無への旅路【里緒菜】
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里緒菜は朝日が射しこむ自室で、広げられた旅支度の荷を眺めていた。
身に纏う服もいつもの魔法の戦衣の他に、防塵用のマントにフードを用意している。
(よし、漏れは……ないね)
数日後には、この世界における人類未踏の地――ヌル砂漠を踏破することになる。
いくら準備をしても、過分ということはないだろう。
荷を持ってゼノンの部屋に行くと、不安と寂しさが同居した表情で迎えられた。
「……行くのか。考え直してもよいのだぞ?」
「いいえ、行きます。あなたのためですから」
そう言うと、ゼノンは里緒菜の身を抱きすくめてきた。
髪を撫でられたあたりで押し倒してきそうな雰囲気を察し、さりげなく手で制する。
「……妙な噂を聞いた。バルサザールがズウェド山脈に派遣していた部隊から、連絡が途絶えたらしい」
「ズウェド山脈……あんな場所に何故?」
「さてな。ズウェドに住まう山の民たちも教団と諍いがあって、本拠である聖地を襲撃したりもしたそうだ。飛び火せぬよう、監視していたのだろうか」
ズウェド山脈を臨むヴァイスハイト地方は、先の会戦でベッセント伯の子息が討ち取られてこの方、領主が不在になっているはずだった。
だがバルサザールは丘陵を挟んで反対側の、ドミナおよびネロス地方の領主だ。わざわざヴァイスハイトの管理を代行というのは、どうにも筋が通らない。
(ははぁ~ん? あのハゲ……グスティア奪い返された腹いせに、何か仕込んでた?)
王竜騎士団による巡礼道の封鎖を前座とするなら、教団と山の民の衝突も仕組まれたものと考えていい。
しかしその直後、バルサザールの部隊が消息を絶った。
嫌な予感がする。別の力が介在したとしか思えなかった。
(零仁くん……あなたなの?)
巡礼道の封鎖は依然、続いている。
後顧の憂いがなくなった教団が、次に動くとしたら――。
「……殿下。ヴァイスハイトの現状はご存じですか?」
未だ里緒菜を抱きしめていたゼノンが、すっと身を引いた。
呼び方を変えたことで、臣としての問いと理解したのだろう。
「詳しくは……。だがこんな状況ゆえか、後任の領主が定まらぬとは聞いている」
「至急、後任を定め防備を固めるよう、貴族評議会に命ずるべきです。教団は旧王派と結ぶ可能性があります」
途端、ゼノンの顔色が変わった。
「バカな……⁉ 教団とて、王国に弓引くような真似をするわけが……!」
「教団にしてみれば、先に巡礼道の封鎖という不義を働いたのは王国側です。グスティア奪還における暗躍然り、盟を拒む理由はありません」
里緒菜は身を翻すと、西の窓際に立った。
「もしすでに話がついているとしたら、教団は巡礼道を経由した旧王派の軍とともに、ヴァイスハイトを襲いましょう。砦を獲られ北街道を扼されれば、トリーシャの上流を封鎖する王竜騎士団とて保ちません。そうなれば……」
「ボレアから渡河した旧王派軍が押し寄せて……北部が、一瞬で陥ちる……?」
状況を理解したらしいゼノンに、首肯で応じる。
「我々もできるだけ早く、力を手にして戻ってまいります。今は一刻も早く、北部の備えを固めるべきです」
「分かった……。カールヴィッツの兵力や、グリゼンダ要塞に駐留する王竜騎士団の動員も視野に入れよう」
「お願いします。必ず、生きてまたお会いしましょう」
里緒菜はそう言って、ゼノンとふたたび抱き合った。
* * * *
手配された馬車は、一の廓の大通りに停まっていた。
すでに波留、火音、地咲の三人が、里緒菜と同じ旅装を纏って立っている。
「あ、やっと来た」
「遅いぞ~」
「どーせ別れ際に乳繰ってたんだろ」
ちなみに今の里緒菜たちは、すでにゼノンの預かりに移管していた。先の暗殺未遂事件や王都の情勢変化から、ダグラスも嫌とは言えなかったのだろう。
この馬車も旅装も、すべてゼノンが手配してくれたものだ。
「ごめんごめん、お待たせ。じゃあ行こうか」
王家の紋章があしらわれた馬車に乗り込むと、ゆっくりと進みだした。誓いを立てた一の廓の塔が、見る見るうちに離れていく。
ヌル砂漠までは、ここから北へ三日。王都とはしばしの別れだ。
「ハゲの手駒が、ズウェドで消息を絶ったみたい。予想通りね」
淡々と言うと、三人の表情が引き締まった。
「直属でそれなりに動けて、トリーシャの時にいなかった……エバンさんかな。あの人の能力、面倒なんだよなあ」
「あの部下ハゲまで喰われたんじゃ、ハゲも手駒が尽きたんじゃねえの。いよいよ年貢の納め時ってね」
火音が笑うと、地咲が舌打ちした。
誰にやられたとまでは言っていないが、二人とも察したらしい。
「まだ【遺灰喰らい】と決まったわけじゃないけど……。不思議ね、なんとなくそう感じる」
波留が左腕の痕を擦る。喰われた時を思い出しているのかもしれない。
里緒菜は頷くと、三人を順繰りに見た。
「ここから先はスピード勝負だよ。零仁くんが王都まで来る方が早いか、私たちの計画が成るほうが早いか」
そう言うと、火音が右の拳を左の掌に打ちつけた。
「上等じゃないか。こういう勝負も悪くない」
その言葉に、地咲も火傷の痕を撫でる。
「あの室沢サマたちが乗ってくるなら、願ったりかなったりだ。今度こそぶっ潰してやる……!」
猛る友人たちを尻目に、波留が里緒菜に笑いかけてきた。
「なんか不思議だね。ついこの間、王都に来たと思ったら……。今はまた、四人で別の場所に行こうとしてる」
「まあ、無理やり動かしてくる零仁がいるからね」
「また……戻れる、かな」
「戻らなくてもいいよ」
「え……?」
訝しげな表情を浮かべる波留を尻目に、里緒菜は窓の外を見た。
「全部失くしたって、居場所を失ったっていい。進んだ先で新しいものを見つければ、それでいいんだから」
「ん……そう、だね」
波留はそれだけ言うと、仮眠のためか軽く目を閉じた。
ふたたび景色に目を転じると、すでに王都の城門を出て、街道を北へと進んでいる。
(ちょっとウソ言ったかも。私の道は、どう進んでも同じ人に続くから……。ねえ? 零仁くん)
西の果てにいるであろう男に、想いを馳せる。
目指す北の空は、早くも褪せた灰色が見え始めていた。




