第八話:『試験と王宮』
夏の長期休暇前に、アイカ達は初めての試験を終えた。
結果としては、総合順位は皆よかった。ただ、分野ごとに見るなら、成績はかなりばらつきがある。
座学。主席セラ、次席ルフォル、三位フィリアとアイル、五位アイカ―――五一位コール。
魔法。主席ルフォル、次席フィリアとアイカ、四位セラ、十二位コール―――四三位アイル。
剣術。主席フィリア、次席ルフォルとコール、四位アイル―――五二位アイカ、六十位セラ。
体術。主席アイカ、次席コール、三位アイル、四位フィリア―――四九位ルフォル、六十位セラ。
馬術。主席コール、次席フィリア、三位アイル、八位ルフォル、十七位アイカ―――五三位セラ。
教養。主席ルフォル、次席フィリア、三位セラ、七位アイカ―――三一位アイル、五八位コール。
総合順位。主席フィリア、次席ルフォル、三位アイカ、十二位アイル、十八位コール、二十位セラ。
剣術で成績がひどかったものの、それ以外は十位以内に入る好成績を残したアイカは、小さくガッツポーズした。誰も気付かなかったが。
何気に、どれもまんべんなく好成績を残して主席を獲得したフィリアは、小さく笑みを浮かべている。体術にて成績が落ちたルフォルが何かを言ったらしく、笑顔のまま弟の頭を締めあげているが。
魔法と教養がネックのアイルと座学と教養がネックのコール。二人は他で挽回出来たので、二十位以内に入れたことにホッとした。
ただ一人、剣術と体術、馬術で壊滅的成績をとったセラは、二十位に滑り込んだものの、落ち込んでいた。
ちなみに、一クラス三十人。一学年二クラスなので―――剣術と体術で最下位だったのが痛い。得手不得手があるにしろ、酷い。
総合順位結果は上位二十人が張り出されるが、各成績は個人個人渡される。ちなみに、希望者は家に個人の成績が送られる。貴族は強制的に送られるが。
(まぁ、これなら何も言われないでしょう)
文句が来ないであろう成績なので、アイカは安心した。
リガードなら文句は言わないかもしれないが、その息子(アイカにとって義兄)リチャードは言うだろう。そういう性格だ。
ただ、剣術に対しては彼ですら言わないだろうという確信があった。
侯爵家にいる時、指南を受けたが才能なしの太鼓判を押されたくらいだ。さすがに、彼もそれには憐れみの眼差しを向けたほどだ。悔しく思うのも馬鹿らしいほど、アイカには才能がかけらもなかった。
(小説やゲームみたいに全能力チート、てわけじゃないんだよね。分かってたけど)
早々に理解できた文字や言葉は、祖母がこちらの人だからだろう、という仮定で納得したので、これは含めない。魔法が使えたりするのは才能だろうが。
ともあれ、気がかりだったテスト(年三回)が終わったので、明日からは一ヶ月ほどの長期休暇だ。一ヶ月もあるのは、遠方に帰省する者がいるからだ。
そのうちの一人、アイカは帰省する気はない。入学前に、帰ってくるのはわしが死んだ時か卒業してからな、と言われていたからでもある。
直後、縁起でもないとロバルドに説教されていたが。
フィリアとルフォルは、嫌々ながら王族としての仕事がある。
セラは、士官を目指す以上は真剣に、ということで帰省している暇があったら勉強する。
アイルとコールは、帰っても家族の邪魔にしかならないので帰らない。
双子以外は、士官学校の寮に残る。
「じゃぁ、ちょっと剣術やるか?」
食堂のテラスにて翌日からの予定を話し合っていたアイカ達に、割り込む声があった。
それに、一番早く反応したのはセラだった。
「唐突ですね、エルクイド先輩」
「ラスでいいぞ。いや、ちょっとな…」
きまずげに視線をそらすラスに、セラは首を傾げる。その後ろから、ミゲルが苦笑を浮かべて近づいてくる。
「お前達の剣術教官、去年の俺達の担当だったからな…」
「二人も後ろから一桁でうなだれてたぞ。同率次席の…コール? ってのは、型が…と呟いてたな」
剣術教官は、さすがに貴族ではだめだと思ったのか騎士家系出身ではあるものの叩き上げの兵士であった。身分をかさに着る生徒に辟易としつつ、高位でありながら生徒としての分を弁えているミゲルとラスには好意的で、仲が良いらしい。
