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双玉の戦乙女  作者:
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8/21

第七話:『貴族』

 アイカ達はいつも一緒に行動しているわけではない。

 フィリア達は王族である為に様々な制約があり、セラ達は市民階級である為に教養と作法の授業が貴族階級よりも多い。

 結果、アイカは一人で行動することが多い。

 補習という形でセラ達が授業に行き、公務ではないが王族としての責務にフィリア達が駆り出された。

 暇なので、書庫に行こうかと考えて歩いていたアイカを、一人の少年が背後から呼びとめた。

 黒髪に青い瞳の長身の少年だ。襟のバッジは二年生(士官学校は二年制)であることを示している。

 士官学校に年齢の上限はないが、基本的に十五歳になれば入学するので二年生は十六歳だ。

 上級生、年上、ということでアイカは体ごと振り返って背筋を伸ばす。

 一般的な礼儀はちゃんとある。人によってそれを発揮するかどうか変わってくるが。


「何かご用でしょうか、ロクランジェ先輩」


「…知っていたか」


養父(ちち)が教えてくれましたから」


 アイカの言葉に小さくため息をこぼしながら納得した少年―――ミゲル=ルオン=ロクランジェは、頭一つ分低いアイカを見下ろして眉を寄せる。


「父とラバルド侯爵は仲が良くてな。だからだろう。俺も良く聞いていた」


「…嫌な予感しかしないんですが」


「超攻撃型、と…」


「そう教え込んだのは養父ですけどね」


 ある意味予想通りの発言だが、微妙な濁し方で言葉を選んでくれたのだと分かった。

 ミゲルは話がそれたと言わんばかりに、少々大きめの咳払いをする。


「ラバルド令嬢」


「アイカで構いません。ここでは爵位も何も無関係でしょう」


 それは建前なので、実際は真逆なのだがそれを主張されれば誰も何も言えないので、アイカはそれを押し通す。

 ちなみに、フィリア達に対する言動でも押し通したので、できると実証済みである。


「では、アイカ」


「はい」


「気をつけろ」


 ただ一言、それだけを告げて背を向けるミゲルに、アイカは眉を寄せて呼びとめる。


「それでは意味が分かりません。何に気をつけなくてはいけないのですか」


「俺も、はっきりと分かっていない」


「…どういうことですか?」


「アイカ、ここは身分も爵位も関係なく士官を育成するための場所だ。だが、それは建前となって久しく、実際は身分主義がはびこっている」


 それはすでに分かり切っていることだ。

 だが、ミゲルが息をついて再び口を開いたので、アイカは何も言わなかった。


「その中で、アイカ達のような異分子は疎まれる。それが表面化していないのは、フィリア殿下達とアイカの身分ゆえだ。だが、身分を持たない者もいる」


 ミゲルの言葉に、アイカの脳裏に浮かんだのはセラ達だ。

 身分を持たない友人達。


「いつも一緒にいるのは無理だろう。だが、気をつけろ。ただ疎むだけならば問題はない。無視すれば良いだけだから。問題なのは、力技で黙らせようとするバカどもだ。残念ながら、同級に何人か思い当たる奴らがいる」


 上級生で貴族。

 屈するようなセラ達ではないが、そう言う奴らは手段を選ばない。容易く命を奪い、それに罪悪感を覚えないどころか自分達が正しいと思い込む。

 ある程度なら、ラバルド侯爵家の名前で抑えられる。だが、王族傍流とされているが、あくまで『侯』爵なので上位貴族には表立って喧嘩を売れない。『公』爵は、王族が創立した家に与えられる爵位なので、ラバルド侯爵家よりも格が上なのだ。


