求めるもの【亮平/零仁】
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穏やかな夕陽が、ズウェドの山並みの上からヴァイスハイト砦を照らす。
そんな中、舘岡亮平は主棟の屋上で、骨付き肉を頬張っていた。
厨房から適当に引っ掴んできた豚のリブ肉だが、思っていた以上に美味い。
戦陣にある品ではないので、バルサザールが自身のために用意させたのだろう。
(この味なら、最後の晩餐としても悪くねえか)
腹を満たしながら、眼下に広がる砦の全景に目を転じる。
すでに内廓のいたるところに、旧王派の双頭の黒獅子旗がひしめいていた。
内廓の中央に翻るアスタリスク状の紋様の旗は、トゥルメイン教団のシンボルだ。
(不思議なもんだ。これを見ても、逃げようって気にはならねえ)
屋上を歩き回るだけで、グリフォンを駆り遠巻きに見ている教団の騎士たちが、慄くように旋回するのが少し面白い。
魔力の刃を飛ばして撃ち落してもよかったが、この後の大勝負を思えば余計な力は使いたくなかった。
(そのくらい悔しかったからか……。いや、面白かったからか?)
空いた左手で、自身の眉間にある十字傷をなぞる。
かつて祓川につけられた傷だった。片方はドミナ平原での強襲の時。もう片方は、直後にダリア砦に潜入した祓川を折った時に受けた傷だ。
楢橋あたりに頼めば、消すこともできたかもしれない。
しかしその気にはならなかった。この傷がくれたものは、痛みだけではない。
(別の世界に飛ばされるなんて、ちょっと前なら鼻で笑い飛ばしてただろうが……今は感謝してる。オレの前に立ち続ける祓川を、生み出してくれたんだからな)
超えたい――そう思える相手ができたのは、初めてだった。
それも、元はただの根暗の陰キャ。教室の隅で存在を消していたような奴だった。
能力が特異であったことはもちろんある。出会う「人」に恵まれたこともあるだろう。
それでも、ここまで大きな存在になったのは、間違いなく祓川の意志だ。
(やっと、やっとだ。ようやく燃えることができる)
体格と膂力に恵まれていたのは、昔から分かっていた。
野球でバットを振るえば、ボールは勝手に場外へと飛ぶ。真面目にやった時に、相手チームの連中が向けてくる視線が、妙に虚しかった。
気に入らなければ力任せに暴れるだけで、大体の者は頭を下げてくる。大人であっても例外はない。
おかげで野球の道を閉ざすことになったが、煮え切らない者たちとプレーしたところで面白くもなんともない。
(ここから先は、オレと祓川だけの世界だ。誰にも邪魔はさせねえ)
だが、祓川は違った。
打ちひしがれても、知己を喪っても、無様に逃げることになっても――。
刃を交えるたび、その一撃は重く、鋭くなっていた。
そんな相手に、すべてを叩きつけられる。
誰にも、なに振り構わず、全力で。
後先のことなど考えない。終わった時に、考えればいい。
(なあ。もしオレを倒したら……お前は一体、どこへ行く気だ?)
いつしか、祓川の目は変わっていた。
復讐と憎悪に燃える暗い目から、何かを見据える光が灯った。
一体、何を見つめているのか――。そこまで考えた時。
――ウオオオオオオオッ!!
――【遺灰喰らい】!! 【遺灰喰らい】!! 【遺灰喰らい】!!
内廓の一角が沸き上がった。
中央の広場から続く道の脇には、いつの間にかたくさんの蛮族や騎士たちが並んでいた。その中央を黒ずくめの男がひとり、主棟を指して歩いてくる。
「……来たか」
亮平は誰ともなしに独り言ち、手にしていた骨を放り投げた。
◆ ◆ ◆ ◆
大勢の兵たちに見送られた後、零仁は主棟の前まで来ていた。
兵の列はさすがにここまでは続いておらず、幾ばくかの敵兵の骸が転がるのみだ。
振り向けば、西日が外壁の位置まで沈んでいた。その鮮やかな朱色に、この世界に降り立った日のことを思い出す。
(そういや、この世界に来たのもこんな日だったな)
バルサザールに追放を告げられ、舘岡に荷物を投げつけられた日の記憶が蘇る。
庇ってくれた者は颯手のみ。それすら、颯手の暗い欲望から出たものだと後で知った。
門や壁の上から嘲笑っていた級友たちは、今やほとんど残っていない。
(不思議なもんだ、憎くて仕方なかった相手なのに)
扉を開け、階段を登りながら、妙に落ち着いていることに気づく。
憎しみが原点だという自覚はあった。胸の内にイメージしていた黒い炎も、やはり消えていない。
だがいつしか爆ぜるように燃えるのではなく、己の芯として在るようになった。
誰かの優しさや今わの際の覚悟が、雪のように積もり――別の景色になったような。そんな気がする。
(ああまでして、俺にこだわる理由は分からねえ。だからこそ、俺も自分の都合をぶつける)
未来へ進むために、燻った恨みを晴らす。
恐怖はない。それどころか、高揚感のようなものすらある。
そのために全力を出し切れば、結果として舘岡の意に沿うはずだ。
(舘岡ってたしか、ケンカ負け無しだったんだよな。五〇人を相手に返り討ちにしたなんて話もあったっけか。そんなのとタイマン張ることになるとは……分からねえもんだな)
どこまでが本当か分からない噂話を思い出し、苦笑する。
人ひとりがやっと通れるほどの階段を抜けた先の屋上は、たしかに広かった。テニスコート二面分くらいはありそうだ。
舘岡は、屋上の東側に立っていた。
纏った鉄色の全身鎧に損耗はなく、手には黒い斧槍――轟牙裂戟。
朱色に染まった石畳に立つ姿は、人によっては悪鬼羅刹のように映るかもしれない。
(なあ、お前は俺に……何を求めてる?)
教室でも、先々で何をどうしたいと言っているのを聞いたことがなかった。この世界に来てからも、戦うことを求めるのみだ。
刹那の熱にすべてを捧げる生き方に、憧れがないわけではない。
だが今は、背負うものが多すぎる。
(一応、ハゲを殺った時の借りもあるしな。今だけでよければ相手してやるよ。だから全部……ここに置いていけっ!)
声に出す代わりに、屋上の中央まで歩いた。
舘岡も獰猛な笑みを浮かべながら、進み出てくる。
「【武極大帝】――舘岡亮平」
名乗りを上げて、斧槍を取り回す舘岡。
零仁も応じるように、背に負った罪斬之剣を抜き放つ。
「【遺灰喰らい】――祓川零仁」
互いに名乗った後も、動かない。
その時。偵察役が駆るグリフォンの一頭が、高く鳴いた。
舘岡が斧槍を振りかぶる。
零仁もまた、白の大剣を振りかぶった。
(燃やし尽くすっ! ここで、憎しみをすべて出し切るためにっ!)
吐息に乗せて、腹の底から声を出す。
「「……死ねえっ!」」
図らずも重なった言葉とともに。
白と黒がぶつかり合った音は、鐘楼のように戦いの始まりを告げた。




