押し寄せる波【零仁/波留】
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太陽がだいぶ西に傾いても、グスティア攻城の趨勢は変わらなかった。
颯手をはじめとした級友の最上位級はおろか、他の転移者すら現れない。補充されたなけなしの雑兵たちがひっきりなしに攻めてくるのを、もぐら叩きよろしく迎撃するだけだ。
(どうせ先手に回されてんのは傭兵と寝返った連中なんだろうが……なに考えてんだか。人が畑で採れるわけでもねえだろうに)
幾度目か分からない【音速剣刃】を放ちながら、零仁は周囲の城壁を見回した。
グランスをはじめとした諸将の奮戦の甲斐あって、兵士の一人に至るまで士気が高い。リカルドが目を光らせているおかげか、設備や物資に問題があったという報告もない。
加えてグスティアには、向こう三ヶ月分の食糧が備蓄されているらしい。領民を先導していった部隊をまとめれば、敵の後背を突くことすらできるという。
(よほどのアホでなければ、そろそろ手打ちにするなり一度退くなりしそうだが……あのハゲだしなあ)
「……レイジくんっ、動いたっ!」
背後から、素っ頓狂な声が響いた。
振り返ると、輝良が城壁の階段をどてどてと上がってくる。
「来たか、誰だ?」
「【波濤の聖女】……楢橋さんっ! 用水路を城に向けてすごいスピードで来てる……!」
「テラ……敵は水の中か?」
野太い声に目をやれば、見えざる手で石を投げていたグランスだ。
輝良が首を縦に振る。
「はい、もう堀まで到達しました。南側に行ってます」
「城壁下の水路の柵を超えて、内部に入ろうってハラか……!」
「侵入対策はされてるんすね。でも楢橋は最上位級です。何してきてもおかしくないっすよ」
「エレインめ、相変わらず悪い予想ばかり当てやがって。レイジ、行けるか?」
「分かりました、行きますっ!」
力強く頷いて、城壁を駆け降りる。
今いるのは北東側の城壁だった。ウンブラならひと駆けだ。
(それにしても、なんでこんな破れかぶれな手を? 輝良に見つかることくらい分かりそうなもんなのに……?)
最上位級を狩れる興奮より、疑念のほうが先立つ。
それを振り払うように、零仁はウンブラの鞍に跨った。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、その頃――。
楢橋波留は、西日を受けて煌めく用水路の中を進んでいた。
身体を薄い水の魔力の膜で覆う魔法を使っているおかげで、呼吸は問題ない。服が濡れることもないが、潜行は自身の泳ぎに頼ることになる。
(大丈夫よ、このくらい……! 長く泳ぐのは得意なんだから……!)
ひらひらしたキュロットスカートの魔法の戦衣が邪魔ではあるが、仕方ない。
水の中から敵拠点に潜入するなど思ってもみなかったのだ。
『――この用水路、城の中にある内廓の堀まで繋がってるんですよね? わたしの魔法で水中から潜り込むのはどうでしょう』
この作戦を提案した時、バルサザールとダグラスは元より、里緒菜すら唖然としていた。
『――たしかに水中なら見咎められませんな』
『――しかし潜入対策として水路に柵があるはず。しかもグスティア城壁の対魔法処理は随一だ。容易には壊せまい』
『――水化の魔法も使えます。長続きはしないけど、柵を超えるくらいなら』
『――でもアバズ……【星眼の巫女】に見つかっちゃうよ。危険だって』
『――新治さんの能力を逆手に取るの。最上位級が潜入したとなれば、城の中は混乱する。その隙に内応の人たちが動けるでしょ?』
バルサザールもダグラスは得心の表情を浮かべたが、里緒菜はなおも不安げだった。
『――でももし、【遺灰喰らい】が出てきたら……』
『――それも狙いのひとつよ。大丈夫、ひと暴れしたら帰ってくるから。水路があればどこからでも逃げられるもの』
やり取りを思い出しながら泳ぐうち、水が濁り始めた。
原因はゴミでも排水でもない。血と屍だ。
(里緒菜……あなたは、なにを心配してる? わたしが危険に晒されること? それとも、祓川くんが負けること?)
