蒼水と黒炎【波留/零仁】
お読みいただき、ありがとうございます!
夕暮れが近い空を背に、【遺灰喰らい】の黒い影が飛ぶ。
だが波留は、敢えて退かなかった。
(空中でまともに動けるはずがない! ここでっ!)
「水流裂渦ッ!」
短杖の先端から水流が迸る。
しかし【遺灰喰らい】は、中空で左手を構えた。
「紅蓮衝消」
黒い掌に生まれた赤い炎が水流を飲み込み、あっさり掻き消す。
(なにそれ……! 対水特化の打消し魔法っ⁉)
驚いている間に、【遺灰喰らい】が水面に着地した。
波留を睨みつけてくるその目に、かつて教室で抱いた弱々しい印象は微塵もない。
(やっぱり刈谷を喰ってたのね……! でもそれは予想のうちっ!)
「波濤馳駆!」
波留は瞬時に術を繰り、水面を水上スキーのように走り出した。
里緒菜が使う風の移動魔法に感化されて作ったものだ。使える地形は限定されるが、機動力は騎馬にも引けを取らない。
(追いつけるものなら追いついてみなさいっ! 北の城壁まで着いたら、そこから水に潜って……)
「【音速剣刃】」
考えをまとめる前に、【遺灰喰らい】が大剣を横薙ぎに振るった。
水路の半ば以上を埋める巨大な白雲が、波留へと迫る。
(ウソ……⁉ 反対側……ダメッ、間に合わないっ!)
やむなく跳躍。一瞬前まで立っていた場所を、雲の弧刃が行き過ぎる。
だが【遺灰喰らい】は、放った白雲の軌道を追うようにして走り出していた。
「【吶喊する騎手】……!」
黒い影を、桃色の光が覆う。
波留が水面に着地する時には、すでに目測数メートルのところまで迫っている。
(森谷くんの能力ッ!)
「噴出水壁ッ!」
ダメで元々、水の障壁を撃ち出しふたたび駆けた。
黒い影が水を突き抜ける。距離がみるみる詰まっていく。桃色の光は褪せるどころか、さらに濃くなっている。
(あの能力、早さに応じてバリアの強度が変わるはず……騎馬並の速さっ⁉)
「飛沫針撃!」
振り向きざまに攻撃魔法を繰り出す。
だが、すべて【吶喊する騎手】のオーラに弾かれた。
(こんな小さな魔法じゃ……! 足を止めて大技を撃つ……⁉ それとも……)
「黒陽焔墜」
考えがまとまらぬうちに、目の前に黒い太陽が降り落ちた。
水面に黒い炎がまき散らされる。
「しまっ……!」
振り向けば、【遺灰喰らい】が大剣を振りかぶっていた。
前方は一面、黒い炎。横に逃れようにも、【音速剣刃】が飛んでくる。
(え、待ってムリ……殺られる、殺られる、殺られ……っ!)
――刹那。
脳裏に、里緒菜の顔が浮かんでは消えた。
幼き日の思い出に残る顔、互いの家でお泊り会をした時の寝顔、遊びでキスをした時の顔――。
(……殺られるっ、もんかあっ!!)
内から湧き上がる声とともに、心に一滴の雫が落ちた。
うねり揺蕩う己の髪が、深い海の碧に染まる。
広がる波紋が、新たな”名”を呼び起こす。
「深き海に眠りし海龍よっ! その身、その顎を以て渦を成せっ! 蒼渦螺旋ッ!」
瞬間。青き竜のごとき水の竜巻が、波留を護るように巻き起こった――。
◆ ◆ ◆ ◆
(……クソッタレッ!)
激流を前に、零仁はためらうことなく突進する。
【吶喊する騎手】は、移動した距離と加速度に応じてバリアが強まる。
今の状態なら多少の魔法など貫けるはずだった。
「オオオオオオオッ!!」
裂帛の気合とともにぶち当たる。
しかし楢橋が生んだ碧き激流が、纏ったバリアを呆気なく吹き飛ばした。
すぐさま大剣を繰り出す。だが水が刃を巻き取り、半ばからへし折っていく。
(さすがに簡単に殺られちゃくれねえかっ!)
激流は零仁を飲み込まんとばかりに、どんどん大きくなっていく。
即座に堀から跳び上がり中庭に出る。見れば、すでに北の城壁にほど近い場所だった。
(さっき見えた楢橋、髪が染まっていた……!)
