故郷へ
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晩秋の霧が、鬱蒼とした早朝の森に立ち込める。
そんな景色を眺めながら、零仁たちは北街道を東へと進んでいた。
アリシャから叙勲の話を切り出されてから、一ヶ月あまり。事務上の手続きを経て、ようやく新領地に移動する許可が下りたのだ。
「すっげえ霧だな。王竜騎士団の撤退に気づかないのも納得だわ」
ウンブラの鞍上から見渡しても、五十メートル先くらいがせいぜいだ。
背後に続く百名余りの民たちの顔も、最後尾のほうはまったく見えなかった。もっとも護衛としてガウルとアディンをつけているので、危険が及ぶ心配はない。
「この辺り、森と丘のおかげで朝日が届きづらいんですよ。日が昇りきれば、すぐに晴れるはずです」
隣の馬上から解説するカティの声は、いつになく楽しげだ。
ナハトを駆る輝良も、目指す曲がり道を見つけると、嬉しそうに指さした。
「見えたよ、あそこ! あとちょっとっ!」
「はい、急ぎましょうっ!」
「急がなくていいぞ~。今回の相手は逃げないからな~」
軽口を叩く零仁も胸が高鳴っている。
曲がり道に入れば、そこは林道だ。霧が一層濃くなるが、進むごとに朝日が徐々に昇っているのが分かる。
程なくして、道は丸太を組んでできた壁に行き当たる。壁の手前は、小さな壕を兼ねた用水路だ。
「なんかもう懐かしいな。この西壁の陰、色々釣れるからお気に入りだったんだ」
「人が、来ませんからね……っ」
応じるカティの声は、早くも涙声になっている。
濠沿いの道を東へと進むと、やがて右手に木製の門が見えた。
さすがに焼け焦げたままだと用を為さなかったのか、駐屯していた連中が修復したらしい。
門の前で言ったと同時に、朝日が射しこんだ。霧が徐々に晴れていき、村の全景がくっきりと見えていく。
西寄りに立つ領主館は、そのまま残されていた。中央の広場、皆で守り抜いた外壁の足場――すべてが懐かしい。
「ようこそ、アウザーグ村へ。……こう言ったの、カティだったな」
「あ……あ、あ……っ!」
カティは声を詰まらせながらも馬を降り、村に走っていく。
その様を見たかつての領民たちも、我先にと村へ駆け込んだ。
「よっしゃ~! オレの家、無事だあっ!」
「中は酷いけどな……。くそう、好き放題やりやがって」
「構うこたあねえさ! こっからまたやり直せばいい!」
領民たちの歓喜の声がこだまする中、零仁は輝良とともに村の中央の道を歩いた。
カティは領主館に行ったのか、姿は見えない。ガウルが後を追っていったので心配はないはずだ。
「帰って……きたね」
「ああ、やっと帰ってこれた」
ここから出て、戻ってくるまでの出来事が甦る。
だがそれを語って聞かせたい相手は、もういない。
後悔をため息とともに追いやると、零仁は拡声魔法を使った。
『あ~、あ~、感慨に浸ってるところすまねえ。全員が入ったなら門を閉めてほしいのと、終わったら中央広場に集まってくれ』
一声かけた後の、領民たちの行動は早かった。男たちは揃って門へと走り、女たちは老人と子供をまとめて点呼を取る。
領民たちが中央広場に集うまで、ものの一〇分とかからなかった。
カティも、すでにガウルを伴って中央広場にやってきている。
零仁は輝良とカティを壇上にあげると、領民たちを見回した。
「まずは……みんな、おかえり。念のためもう一回聞くけど、あの時からひとりも欠けてないんだよな?」
――ウオオオオオオオオッ!!
鬨の声も斯くやとばかりの歓声が、朝の空にこだまする。
問いへの肯定と受け取って微笑むと、零仁はさらに言葉を続ける。
「じゃあ、これからのことだ。皆も知ってのとおり、アウザーグは西部諸侯連合の統治圏になった。で、今日から……俺がここの領主になる」
――ウオオオオオオオオオオオオッ!!
――アオオオオオオンッ!!
――ギシャアアアアアアッ!!
――ヒヒイイイイイイイン!!
――ギョアアアアアッ!!
先ほどに倍する歓声に、魔物らの雄叫びが重なる。
能力のおかげか、アディン以外も人語は話せずとも解してはいるらしい。
「家名もそのうち付くらしいけど……まあ、今はまだ変わらず、レイジ・フツガワだ。輝良は本来グスティア付きなんだが、しばらくは文官の受け入れやら何やらを手伝ってもらう」
領民たちが顔を見合わせた。文官やら何やらのくだりが気になったのだろう。
零仁たちが初めて訪れた頃は、亡きカークスひとりですべての業務をこなしていたので、無理もない。
「で、大事なのはここからなんだが、俺がずっと領主でいるわけじゃない。後継が育ったら、領主の座を譲ろうと思ってる。その後継は……カティだ」
「え……?」
カティが呆けた声とともに、零仁を見つめた。
領民たちもざわりとどよめき、カティに視線を向ける。
「俺と輝良がこの世界で生き残ってこれたのは、前の領主であるカークスさんのおかげだ。取り戻した以上は、元の領主の血筋に返すのが道理だろう。アリシャ代表も受け入れてくれた」
――ウオオオオオオオオッ!!
