風は来たれり【里緒菜/零仁】
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貴族評議会の粛清から、一夜が明けた朝――。
里緒菜は王宮のテラスから、一の廓を見つめていた。
(この際だから徹底的にやらせたけど……。なんていうか、もうちょっとこう、お淑やかにやれなかったかなあ)
遠目に見ても分かる黒焦げた邸宅が、整然とした街並みを台無しにしている。人や木が焼けた嫌な臭いが風に乗ってきたのか、王宮にまで異臭が漂っている始末だ。
昨日感じた悲しみは、今は消えていた。
しかし何の前触れもなく湧き上がってきた理由は、今もって分からない。
(考えても仕方ない、か……。もう始めちゃったんだしね)
ため息を吐いて部屋に戻ると、夜通しの掃討を終えた地咲と火音が、ソファで心地よさげにくつろいでいる。
「郊外に捨てたあいつらの死体、もう魔物に喰われたらしいよ。ウッケるぅ~」
「処理する手間が省けていいことじゃないか。餌付けされた魔物どもの掃除が、かったるそうだけど」
貴族評議会に所属していた貴族のうち、ゼノンの即位に賛成した者以外は皆、一族郎党もろとも討たれた。末路は二人の言葉通りだ。
武家貴族もわずかにいたが、大半が『フォン』の名を冠した門閥貴族たちである。
彼らの邸宅からは、金や宝石、希少な武具などが運び出された。
聞いた話では、どんぶり勘定でも国庫にある額を上回るというのだから笑い草だ。
「そんなことより、次は旧王派よ。軍を取りまとめて迎え撃たなきゃ。主戦場はカールヴィッツになるのかしら……ね、里緒菜?」
苛立たしげな声で言ったのは波留だった。
昨夜の粛清が終わったあたりから、どことなく機嫌が悪い。
その怒りに油を注がぬよう、里緒菜は努めて明るい顔で口を開いた。
「あ~、考える必要ないよ。私の筋書き通りにいけばね」
「……本当に、やる気なの?」
波留が訝しげに言ったところで、部屋の扉がノックされた。
「私だ。入るぞ、リオナ」
入ってきたのは、少しやつれ気味の顔をしたゼノンだった。
戴冠式を済ませていないのを気にしているのか、未だ王太子の礼服を着ている。
「陛下……! わざわざお越しにならずとも、誰か呼びに寄こせばよいではありませんか。御身の威厳が損なわれます」
「ハハ……。昨日の今日で、癖が抜けるはずもなかろう?」
駆け寄った里緒菜に、ゼノンはくたびれた笑みを浮かべてみせた。
これはこれで、苦み走った大人の男の魅力がある。
「……旧王派の続報が入った。エウロ砦とノトゥン砦から出た先発隊が、トリーシャ河を渡河したそうだ」
「狙いはネロスでしょう。あの城を獲ればドミナ平原は元より、中央街道と南街道の双方に睨みを利かせられます」
勧められた椅子に腰かけたゼノンに、里緒菜は頷いて見せる。
ヴァイスハイトの陥落に合わせて、ダグラスはトリーシャ流域の封鎖を全面的に解除していた。封鎖にあたっていた王竜騎士団四〇〇〇騎も、すでにネロス城に駐留している。
万一、北部軍が島の中央を南北に走る島央街道を南下すれば、ネロスばかりかダグラスの本拠であるラステリオすら危ういからだろう。
「ダグラス自身は王竜騎士団とともに籠城し、麾下の花騎士団を城外に潜ませ遊軍として使うそうだ。敵方がネロスに掛かりきりになったところを見計らい、後背を突くつもりらしい」
「さすがは【神代の花園】、見事な御采配です」
「うむ。こちらは心配あるまいが……問題は北部だ。先手部隊はアズグレイスから動いていないが、敵方に降る者が後を絶たない」
「【遺灰喰らい】の武威の噂、背びれ尾ひれがついて駆け巡っていると聞きました。兵数も聖地防衛からあぶれた神盾騎士団が加われば、さらに膨れ上がりましょう」