珍しく好ましい教官だ、とアイカ達も思っていた。
その教官に苦言を呈され、該当者三名が胸を抑えてうめく。
実際、セラとコールならば納得もできる。だが、そこにアイカがいるのが疑問である。
「才能なしの太鼓判押されたからねっ」
「胸を張るこっちゃねぇ」
ヤケで胸を張って宣言したアイカに、ラスが呆れたように突っ込む。
「ちなみに、教官は奥さんが臨月だとかで帰省するらしい」
「思いきり私情ですね」
作戦や戦争歴史を教える講師は老齢の退役軍人だったりするが、武術の実戦講師は現役軍人(負傷などで予備役になった者が多い)が担当している。現在の剣術教官は足を負傷して障害が残った元陸軍士官だ。
現役軍人よりは休みも取りやすいだろうが、私情で休暇申請が通るのは良いのか、と思ってしまうのも仕方ない。おめでたいことだし、喜ばしいのだが。
「修練場の使用許可はもらってるから安心していいぞ」
「お二人は…」
「ミゲルは剣術主席、おれは魔法主席…総合主席はカレゾルだけどな」
今回の試験で負けたのか、苛立たしげに舌打ちをするラス。ミゲルも表情が険しい。色々と問題があるが、優秀なので文句が言えないのが悔しいのだろう。
半月ほど前のいざこざ(下手すれば大惨事)から、知り合った先輩二人のハイスペックぶりに全員が沈黙する。さらに、腹立たしい存在が主席、ということに何とも言えなくなった。
ふいに、ルフォルがミゲルとラスを見つめ、ぽつりと小さく呟いた。
「凸凹コンビ…」
瞬間、空気が凍った。
ミゲルは同年代の中でも長身である。それに対して、ラスは平均よりも少々下回っている。女子平均であるアイカ、平均以下であるセラよりも背は高いのだが、残念ながらフィリアには負けてしまっている。
フィリアよりも背の高いルフォルより頭一つ分高いミゲルと並べば、それは確かに凸凹ではある。だがそれは言ってはいけない。
「よし、良い度胸だ。年下。年長者の強さを分からせてやる」
にっこり笑顔で言うラスに、ルフォルが一歩後ずさる。だが、それをフィリアに阻まれて、逆に押し出されてしまう。
この後、修練場に連れて行かれたルフォルは、ラスの巧みな槍さばきに翻弄されて存分に叩きのめされる。
王族として高度な教育を施されていても、一年の差はやはり大きかったらしい。
ラスは満足げに汗を拭き、ルフォルは一矢報いることを誓った。
何気に、ルフォルは子供っぽい。
ちなみに、ミゲルとラスが帰省しない理由は以下。
「…父上も母上も兄上も、やたらと構おうとするからな」
「家に帰ったって面白みはないし、なら学校で鍛錬しているか王都で遊んでる方が有意義だ」
家督継承に関わらない次男以降など、気軽で身軽なものだ。
その分、立身出世はかなり険しい道のりなのだが。
※※※
この夏休み、基本的に一定量の課題が平等に出される。だが、順位が半分以下―――三一位から最下位までの生徒は追加課題が出される。
アイカ達は、総合成績は非常に優秀である。農民や商人、軍人の家系がいるにもかかわらず、おそらく、学年中で一番優秀なグループだろう。
ただし、あくまでも、総合成績、である。
座学、コール。
魔法、アイル。
剣術、アイカとセラ。
体術、ルフォルとセラ。
馬術、セラ。
教養、アイルとコール。
…フィリア以外、最低一科目、引っかかってしまっている。
ひどいのはセラだ。剣術、体術、馬術の三つ。
セラの追加課題は、毎日日誌をつけることだった。教官に立ち会ってもらい、それぞれ一時間(つまり合計三時間)行い、その内容と成果、反省点を記入する。立ち会った教官のサインも必要だ。
それを聞いた時、セラは崩れ落ちた。アイカとルフォルは同じだが、それぞれ一つだけなのでそれほどではない。ただ、どうしようもなく苦手なので、二人とも遠い目をしていたが。
アイルとコールは、教養が被っているうえ、魔法もまだ座学の範囲だ。三つの課題を出され、そのレポートを休み明けに提出しなくてはならない。
二人もうなだれて意気消沈していた。
基本課題だけのフィリアは、同情したのかできることを手伝うと申し出た。一人暇(王族の仕事を除いて)だったからかもしれない。
仕事がある場合に限り、ルフォルは課題を免除される。それに方々からブーイングが出たが、ルフォルは無視した。
