く中で礼を取る姿は、威風堂々の一言に尽きた。
そのダグラスへ向け――
「【大いなる御手】ッ!」
零仁は不可視の手を叩きつけた。
挟み込むように殴りつけた拳が、花弁の陣に阻まれる。
「浸ってるとこ悪いんすけど……ここ、戦場っすよ」
ダグラスはわずかに顔をしかめたが、微動だにせず口を開いた。
「退きたまえ。若人が命を懸けるなら、もっと相応しい場があろう」
「今ここが、まさにその場だと思ってるんすけどね」
「早まるな、大勢は決した。この城も……そして、貴殿らも」
「あんたら全員、ブチのめして喰えば済む話だ」
「我らがいる限り、成ることはない。それが分からぬ貴殿ではあるまい」
「……ッ」
舞い散る色とりどりの花弁からは、グランスが操る不可視の手に匹敵する――いや、それ以上の力が感じられた。
しかもダグラスの言うとおり、一対一ならいざ知らず、後方には温存された手勢がいる。
(だが、それでも……!)
大剣の柄を握りしめた時、耳元で風が唸った。
一条の矢がダグラスへと飛び、花弁の一片に弾かれる。
「レイジッ!」
鋭い女の声。振り向けば、主棟を出たところにメイアとクルトがいた。
「レイジ殿ッ! 紅蓮を纏いし炎の獅子、我が前に出でよ……願うは灰燼! 猛炎牙想ッ!」
クルトの声とともに、零仁とダグラスの間に巨大な炎の獅子が生まれた。
繰り出される炎熱の爪牙が、花弁の陣と激しくぶつかり合う。
「迎えが来たようだな」
ダグラスが微笑んだ。
仮にここで戦ったとして、よしんば勝てても仲間はどうなる――。
そう言っているかのようだった。
「……借りは返しますよ」
「フッ、楽しみにしておこう」
零仁はダグラスをひと睨みし、クルトたちとともに主棟へと駆け戻った。
扉を潜る瞬間、炎の獅子が花弁に取り巻かれて倒れる様が、かすかに見えた。




