導きの声【里緒菜】
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一方、その頃――。
里緒菜たちは、ヌル砂漠の付近で馬車を降りていた。
街道から少し外れた草原で、彼方には広大な灰色の砂漠が見える。心なしか、砂漠の縁が近づいてきているようにも思えるから不思議だ。
(旅は楽しかったけど~……ここからが問題よね)
風に揺れる、金髪がメッシュのように混じった黒髪を撫でつける。
聞いたところによると、保有する魔力が高まるとこうして身体への変化が起こるらしい。
島の東部は戦場から遠い。宿場町で休息を挟みつつ北上して三日。異世界の宿と食事を楽しむ移動は、ちょっとした旅行の体だった。
だが砂漠での探索行を思うと、とても楽観的な気分にはなれない。
「……では、あっしはこれで」
ふと見れば、御者がいそいそと馬車を走らせるところだった。
妙に慌てふためいた様子に、左目に眼帯をした赤髪の女子――塔村火音が鼻を鳴らした。
「なんだい、あの態度は。貸切だし結構な運賃、払ってんだろ?」
皆が同じ仕立てで色違いの魔法の戦衣を着込む中、火音だけは空手の道着に似た黒帯の魔法の戦衣を着ている。
「仕方ないよ。途中の宿でも、ちょっとあれな噂が出てたし」
火音をなだめながら、宿場で聞いた噂を思い起こす。
曰く――ヌル砂漠が徐々に広がっているのは、目の錯覚だけではないらしい。
元々、巡礼道を始めとした北東部の街道はヌル砂漠を避けるコースを取っているが、それすら徐々に砂漠に浸食されているというのだ。
挙句の果てには、砂漠の彼方から呻き声のような音が聞こえてくる、などという話まであった。
「……まあまあ、ドキドキワクワクのアドベンチャーってわけにもいかないかもしれないけどさあ。せめて気分だけは楽しんでいこうよ~」
そう言ったのは、わずかな緑色のメッシュが入った茶髪ボブの少女――庄山地咲だった。
顔や手の甲には、零仁から受けた黒い炎による火傷の痕がある。グスティアでの敗戦から荒れていたが、ここまでの小旅行で以前の陽気さを少し取り戻していた。
「地咲、いくつか岩の塔を作れるかしら? 街道から外れた場所だし、迷惑にもならないでしょ」
その脇から方々を指示したのは、青いメッシュが混じったウェーブロングの女子――楢橋波留だ。
かつて【遺灰喰らい】によって喰われた左腕の位置は、長い水色のケープで隠れている。
「あ~、ランドマークってやつ?」
「ええ。遠くからでも見える目印があれば、もし迷っても帰ってこれるからね」
「おっけ~おっけ~。そんじゃまあ……」
地咲が手をかざすと、海岸線の方向から岩の尖塔が次々とそそり立った。
しかもご丁寧に、先端を英数字を模した形に変えている。間隔は一定なので、形と一緒に覚えておけばコンパス代わりにもなるだろう。
「うっし、こんなもんかな~」
「ありがと。じゃあ……行くよ、みんな」
里緒菜の声に、三人はそれぞれの表情で頷いた。
* * * *
強化魔法をかけた後、里緒菜たちは砂漠へと足を踏み入れた。
瞬間――妙な違和感があった。
「……っ⁉」
思わず、小さな呻きが口を突いて出る。
新治に使われた魔流封刻は、身体の中に蓋をされているような感覚だった。
今の状態は、身体から徐々に力が抜けていく、といったところだろうか。
「なに、この感覚……」
「強化魔法もあっさり消えたぞ……」
「この風景の中、こんな状態で歩くの~……?」
背後から聞こえる三人の声からして、皆が同じ感覚らしい。
「……行くよ。研究所さえ見つければ、それでいいんだから」
一声かけて歩き出す。少し遅れて、三人の気配もついてきた。
地咲の言うとおり、景色も普通の砂漠とは異なっていた。
遠目から見たら砂が灰色なだけかと思ったが、空も灰色だった。地平線のあたりがうっすら明るいのみで、目当ての建造物はおろか彼方の景色すらまったく見えない。
あたりには灰に似た塵が舞っているのに、風はない。熱くもなければ寒くもない。
その様を見て、脳裏にある光景が甦った。
(ああ、そうだ……。これ、【遺灰喰らい】に似てるんだ)
耳障りな音ともに、波留の左腕を呑み込んでいく黒い紋様――。
色こそ少し淡いが、【遺灰喰らい】によってまき散らされる遺灰に似ている。
(すべてを喰らう能力に、魔力を奪う灰……? 波留が言ってたけど、あの王女様が使う「御印」だかも魔法を打ち消す効果があるって……?)
