決意の背反【零仁/里緒菜】
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降り出した小雨が、初夏の枝葉を濡らしていく。
魔狼の視界に映る刈谷は、湿った匂い漂うダリアの森を静々と進んでいた。
(ようし、そのままだ……気づかれないように追え。襲うのはまだだ)
零仁は魔狼と鳥の視界を切り替えつつ、使役した魔物たちすべてに命じていく。
刈谷は気づかぬまま、魔物に取り巻かれているのだった。
(しかし妙だな。いくらなんでも無防備すぎる。それに、この感じ……)
俯きがちな顔、遠くを見るような目――。生気や覇気を感じない。
周囲を警戒はしているが、木陰に隠れることも枝を伝うこともなく、足音のまま進んでいた。
(まあいい。襲って喰う分には同じだ)
やがて刈谷は森の中ほどへと達する。
この先にはクルト、反対側の森にはメイア、それぞれの騎兵隊が潜んでいる。
(これ以上進まれると面倒だ……やれ。殺すなよ)
意志で指令を送る。
ガウルを含めた魔狼たちが一斉に走り、鳥の魔物が刈谷の顔を爪で斬り裂いた。
「きゃっ……⁉」
短剣を抜こうとした右手にガウルが噛みつき、続けざまに左腕、両足へも牙が食い込む。刈谷が、地に引き倒された。
「いっ、痛だっ……ひい、っ……! いやあっ……!」
零仁は脳裏で”待て”を命じ、刈谷のほうへ歩いた。群れる魔狼たちが道を空ける。
「大胆なわりに呆気なかったな。いい気味だ」
見下ろした刈谷の身体からは、うっすらと灰が舞っている。
短剣で終わらせようと後ろ腰に手を伸ばしかけた時。
「ふっ、祓川くん……っ。おね……がい……話を、聞いて……」
絞り出した声。零仁は魔狼を警戒させたまま、手を戻した。
了解の意を受け取ったのか、刈谷はさらに口を開く。
「わたし、を……殺して。その代わり、級友と……あのハゲを、殺して……っ!」
「なに?」
零仁が眉をひそめると、刈谷は涙目で笑ってみせた。
「あのハゲに……好きにされて……彼氏にも会えなくて……なにもできない……。もう疲れちゃった……だから……」
(そういや刈谷、水泳部の後輩クンが彼氏だったか)
黙っていると、刈谷は腰を見やる。
「ポーチに、合図の……震え、石が……合図、は……」
「右が位置、左が人数だろ?」
息も絶え絶えに言う刈谷は、目を丸くした。
「どう、して……?」
「聞いてたからな」
ポーチを探ると、たしかに震え石が二つ入っていた。
零仁は”雲散霧消”を抜き、首筋へあてる。
「……いいんだな?」
「う、ん……あり、がと……」
すっと首筋を裂いた。灰が舞う。
せめてものつもりで、刈谷の額に手を当てる。
「……【遺灰喰らい】!」
式句とともに、右手に黒い紋様が広がる。
しかし刈谷は、なお口を動かした。
「ああ、言い、忘れてた……」
黒髪から額のあたりが、遺灰となって吞まれていく。
それでも、声は紡がれる。
「あの時……何もできなくて……っ、ごめ、ん……ね……」
言い終えると同時に、頭が遺灰となって散り、紋様に消えた。
すべてを喰い尽くすと、脳裏にひとつのイメージが浮かぶ。
――薄暗い部屋だった。装飾された天井からして、城の一室だろうか。
『ひっ、ぐっ……やめてって……中はやめてって、言ったのに……っ』
刈谷の涙声が響く。
視界の先には、半裸のバルサザール。意外にも筋肉質な体つきだ。
『ハッハ、細っこいから期待できぬかと思ったが……。中々どうして、良いではないか』
『ごめんね、シュウくん……ごめんね……』
刈谷が目を逸らす。
そこへバルサザールが覆いかぶさり、無理やり顔を向けさせた。
『昔の男など忘れよ。元の世界になど帰れはせぬ』
『え、っ……⁉ けど前に、王都には元の世界の情報があるって……!』
『フン、嘘は言っておらぬ。転移者どもが持ち寄った情報を、まとめたものにすぎんがな』
『そ、そんな……っ』
『考えてもみよ。今まで会った転移者に、帰郷を志す者がいたか? 術があるなら口伝くらい残っていよう』
『あ……』
『まあ仮に帰郷が叶ったところで証明はできんが……先達たちの態度こそ、術がない証左。そうは思わんか?』
『あ、あ……』
『もう考えるな。私のものになれ。妾になれば、良い思いができるぞ?』
視界はバルサザールから逸らされる。表情は分からない。
だが刈谷の中で何かが折れたことは、はっきり伝わってきた。
ふたたび映るバルサザールの顔は、にたりと歪んでいた。
『そうだ、いい子だ……! さあ、まだまだ収まらぬぞ……! 朝まで可愛がってやろう……!』
視界いっぱいの顔が溶け落ち、零仁の中で形を取る。
脳裏に、【水練達人】の名が刻まれた――。
遺灰が収まった後。
零仁は強まる雨の中、魔狼に囲まれて立っていた。左手には、刈谷の震え石。
「……ウォォウン?」
ガウルが心配そうに頬を寄せてくる。遺灰に怯える様子もない。
「んん、大丈夫だよ。みんな……色々あるな、って思っただけさ」
喉を掻いてやりながら、語りかける。
刈谷が伽役になった理由は分からない。だが本人以外の意志があったのは容易に想像できた。