上級生組は、もちろん基本課題だけなのでそれぞれの興味と知識欲を満たすのに従事し、たまにアイカ達の課題につきあった。運動系だけだが。
「…体中が痛い」
「よくそれでここに来たわね、セラ」
みっちりやって動けなくなったセラにマッサージをしつつ、アイカが呆れたようにため息をつく。
士官というのは作戦立案や指揮が主体ではあるが、一定以上の実力は必要である。セラのように魔法に特化してるのなら、魔法師団に入る者が多く、運動系はあまり得意でなかったりする。ラスとて、苦手だ(あくまでも本人主張)。
縁談から逃げるためだとしても、セラほどの才能ならば魔法に従事すると主張しても納得されそうだ。一応は士官である父親を凌いでいるのは、家族中が知っているから。
「代々軍人の家系では、魔術師を下位と見ることが多いらしい。フォルクリア家もそうらしい。…まぁ、確かに魔術師はあまり表に出ることはないが」
今回、課題(馬術)に付き合ったミゲルの言葉に、セラが寝転がったまま顔を上げる。
「…父をご存じで?」
「国軍第五師団少尉フェイド=フォルクリア殿、だろう? 俺自身は会ったことはないが、叔父の部下だからな。話は聞いたことがある」
「…ちなみに、なんと?」
「可もなく不可もなく」
「………ですよねぇ」
こき下ろされなかったことに安堵すべきか、それとも、褒めることもなかったことに落ち込むべきか。
娘であるからこそ、素直で率直な評価に不満を言うこともできず、セラはただ頷くしかなかった。
ちなみに、ミゲルの叔父は第五師団団長である。十ある師団の中で、癖のある人物として有名だ。…いろいろな意味で。
はっきり言って、ミゲルは苦手だ。帰省しないのもこの叔父の存在が大きいとか…。
ぐったりとしているセラに、叔父の人外性を説くべきか逡巡するミゲルの視界に、何とも言い難い表情をした男性が入り込む。
それが一年担当の馬術教官であることを知り、ミゲルはアイカに視線を向ける。同時に、アイカも気づいたらしく視線が合うが、アイカは肩をすくめて首を振る。
どうでもいいらしい様子に、ミゲルも無視することにして、へたばっているアイルとラスに近寄る。コールはほぼ回復している。
現在、アイカ達がいるのは修練場。ついさっきまで、馬術の追加課題をこなしていたのだ。なので、この場には教官と他二九名の生徒がいる。
すっかり空気だが。
「権威主義ってめんどくさい…」
「そこに自ら飛び込んできておいて…」
「まぁ、そうだけどね」
「リタイヤすると後々大変だから、頑張るしかないよ」
は~い、と気の抜けたような返事をするセラに苦笑して、アイカは視線を教官と戻ろうとしない生徒達に向ける。
すぅと細くなる色違いの瞳に、教官と生徒達が体をこわばらせて表情を引きつらせる。
細められた瞳に宿る苛烈な光と優しげな笑みを浮かべた口元。はた目には優しげに微笑んでいるように見えるだろうが、向けられた者にとっては恐ろしい。
手を出すな、何もするな。
言動を抑制する厳しさを宿した視線に射抜かれて、生徒達はぎくしゃくと踵を返す。教官はわざとらしく咳払いをして、この場にいる上級生であるミゲル(ラスはまだへたばっている)にもっともらしい忠告をして去っていく。
「「尻尾巻いて逃げたな…」」
アイルとコールの呟きに、そばにいたラスが噴き出す。
事実、その通りであるだけにミゲルは笑い転げるラスを咎められなかった。三十人集まって、少女の眼光に気圧されるとか情けないにもほどがある。しかも、教官は元軍人だというのに。
同じような思考に至った少年四人の視線が、ゆっくりとアイカに向けられる。
恐ろしい視線で三十人を追い払ったとは思えない年相応の微笑みを浮かべて、セラのツボを押している。さっきの様子もわかっているだろうに、セラは気持ちよさそうに声をこぼしている。
((((女って強い…))))
再び、同じ思考に至った四人は、一つ息をついてアイカ達を意識から外す。
「…回復したみたいだから、再開するか」
気を取り直したミゲルの呟きに、アイカとセラが固まった。