いくつかの記憶と仮説が、脳裏に浮かんでは消える。だがそれも、砂を踏みしめる音にかき消されていく。
景色も天候も変わらない。どのくらい歩いたかも分からない。
(岩の塔は海岸線から建ててるから……。多分、Ⅳのあたりを北に進めば、砂漠の中心に行けるはず……!)
――もうだいぶ歩いただろう、と感じた頃。
背後で、重い音がした。
振り向けば、最後尾を歩いていた波留が膝から崩れ落ちている。
「波留っ⁉ 大丈夫⁉」
「ちょっと、ちょっと⁉ まだ目的地、影も形も見えてないよ⁉」
「さすがにここでおぶっていける自信はないぞ……?」
波留はよろめきながらも、右手に持っていた杖を支えに立ち上がる。
「大丈夫……。多分、魔力を消耗しすぎただけ……だから……」
そう言いながら、腰のポーチから青色の液体が入った小瓶を取り出す。
ゼノンから授かった魔力を回復させる水薬だ。結構な貴重品だそうで、一本で兵士一〇人分の食事を数日賄えるほどの値段らしい。
その時、瓶の中の液体を見た波留の表情が変わった。
「煌めきが、なくなりかけてる……。魔力が抜けてるの?」
「冗談キツイねえ。人体からだけじゃなくて、物質からも?」
手元の水薬を確かめる火音を尻目に、里緒菜も自分の水薬を見た。波留のものと同じく、煌めきが消えかけている。
地咲も同様だったのか、力なく肩を落とした。
「もうこれ、一旦引き返すのも考えた方が……って、ええっ⁉」
素っ頓狂な声に振り向けば――
「岩の塔が……っ⁉」
先ほどまでうっすらと見えていた岩の塔が、順不同に崩れ落ちていく。
周囲は灰の帳が下りたように薄暗い。ひとたび歩く方向を変えれば、元の場所には戻れないだろう。
「ちょっと待ってよ……あの塔、砂漠からそこそこ離れてたよね? もうあんなとこまで浸食されたってこと? 噂どころの騒ぎじゃないって……」
「里緒菜……。これ、ヤバいんじゃないのか?」
唖然とする地咲をよそに、火音が里緒菜を見た。
「あのノートに書いてあったことは真実として、だよ。物質からも魔力が失われるような場所で、その研究所とやらが残ってると思うか?」
「……っ」
ノートの記録は、研究所を作った直後に捕えられた【魔装の駆り手】ことカタオカが、脱走するところで止まっていた。だが魔力が失われる事象には一切触れていない。
砂漠は大昔の魔導実験によってできた、とされていた。
カタオカが帰還を為し遂げたのかは分からないが、この事象は想像の埒外だったのではないか。
ここから導き出される推論は、お世辞にも面白いものとは言えない。
(実験が成功したにせよ失敗したにせよ、結果としてこの砂漠と事象が生まれたんだとしたら……。研究所はもう……?)
絶望という名の黒い影が、思考を蝕み始めた時――。
『イタイタ』
『ヤット見ツケタ』
『大変ダッタゾ』
『風、ナインダモンナ』
あさっての方から声がした。
見れば小さな光が四つ、里緒菜のほうにふよふよと近づいてくる。
「この声……風の精霊たち?」
問いを投げる間に、光は里緒菜の周りをくるくると回り出した。
いつも魔力と引き換えに使役している、風の小精霊たちだ。
「あなたたち、ついてきたの? 魔力がないのにどうやって……」
『今マデモラッタ魔力、使イナガラ』
『来タヨ、来タヨ』
『サア、行コウ』
『王サマノ御許ヘ』
「王……?」
他の三人と、首を傾げていると。
『ああ、ついに連れてきてくれたね。無理をした甲斐があった』
精霊たちとは、別の声。
性別を判じかねる中性的な口調だが、声音からすると男性らしい。
『さあ、ここまで来て。ボクの声が聞こえる方に』
「あなたは誰? カタオカさん? 一体、何のために……」
『来れば分かるよ。せっかく来てもらったのに、ここで野垂れ死にさせたくはない』
男の声が言うことは正しかった。
すでに退路は断たれた。仮にここで風の精霊たちを葬り魔力を奪っても、さして長い時間は保たないだろう。
「……行こう。このままいても仕方ない」
「とんだ博打だねえ。ま、元からか」
「波留~、歩ける~?」
「平気……自分で歩ける……」
地咲が波留に肩を貸すのを見ると、里緒菜は声が聞こえた方へと歩き出す。
その先には何も見えず、灰色の光があるのみだった。




