追憶は灰に【里緒菜】
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数ヶ月後――。
晩夏のグリゼンダ要塞には、早くも秋を思わせる涼しい風が吹いていた。
今日は西部諸侯連合とハイエルラント王国、トゥルメイン教団間における通商条約の調印式だった。
あと少しで式が始まる状況にも拘らず、里緒菜は別当の一室で、ゼノンに膝枕をしていた。
「私は……一体、何のために王になったのだろうか」
「ハイエルラントをひとつにすべく、立ち上がったのでしょう。結果、王政に巣食っていた不穏分子たちは、すべて除かれたではありませんか」
「だが、臣たちはついてこなかった。貴族評議会に属していた武家貴族たちは忠誠を誓ってくれたが、地方の諸侯たちは……」
茶色い髪を撫でてやるが、ゼノンはなおも不満そうだった。
西部諸侯連合からハイエルラントに帰参した者がごくわずかだったことを、未だに引きずっているらしい。
(ま、お姫様の独立がまかり通った時点で、こうなるとは思ってたけどね)
遺言がどうあれ、血筋の正統性はアリシャにある。それが新たな新たな政を興すとぶち上げたのだ。
元々、新興の地方諸侯たちは先王に恩を感じている者たちが多い。目新しさも手伝い、流れる者が多いのは目に見えていた。
(あのお姫様、ホントやってくれたわよねぇ。ネロス攻めに来てた時、無理やりにでも始末しておけばよかった……)
素直に反抗してくれれば、旧王派としてやってきた戦に大義名分がなくなる以上、領主たちの靡きっぷりもまた変わっただろう。教団も離れざるを得なくなるとなれば、逆転の目は十分にあった。
一時であっても臣下として降ったなら、それこそ遣りようなど、いくらでもある。
だがアリシャは、その間を見事にすり抜けてきた。
(引き合いに出してたのは【大いなる御手】だけど、それだけじゃないよね。……これも、貴方のせい?)
連合軍の陣地や会談の場で、睨みつけてきた顔を思い出す。
そんな心を見透かしたかのように、ゼノンが不機嫌な顔になった。
「通商条約の調印には、あの男も来ているのだろうか」
「どうでしょう。どこぞの村の領主になったと聞きましたから、アリシャ代表の護衛は外れたのではないですか?」
ご機嫌取りだ。零仁がアリシャの護衛として、特例で来ていることはとうに知っている。
参加者の名簿は事前に目を通していたし、それでなくとも零仁が近づけば魔力の質感が肌で分かる。
しかしゼノンは、心底意外と言わんばかりの表情を向けてきた。
「そなたにしては珍しいな……。アウザーグのことを聞きつけておらぬとは」
「ああ、そんな名の村でしたね。それが何か?」
「噂を聞いて間者に見に行かせたが……大層な発展ぶりだそうだ。ズウェドと聖地を、山間に作った移動設備で結び、そこから流れてくる物資を街で捌いているらしい」
「……すでに北部交易の拠点になりつつあると?」
「ああ。教団はともかく、山の民は依然として西部連合寄りだからな」
ハイエルラントとの通商に先駆けて、西部諸侯連合とトゥルメイン教団の間で個別の通商条約を交わしていた。これだけなら、巡礼道が使えた頃と大差はない。
問題は、ここに今まで交易に参加してこなかったズウェド山脈の資源が流れ込んでくることだ。ズウェドの品々がすべてアウザーグを経由するとなれば、その恩恵は計り知れない。
「調印される通商条約では、復興促進のために商人の往来は保証されるし、相互の関税も無いに等しい。もし【遺灰喰らい】が、これを見越してアウザーグの領主になったんだとしたら、私は為政者としても……」
(ああっ、もう面倒くさい男っ! 火音か地咲あたりから、私と零仁くんのこと聞いたのね……!)
