キオクノカケラ【里緒菜】
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ヴェルゼーブ邸の晩餐会から、一週間後の昼下がり。
里緒菜は、ひとりでカイゼルヘイム王宮の地下を歩いていた。
(禁書庫……ああっ、なんて甘美なひ・び・き)
口が笑みの形になるのが、自身で分かる。なにせ今、目指しているのは『禁書庫』なる部屋なのだ。
事の始まりは一昨日。ゼノンの供で行ったお茶会で、晩餐会で面識を得た貴族の令嬢から部屋の噂を聞いたのだった。
(御縁は大事にしておくものだわ。あのダンスが効いたんだろうとは思うけど)
図書館の司書に聞いたところ、その部屋は地下の牢獄の奥まった位置にあるという。ちょうど非番だったので、ゼノンの名を借りて牢獄への立ち入り許可を得ての今である。
(禁書ですよ、禁書! ヤバい魔法書とかあるに決まってる! 魔法の鍛冶師の武器を超える武器を作る方法なんかも……!)
空想に胸を膨らませながら牢獄の階段を下ると、湿っぽい空気が鼻を突いた。あたりには見張りの歩哨が数名だけ。今は収監者がそれほど多くないらしく、しんと静まり返っている。
(一番奥の突き当たり~……って、え?)
教えられた場所にあったのは、小さな牢屋のひとつだった。
中には本がぎっしり詰まった棚ひとつと、これまた本がうず高く積まれた机がひとつ。入口の格子は封印どころか、鍵すらかかっていない。
「ここ、だよね……?」
思わず出た声が、むなしく響く。
中に入ってみると、明かり取りを兼ねた通気口から風が吹き込んだ。呼んでもいないのに、風の小精霊たちがふよふよと漂ってくる。
本棚にある書物はいずれも、先の内戦時代に作られたらしい冊子だった。中身は王権打倒や過激な宗教思想、好色本と様々だ。
「これひょっとしなくても……発禁になった書の倉庫で『禁書庫』なんじゃ……?」
『ザンネン? ザンネン?』
『チャント、ミテミナサイ』
精霊たちに促されるまま手に取って、ぱらぱらとめくる。
何とはなしに取ったのが好色本だったあたり、自分でも思っている以上に落ち込んだのかもしれない。ついさっきまで胸にあったときめきは、今やすっかり色褪せていた。
(こんなんじゃ全然、興奮しないよ……。あ、この体位は殿下が好きかも……)
気を紛らわすために読み耽っていると――不意に、風が吹いた。
『コッチ、コッチ』
『ミツケタヨ』
声のほうを見れば、風の精霊たちが机に群れ集っている。
示しているのは積まれた本ではなく、その下らしい。
「何よ、もう……。この下にあるの?」
舞い上がる埃に耐えながら、本をどかした時。
見慣れた装丁と文字が目に飛び込んできた。
「えっ、これ……!」
一冊の革張りの手帳と、大学ノートが数冊。ノートの表紙に書かれているのは見紛うことなき日本語だった。
積まれていた本もよく見ると、珍しいものではないが魔法に関する書物である。
(誰かの研究室だったの……? それとも、監禁された時に書いたとか……?)
ノートをめくると、日ごとに簡単な日記とともに魔法の実験記録がつけられている。日付は記憶にある暦で逆算すると、ちょうど三十年ほど前。先の内戦よりさらに前だ。
背表紙に挟まっていた家族写真は、画質と形態からして昔のカメラのものだった。
(【魔装の創り手】……カタオカさんが、この人の名前か。こっちは元の世界のご家族ね)
『地竜の月 二日 遺跡から見つけた黒石から興味深いものが見つかった。
”朱に染まりし緑風の地 虹が空を穿つ刻 冥天の扉は開かれん”
これは、ただの詩ではない。誰かが遺したこの世界の脱出方法だ。そうとしか思えない』
『水流の月 六日 詩の冒頭は場所だろうな。何となく目星はついている。しかし”虹”が意味するところは何だろう?』
『火竜の月 十四日 ゲオルギオス陛下から実験の承認を得る。彼らなら飛びつくだろうと思っていた。虹とはすなわち、すべての属性の魔力だ』
『風竜の月 二十日 施設の建設は順調。念のため収束実験をやり直したが、やはりこの近辺では次元転移に至るほどの魔力が確保できない』
(は……⁉ 元の世界に戻る術を見出してた……⁉ そのために魔法実験をエサに金を出させたってこと? 私と似たようなこと考えた人、他にもいたんだ)
震える手でページをめくっていく。
別のノートには施設の設計図もあった。どうやら広域にわたって魔力を収束する仕組みらしい。
(こんなの、よく考えたね。この仕組みで魔力をたくさん集めて、私たちの能力と組み合わせれば無敵じゃん……!)
『岩竜の月 十日 実験の中止と出頭命令が出た。何故だ? 国に弓を引いた記憶はない』
『岩竜の月 二十日 理由が分かった。あの大臣ども、私から手柄を横取りする気か。私が帰った後で好きにすればいいものを』
(この牢屋が、この人の監禁場所……。実験結果の持ち込みを許可されたのは、引き渡しを要求されてたからか。で、肝心の場所はどこなの?)
