蛇と薔薇【里緒菜】
零仁たちが落ち延びている頃――。
ネロス城では、浸透した旧王派の掃討戦が始まっていた。もっとも西の城壁が崩れた直後に来援があったため、数はごくわずかだ。
(妙に余裕だったのはこのせいね。全然聞いてないけど)
伝令の注進が慌ただしく飛び交う中、里緒菜は後ろに座るバルサザールを訝しげに見た。隣の波留も似たような反応をしている。
言わんとすることを察したのか、バルサザールは満足そうに頷いた。
「いやあ……此度の働き、誠にお見事でした。城内の掃討はこちらで行いましょう」
「援軍のこと、まったく聞いてないんですが」
「敵を欺くにはまず味方から……あなた方の世界の言葉でしょう。それに背水の心構えでいたほうが、力を引き出せるというもの」
もっともらしいことを言いながらも、バルサザールの手は膝上の刈谷のスカートの中で蠢いていた。手の動きに合わせて、刈谷が顔を赤らめて微かな嬌声を上げる。
その様子に、里緒菜はわざとらしくため息をついた。
(このスケベハゲ……ダリアの件、まだ根に持ってるね。まあこっちにも非がないわけじゃないし、言い募るのも野暮か)
考えていると、バルサザールが立ち上がった。
「さて、来援者たちを労いに参りましょう。せっかくですから、同席なさってはいかがですかな」
虚ろな目をした刈谷の肩を抱きながら、にたりと笑いかけてくる。
「構いませんが、来援されたのはどちら様で……?」
「私の愚息のほかに、もう一人おります。あなた方と同じ転移者ですよ」
* * * *
バルサザールたちとともに内廓の城壁から降りると、城内の掃討戦はあらかた終わっていた。旧王派の兵士と思しき屍が、そこかしこに転がっている。
北城壁の正門前には舘岡たちの姿もあった。城内の掃討に参加したのか、轟牙裂戟と鈍色の鎧が血で汚れている。
「おう、お疲れ。わりい、俣野がやられた」
「仕方ないよ。一人だけだし、気にしないで」
俣野が零仁に吸収されたことは、すでに注進で知っていた。
とはいえ保有していた能力――【心を手懐ける者】は下位級。俣野が使っても、近くの森にいた大型の魔狼を使役するので精いっぱいだった。
(仮に零仁くんがあれを使ったとしても、戦局に大きな影響はない。包囲作戦が有効なのは分かったし、まずまずの戦果かな……)
考えているうちに、正門が重苦しい音とともに開いた。降りた跳ね橋を、二騎の騎馬が悠然と渡ってくる。全身鎧にマントという出で立ちからして、来援の指揮官だろう。
ひとりは女性と見紛うほどの、長い金髪をした若い男。しかし蛇に似た残念な顔立ちのおかげで、バルサザールの息子だとすぐ分かった。
その少し後ろにつけたもうひとりは、燃えるような赤髪をウェーブロングにした壮年。眉目秀麗な偉丈夫で、鎧には赤い薔薇がワンポイントで描かれている。
金髪はバルサザールの前で馬を降り、恭しく拝礼した。
「父上、ご無事で何よりっ! 不肖、コーネリアス・ヴァン・ヨルムンガンド。お預かりした騎兵一〇〇〇とともに罷り越しましたっ!」
声、喋り方、身振り。芝居がかった一挙手一投足が鼻につく。
しかしバルサザールは咎めるどころか、鷹揚に頷いた。
「うむ、大儀である。そなたの武勇に恐れをなし、【大いなる御手】たちは逃げ去った。そなたがこの城の窮地を救ったのだ……また武勲をひとつ増やしたな」
(出たよ親バカ……来るならもう少し早く来てよ。ワンチャン零仁くんを捕まえられたかもしれないのにさ)
げんなりする心境を顔に出さぬよう努めていると、赤髪の男も馬を降りて礼を取った。微笑みながら胸元の薔薇に拳をあわせる姿は、威風堂々の一言に尽きる。
「ラステリオ領主……【神代の花園】、ダグラス・ヴァン・ローゼンクロイツ。貴族評議会の命により参上した。貴家の奮戦、誠にお見事であった」
(この人が転移者か……。ラステリオってミーナ川の河口にある大きな街よね。領主なら、ハゲと同格以上じゃん)
格上にもかかわらず後ろについたのは、若いコーネリアスを立てるためか。
取り留めのないことを考えている間に、バルサザールが顔をほころばせた。
「おお、ダグラス殿! 遠路はるばる、よく来てくれた。貴殿が来てくれればまさに百人力……【大いなる御手】など恐れるに足りん」
(媚び売ってるなあ……。でも仮にハゲ息子だけだったら、城壁を崩した後で引いたとは思えない。この人が来たのって、敵にとっても予想外だったのかな?)