「…俺は、アイカ達のような存在を好ましいと思う」


 ふいに優しく落とされた呟きに、アイカは険しくなっていた表情をわずかに緩める。


「血筋も身分も歯牙にかけることなく、ただ対等に在り続けることが出来る稀有な存在だと思う。だから、気をつけろ。それぞれに目指すものがあるのなら」


 認める言葉にアイカは知らずに込めていた力を肩から抜く。

 気にかけてくれている人の存在が、どれほど有り難いかを知っているから。


「分かりました。十分に対策を練り、気をつけます」


 素直に頷いたアイカに、ミゲルはふっと笑みをこぼした。


「…頑張れ」


 激励の言葉を落とすように呟いて、ミゲルは今度こそ背を向けて去っていく。

 それを見送って、アイカは息をつく。


 ミゲル=ルオン=ロクランジェ、十六歳。

 ロクランジェ公爵家次男。建国期からある名家中の名家であり、ラバルド侯爵家とも縁が深い。

 他の貴族と違い、病弱な兄に代わって軍事方面を補佐する為に士官学校に入った真面目で実直な人柄で、貴族以外の人に慕われている。

 下位貴族や騎士階級とも仲が良いらしく、成績も優秀。

 あらゆる意味で完璧に近い人物として評価されている。

 面倒見がよく、度々助言を口にする。それは的確で、助けられたものも少なくない。


 だが、少しばかりこの忠告は遅かった。


※※※


 教養授業は男女別に行われる。

 女子はアイカとフィリアを含めても七人しかいない。

 その内、教養授業に参加しているのはセラを含めて三人。

 貴族ではないとはいえ、騎士の家の出身らしい。

 授業後、出された課題はセラよりも少ないのは彼女達が騎士としての礼節を叩きこまれているからだ。それでも、高位貴族と接するには不十分だと判断され、補習を受けているのだろう。

 渡された課題を見て、セラはため息をつく。


(明日の朝、ね…。終わるかどうか判断できないのかしら、教官のくせに)


 苛立ち交じりに心で愚痴っていたセラだが、ふいに足を止める。

 寮への廊下の途中だ。もう少しで分岐が来て、左に進めば女子寮にたどりつく。

 分岐まで数メートルの距離で、セラは振り返る。

 セラは自分が弱いことを分かっているので、属性を生かして探知魔法を定期的に使用している。さほど難しくないうえ、訓練にもなり、危機回避も出来る、という一石二鳥だ。

 今回、それに気配が引っ掛かった。


「…後をつけられるいわれはないわ」


 刺々しさを隠さずに言い放てば、柱の陰から三人の少年が出てくる。

 その手には武器はない。ただ、士官学校にいるのなら武器がなくとも気をつけなくてはならない。兵は魔術師でなくともなれるが、士官になるには魔術師でなければなれないからだ。

 バッジから二年であることは分かった。だが、状況から考えて、上級生として敬意を表せるタイプではないことは分かった。


「セレティエス=フォルクリア、か」


「どちらさまですか」


 紅い髪に黒い瞳の少年が低い声で確かめるように呼ぶ。

 一学年上という以外に外見の情報がない状態で、突然名前を呼ばれても反応のしようがない。警戒するのは当然だ。

 だが、少年はそれが気に入らなかったらしく、眉を寄せて小さく舌打ちをする。


「…南方蛮族が」


 黒髪に金の瞳の少年が吐き捨てるような言葉に、セラの視線が険しくなる。

 セラの本名はリボニスでは珍しい。大抵はフィリアやルフォルのように略する必要のない名前だ。

 大陸の周囲には大小様々な島が浮かんでおり、それぞれは海運商業同盟として連携を組み、独立している。ただ、文化や生活環境の違いからか、大陸諸国(一部)から蛮族と蔑まれている。海賊行為をしていた時期もあるので、警戒されるのは必然ではあるが。