セラが課題をこなしている間、アイカ(とアイルとコール)はミゲルとラスの訓練を受けていた。武術と魔術でそれぞれ特化している為、非常に効率的なのだが、どちらもかなりスパルタである。
ラスは巻き込まれて、剣術も訓練したが体力が持たなかった。コールよりも劣ることにラスは本気で落ち込んでいたが。
「もう少し休憩したいです、ロクランジェ先輩」
「ミゲルでいいぞ。セラは良い。来い、アイカ。コールも、動けるだろう?」
「……はい」
「余裕っすよ」
項垂れるアイカと笑顔で伸びをするコール。
正反対な姿に、アイルは吹き出すのをこらえる。
「アイル。動けるようになったら参加しろ。そのまま寝させておかないからな」
笑いをこらえている様子のまま、ピシッと固まったアイルを憐れむようにラスが見る。
ラスは魔術要員なので、今回は免除。さっきは暇つぶしも兼ねていた。
模擬剣を抜いて構えるミゲルに対して、コールは二振りのナイフ(もちろん模造)を構える。
基本的に、士官学校で教える剣術は長剣を用いる。一般的なものであり、貴族や騎士の基本装備でもあるからだろう。
だが、そういった教育を受けていないコールは、元々の運動神経のおかげかかなり強いが、それは下町で培った喧嘩闘法だ。型破りではあるが、実戦には非常に強い。だが、それでは士官として御前試合や闘技大会に出る場合、形式や戦闘法も審査されるのでかなり不利になる。
ひとまず、型だけでも叩き込む必要があるが、その戦い方に慣れてしまうと、本来の強さが出せない場合がある。
それを考慮して、型などは教官に委ね、ミゲルはコールにあった戦闘法を鍛えることにした。両手にナイフを逆手に持つスタイルは、性に合っていたらしく砂が水を吸うようにコールは上達していった。ただ、形式を重視する場合は全くもって無意味だが。
嬉々としたコールに対して、アイカは模擬剣に手を添えてため息をつく。
アイカはどこまでも剣が苦手だった。上達の見込みはなく、ミゲルが言葉を濁したくらいだ。とうにあきらめていたが、今後、課題が追加され続けるのははっきり言って苦痛だ。
一定以上の成績をとるためには、人並み以上に練習を重ねるしかない。
上手くならないものを続けることは苦痛だし、面倒だが仕方がない。
面倒な課題を避けるためには、面倒なことをしなくてはならない。
何ともいやな図式だが、事実なのでアイカはゆっくりと模擬剣を抜く。
ちょうど、コールのナイフを弾き飛ばしたミゲルが視線を向けてきていた。
基礎のままに構えるアイカは、この後にやってくる諸々の衝撃を覚悟して一歩を踏み込んだ。
どれだけ覚悟を決めようとも、結果は惨敗だったが。
※※※
アイカがミゲルに惨敗している頃。
王族としての衣装に身を包み、ルフォルは王宮の廊下を歩いていた。
周囲にいる従僕や女官の視線はさりげなくルフォルから外されている。それは物心つく前からなので、特に気にしていない。だが、いつも無表情の秀麗な容貌には、深いしわが眉間に刻まれている。
(見捨てるんだったら、最後まで放置しておけばいいものを…)
心で吐き捨てながら、脳裏に浮かぶのは玉座に座る父親(らしい存在)。
この場にフィリアがいない理由でもある。
味方がいない二人は、常に行動を共にしていた。たまにいい意味でも悪い意味でもイレギュラーが発生するが。
今日の用事は終わったので、もう戻ってもいいのだがフィリアがやらかした場合が怖いので、なんとなく去りにくい。
思わず足を止めてため息をついたルフォルは、次いで、視界に入ってきた存在を認めてさらに深いため息をつく。面倒なことに、取り巻きまでいる。
相手も気づいたのか、忌々しそうに眉を寄せている。
言葉を交わすのも嫌だが、相手が目上なので仕方ない。ルフォルは脇によけて、頭を下げる。
「…お久しぶりです、オディア異母兄上」
淡々とした声音に、足を止めた青年―――第1王子オディア=ルオン=リボニスは何も言わない。
このまま無視するのかと思えば、口元に嫌味な笑みを浮かべて、取り巻きの一人を振り返る。
「何やら、大きな羽虫がいるようだな。耳障りな羽音がやかましい」
あからさまな嫌味に、取り巻き達が笑いながら賛同する。
それに対して、ルフォルの表情は変化しない。心にも、何も響かない。