無言で見ていると、ダグラスが里緒菜たちに目を向けた。
「貴殿らが先に転移してきたという、日本の学生たちかな?」
「はい。【業嵐の魔女】、リオナ・サッテです」
「【武極大帝】、リョウヘイ・タテオカだ。あんたの名前は聞いたことがある……前の内戦を生き残った最上位級なんだよな」
「おお、やはりか! 私はイギリスの出身でね」
不敵に言う舘岡とは対照的に、ダグラスは表情を緩めた。
「貴殿らの武名はつとに聞いている。今は戦陣ゆえ、ゆるりとは話せぬが……事を終えた暁には、ぜひ話を聞かせて頂きたい」
年下かつ格下の傭兵相手でも、威厳を保ちつつ礼も失さない。さらに同郷の出という部分をしっかり押し出してくる。
(これで最上位級で、要地の領主サマとか……完璧超人じゃん。あ~やだやだ、男は何かしら欠落あるくらいのほうがカワイイのよねえ)
愛想笑いを浮かべていると、バルサザールがわざとらしく咳払いした。
「さて……積もる話もありましょうが、今は逃げおおせた敵方のことです。先々を考え、追討隊を組織したく思います」
その言葉に、すかさずコーネリアスが前に出た。
「父上っ! 何卒、わたくしめに騎兵五〇〇をお与えくださいっ! 所詮は手負いの獣っ! ひとり残らず討ち取って御覧に入れましょうっ!」
「手負いの獣を舐めてかかると痛い目を見るぞ、コーネリアス殿」
醒めた口調で嗜めたのはダグラスだった。
「そも私が参じたのは貴族評議会の命もあるが、他ならぬ貴家の領地が侵犯された故。彼らがトリーシャの向こうへ退くなら、追う意味はない」
淡々とした言葉に、バルサザールの表情がこわばる。
「これは……武名高き【神代の花園】の言葉とも思えぬ。王家に弓引く者あらば、武を振るって討つのが我ら騎士の務めではないか」
「弓を引く相手が王家であればな。旗頭とされる先王陛下の遺児とやらは、たしかに捨て置けん。だが事の原因は他にあるように思えてならぬ」
ダグラスの口調は終始落ち着いていた。むしろ冷ややかさすら滲ませている。
「今般の乱は、トリーシャ以西の領主たちに対する増税の直後に起こった。強行したのは貴族評議会……しかも布令にあたっては貴殿の強い申し入れがあったと聞く」
(えっ、そうなん? 内戦の発端ってお家騒動じゃなかったの?)
隣の波留を見ると、小さく首を振った。舘岡も眉をひそめているし、他の級友たちも皆、初耳らしい。
「私は此度の出征にあたり、ゼノン殿下より西側諸侯の申し分に耳を傾けるよう仰せつかっている。仮に税の交渉が和睦の糸口になるなら、すみやかに話し合いの場を持つべしとも仰せであった」
「なんだと……⁉」
(ゼノン……新しい王になる予定の、王弟の息子さんだっけ)
ダグラスは言葉を切り、バルサザールをひたと見た。
「一度は跳ね返してみせたのだ……貴家の面目も立とう。私が間を取り持つゆえ、ここらで手打ちにしてはどうか」
(え~、ここで講和は嫌だなぁ。零仁くんを私のものにできないよ~)
「ふっ……ふざけたことを抜かすなあっ! あの若造に何が分かるかっ!」
バルサザールが額に青筋を浮かべて叫ぶ。
「あの馬鹿どもとの戦でっ! 私は兵と砦と、息子を喪っておるのだぞっ⁉」
(このバラおじの言う通りなら原因作ったの、あんた自身じゃん)
「そもこの討伐令は貴族評議会から与えられた正式な任だっ! 今さら講和などできるかっ!」
(ともあれ貴族評議会ってのが、この国のガンなわけね……。でも講和されたら嫌だし! いいぞいいぞハゲハゲ~! いけいけハゲハゲ~!)
憤怒の形相を浮かべるバルサザールを見て、ダグラスは半ば呆れたようにため息をついた。
「貴殿がそこまで言うなら止めはせぬ。しかし我が兵は、周囲の掃討を終えたばかり。追討は貴家の手勢で行われよ」
冷静な口調を崩さないダグラスに、バルサザールは鼻を鳴らして応じた。
「言われるまでもないわ……コーネリアスよ、騎兵五〇〇を預けるっ! 【大いなる御手】とアンドリアスの仇、【遺灰喰らい】の首を上げよっ!」
「ありがたき幸せっ! このコーネリアス、必ずや弟の仇を討って御覧に入れますっ!」
例によって芝居がかった仕草で応じるコーネリアス。
バルサザールは頷いた後、里緒菜たちに目を向けた。
「あなた方も参加してください。【遺灰喰らい】を討つ、またとない機会です」
「構いませんが……【遺灰喰らい】との戦いで、上位級を中心に負傷者が出ています。動ける者だけでの参加となりますが、よろしいですか?」
すると舘岡が肩をすくめ、距離を取った。
「オレもちょいと休憩だ。【遺灰喰らい】の相手で疲れたんでな。崩れた壁の番でもしてるぜ」
(ウソつき。【武極大帝】の回復力なら関係ないじゃん。零仁くんとタイマン張れないからってだけでしょ)
「やむを得ませんね。動ける方々だけで行ってください」
バルサザールが首を振ると、その傍らの刈谷がおもむろに口を開いた。
「バルサザール様、私も参加します」
「なんですと? しかし、あなたが参加しても……」
「いいんじゃないですか? 頭数は多いほうが助かりますし」
助け舟を出すと、刈谷が嬉しそうに微笑んだ。先ほどの虚ろな様とは打って変わって、目に意志が宿っている。
「颯手さん、ありがとう。すぐに準備してくるね」
バルサザールに一礼すると、刈谷は主棟へ去っていく。
その背を見た時、ふと言い知れない不安が胸をよぎる。しかしそれが何なのか、里緒菜には分からなかった。