 セラの母親は南方の島出身で、共通の友人(商業関連)で父親と見合い結婚をした。

 母親の故郷では、セラのような名前は珍しくはない。セラの兄姉は全員が同じように少々長い名前だ。

 名前で出身が分かるのは珍しくない。だが、それを侮辱されるいわれはない。


「…御用がないようですので、失礼させていただきます」


 感情の宿らない声で言うと、背を向ける。


「身の程をわきまえろ」


 侮蔑の宿った声にセラは微笑みを浮かべて振り返る。


「身の程? 弁えていらっしゃらないのはどちらでしょうか?」


「なにっ?」


「ここでは爵位は関係ないので、年の差と学年しか敬意を示す指標がありません。…わたしの言動は何かおかしかったですか?」


 敬語を崩さず、姿勢を伸ばして視線を合わせている。

 下級生として十分に身の程をわきまえているといえる。


「わたしが言うべきでことではないと思いますが…」


 微笑みながら、わずかな苦さを含んだ声で意味ありげに言葉を切る。


「エルクイド侯爵、ラスクンド伯爵、バーディス伯爵ごときが何を言っても、負け犬の遠吠えに聞こえますよ?」


 実家の爵位を振りかざす行為は、首を締めることになる。

 それをこめて、お前達如きが何を言う気か、と告げる。

 激昂しかけた少年二人を、栗色の髪に濃灰の瞳をした小柄なもう一人が前に出て抑える。その表情が強張ったことで、理解したのだろう。いや、もしくは理解していたが言われると思っていなかったのか。


「…王族と侯爵の威光を商人の娘ごときが、口にするか」


「そんなつもりはありません。ですが、僭越ながら、殿下方と侯爵令嬢はわたし達を友人とおっしゃってくださいました。それなのに、わたしが卑屈になっていてはいけないでしょう? 友人は、対等だからこそ、なのですから」


 友人関係に上下があってはいけない。それは友人ではない。

 身分の上下を気にすることを、アイカ達が嫌がるとセラはすでに知っている。

付き合いは短い。だが、それでも十分に知れることがある。

市井に生きた侯爵令嬢。疎まれ続けた双子。

 三人が望むのは、ただひたすらに『自分』を見てくれる存在。

 家族ではなく、他人でなくては意味がない。そうしてようやく、三人は『自分』であれる。

 大きすぎる名前を背負うからこそ、求めた。

 誰もが当たり前に持つ、対等で公平な他人の視線とその姿を。

 アイカはともかく、それに餓えていたであろう双子を見たから。

 だからこそ、セラは背を曲げない。視線を逸らさない。

 対等であることを望まれ、一度でもそれにこたえたのなら、中途半端であってはならない。最後まで、貫き通さなくては。

 それは一つの覚悟だ。

 先頭の少年は、セラの瞳からそれを察したのか、拳を握る。


「セレティエス=フォルクリア。その覚悟に、偽りはないか」


 その問いに、この一人は他二人とは違うと思ったのか、セラは笑みを消して頷いた。


「魂に誓って」


 厳かな宣誓に、少年は疲れたように息をつきながら小さく笑みを浮かべる。


「そうか…。同輩の非礼を詫びよう。すまなかった」


 素直に謝罪をする少年に、二人は文句を言っているがセラは一礼した。


「わたしの方こそ、失礼な発言をいたしました。申し訳ありません」


 丁寧で優雅な礼に、少年は眉を寄せる。


「いや……、課題があるのだろう。引き止めて悪い」


「いいえ。それでは」


 何か言い淀んだ少年は、諦めたように視線を逸らす。それに気付きながら頓着せず、セラはあっさりと背を向けて歩き始める。

 少年はセラの背中を見つめながら背後の二人に告げる。


「…どちらが正当か、分からないほどのバカなら、おれはお前達を見限るぞ」


 返答を望まない、叩きつけるような言葉に二人は不満げにしつつも項垂れて、歩き出した少年について行く。

 それを気配で察して大きなため息をつく。


(フォルクリアの方がよほど大人だな…)


 喧嘩を買う気満々で待ち構えていたのはどうかと思うが、同輩二人よりは確実に大人だと思った。

 教室まで行けば、出てくる時にはいなかったはずのミゲルがいて、少年は目を瞬く。その後ろで、二人は表情をこわばらせるとそそくさと荷物を持って帰って行った。

 それで少年は理解した。ミゲルに忠告されるかしていたにもかかわらず、行動したのだと。


(ロクランジェを敵に回す気か、あいつらは…)