ぽかんとした顔のカティをよそに、領民たちが盛り上がる。
アリシャに出した条件はこれだった。
カティはカークスからひと通りの教育を受けているし、アリシャの秘書が務まるくらいなので、実務に支障がないのは分かっている。
何より零仁が領主を続ける必要がない。女性領主の先例を作れることも相まって、アリシャもふたつ返事で承諾してくれた。
「アリシャ代表はこの地を、ズウェドや教団との交易の要として大きくしていってほしい、と希望されている。そのためには皆の力が必要だ……。俺たちに、力を貸してくれっ!」
――ウオオオオオオオオッ!!
――【遺灰喰らい】!! 【遺灰喰らい】!! 【遺灰喰らい】!!
領民たちの歓声が響く中、カティだけが零仁を不安げに見つめていた。
* * * *
深夜――。
零仁は、領主館の一室にあるベッドに倒れ込んでいた。領主の部屋を使うのは何となく気が引けたので、以前に使っていた客間の一室だ。
(なんか喜びごとがある度に、腹はち切れるまで食わされてる気がする……)
領民たちとの宴は、最初のうちこそ思い出話などで盛り上がった。
しかし女房たちが出してくる料理は引きも切らず、ついつい食べ過ぎて今に至る。
なお輝良などは明日から早速仕事にかかると言って、早々に引き上げていた。こういう立ち回りは学んだ方がよいのかもしれない。
ようやく微睡んできた、と思った時。
部屋の外に気配がした。直後、扉が静かにノックされる。
「レイジさん、まだ起きてますか……?」
聞き慣れた声に扉を開けてみれば、ネグリジェの上にローブを羽織ったカティが立っている。
湯浴みをしたのか父親譲りの銀髪は艶やかで、肌が上気していた。
「カティ? どうした、こんな時間に」
「遅くにごめんなさい。その……領主の後継のこと、聞きたくて」
「立ち話もなんだから、入りな」
カティを部屋に招き入れると、手近な椅子に座らせる。
もじもじと落ち着かない様子だったが、やがておずおずと顔を上げた。
「私、領主のこととかアリシャ様からも全然聞いてなくて。その……なんでですか?」
「さっき言ったとおりだって。ここは元々、カークスさんの領地だ。それが俺たちを匿ってたおかげで手放すことになっちまった。娘の手に戻るなら、カークスさんも本望だろ」
「悪いのはバルサザールですよ、レイジさんたちのせいじゃ……! それに私、領主なんて務まる自信ありません……」
「まあ俺の都合もなくはないけど、人選を間違えたつもりはないぞ? アリシャだって無理だと思ったら承諾しないだろうし。それに……」
零仁は言葉を切って、窓の外を見た。
夜半を回った頃だというのに、集会場の窓からは煌々とした明かりが漏れている。領民たちが未だ宴の延長戦をやっているのだろう。
「カティに領主を継がせるって言ったら、みんなすごく喜んでただろ。それだけカークスさんが慕われてたんだよ。それでカティの子がまた跡目を継いで行けば、みんなも安心するからさ」
カティは少しの間、黙っていた。が、やおら決然とした表情で立ち上がる。
「……分かりました。なら、私もひとつ条件を付けさせてください」
「ん、なんだ。言ってみな?」
「私に、レイジさんの子を産ませてください」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
耳に入った言葉を繰り返してから、ようやく口を開く。
「ええ~っと、カティ? 言ってる意味、分かってるか?」
「そんなの……分かってますっ!」
語気を強めながら、零仁の胸に顔をうずめてくる。
「初めて会った時、助けてもらってから……ずっとお慕いしてましたっ! でも、でもテラさんいるからって思ってたら、今度はアリシャ様まで……! 私は、我慢してたのに……ずるいです……っ」
「そうか……わ、悪かった。だが落ち着け、いくらなんでも早すぎる……」
「年が明ければ十六です。本来なら他家に嫁ぎ、子を為していてもおかしくない歳です」
ふたたび顔を上げた時、カティの目には涙が溜まっていた。
「貴族の家の女は、子を為し、血を絶やさぬために在ります。もし領主として父の跡目を継ぐならば……この地と、私を救ってくれた貴方の血筋と一緒に、父の血筋を遺したい……!」
「あ、う……ぅ」
「お願いです、レイジさん。テラさんたちに比べたら、物足りない体かもしれませんけど……。ここまでして拒まれたら、自信失くしちゃいます……。領主なんて、とても……」
カティは凹凸が控えめな身体を押しつけながら、上目遣いに見つめてくる。
零仁は深く深くため息を吐いた後、意を決してカティの唇を、自らの唇で優しく塞いだ。
翌朝。目を覚ました後も、はっきりと記憶に残っていた。
本人の言うとおり幼さが残る身体つきだったが、意外と盛り上がったことも含めて。