「うむ。それで、そなたが話していた策の仕上げについてだが……」
「その御様子ですと、皆様にお話になったのですね」
歯切れ悪く切り出したゼノンに、苦笑交じりに応じてみせる。
わざわざ出向いてきたあたりで何となく察してはいたが、本題はやはりこちららしい。
「主だった者にだけ個別にな……。皆、不安がっている。ディアナ様ですら首を傾げておられた」
「無理もありません。わたしだって、そう思いますから」
すまし顔で口を尖らせる波留に苦笑し、ゼノンに向き直る。
「皆様には、わたくしからお話しします。それと仕上げに先駆けて、ご用意いただきたいものがいくつか」
「構わぬが、モノによっては私の一存だけでは何ともならぬぞ。もはや昨日までとは違うのだ」
「そのことも併せて、皆様にお伝えしましょう。次の動きこそ、この策の要諦にございますゆえ……」
◆ ◆ ◆ ◆
数日後――。
旧王派とトゥルメイン教団の連合軍は、依然として地神の恵帯の西端、アズグレイスに留まっていた。
ヴァイスハイト砦攻略での損耗の正式確認と、それを補う再編が目的である。
『輝良~、出撃まであとどのくらいかかりそうだ?』
『わっかんないよ~……。恭順してきた諸侯の部隊の受け入れだって、ひと苦労なんだし。教団側はどうなんだろ、神剣騎士団の予備役は着いたみたいだけど』
『こちら【意志の神盾】。神盾騎士団も充てるとか言ってたけど、よく分かんない。……あと身内だけだからって、さすがに緩み過ぎじゃない? ここ一応、最前線だよ?』
零仁の脳裏に、輝良に続いて室沢の声が響く。
ここ数日で、前線のより円滑な連携を名目にして、【繋ぎ話すもの】の角田がアズグレイスまで出てきていた。
そんなわけで今の【繋ぎ話すもの】は、アリシャやマティアスを外し、身内同士の駄弁りグループと化している。
もっとも輝良は再編のため、軍師として常にアリシャの傍についている。
室沢も教団幹部から全権を委任されているマティアスやリフェルとともに飛び回っているので、平時なら言うほどの不便はない。
『室沢は相変わらずお堅いね~。そんなんだから男子に、カワイイけど近寄り難い、とか言われんだよ』
『な、なっ……! ちゃんと分け隔てなく接してたじゃないっ! そもそも、それ言ってるのって大体、運動部とかその辺のチャラついてる人たち……』
『こちら【一心の射手】~。室沢、動揺しすぎ~。てか実際、うちの彼氏もそう言ってたよん』
『ひ、酷い……誰も味方がいない……』
姫反も加わっての雑談に興じていると、さらに別の接続が割り込んでくる。
『ふふっ、こちら【繋ぎ話すもの】。小櫃っちゃんは前に、頼り甲斐あるって言ってたよ~?』
『そ、それ喜んでいいの……?』
『こちら【星眼の巫女】……ふわふわした感じとは、また逆かな~』
(よしよし。角田も、だいぶ元気になってきたな)
敵襲があるかもしれない中で、敢えてアリシャとマティアスを外したのは、もちろん訳があった。
すなわち恋人である小櫃を喪った、角田のメンタルケアだ。
小櫃の死は、どうしたって明るみに出る。
加えて【繋ぎ話すもの】は、術者の魔力や精神状態が通話品質に比例する。
今や輝良の【星眼の巫女】と並んで、連合軍の重要インフラと言って差し支えない【繋ぎ話すもの】を使う角田の戦線離脱は、何者を以てしても代えがたい。
本当は深蔵も繋げればよかったのだが、女子トーク優先ということで今回は遠慮してもらった。
(俺はいいのかという気もするが……。まあ、そこは一応、彼女二人持ちということで……)
などと、自身に言い聞かせていると――。
不意に、風が吹いた。
同時に押し寄せる、彼方から見られている感覚。
(この感じ……来やがったっ!!)