ルフォルにとって、オディアはただの他人である。血が繋がっていようが、なんだろうが関係なく、そこらに転がっている石と同じだった。
(取り巻きがいないと何もできないくせに…)
オディアは現在の王妃ソフィーを生母とし、次期王に最も近いとされている。しかし、本人の能力はさほど期待されていない。
学問も武術も、後見である王妃の実家が公爵家でなければ、候補に挙がることはないといわれるほどにレベルが低い。
今年二五になるというのに、王太子として立位していないのがその証拠だろう。本人は、前王妃の子であるフィリアとルフォルが邪魔なのだ、と思っているが。
「汚らしい呪い子はさっさと失せろ。父上達に穢れが移ったらどうしてくれる」
(そうなったら、嬉々として僕達を処刑するんだろうが。まぁ、そんな事態になることはまずないが)
出産時に母体が生死の境をさまようのは珍しいことではない。これ自体に関しては、同情の方が勝る。その後の不幸の連続とて、どう考えても現王妃が何かしら手を加えたとしか思えない。女官や従僕はそれを知っているのか、視線をそらす姿もどこか気まずげだ。
王宮中に疎まれているのは事実だし、貴族からも避けられているのも事実だ。だが、けして敵なわけではない。現状、もっとも権勢を誇っている公爵家二つ(カレゾル公爵家と王妃の生家ウェルシュテン公爵家)の態度に、多くはならっているだけだ。…ちょっとでもへまをしようものなら、敵にまわりかねないということだが。
「僭越ながら、まだ退出するわけにはまいりません」
顔を上げて反論したルフォルに、オディアは怒りを浮かべる。次期王であると思い込んでいるにもかかわらず、感情を隠せていない。
「私どもは陛下の命で参じております。陛下の許可なく、下がることは許されません」
実際は、すでにルフォルは下がることを許されている。だが、オディアと遭遇した時点でフィリアを待つことに決めた。廊下を歩いていた言い訳は、王宮内の自室で待機、とすでに用意している。
王に呼ばれてきたのは事実なので、探られても問題はない。そして、そういわれてしまえば誰も何も言えない。
オディアと取り巻きは苦々しげに唇をゆがめて、舌打ちをする。反論が見つからず、悔しいのだろう。
「…下賤どもと親しむ輩を呼んで、父上は何をお考えか」
腐っても公爵家が後見となっている第1王子だ。情報は集まっているらしい。
下手に抗弁するのは面倒事のきっかけになるので、沈黙する。
目上の者が許可していないのに立ち去るのは不敬なので、ルフォルはそこにいるしかない。
散々、愚痴のような言葉を連ね、満足した頃に鼻を鳴らしてルフォルを放置し、去っていく。
それを何ともなしに見送って、息をつく。
どうでも良い存在だが、悪意を向けられ続けるのは息苦しく感じる。
首を回して、再度歩き始めると再び遭遇した存在にルフォルはヒクリと喉を引きつらせる。
(今日は厄日か…)
そう思ってしまうほどに遭遇した相手が悪かった。
黒髪に翡翠色の瞳をした青年は、ルフォルを見据えたまま無感情な声音を発する。
「用が終わったならとっとと帰れ」
突き放す、というより切りつけるような言葉に、ルフォルは頭を下げる。
「姉を待っておりますので、もうしばらくは…」
「もう十五だろう。互いに姉離れ、弟離れをしたらどうだ」
はっきりと言い切られた言葉に、ルフォルは反論できずに沈黙する。
立場上、どうしても互いに依存しがちだった。それをいい加減脱しなくてはと思ってはいた。アイカ達のおかげで少しずつできているとは思うが、王宮に来るとどうしても互いから離れられない。
不安で仕方ないのだ。
「…自立する気でいるのなら、精神的にもそうであれ」
激励なのか、見下しなのか。
ルフォルにはどちらなのかわからない。
昔から、この青年はいつもそうだった。
「叱咤激励、ありがとうございます。キルト異母兄上」
ひとまず、いい方向に受取って礼を言えば、青年―――第2王子キルト=ルオン=リボニスは何も言わずに去っていく。
男爵令嬢を生母とするキルトは、魔術師として非常に有能であり、研究者として仕事をしている。次世代の王国の頭脳と有望視されており、公爵家を創立するかもしれないと噂されている。
