相容れぬ理想
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颯手が現れてから二週間後――。
零仁たちは、グリゼンダ要塞の城門前にいた。
ダグラス率いる軍勢の撤退と、リカルドらがネロス城を制圧したことを確認するまでは、迂闊に動けなかった。
諸々を確認してから日程を詰め、ようやくこの日を迎えたのである。
「ここがグリゼンダ要塞か……」
零仁は愛馬ウンブラの鞍上から、小高い丘の上に聳え立つ鈍色の城塞を見つめた。
――グリゼンダ要塞。
王都カイゼルヘイムの西に位置する大要塞で、中央街道を東進した際、王都への道を阻む位置にある。
見目を飾る装飾が一切ない無骨な造りが、無言のプレッシャーをかけてくるようにも思えてくるから不思議だ。
「さすが王都の真ん前だけあるね。戦い続けてたら、あそこを攻めることになってたのかな……?」
ナハトに乗った輝良も、しげしげと見つめている。
この要塞、北のカールヴィッツ、南のラステリオと同経度の位置に作られているらしい。グリゼンダを含めた三拠点が、王都の最終防衛ラインなのだろう。
「……皆さん、準備はよろしいですね。参りましょう」
いつもの白い戦装束姿のアリシャが、ルシダスの鞍上から同行者たちを見回す。
講和のための交渉であっても、ここまで戦い抜いてきた、という意思表示のつもりらしい。
会談にあたり、アリシャは供回りを必要最低限にすると決めていた。
教団の全権大使であるリフェルと、その護衛を兼ねたマティアス。山の民側の代表として賽原。
アリシャを含めたこの四人は、会談中でも意思の疎通ができるよう、【繋ぎ話すもの】で繋がっている。
零仁は念のための護衛扱いだが、実際は武威を示す存在としての意味合いが大きい。
相談役に抜擢された輝良などは、「グスティアからエレインが参加したほうがよい」と固辞していた。しかし当のエレインから、通信想石を介して「いい経験よ、いってらっしゃいナ」と事も無げに言われ、しぶしぶ了承している。
「いつでもいいっすよ。いっそ殴り込みでも構わねえけど」
「その言葉が、現実のものにならないことを願っています。では……参りましょう」
アリシャが馬首を巡らせると、巨大な正門の鉄扉が、厳かな音を立てて開き始めた。
* * * *
会談の場は、主棟にあるホールに設えられていた。
三重の外壁から中庭に至るまでは迷路のようになっており、主棟の中でもそれは変わらない。ただし主棟へ続く大階段を彩る、白と黒の薔薇園は格別な美しさだった。
(さてさて、相手はどんな面子で出てくるかな……?)
長テーブルの中央に座るアリシャの背後に立ち、待つことしばし――。
やがて開いた扉から、王冠を戴き緋色のマントを纏った青年が現れた。
「遠路はるばる、よくお越し下された。ゼノン・ウル・ハイエルラントです」
アリシャと挨拶をかわし握手するゼノンは、年の頃なら二十を過ぎたあたりだろうか。くすんだ茶髪に色白の肌が、顔立ちからくる繊細そうな雰囲気をより強調している。
マント越しでも、華奢な身体つきなのがひと目で分かった。王冠も国王専用なのであろう礼服も、どうにも本人が着られているように見える。
(ううむ。ぶっちゃけ、うちの大将のほうが王者の風格あるねえ)
それとなく観察していると、見覚えのある赤髪の偉丈夫――ダグラスが入ってきた。
零仁とアリシャを交互に見ながら、微笑みを浮かべる。
「アリシャ王女殿下……遠路の御足労、誠に感謝いたします。【遺灰喰らい】殿も、やはり来ていたか。トリーシャ大橋での戦い以来だな」
「どうも。戦場での再会になるとばかり思ってましたよ」
「それは私も同じだよ。今日のところは、どうかお手柔らかに願いたい」
穏やかに言うダグラスの顔には、わずかに疲れが見えた。
停戦した以上、ダグラスが前線にいる理由はない。
加えて貴族評議会の主たる者が討たれ、バルサザールも倒れた今、王国五将家の一柱でもあるローゼンクロイツ家は貴族の筆頭格のはずだ。