反射的に掌から、空に向けて黒炎を放つ。
轟牙裂戟を手に立ち上がる様を見て、周囲の兵と話し込んでいた賽原たちが振り向いた。
「どうした、隊長殿……⁉」
「……客だ。最悪の、な」
短く告げると、輝良とアリシャがいる天幕に向けて【残影疾駆】で駆ける。
一瞬で目指す場所に着いた時、ちょうど伝令の兵がアリシャと輝良に何事か報告しているところだった。
「王属裁定機関……? 聞かぬ名ですね」
「いかがしましょう、王都からの使者とのことなのですが……」
「通してやれよ。ただし、ここまでな」
そこへ割り込み、輝良とアリシャのほうを向く。
「レイジ、どうして……」
「誰が来たかは分かってる。輝良、【業嵐の魔女】だな?」
問うと、輝良は沈痛な表情で首肯する。
「【星眼の巫女】にも全然、引っかからなかった……。いきなり陣の真ん前に出てきたよ」
その言葉に、零仁は小さく舌打ちした。
輝良の【星眼の巫女】の有効射程は調整可能で、細く長く絞れば数十キロ先まで届く。
今は平時なので対周辺広域の通常モードだったろうが、それでも半径数キロはカバーできるはずだ。
颯手はその範囲外から、一足飛びで現れたことになる。
(アリシャを殺ろうと思えばいつでも殺れた、って意思表示か……。久々に出てきたと思えば、カマしてくれるじゃねえか)
「俺が横につく。正式な使者ってんなら、通さねえわけにいかないだろ」
「そうね。……いいでしょう、御通しして下さい」
アリシャの言葉を受けて、伝令の兵が去っていく。
いつの間にか、周囲にはマティアスとリフェルに加え、室沢たちまでが集っていた。
全身に魔力を纏わせ、待つことしばし――。
兵たちに案内されて、ひとりの女性が現れた。
黒髪のミディアムロングに、切れ長の目。最後に会った時より、丁寧に化粧しているのが見て取れた。
耳や首元には、純金に宝石をあしらった装飾品。白基調の地に金の縁取りをした魔法の戦衣は前と同じだが、その上から羽毛のファーが着いた重厚感のあるローブを着ている。
その姿を間近に認めた時、零仁は胸にざわりとした何かを感じた。だがかつて視線が交わる度、胸が高鳴った時とは違う。
目の前にいる知己が、中身だけ知らない誰かに入れ替わったような、別の何かが足されているような。そんな感覚だった。
『あれ……颯手さん、だよね……?』
『レイジくん。状況によっては即、魔流封刻を使うから、飛び込んで。どこまで意味があるか分からないけど……!』
颯手がアリシャの手前、数メートルまで近づいた。優雅な手つきで、武家の礼式を取る。
「グスティアでの戦い以来ですね、アリシャ王女殿下。改めて……【業嵐の魔女】、リオナ・ヴァン・ブラウブラッドと申します」
「アリシャ・ウル・ハイエルラントです。先の【波濤の聖女】を救った戦ぶり、お見事でした」
「恐縮です。本日はゼノン国王陛下直属……王属裁定機関の総督として、陛下の御意志をお伝えに参りました」
その言葉に、周囲の者たちがどよめく。
『おいおい、なんだよ……ブラウブラッドって! なんで颯手が貴族になってる……⁉』
『レイジくん、びっくりするのは分かるけど……! 一番のツッコミどころ、そこじゃない……!』
「話の途中で申し訳ありませんが、確認させてください。今、ゼノン国王陛下の直属、と仰いましたか?」
輝良が皆まで言う前に、アリシャが口を開いた。
その言葉に、颯手は我が意を得たりとばかりに微笑みを浮かべる。
「はい、殿下。さる三日前、我が主はハイエルラントをひとつにまとめるべく、国を乱す貴族評議会の主だった者どもの誅殺をお命じになりました」
「貴族評議会を、あなた方が討ったと?」
「はい、殿下。王宮に蔓延っていた宿痾は除かれ、我が主は残った廷臣の皆様による支持の下、国王へご即位あそばされました」
周囲が、ざわりとどよめいた。
リフェルなどは、露骨に顔をしかめている。
『レイジくん……! これ、まずいかも……!』