(僕達とは、すごい違いだな…)
キルトの生母はすでに亡く、実家も没落してもはや家名すら残っていない。領地は王家預かりになっている。二十になるキルトは、来年になれば魔法師団の一部隊長となり、王位継承権を放棄して爵位を与えられる予定だ。領地はかつて生母の実家が治めていた土地だ。
すでに未来が確定され、安定されたものが確約されている妾腹で継承順位の低い第2王子。
王妃を生母とし、血筋も才能も確かでありながら与り知らぬところで続いた不幸ゆえに未来は淀んでいる第1王女と第3王子。
あまりにも、差がありすぎた。
唇をかんで、ゆっくりと歩き出したルフォルは、背後で落ちたため息に気付かなかった。
どことなく悄然としたルフォルが自室に向かっている頃。
一人、玉座の前に残されたフィリアは、あふれ出そうな暴言を必死で飲み込んでいた。
(どこまでも、ふざけてるわね)
先王は安定させ保つことに長けていた。そして、現王の治世はその偉業に支えられていると評される。
暗愚というわけではなく、ただ過去のままに行っているだけ。どこまでも平凡なだけの存在。
だからこそ、周囲に流され、その噂のままにフィリアとルフォルを遠ざけ疎んじた。素直ともいえるかもしれないが、父としても王としてもいささか頼りなさすぎる。
だが、先王の唯一の男児であるからか、玉座にある姿は威厳がある。…内実が伴っていないが。
そんな王としては平凡すぎる父親(らしき存在)が先に放った言葉に、フィリアは小さく息を吸って抗弁する。
「恐れながら、陛下。申しげたいことがございます」
「…なんだ」
内容は公的だが、この場は私的なのでフィリアからの発言は不問に処される。それでも、王―――ゼイン=ルオン=リボニスは不満そうに表情をゆがめる。ゼインの中では、すでに確定事項であるらしい。
発言の許可をもらい、フィリアは感謝を述べると立ち上がる。
ひざまずいていたフィリアが唐突に立ち上がったことで、そばに控えている側近達がまなじりを釣り上げる。
公的場ならば、フィリアの行動は不敬と不遜で責められ、処罰されてもおかしくない。しかし、この場は私的の場。つまり、本来、父と娘の会話であるはずだ。
「ここは私的な場であるという宣言を事前に陛下がなさいました。ですので、それにのっとった態度をとっているのです。何か不作法でしたでしょうか?」
先手を打って発言すれば、誰もがくちごもる。
本来、私的な場であるにもかかわらず、父が上座ならいざ知らず玉座に座り、娘をひざまずかせて見下ろしているのがおかしい。
側近が進言した結果だろう、とフィリアは予測しているが、そんなことはどうでも良い。それを受け入れた時点で、ゼインはフィリアを子と見ていないということだ。さっきまでいたルフォルも含めて。
とうに諦めたことだが、改めて思い知らされればさすがに心が痛い。
側近達に話をずらされたが、ゼインはフィリアが勝手にかみついたと思っているらしくさらに不快そうに表情を険しいものにする。
それをほんの少し悲しく思いながら見上げ、フィリアはゆっくりと口を開く。
「陛下のお心遣い、光栄にございます。ですが、私は現在、士官学校に入学したばかりの若輩者。自らで決めた道を、陛下のお言葉といえど中途半端に投げ出すようなものが、そのような光栄を受けたまってよいはずがございません。まして、仮にも王族として生まれた身ならば、国家国民に尽くしてこそと思っております。そのため、母より受け継いだ魔術の才を生かし、僭越ながら人並みに扱える剣にて、国家国民を守る軍人を志したのです。その道、いかに陛下のお言葉といえども曲げることはできません」
淡々と語る言葉に、決然とした態度に、側近達は気圧された。
フィリアが軍人を目指したのは、国家国民のためではない。ただ、王族としての自分に見切りをつけて、自立したかっただけだ。
今回のようなことをしてくるとは、欠片も思えなかったから。思えたとしても、そんな道などまっぴらなので、断る気は満々だった。
今、この時のように。
「私は、このまま士官学校に残ります。卒業後の進路も、自らで定めます。その過程で、必要ならば私は王族の身分を返上することも覚悟しております」