ゼノンは元が内気なせいか、障害にぶつかると己の心にため込むという、およそ王の器らしからぬ癖を持っていた。
都度ケツを叩かないと政務の時ですら機嫌が直らないので、なおさら性質が悪い。
「陛下、考えすぎです。仮にそうであったとしても、力で取り返せばよいではありませんか」
「何を言うか。これだけの諸侯が靡いた今、こちらから戦争など……」
「兵の数なら、補えばよいだけです」
里緒菜が軽く手をかざすと、部屋の隅にあった想石の人形が歩いてくる。
研磨した想石を用いているおかげで、ぱっと見はマネキン人形に近い。
「これは……?」
「精霊兵と申しまして、バーダントヘヴンの研究施設に配備されていた自動人形です。術式を刻印した想石に、自我を持たない低級精霊を憑依させることで作ります」
起き上がったゼノンに解説しながら、精霊兵に適当な指令を与えてみる。
前へ倣え、休め、といった動きの他、右手を銃のように構えるポーズも取らせてみせた。
「術式で命令すれば、攻撃も行えます。しかも想石さえあれば、いくらでも生成可能です。ズウェドにあるとされる豊富な想石資源が、こちらにも流れてくるのであれば……」
「まさかそのために、バーダントヘヴンの施設を修繕しているのか?」
言葉を食ったゼノンの問いを、微笑みで肯定する。
魔力が戻った元・ヌル砂漠の中央にある研究施設は、王属裁定機関の直轄地としてあった。
貴族評議会がため込んでいた資金を惜しげもなく使ったおかげで、修繕は順調に進んでいる。ゆくゆくは兵器工廠として運用することになるだろう。
(ま、それだけのためじゃないんだけれど。ウソでもないから、ね)
「【遺灰喰らい】の武威の前にしては、兵が畑から採れても足りません。しかし物言わぬ兵を無数に作り出し、我ら王属裁定機関の武威があれば……どうなりましょう?」
「時も、物資の巡りも、我らの味方……!」
「御意……。陛下は想定外があったにも拘らず、最善の手を打たれました。胸を張って、式に臨んでくださいませ」
ようやく、ゼノンの顔から憂いが消えた。
里緒菜の唇に口づけると、部屋から出ていく。
その気配が遠ざかったのを感じ取ると、里緒菜は大きくため息を吐いた。
(ったく、ただでさえヘタレなのに更にヘタレてんじゃないわよ……。まあまだ大事なお神輿だし、捨てるわけにはいかないけど)
立ち上がって身繕いをしていると、会談での零仁の視線がふたたび脳裏によみがえる。
復讐や憎悪に燃える目ではなく、何かを見据えている真っ直ぐな目。
だが道を阻む者は討つと言わんばかりの、信念に満ちた目だった。
(グスティアの時とも、また違う……)
何とはなしに、荷の中から一枚の写真を取り出す。
高校二年になったばかりの時に撮った、クラス写真。里緒菜が持っている零仁の写真はこれだけだ。
写真の中の零仁は、顔は正面を向きながらも、視線はあさっての方向に逸らしていた。
里緒菜のほうを見ているわけではない。タイミングが悪かったのか、何か気に喰わぬことがあったのか。
(ねえ。零仁は、どこ行っちゃったの?)
里緒菜と目が合った時に、慌てて逸らした零仁。
夕焼けの下、一戦交えてなお、頬を紅潮させていた零仁。
そんな零仁はもう、どこにもいない。
(ずっと前から分かってたのかもしれない。私が好きだった零仁は、もういないんだって)
別棟は冷えるからか、部屋の片隅には想石を火種にした暖炉があった。
写真の中の零仁を指でなぞりながら、里緒菜はゆっくりと暖炉に歩み寄る。
(だったら……今のあなたを、全部空っぽにしてあげる。前のあなたに戻ってとか、もう言わないよ)
不意に涙がこぼれたと同時に、里緒菜は写真を暖炉の中にひらりと落とした。
すでに傷んでいた写真は、火に触れた端から見る見るうちに焼けていく。
(すべてを喪ったあなたを、私の思い出でいっぱいにしてあげるの。だから……待っててね、《《レイジ》》くん)
写真は程なく形を失い、赤い想石の中にわずかな灰を残すのみとなる。
涙が止まったことを感じた時、外に気配がした。魔力の形からして波留たちだ。
「里緒菜。ゼノンさんから、式典は出なくていいから懇親会は出てほしい、だって」
「ん、分かった。今行く」
部屋の外に出ると案の定、火音と地咲もいた。
皆、式典ゆえ、王属裁定機関の正装である陣羽織を着ている。
「かったるいねえ、宴会とかさぁ~」
「零仁はいるんだっけ? それなら出るのも悪くないねえ」
「別にいいでしょ、わざわざ顔を見に行きたくないんだけど」
口々に言う三人に苦笑していると、零仁が動くのが感覚で分かった。
新治とともに、主棟の中を歩いている。式典が終わったらしい。
「ねえ。零仁の前で顔を揃えたこと、和平交渉の時くらいだよね」
里緒菜はいたずらっぽく笑うと、三人のほうを振り返った。
「ちょっとさ……ご挨拶、しておかない?」