「…意外だな」


「何がだ?」


「お前が、あいつらと行動するとは思っていなかった」


「…ほっといたら、取り返しのつかないことをしそうだったからな」


「あぁ、なるほど」


 少年のため息交じりの言葉で、ミゲルは理解したらしく苦笑を浮かべる。


「お目付け役、御苦労」


「そう言うお前は、後輩に忠告か?」


 一年以上同じ教室で過ごしてきたのだ。ミゲルの面倒見がいい性格は熟知している。だからこそ、早々にいなくなったミゲルがどこにいたのか、予想できた。


「遅かったようだがな」


「そうだな。…ミゲル」


「何だ」


「カレゾルを見たか?」


「…いや?」


 問いかけ、答えて、二人は同時に頬を引きつらせた。

 ミゲルが警戒していた中で、最悪の人物。

 少年が青ざめるほどに、危うい存在。


「先に行くぞ、ラス」


「あぁ」


 頷き、ミゲルが教室から駆けだした直後、そう遠くないところで魔法が炸裂する音がした。

 速度を上げるミゲルに対して、少年―――ラスはある物をロッカーから持ち出し、かける。その速度は平均より速いという程度で、けして運動が得意ではないことが伺えた。


(…白兵戦はラバルドの専売特許であって、おれのところは真逆なんだよっ)


 悪態をつきつつも、足を止めることはない。


 ラス=ルオン=エルクイド、十六歳。

 ラバルド侯爵家と対で呼ばれる名門貴族、エルクイド侯爵家三男(末子)。

 白兵戦に秀でるがゆえ武門のラバルド、と言われているのに対して、エルクイド侯爵家は武よりも文、剣よりも魔術、政治よりも研究、という家柄だ。野心がなさそうではあるが、侯爵までなっている以上そんなわけがない。一般的な貴族として見るなら最上位なのだから。

 そんな家に生まれたラスも例外ではなく、運動や武術は得意ではない。人並み以上には出来るが。

 小柄な体躯もあいまって、あまり強そうには見えないが魔術に関するエキスパートであり、魔術の成績は主席を維持し続けている。


 彼がたどり着いた時、その場は一部の人間にとっては地獄と化したていた。


※※※


 男女別の教養授業を終えて、アイルとコールは面倒なことになったとため息をついた。

 基本的に、アイルとコールは二人でいる。ルフォルが別クラスだからなおのことだ。アイカとセラもたまに合流するが、こっちはこっちで二人でいることが多い。

 だからか、周囲の視線や感情を気にしていなかった。何事もなかったからかもしれない。


(まぁ、今まで何もなかったのがおかしいんだよな)


(周りにいたのがいたのだからな)


(尻込みするか)


(当然だろうな)


 この会話、小声ですらなく視線を交わしあっての意思の疎通だ。仲の良さが伺える。

 アイルとコールは、同級生と上級生に周囲を囲まれている。

 正面に立つのは、金髪に黒い瞳の少年。中肉中背で平凡な容貌だが、しっかりと鍛えられていると制服の上からでも分かる。

 バッジから上級生であると分かり、中心人物であることは状況的に理解できる。


(リンチフラグ…?)


(結構余裕だな、アイル)


(多分負けるけど、騒動起こそうもんならさすがに教官達やってくんじゃねぇ?)


(…まぁ、その場合、オレ達は切り捨てられる側だろうけどな)


(元から期待してないけどな)


(確かに)


 自分達のあらゆる意味で危機だというのに、二人はのんびりしていた。

 元より、身分差別があるのは自覚していた。最初から簡単にはいかないという覚悟があったので、こういう状況は予想していたので驚きはない。

 ただ、アイカとフィリア達のおかげでこうなるのが遅れただけだ。


「余裕だな、ガキ」


(一歳しかちがわねぇよ)


