悲しみを超えて
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田中の遺灰が消えた後。
零仁の視界に飛び込んできたのは、砦の内門を背にして黒い斧槍を構えた舘岡だった。
動ける敵兵数名が、その両脇を固めるように武器を構えている。
後ろには、うずくまった徳永。負傷した左腕は使わず、二丁斧を片手で持って担いでいる。
(よっし、片づけてくれたな)
門の周りは、賽原ら転移者部隊の者たちと、山の民が十重二十重に取り巻いている。
零仁が近づくと、舘岡はこの状況の中でも笑ってみせた。
「ヘッ、お前が田中を喰ってる間にひっくり返そうと思ったが……随分な腕っこきがいたもんだ。やるじゃねえか、おっさん」
ちらと見た先は、刀を構えた賽原だ。
「【遺灰喰らい】麾下……【心身合一】、賽原透真だ。お見知りおき願おう。もっとも、長い付き合いになることはなさそうだがな」
(おいおい、麾下って……。俺は将軍じゃねえし、なんなら騎士でもねえぞ)
心の中だけで賽原にツッコんでいると、舘岡が鼻を鳴らした。
「やれやれ。あの根暗陰キャが、手下を作りやがるとはな……!」
同時。背後にいた徳永が、無事な右手で何かを宙に放り投げた。内壁の上まで飛んだそれは、空にまばゆい光を放つ。
信号弾代わりの想石だ。
「まあ……この砦も、もうちょい楽しめるだろう。ここはお暇するぜっ!」
舘岡の言葉が終わる前に、その足元に光の紋様が浮かんだ。
先ほど空に放った光と呼応するようにつながったかと思うと、舘岡や徳永、敵兵たちの姿が掻き消えた。
「消えた……。まさか転送魔法を実用化している部隊がいるとは」
「クソッタレめ、しかも回収もできるとはね」
賽原の言葉に応じながら、こめかみに手を当てる。
『こちら【遺灰喰らい】、内門の制圧に成功した。【武極大帝】たちは転送魔法で逃げたが、内廓には問題なく入れる』
『こちら【星眼の巫女】、能力でも確認しました。ちょうどよかったから、星眼刻視で【武極大帝】を指定して魔流封刻を使いました。これで転送魔法はしばらく使えないはずです』
『こちらマティアス! 了解、援護も感謝する! 北側も一気に押し切るっ!』
転送魔法で引き揚げられたということは、舘岡たちは陣形魔法の部隊の元に出現したのだろう。
星眼刻視の使用条件は、相手が転移者であること。
輝良は舘岡たちが撤退したことを逆手にとり、魔力の流動を封じる魔流封刻で転送魔法を封じ込めたのだ。
魔流封刻を破る方法はあるが、膨大な魔力を保有していることが大前提となる。異世界人の魔力でどうこうできるような代物ではない。
『魔流封刻を使っちまって大丈夫か? 他に伏兵がいるかもしれないぞ?』
『陣形魔法を封じるくらいの出力に絞ったから、もう一発はいけるよ。それに内門が陥ちてる状況で、戦力を出し惜しむのはあり得ないしね』
ヴァイスハイトに【業嵐の魔女】――颯手は来ない。
輝良はそう判断したのだろう。だからこそ、ためらいなくガウルとアディンを内門への援護に回したのだ。
(輝良の判断に文句はねえ。しかしそれなら……颯手は一体、どこで何をしてんだ?)
その時、別の【繋ぎ話すもの】の接続が割り込んできた。
『こちらマティアス、北の外壁を突破したっ! 内壁もすぐに突破できるだろう!』
『【遺灰喰らい】、了解。こちらの被害状況を確認してから内廓に進みます』
『こちら【星眼の巫女】、転送魔法の部隊はできれば捕縛してください。陣形魔法の技術を聞き出したいです――』
意識の中に流れる輝良の声をよそに、零仁は内門から離れた。
向かうは正門の脇に横たえられた、小櫃の元だ。
「どうだ……?」
敢えて言葉少なに問うと、傍らの室沢と姫反が力なく首を振る。
その声で気づいたか、小櫃が血のついた顔を上げた。
「ハハッ……悪い、祓川……。出しゃばっ……ちまった……」
その身体からは、わずかに差し込む陽の光を遮るほどの遺灰が舞っている。
見覚えのある光景だった。カークスやグランスを看取った時と同じだ。
この状態でまだ生きていられるのは、ひとえに【理想の体躯】のおかげだろう。
「いや、よくやってくれた。おかげで田中や徳永の気を逸らせたよ」
「……喰ったか?」
「ああ、田中は喰えた。舘岡や徳永もすぐだろう」
「そっかあ、よかったぁ……」
遺灰の色が、濃くなった。
能力の自然治癒が、もはや追いつかないのだ。
「なあ……祓川。頼む……ひと思いに、やってくれ……」
「小櫃……ッ!」