(兵を退いた後、取るものも取りあえず王都にすっ飛んできたって感じか。前線にいたなら停戦も寝耳に水だっただろうし、敵ながら同情するぜ)
ダグラスを内心で労わっていると、見知った女子たちが入ってきてゼノンの背後に並んだ。
颯手を先頭に、楢橋、塔村、庄山の順だ。皆、それぞれの属性を象徴する色の魔法の戦衣の上から、黒いファーがあしらわれた陣羽織を纏っている。
(ドンパチするなら王属裁定機関が出るぞ、ってことかい。用意のいいことじゃねえか)
以前は級友を見れば、復讐心が黒い炎のように滾ったものだった。だが今は、不思議とそれがない。
ゼノンは臨席した者たちを見回した後、口を開いた。
「改めて……遠路はるばるの出席、誠に感謝する。長引かせるつもりはないので、こちらの条件から先に申し上げたい」
「結構です。どうぞ」
アリシャに先を促され、ゼノンは言葉を続ける。
「まず西部諸侯の税制について、先王陛下がご存命だった頃の水準に戻す。また此度の戦いに参加した将兵たちに報いることを考慮し、そちらの属する諸侯は向こう一年、免税とする。期間については、状況次第で延長しても良いと考えている」
「……随分と、剛毅なご提案ですね」
「一番の犠牲者は、この戦いに巻き込まれたあまねく将兵と、市井の者たちだ。彼らの日常を取り戻すことこそ、最優先としたい」
次にゼノンは、アリシャの右隣に座るリフェルとマティアスに視線を向けた。
「免税については、トゥルメイン教団も同様とする考えだ。すでに巡礼道の封鎖は解除しているが、ここに加えて王国が認可した商人たちに限り、巡礼道の通行料を向こうしばらく王国側で負担することとしたい」
「構いませんが……よろしいのですか? 王国側の支出が膨大なものになると考えますが」
「貴族評議会の者どものおかげで、国庫が潤ったのでね。市井への還元と、交易を活性化しての早期復興を狙いとしている」
(へぇ~。迷惑をかけたのは新王派ですから、ってスタンスか。思ってたより遣り手かもしれねえな、この人)
あまりの条件に、リフェルも戸惑い気味に見える。
ゼノンは言葉を切ると、ふたたび口を開いた。
「では次に、こちらからの要求を述べたい。まず西部諸侯連合と、トゥルメイン教団の間で結んだ軍事同盟の破棄を願いたい」
「トゥルメイン教団、異論ございません」
「結構です。手続きは別途、行いましょう」
リフェルとアリシャが、澱みなく応じる。
ここは予想の範疇だった。巡礼道が解放された以上、いらぬ火種になりかねない同盟をそのままにしておく理由はない。
教団にしてみれば、新王派も立派なお得意様なのだ。
ゼノンは頷くと、アリシャの左隣にいる賽原に目を転じた。
「次にズウェドの地についてだが、正式に王国領としたい。戦後復興を鑑みて、向こう一年の税制については西部諸侯連合の扱いと同様とする」
「我らはアリシャ王女殿下に恩を受けたゆえ、この場に列しております。故に、王女殿下が講和に合意することを条件とさせていただきたい。それを以て、本要求を承諾いたします」
(これでズウェドも王国領か……? 賽原さん個人としては、心中複雑だろうねえ)
「承知した。では最後に、アリシャ王女殿下の処遇についてだが……」
ゼノンは言葉を切って、一度ため息を吐く。
その後、アリシャをひたと見た。
「アリシャ王女殿下におかれては、臣下として私に忠誠を誓ってほしい。ともに、王国の未来を創ろうではないか」
リフェルとマティアス、賽原の視線がアリシャに向けられる。
その時、対面に立つ颯手が薄く笑った気がした。
(クソッタレ、なるほどね。随分と手回しがいいと思えば……裏で糸を引いてるのはお前だな、颯手)
正統な血筋を持ったアリシャに忠誠を誓わせれば、ゼノンの王権はゆるぎないものになる。臣下として手元に置いておけば、反乱の旗印にされることもない。
貴族評議会を討ち、速やかにゼノンを即位させたのも、すべてはこのため。
颯手自身は国王直属の立場を利用して、権勢を振るうつもりなのだろう。
(さてさて、考えていた限りの最悪の条件が来たが……。どうする、アリシャ? あの切り札、切っちまうか?)