 アイコンタクトで会話をつづける二人に、正面の少年が腕を組んで鼻を鳴らす。

 目立った特徴がないが、つり上がった瞳を細めて向けられる視線は物理的な鋭さを持っているように感じられる。言ってしまえば、非常に目つきが悪い。


「…何かご用でしょうか」


 これ以上不機嫌になられて、最悪の事態になられてはたまったものじゃないので、ひとまず下手(?)に出て見た。

 それは意味のないことだと、直後に実感する。


「上級生として、分をわきまえない下級生に灸をすえに来ただけだ」


 ゆっくりと上がった少年の手がバチリと音を立て、光が弾けた。

 視認したコールは、とっさにアイルを庇って前に出る。


「 『衝雷(サンダー・ボルト)』 」


 けして威力の高い魔法ではない。ただ、熟練の魔術師が使えば下級魔法でも高威力を発揮する。

 直撃したコールは、一瞬意識がブラックアウトする。同じ雷属性である為かすぐに意識が回復する。だが、立ち上がることは出来ず、膝をついたまま必死で呼吸を整えようとする。

 一時的に肺機能がマヒしていたらしく、呼吸音とリズムがおかしい。

 それに慌て、今度はアイルがコールを庇うように前に出る。だが、二人は囲まれている状況だ。背後にも気を配らなくてはならない。


「お友達ゴッコ、か。胸糞悪いが、そこにあの三人を巻き込むんじゃねぇよ」


 逆に巻き込まれたのだが、身分主義の立場から見れば、アイルとコールが張り付いているように見えるのだろう。それに対しては何を言う気もない。こんな対応は分かり切っていた。

 それはアイカ達も同じで、だからこそ、遠慮なく接し折りにふれて言葉に滲ませて手を出させないようにしてきた。

 別クラスや上級生にはあまり浸透していないことも理解していたが、まさかここまであからさまな実力行使に出るとは思ってなかった。

 基本、学生同士の私闘は禁止されている。決闘は許可が出ればできるが、教官三人の同意書と立ち会いが必要になる。

 この状況は、明らかに私闘だ。しかも、多勢に無勢での弱い者いじめだ。

 入学して三ヶ月弱のアイルとコール相手に、上級生が十人近く、その上同級生が十五人ほどいる。

 殺す気なのかと問われれば否定できない状況だ。


「農民ならそれらしく泥まみれになってはいつくばってろ。商人は金もうけが仕事だろうが。分不相応なんだよ。『雷撃(サンダー)』 」


 言葉尻に乗せられた詠唱を防げたのは、さほど魔力を込めていないからだろう。遊んでいるのかもしれない。

 歪んだ口元から発せられる言葉には、毒が含まれているかのように淀んでいる。だが、自身が正しいと思っているように真っ直ぐに力強く向けられる。


「生まれた時、そいつの人生は決まってんだよ。貴族は貴族、軍人は軍人、騎士は騎士、官吏は官吏、商人は商人、職人は職人、農民は農民。まぁ? 権力欲ってのは誰にでもあるもんだからな。手にしたいってのはしょうがねぇんだろうが、取り入る相手をあらゆる意味で間違えたな」


 ハッと鼻で笑う少年に、アイルとコールの視線が険しくなる。

 あらゆる意味、を理解したからだ。

 おそらく、アイカに関しては正しいということだろう。ラバルド侯爵家とアイカの立ち位置を考えれば、負の要素は祖父と母が市井の出身ということくらいだ。だが、それゆえに生半可な者が近づくのは危険だ。立場的にも身分的にも、それこそあらゆる意味で。

 フィリアとルフォルに関しては、間違えた。王族として末端に位置付けられ、疎まれている二人に近付いても意味がない、と。


((何も知らないくせに…))