「いいんだ……。もしこうなったら、そうしようって決めてた……。そしたら俺でも、役に立てるし……それに……」
不意に小櫃が咳込んで、血を吐いた。その後、ニッと笑う。
「昌美に、こんな姿……見せられねえから、さあ……」
「お前……」
そこで、室沢と姫反が立ち上がった。二人の目には涙が浮かんでいる。
「祓ちゃん……ウチからもお願い。こんなの、昌美ちゃんには見せられない」
「連れてってあげてよ。そしたらあいつらを討つ時も、一緒にいられるじゃん」
「分かった。頭からが多分、一番楽だ」
右手を伸ばすと、小櫃が右手で握手してきた。
これでいい、という意思表示。本人が望むなら止めることもない。
「いくぞ……【遺灰喰らい】!!」
右手に、黒い紋が生まれた。
黒い灰をまき散らし、小櫃の右腕を、肩を、あっという間に喰らいつくす。ガリガリという耳障りな音が、ひときわ大きく聞こえる気がした。
「あっがあああっ……! うっわ、ほんとに……痛ってえなあ……! 室沢たち、絶対、やめといたほう……が……っ」
そこまで言ったところで、小櫃の頭が呑み込まれた。
大柄な身体が削れていくうちに、視界が暗転していく。
――どこかの村だった。
あたりにはかがり火が焚かれ、室沢や深蔵の姿も見える。
『――危なかったね。あと何人か多かったら、こっちがやられてたかも』
『――まったくだな。同志・姫反、そちらは大丈夫か?』
『――こっちは平気~! 村の人たちも無事だよ~!』
視界の外から、姫反の元気な声が聞こえてくる。
弓兵という役目柄、屋根の上にでも登っているのだろう。
どうやらこれはダリア砦を陥落させた後、教団領を目指す途上の記憶らしい。
(旅の転移者と知られて村の護衛を頼まれて、室沢あたりが断り切れずに~、ってとこか?)
そんな中、視界の外から角田が顔を出した。
『――小櫃、ケガしてんじゃん。回復魔法、かけたげる』
『――い、いいよ。このくらい能力で治るから』
『――照れんな、照れんな~。さっき横合いから襲ってきたヤツ、やっつけてくれたじゃん』
『――あ、ああ……。まあ、あのくらい、な』
『――惚れ直したよ~。カッコよかった』
(やっぱり、この時にはもうこういう仲だったのな)
嬉しいのか恥ずかしいのか、小櫃が俯いたのが分かる。
『――俺……カッコいいって言ってもらえたの、生まれて初めてかもしれねえ』
『――カッコいいんだから、ちゃんと言ってあげる人がいないとダメでしょ』
『――ああ。ずっと言ってもらえるように、頑張るよ』
『――そのためには、生き残らないとね。だから小さなケガでも放っておいたらダメだよ』
(能力につながる記憶じゃなくて、果たせなかった約束……。これがお前の業か、小櫃)
笑う角田の顔が、景色とともに溶け落ちる。ひとところに形になったそれは、どことなく小櫃の顔に似ていた。
脳裏に、【理想の体躯】の名が刻まれる――。
視界が戻ると、室沢と姫反に加えて賽原がいた。
「隊長殿、突入した部隊に死者はいなかった。【武極大帝】との戦いで傷を負った者はいるが、すぐ動けるようになる」
「……ありがとうございます。山の民たちは?」
「ざっと数えた限り一五〇〇は減った。動ける者は、すでに内廓で暴れている。主棟に辿り着くのも時間の問題だろう」
そこで、室沢が前に出てきて口を開いた。
「祓ちゃん、ナハトを呼べる? ウチらと一緒に、空から一足先に主棟まで行くのはどうかな」
「できるけど、なんでだ?」
「門は陥ちた。頼みの綱の転移者も負けた。バルサザールはどうすると思う?」
「……なるほどね、たしかにな」
零仁が知るバルサザールなら、兵たちを盾にして逃げを打つ。
そういう男だ。
「賽原さん、俺の代わりに内廓の指揮をお願いします。ガウルとアディンも、そちらにつけます」
「心得た。馬はどうする?」
賽原が、片隅でうずくまるウンブラをちらと見た。
まだ息があるようだが、苦しげに呻いていた。ガウルが懸命に鼻をこすりつけているのを、アディンが面白げに眺めている。
零仁はウンブラに近づくと、優しくたてがみを撫でた。
すると、まだ走れると言わんばかりに立ち上がろうとする。
「ブルウゥ……ブルルッ……!」
「もういい、大丈夫だ。ゆっくり休め」
声をかけると、ウンブラは悲しげに目を閉じ地に伏した。
眠ったようだった。
「……もう行かないと。せめて看取ってやってください」
「分かった。今は、前だけを見ろ」
零仁は無言で頷いた。輝良に作戦を伝えるべく、こめかみに手を当てる。
内壁の向こうからは、雄叫びや怒号が切れ目なく響き渡っていた。