はっきりと言い切ったフィリアに、ゼインが表情を険しいものから驚愕に変える。表情が読みやすすぎる、とフィリアは思いつつも自身には関係ないと切り捨てる。
「王位にも王族の身分にも貴族にも興味はございません。私は私の道を歩み、志した理想のために鍛錬をこなすのみです。……これまで通り、陛下には見守っていただきたいと思います」
それは痛烈な皮肉だ。だが、それを非難することはできない。
見守っていたのではなく、ただ見捨てていただけだ。それを理解しながら、正面から糾弾せずに遠まわしに示唆する。
事実上の幽閉と奴隷化をせずとも、不利益になることはしない。そう言外に込めた言葉に、気づいた者は何人いるだろう。
ひとまず、向けられた当人であるゼインは気づいていない。
「私の心はすでに定まり、覆ることはありません。ですから……此度の縁談、お断り申し上げます」
ゼインに言われたのは、ある公爵家への降嫁。つまり、公爵家という名の檻に放り込み、血と魔術の才を残すだけの奴隷とする、ということだ。
これはゼインが言い出したことではない。士官学校でのフィリアとルフォルの成績を聞いて、側近達が考えたのだろう。
前王妃は高位貴族出身ではなく、かつて国家の英雄とたたえられた将軍の一人娘だった。祖父にあたる将軍の才能を受け継いだのか、剣や魔術に長けたフィリアとルフォルが、武功で名を挙げ支持を得ることを誰か(・・)が危惧したのだ。その誰かを、フィリアはとうに知っている。ただ、口にすることは生涯ない。
ゼインとしては、このまま士官になり、後々の混乱を避けるという建前で王族の身分を剥奪すれば十分だと思っていたのだ。身分を剥奪しても、血筋は残ってしまうので結婚は生涯望めない。
父として、娘と息子の将来を潰す案を当然としているのはいかがなものか。だが、誰もそれを言わない。ゼインにとって、フィリアとルフォルは最愛の女性を死に至らしめた存在でしかなく、医師にどれほど言われてもその認識を改めようとしなかったからだ。王の婚姻としては、珍しく相思相愛だったらしい。それでも側室は複数いるのだが。
「ならぬ」
思惑を悟り、王族の身分を捨てるとまで宣言しているフィリアの言葉を、ゼインは一言で切り捨てた。驚愕から覚め、覚えたのは憤り。自らに逆らう、『娘』の態度に。
それでしまい、とばかりに口を閉ざすゼインに、フィリアの瞳から光が失せる。まるで、生きながらに死んでいるかのように。
この時、フィリアは目の前の男を父と思わないことに決めた。
「…陛下。この場は私的な場でございます」
先に行ったことを繰り返すフィリアに、疎ましそうな視線を向けて口を開こうとするが同じ声音がその先を制した。
「ならば、陛下は『父』であり、私は『娘』です。今時、娘の主張を自らに従わないというだけで切り捨てる父など時代遅れです。まして、親に子を束縛し、命令する権利はございません。子の人生は子のもの。それは当然でありましょう? 一般的に、子が親に従うのは、親が親としての義務を果たしているからです。子を守り鍛え育み導く。それをこなし、果たしているからこそ、子は親に報いようと思うのです。…親としての義務を怠った者に、子は反発する者です。さて、陛下。私は、娘として父に報いる義務があると思われますか?」
遠まわしですらない嫌味だ。
これでわからなければ、本当のバカだろう。
フィリアは、ゼインは親の義務を果たしていない、と言い切った。それが事実であるだけに、側近達は何も言えない。
この縁談が、国益や何らかの政策の一環であるならば、王族としての義務を訴えられるだろうが、そんなものは一欠片もない。だからこそ、誰もが閉口した。
なのに、とうのゼインが口を開こうとした。それは再び遮られたが、今度はフィリアではなかった。
「陛下。フィリア殿下のお言葉はごもっともでありますし、国家に尽くしたいというお考えはご立派なものでございます。それに、この縁談は急ぐものではないかと…」
「ヨシュア…」
「フィリア殿下も公子もまだ成人しておられませんし、ご卒業まで待ってからでもよろしいのでは?」