ぱらぱらとノートを探してみたが、それらしき地図はない。
仕方ないので、日記の続きに戻ることにする。
『海竜の月 二十八日 施設は完成したらしいが、解放される気配はない。実験に戻してほしい。私は元の世界に帰れさえすれば、それでいい』
『焔竜の月 十二日 食を断たれて半月だが案外、気にならない。記録はノートにあるだけがすべてじゃない。私を殺すことはしないはずだ』
そこから、しばらく白紙が続いた。
大学ノートの最後のページまでくると、数行だけメモが残っている。
『嵐竜の月 二日 さすがに限界が近い。ここまでされるとは予想外だ。互いにとって益のある提案なのに、何故』
『嵐竜の月 十日 こうなればイチかバチかだ。脱走してバーダントヘヴンへ向かう。あの技法を応用すれば得物は作れる。どのみち必要なものだ』
『煌竜の月 一日 準備は整った。記録はここに置いていこう。もう必要のないものだから。待っていてくれ。紗香、明弘』
(あの技法、得物……!)
最後の言葉が引っ掛かり、別の大学ノートをめくる。
「……あった」
三冊目の終わり際。たった一ページだが、図案も含めて克明に記されている。
端々に想いをつづったメモ書きが残っているあたり、氏は書きながら発想を巡らせるタイプだったのだろう。
『これは武器というより魔導器と呼ぶべきだろう。魔力を素材にすることで、通常の武器よりもはるかに高い強度に加えて、自身と周囲の魔力を共振させる機能を併せ持つことができる』
「あ……はは、あはははははは」
『作成にあたっては魔法と同様、イメージを以て自身と周囲の魔力を物質化するのがいいだろう。もし私が作るなら、こんな形にしよう(少し中二病的だが、これがいいのだ)』
「あははははは……天才だわ、この人」
『魔法と同様、技法にも名付けは重要だ。己の欲望を刻み出し、力に変える……』
「――刻心装具」
誰も呼ぶことがなかっただろうその名を、口ずさむ。
風の精霊たちが踊るように回る。それに合わせて、微かな風が祝福するかのように吹き込んだ。
* * * *
その晩――。
里緒菜が禁書庫でノートを読み耽っていると、廊下のほうに気配がした。
「リオナ……探したぞっ! こんなところで何をしているっ⁉」
声に振り返れば、格子の向こうに憔悴しきった表情のゼノンがいる。
傍らには牢獄の歩哨だけでなく、王竜騎士団の騎士も数名いた。総出で探していたらしい。
「殿下。ごめんなさい、面白い本を見つけたものだから」
「こんな場所では体に障るぞ。本が面白ければ、持ち出しても構わないから」
「ここのほうが落ち着くんです。なにか御用でも?」
首を傾げてみせると、ゼノンは周囲の者たちに目をやった。
人払いだと察した歩哨や騎士たちが、黙って去っていく。
「……【波濤の聖女】殿から続報が入った。ようやく治療が落ち着いたらしい」
「それは重畳。彼女はなんと?」
ゼノンが禁書庫の中に入り、壁にもたれかかった。
里緒菜もさすがにノートを閉じて、ゼノンに椅子をすすめる。
「重傷を負った友人たちを、本格的な治療のために王都に後送したいとのことだった。ディアナ様は許可されたようだ」
「へえ。ちなみに、その後送される者たちというのは……?」
「【焦熱の女帝】と【地恵の女君】と聞いた。詳しい状況は聞いておらぬが……かなり手ひどい傷を受けたらしい」
それを聞いた瞬間――里緒菜の脳裏に、黒い雷光が奔る。
だが努めて顔には出さず、ゼノンの言葉を待つ。
「【武極大帝】などはダグラスの預かりで戦線に復帰、当のダグラスも軽傷で済んだそうだ。天下無双の強さを誇る最上位級を立て続けに退けるとは……【遺灰喰らい】は鬼神か魔人の類なのか?」
「……ある意味では、その通りかもしれません。王国の安寧のために、必ずや討たねばなりませんわ」
里緒菜は立ち上がり、ゼノンの首に腕を回した。
「故にリオナは殿下のために、こうして日夜研鑽に励んでおります。今しばし、お時間をくださいまし」
「分かった……。だが……」
「諸々済んだら、寝室に伺います。それでよろしいでしょうか?」
耳元で囁くように言うと、ゼノンの身体が震えた。ここまで探しに来たのは、つまりそういうことなのだ。
「……あまり根は詰めるなよ。待っている」
ゼノンは身を翻すと、格子を潜って去っていく。
それを見届けた後、里緒菜はふたたびノートを開いた。
「っふふふっ、ふふふふっ……」
口から、自然と含み笑いが漏れた。
閃いた黒い雷光が、すべての絵図を繋いでいく。
「っふはははっ、あははははっ……あはははははははっ!!」
哄笑は風に乗り、夜の牢獄に響き渡る。
牢獄の番をしていた歩哨が心配そうにのぞき込むまで、里緒菜は笑い続けていた。