(どっかで見たことあるな)
夕焼けに染まる異界の光景が蘇る。
この世界に転移した日に、能力がないからと追放したバルサザール。
それを囃し立てた級友たち。
「……仇は、とってやる」
応える者のない呟きを、強まった雨音がかき消した。
* * * *
刈谷の遺品を回収し、零仁は動き出した。
颯手たちから見えない位置で街道を渡り、反対側の森へ。道中の魔物も使役する。
(右って知らせて、わざわざ右にいるバカはいねえよな)
【水練達人】の効果は輝良から聞いていた。
水たまりを踏んでも波紋すら立たない。水を含んでいるからか、ぬかるみでも足跡が残らない。
同じ最下位級だからと、輝良は妙に同族意識を持っていたものだ。
反対側の森に着くと、零仁は刈谷の震え石を取り出した。
「さあ、来いよ……! まとめてエサにしてやる……っ!」
意志を込め、符牒を送る。
示したのは、今いる森とは逆側だった。
◆ ◆ ◆ ◆
折から降り出した雨は、豪雨と言っていいほどの勢いになっていた。
里緒菜たちの頭上に張られた水の天幕が、打ちつける雨粒を受けて無数の波紋を作る。
雨が降る直前、波留が展開したものだった。おかげでコーネリアス率いる騎兵隊も含め、濡れずに済んでいる。
「ねえ~、ホントにこんな中で戦うのぉ~?」
「仕方ないだろ、伏兵がいないことを祈りな」
「ただの通り雨よ、直に止むから」
地咲、火音、波留の声が次々に飛んでくる。
騎兵も級友も、同じ気持ちだと言わんばかりの顔つきだった。
(遅い……いくらなんでも遅すぎる)
里緒菜は右手の震え石を見つめる。偵察に出た刈谷は戻らず、連絡もない。石を使う前に討たれたと見るのが自然だ。
だがその場合、ここから攻めに転じるのは得策ではない。
(戻らなければ突撃とは言ったけど……零仁くん含めて伏兵がいるってことよね? こんなクソ雨の中、わざわざ突っ込む必要ないじゃん)
コーネリアスを説得する言葉を探していた時、震えが伝わった。
刈谷と決めた符牒通りの震え方だった。
「……震えた!」
里緒菜の声に、コーネリアスと級友たちが一斉に振り向く。
「フンッ、随分かかったな。まあいい……位置と数は?」
「右の森に集結、【遺灰喰らい】……少数?」
背筋に冷たいものが走った。
だがコーネリアスの顔は喜色に満ちる。
「よぉしっ、天は我に味方したっ……突撃準備ッ!」
――オオオッ……
意気高いとは言い難い鬨の声を上げ、騎兵たちが隊列を整え始める。
慌てた里緒菜は口を開いた。
「お、お待ちくださいっ! コーネリアス様!」
「なんだ、早く強化魔法をかけ直せ」
「時間がかかりすぎています! 【水練達人】が敵に懐柔されたやも……」
兜を被り直すコーネリアスに頭を振る。
いくら零仁でも単独で待ち伏せるはずがない。俣野の魔狼を連れているとはいえ、明らかに誤情報だ。
震え石を奪われた可能性も低い。さっき決めたばかりの符牒を、零仁が知っているはずがない。
何より級友を憎む零仁なら、脅して符牒を聞くより【遺灰喰らい】で喰うだろう。
(残る可能性は、刈谷の寝返り……!)
急に生き生きとして、単独偵察を申し出た態度――。
すべてがこのためだったとしたら合点がいく。
「引き返しましょう! この雨もありますし、コーネリアス様に万一があれば、バルサザール様に申し訳が……!」
「ええい、くどいぞっ! 【業嵐の魔女】殿!」
言葉を遮り、コーネリアスが怒鳴る。
「仮にそうだとして何だというのだ! 我が弟の仇が目の前にいるのだぞっ! 己の力を過信し単騎で殿を務めるバカなど、私の敵ではない!」
「ですから、それが本当かどうか……!」
「ならば貴殿らはここで見ていればいい! 【遺灰喰らい】の首は私がもらう! 強化魔法だけ寄こせ!」
「……承知しました。仰せのままに」
里緒菜が騎兵隊に風の強化魔法をかけ始めると、地咲や波留、火音も倣った。
四色の光に包まれた騎兵たちの先頭に立ち、コーネリアスはサーベルを抜き放つ。
「目指すは右前方の森! 敵は少数、ひと息に討ち果たせ! 我が弟アンドリアスの仇、【遺灰喰らい】の首を上げよ!」
――オオオオオオッ……
やはり乗り気でない声のまま、騎兵たちは森へ駆けていく。
各々の顔には、未知の存在への恐怖が浮かんでいた。
騎兵たちが去った後、級友たちが一斉に里緒菜を見た。
「ねえ、行かせちゃって良かったの?」
あっけらかんとした地咲の言葉に、里緒菜はため息を吐く。
「行きたいって言うんだから仕方ないでしょ。突入準備だけはしておいて」
「それはいいが……いくら祓川でも騎兵五〇〇を一人で、ってのは無理じゃないか?」
「仮に他の伏兵がいたとしても、森にそんな大勢は隠れられない。ノトゥンの部隊とも別れたらしいし、殿軍にそこまで数は回さないはず……」
火音の苦笑交じりの言葉に、波留が応じた。
どちらも、もっともな意見ではある。
「ま、普通に考えればそうなんだけど……なんか、嫌な予感するのよ」
雨交じりの生暖かい風が、森から吹きつけてくる。
里緒菜には想い人の気配のほか、別のなにかが混じっている気がしてならなかった。