さり気なくゼインを遮った白髪の老人―――ヨシュアは、先王の時代から侍従長を務めている生き字引だ。侍従長なので、それほど高い身分ではなく、政治にも口出しはできないが、ヨシュアほどに長く王宮に身を置いている者はあまりおらず、生半な者では口答えできない。
そして、それはゼインも例外ではなかった。
渋々とだが、この縁談は保留とする、と告げてフィリアに退出を許可する。
フィリアは扉が閉じる一瞬、ヨシュアへと視線だけで一礼した。それを正しく受け取って、ヨシュアも視線だけで返礼する。
いささか不機嫌さをあらわにしているゼインを横目にとらえ、そっとため息をついた。
(何とも惜しいことだ…。どう見ても、第1王子よりも双子殿下の方が有能だというのに…)
誰かが成した策のおかげで、フィリア達が王位継承に関わることは難しい。それに賛同し、従っている者ばかりが側近にいるのも一因だ。
そして、ゼインにそれを悟り、諌め、見極め、感情よりも理性を優先して判断することが出来ない。
(早々に引退しすぎたのですよ、陛下。全く、王としてはともかく、教育者としては落第ですね)
ヨシュアが思う『陛下』は、今は王直轄地の離宮に住む先王ギルバートのことだ。幼少から知っているため、批評も酷だ。
ゼインが正妃を迎えると同時に譲位したギルバートは、疲れていたのだ。それがわかっているだけに、ヨシュアは強く非難できない。
動乱の処理を、復興作業を押し付けられ、ギルバートの王としての前半は非常にあわただしかった。動乱を招き広げてしまったのはギルバートの父だというのに、とっとと病死してしまったせいで。
だからと言って、次代の教育を怠ったのは許されない。本人的には怠った気はないのだろうが。
(あの様子では、卒業後は王族の身分を捨てて、さっさと国外に出て行ってしまいそうですね…)
軍人や士官候補などが国外に出るのはそう簡単なことではないが、学生としての二年間をフルに活用すれば、それくらいの手はずを整えてしまいそうだ。事実、最初の頃のフィリアとルフォルはそれも視野に入れていた。
身分を捨てても、王族が国外に流れるのは何としても阻止しなくてはならないので、国軍が大慌てで決死の捜索をするだろうが、それに対する策も考えてしまいそうでヨシュアは怖い。
(あぁ、でも、国内にとどまってくれそうではありますね…)
士官学校の状況は王宮にも届いてる。
交友関係の中に、ラバルド侯爵令嬢がいることも把握しているので、そっちの可能性が高いなと心で嘆息する。
ラバルド侯爵リガードはギルバートの従兄にあたり、仲が良い。必然、ヨシュアとも顔見知りだ。その関係で、養女にしたアイカの今後をそれとなく言外にほのめかされ、たどる道をある程度知っていた。それにかすかな同情を抱くが、そのことを知ったフィリアとルフォルがどう動くのかを考えれば、同情心は吹き飛んだ。
(下手をすれば、国内に最大の派閥を作ることになるかもしれませんよ? 陛下)
今度は、ゼインに向けたもの。だが、心で呟かれたそれは当然届かない。
届いたところで、極端な行動に出てしまいそうなので、何があろうと口にする気はない。
(本当に惜しい…。次代の御世に、補佐としてあればこれ以上ないほど頼もしいでしょうに…)
ヨシュアは先々代から当代まで、三人の王を見ている。だからこそ、フィリアとルフォルを王にとは思わない。ただ、類い稀なる逸材であると理解しているからこそ、今の扱いは国にとって不利益だ。
(幸運なのは、双子殿下が王宮を諦めていらっしゃる、ということでしょうね)
それはそれで何とも悲しいが、報復や打倒を掲げられるよりはマシだ。
諦めているからこそ、無用な存在として放置している。それは無関心、と同義だがそのおかげで血の雨が降ることはないのだから、歓迎すべきだ。
ヨシュアのように少し目のある者は、一様に思っている。
災厄級の魔術師を敵に回さずに済むんだから、放っておけよ。
そうすれば、敵にも味方にもならずにいてくれるんだから。
…フィリアとルフォルへの評価が高い証ではあるが、本人達が聞いたら何とも言い難い表情をするだろう。
ちなみに、ヨシュアのような目のある者達(総じて身分が低い)は、フィリアとルフォルを双子殿下と呼んでいる。
当人達は知らないが。