髪は黄金に染まり、天使のごとき羽を形作った魔力が生み出す風が、立つ者すべてを薙ぎ払う――。
今の楢橋から受ける感覚は、ダリア陥としの夜に相対した颯手に酷似していた。
(でも髪が染まっただけだったな……。何が起こったか分からねえけど、形態の変化にも条件がある……?)
考えているうちに渦が消えた。吹き上がった水を足場に、楢橋が現れた。
波間に漂うように動くウェーブロングは、深い碧とも相まって大海の水面のよう。短杖の先端からは氷の刃が伸び、蛇を象った水流がいくつもうねっている。
(だが、それでも……戦えてるっ!)
大剣の柄を投げ捨て、背に負う斬獲双星を抜き放つ。
同時、水蛇が一斉に零仁へと伸びた。楢橋は動かず、左手を零仁に向けるのみ。
「憎悪炎招……紅蓮衝消ッ!」
右の剣には黒い炎、左の剣には解呪の炎。
解呪の炎はグランスに勧められて作った魔法で、水属性の魔法効果を打ち消せる。
「水流裂渦ッ!」
楢橋の掌から、鋭い水流が吐き出された。
左の剣で打ち消すと、間髪入れずに水蛇が迫る。
蛇を狩っている間に、次の魔法がくる。先ほどの碧い渦を撃たれないとも限らないが、やはり接近したい。
(こうなっても、あの時の颯手ほどじゃない! やっぱりこいつら、”格”にはだいぶ差があるっ!)
跳躍し、伸び来た水蛇の頭に足を置いた。
襲ってくる蛇の頭を次々と蹴りつけ、中空から楢橋との距離を狭めていく。
【水練達人】の特性の応用だった。
水蛇はおそらく、水の魔力を込めて作ったものだ。蛇のイメージに引っ張られる以上、牙に触れなければ傷を負うことはない。
「ウソ……⁉」
楢橋の表情が、にわかに引きつった。
左の剣に宿した炎はまだ消えていない。魔法を撃たれたところで打ち消せる。
楢橋の剣の腕は知らないが、接近戦になれば押し勝てる自信はあった。
問題になるとすれば先ほどの碧い渦だが、詠唱と名付けが必要な大技と見た。
唱えられる前に終わらせればいい。
(喰ってきた奴らの能力で、ここまで来たっ……! もう最上位級とだって、戦えるっ!)
蹴りつけた蛇たちが、小さな飛沫となって消えていく。
水を足場に中空にある楢橋を護るものは、なにもない。
「……消えろっ!」
右手の剣を構えた時、逡巡を見せていた楢橋が動いた。
氷の刃を消した短杖を、零仁に向けて諸手で構える。
「霧海に揺蕩う竜神よっ! 秘めし憤怒を解き放てっ! 水竜怒咆ッ!!」
目に見えるすべての水が、またたく間に短杖へと集った。
一拍足らずの間をおいて、瀑布さながらの水流が解き放たれる。
「なに……っ⁉」
黒炎と紅炎の刃を交差して、水流を受け止める。
斬り裂いた水が飛沫となって、零仁の周りにいくつもの虹ができた。
しかし勢い止めることはかなわず、押し返される形で石畳へと着地する。
楢橋もまた、堀の中ではなく石畳に降り立った。
髪の色は未だ青色を保っているものの、呼吸が乱れている。
短杖を構え直す動きもどこか緩慢だ。
(だいぶ魔力を使ったみてえだな……! 次で、殺れるっ!)
刃に炎を灯すべく、構え直すと――。
「……【遺灰喰らい】ッ!」
あさっての方から、聞き覚えのある男の声が聞こえた。
間を置かず、鷹の軍装を着こんだリカルドと騎士たちが居並んでくる。
「リカルドさんっ⁉ どうして……!」
「最上位級が入り込んだと聞いたのでな……! グランスを寄こしたかったが、他の最上位級が来て城壁も大わらわだっ!」
リカルドの言葉に、楢橋の表情がわずかに緩んだ。
周囲を鷹の軍装たちが取り巻いても、逃げを打つ様子がない。
(待てよ……リカルドさんは城門の機械室に詰めてたんだよな? まさか楢橋の狙いは、最初から……!)
思うが早いか――。東のほうから、重々しい音が響きはじめた。
途端、リカルドたちが慌て始める。
「この音は……⁉」
「おい、誰が城門を!」
「クソ、どうなってるっ⁉」
波紋のように広がるざわめきの中、楢橋が勝ち誇った笑みを浮かべた。