アリシャはしばし無言だったが、やがてゼノンを見て口を開いた。
「質問があります。ゼノン陛下はこの国の形を、どのようにしていくおつもりですか?」
「この国の、形……? すまない、質問の意図が分かりかねる……」
「この国をどのように変えていくおつもりか、と問うております。その未来像が重なるならば、わたくしは喜んで忠誠を誓いましょう」
「私は……貴族たちが専横する状況を変えていきたいと考えている」
ゼノンは面食らった表情をしながらも、口を開いた。
ダグラスも助け舟を出すことはしない。ただアリシャを値踏みするかのように、鋭い視線を向けている。
「ひとりは皆のために、皆はひとりのために……。在るべき王の姿を、政を、我が身を以て示す。それこそが、この国の新たな礎となろう」
アリシャは無言のままだった。
ゼノンは言葉が足らぬと思ったのか、さらに言葉を続ける。
「我が王政を全うした暁には、先王の血筋……すなわち貴女に御子ができれば、次の王に据えても良い。どうか私とともに、この国の未来を創ってはくれぬか」
最後のほうは、ゼノンのほうが懇願しているかのような口調だった。
アリシャはため息を吐くと、ゼノンをひたと見据える。
「……忠誠を誓うことは、お断りします」
ゼノンとダグラスが、目を剥いた。颯手の頬が、ぴくりと震える。
「なっ、何故だ……っ⁉ 貴女が王にならなければ、意味がないと……そう申すのかっ⁉」
「そうではありません。ゼノン陛下の想い描く未来と、わたくしの想い描く未来に、乖離があるからです」
狼狽えるゼノンを前に、アリシャは淡々と言葉を続ける。
「わたくしは先王である父と、転移者の母の間に生まれ、辺境で育ってきました。民草を襲う理不尽も、貴族たちの専横も、嫌というほど見てきたつもりです」
「ならばこそっ! そうしたものを除いた国を、共に作ろうではないかっ!」
「いいえ、陛下。あなたは先ほど、あるべき王の姿と政を示すと仰いました。ですがわたくしは……民のひとりひとりが、政に携わるべきであると考えています」
「民を、政に……?」
ゼノンが呆然と言うと、黙していたダグラスが口を開いた。
「我々の世界において、民主主義と呼ばれる考えです。それらを、この世界に根付かせるおつもりですかな?」
「はい。わたくしは亡きグランス公爵閣下から、転移者の皆様の世界ではそうした政が主であると聞きました。父ヴィルヘルムも感銘を受け、自身の治世に於いて王政からの転換を図ろうとしたとも聞いております」
(そうか。だから貴族評議会の連中に……?)
グランスを【遺灰喰らい】で喰った時に見た記憶が蘇る。
『――王家なんて、なくなっちまえばいいのにな』
『――この力のおかげで、たくさんの犠牲が出た。フィプノスも死なずに済んだんだ』
血も鉄も、王権のために賭される。
ヴィルヘルムはそんな王権をこそ、元凶と断じたのだろう。故に、アリシャの存在を秘匿した。いつの日か、己が夢見た世界で生きてくれることを願って。
ダグラスは大きく頷き、アリシャを見つめる。
「たしかに王政の限界はあるでしょう。しかし未だ世は乱れ、民は疲れ果てております。何より王権を持たぬ貴女が、それをどのように実現するおつもりですかな?」
「王権を持たずとも、わたくしの理想の元に参じて下さる方々はおります。その方々とともに、徐々に形を創っていけば良いだけのこと」
「なんですと……? まさか……っ!」
会場の空気が張り詰めるのが、肌で分かった。
アリシャは表情を険しくするダグラスと、未だ狼狽えるゼノンを交互に見た後、口を開く。
「はい。今、この時を以て……わたくしは現勢力圏における諸侯の皆様とともに、ハイエルラント王国からの独立を宣言いたします」
静寂が落ちた。
長いようで短い沈黙が、場を支配する。
「独立、だと……?」
「国名や双方間の取り決めは別途、場を設けさせていただきたく。もちろん戦は望みません。交易と友好を以て、互いの国に更なる発展をもたらしたく思っています」
ゼノンはもはや言葉がないらしい。
わずかに生まれた沈黙に差し込むように、賽原が口を開いた。
「ズウェドの山の民は、アリシャ王女殿下……いや、女王陛下のお考えを支持します。これはすべての部族長と審議を重ねた総意であります」
「なん、だと……?」
「トゥルメイン教団は、アリシャ女王陛下のお考えを支持します。今後は巡礼道での交易を通じて、二つの国とズウェド山脈の発展に寄与できればと思います」
(やれやれ、こうなったか。ま、切り札を用意しておいて良かったな)
零仁は、颯手に目を転じた。
表情こそ変えていないが、汚いものを見るような目つきでアリシャを睨みつけている。
零仁に気づいた颯手と、視線が交わる。
その力を振るわせぬよう、零仁は会談が終わるまで颯手と見つめ合っていた。