堀の端を指して進む。死人の胴や腕、首が漂う赤い澱みを、掻い潜るようにして泳いだ。
(あなたは変わっちゃった。小さい頃はずっと、わたしを見てくれてたのに)
――幼い日からずっと一緒で、学校でもずっと一緒。
心に在り続けた親友は、気づけば想う相手になっていた。
(男と付き合ってても、わたしを優先してくれてた。でも今は……)
あの日、異世界での小さな悲劇。
夕暮れの中で追放された祓川零仁を庇った、里緒菜の姿。
芽生えた一片の妬心は、名を聞くたびに膨らんでいった。
(あの日……傷ついて戻ってきた日から、里緒菜は変わった)
記憶は、ダリア砦陥落の日に転じる。
ボロボロで帰ってきた里緒菜を抱き止めた時、呟いた名は――。
(……わたしは、彼を許せない)
唐突に目の前に現れた屍の顔に、呼吸が乱れた。一度泳ぎを止め、揺らいだ魔力を繰り直してから進む。
血に濁った水の向こうに柵が見えた。近づけば案の定、城壁の向こうへと通じている。
(境遇には同情してる。けれど、わたしから里緒菜を奪ったことは許せない)
死人の血と溶け合うことにためらいはあったが、すぐに気にならなくなった。
水化の魔法で柵を潜り抜ける。
(返してもらう、わたしの里緒菜を……!)
暗く細長い通路を抜けると、水の色が変わった。城壁を超えたらしい。
しばらく泳いでから顔を出すと、橋の上にいた兵士たちと目が合った。音で気づかれたらしい。
「今、なんか聞こえなかったか……?」
「おい、見ろ! あれっ!」
「はあ……? 女……?」
「……水流裂渦ッ!」
掌から放った水流が、兵士たちの首を薙いだ。
「うわああっ!」
「な、なんだよ一体⁉」
「てっ、敵襲ッ!」
橋の上が、にわかに騒がしくなる。
鷹を象った軍装の騎士が見えたあたり、リカルド直属の部隊も動き始めたらしい。
(よし、これでいい! 水路を走り回りながら襲撃して、門が開いたところで城外に逃げれば……!)
堀の水から全身を引き上げた時、頭上に歪な熱を感じた。
「え、っ……?」
振り仰げば、そこには黒い太陽があった。
かつてダリア砦を焼いた火と同じ色をしたそれは、波留を目がけて墜ちてくる。
「……ッ!」
息を呑む暇もなく、水を蹴って橋の下に逃れた。黒い太陽が水面で弾け、消えぬ黒炎をまき散らす。
(来たわね……っ!)
魔力を繰り、噴き上げた水の勢いで堀から跳び上がる。
橋の上に着地すると、城壁のほど近い場所だった。入り込んだ位置からしてグスティア城の南側、内廓の堀まで続く水路だろう。
「きっ、来たぞっ!」
「一人か⁉ 他には……」
「応援を呼べ、応援を!」
兵士たちが騒ぐ中、黒ずくめの男――祓川が近づいてきた。
会うのは追放の日以来だった。ざんばらな黒髪は記憶の中と変わらないが、顔立ちは妙に精悍になっている。
「落ち着いて……【大いなる御手】に伝令を。こいつは俺がやります」
冷静な口調とは裏腹に、視線には憎悪と殺意が見て取れた。
黒い革鎧に籠手脚甲の軽装に、同じ色の鉢金と短いマント。背には級友の杉原から奪った両剣を負い、右手には身の丈ほどもある大剣。
「……【遺灰喰らい】、祓川零仁」
淡々とした名乗りに、思わず苦笑する。
(今さら? 知った顔じゃない。それとも……以前の自分とは違うって、そう言いたいの?)
後ろ腰に帯びてきた短杖を抜き、取りまわす。
「【波濤の聖女】……楢橋波留」
応じた瞬間――祓川が動いた。
間合いのはるか外にも拘らず、大剣を振りかぶる。
「【音速剣刃】!」
大人の身の丈ほどもある白雲の弧が、橋の欄干を貫き波留へと迫った。
跳躍で躱し、ふたたび堀へと飛び降りる。
(来なさい、祓川くん……いえ、【遺灰喰らい】! あなたはわたしが、この手で殺すっ!)
追ってくる黒い影を前に、波留は水面で短杖を構えた。