『何がだよ。たしかに先王様の遺言のとおりだろうが、アリシャの血筋の正統性は証明されてんだぞ?』
『だって前にグランスさんが言ってたとおりなら、元は西部諸侯の税制改善を巡って挙兵したんでしょ? それを仕掛けてたのは貴族評議会とバルサザールなんだよ……⁉』
脳裏に響いた輝良の言葉に、思わず目を見開いた。
元々、挙兵の段取りをしたグランスも、旗頭となったアリシャも王権を望んではいなかった。
戦を仕掛けて不満を表明し、実権を握る貴族評議会を交渉のテーブルに引きずり出して、理不尽な税制を撤回させるのが目的だったのだ。
しかし今やバルサザールは討ち取られ、貴族評議会も颯手たちによって討たれた。
(戦いを続ける表向きの理由が、消えた……⁉)
他者に口を挟ませることなく、颯手の言葉は続く。
「ヴェルゼーブをはじめとする者どもと、西部諸侯の皆様の間に確執があったことは、陛下もご存じです。またその過程でトゥルメイン教団に著しい損害を与えたことにも、心を痛めておいでです」
「……して、ゼノン殿の御意志とは?」
心なしか口調が険しくなった、アリシャの問い。
颯手は微笑みを崩さず、口を開いた。
「はい、殿下。かの逆臣どもが潰えた今、我らを隔てる壁はなくなりました……」
颯手はそこで言葉を切って目を伏せ、一拍おいた。
その後、ふたたびアリシャを見据える。
「陛下は一時停戦の上、双方ならびにトゥルメイン教団が合意できる内容を以ての……講和を望んでおられます」
先ほどとは真逆の、静寂が場を支配した。
だがそれも一瞬だった。すぐに周りの騎士や兵士たちがどよめきはじめる。
「受けるか否かは条件次第。取り決めはどのように?」
「はい、殿下。グリゼンダ要塞に席を設ける予定です。教団の代表の方も、ご一緒においでくださいませ。軍をお連れになっても結構です」
「……今時点での陣容は、どのように?」
「はい、殿下。グリゼンダに駐留している王竜騎士団はもちろん、ネロスに拠っている【神代の花園】の部隊も、ラステリオまで撤退させます」
噓がなければ、すでにトリーシャ河を渡河したリカルドたちは、ネロス城を無傷で手に入れられることになる。
アリシャはしばし瞑目した後、颯手を見て口を開いた。
「……いいでしょう。停戦の申し出については受け入れましょう」
「ありがたく存じます。陛下もお喜びになりますわ」
周囲に、今日一番のどよめきが満ちた。
そんな中、脳裏の【繋ぎ話すもの】も接続が混線してくる。
『ちょっと、ちょっとっ! アリシャさん、受けちゃうのっ⁉』
『仕方ないんだよ、戦いの大義名分を失ったんだから……! しかもゼノンがちゃっかり即位してるし……!』
姫反の焦った声に、輝良が応じる。
零仁は諸々の情報を組み合わせた後、整理する意味でこめかみに手を当てた。
『たしかにここで無理に戦を続けたら、正真正銘の反逆者になっちまう。巡礼道を解放されれば教団だって同盟する意味がなくなるし、見限る諸侯も出てくるだろうな』
『颯手さん、しばらく見ないと思ったら……。ずっとこんな事を計画してたわけ……?』
周囲のどよめきをよそに、颯手は笑みを崩さず別れの礼式を取った。
「グリゼンダでお会いできること、楽しみにしておりますわ。それでは失礼いたします」
颯手が身を翻した時、一瞬だけ目が合った。
微笑んだかと思うと、強い風が吹く。次の瞬間、その姿は消えていた。
(颯手の魔力、以前より大きくなっていた……。あの剣のせいか?)
アリシャが各方面への伝達を命じる中、零仁は未だ風荒ぶ空を見上げた。
ローブの陰からわずかに覗いたサーベルの柄は、幾度となく斬り結んだ剣のものではなかった。羽飾りに似た鍔と一体になった生物のようなフォルムが、妙に記憶に焼き付いている。
(まるで颯手が二人いるような……。お前は何を見た? 何を、得たんだ……?)
轟々と唸る風の中、輝良が横に並ぶ。
二人とも無言のまま、風に抗うかのように空を睨んでいた。