 アイルとコールは、短い間で知った。

 フィリアとルフォルが、どれほど王族として異端で、人として正常なのか。

 正反対の印象を抱かせるほどに、二人は正しく異端なのだ。

 それは貴族に対する不信と怒りが強いアイルとコールの意識を、少しばかり和らげたほど。


「同じように士官学校に入れたからといって、貴族になれたわけじゃねぇ。勘違いせず、分をわきまえて静かにしてろ。でしゃばるんじゃねぇ」


「……うるせぇ」


 低いうなり声は、アイルの背後から発せられた。

 膝をついてうなだれていたコールが、下から少年を睨み上げる。


「あんたに言われる筋合いはねぇよ。オレ達が誰と一緒にいようと、あいつらがオレ達と一緒にいようと、あんたには関係ねぇだろ」


「…口の利き方がなってねぇな」


 舌打ちする少年は、再度手を上げる。

 さっきよりも大きな光が弾けた。


「 『氷盾(アイス・シールド)』ッ!」


 反射的に防御したアイルを、少年は嘲う。

 瞬間、アイルの背後から『雷撃(サンダー)』が発射される。それを同じ魔法でコールが相殺する。

 視線だけで振り返れば、こわばった表情の同級生がいた。おそらく、初めて人に向かって魔法を使用したのだろう。


「生意気な奴には躾が必要だな」


 嘲笑を深め、一歩、二人に近付く。


「あぁ、気にすんな。安心しろ。結界が張ってあるから、教官も誰もこねぇよ」


 面倒事を避けるために、事前に色々と策を講じていたらしい。

 これは本格的に痛めつける気でいる、と理解した二人は体を強張らせる。

 おそらくほぼ上級生だろう。手を掲げ、同時に口を開く。

 だが、そこから音が発せられることはなかった。


「 『爆炎(エクスプロージョン)』 」


 感情を無理に抑えたかのような堅い声音と同時、結界を粉砕する真紅の炎が視界を埋め尽くした。響く轟音とガラスが砕ける音に、耳鳴りがする。

 誰もが驚愕して硬直する中、声に聞き覚えのあるアイルとコールは知らず肩から力を抜き、同級生の一部は青ざめた。


「下級生の指導も上級生としての責任。ですが、これはその域を逸脱しています。…そうは思いませんか?」


 丁寧ながら、刺々しい声に、少年は体ごと振り返る。それにつられて、周囲の数人が振り返る。

 ゆっくりとした足取りで、歩み寄ってくるその姿に、少年は笑みを消す。


「これはこれは…お初にお目にかかる。アイカ=アディス=ラバルド侯爵令嬢」


「初めまして、フェナル=ルオン=カレゾル先輩」


 少年―――フェナルは無表情に、アイカは無感情でありながら大きな瞳に怒りを浮かべていた。


 フェナル=ルオン=カレゾル、十六歳。

 四代目国王の弟が創立したカレゾル公爵家嫡男。さらに、彼の母親は現王の異母妹だ。生母の身分が低いので、王位継承権は元より持っていなかったらしいが、それゆえに微妙な立場(現王にはこの妹しか兄弟姉妹がいない)でプライドだけは高く育った。

 そんな母の教育が原因か、どこまでも貴族でありすぎる彼とアイカの相性は最悪。親同士も、犬猿の仲だった。

 フェナルは非常に成績が良く、実戦における才能が高かった。武ではミゲル、魔術ではラスだが、フェナルは総合的にレベルが高いのだ。

 アイカの素養がいくら高くとも、現時点ではフェナルに軍配が上がる。


 …はずだった。


※※※


 駆け付けたミゲルには状況の把握が出来なかった。数分、遅れてやってきたラスにもできなかった。

 ただ、二人ともが思ったのは、現王の甥を敵に回したとか、士官学校の一部を破壊したとか、重傷者が多数出たとか、そんなことじゃなかった。

 瓦礫と化した壁はいくつもの刺が生え、それによって傷つけられた生徒達が痛みにうめいている。柱は高温の炎にあぶられたように黒く焦げていた。いたるところにやけどを負った生徒もいる。

 その中で、ミゲルとラスを除けば、立っているのはアイルとコール、そして、アイカとフェナルだけだった。

 フェナルの表情はこわばり、顔色は青い。

 いつも不敵な表情を浮かべながら、集団戦でミゲルとラスを圧倒する姿からは、想像できない。

 ミゲルとラスからは、アイカの後ろ姿しか見られない。だが、アイカが怒髪天を衝く勢いで怒り狂っているのが分かった。

 溢れ出た魔力の奔流が、アイカの周囲の景色をゆがませているからだ。

 この状況に至るまでの会話を知っているのは、アイルとコールだろう。

 だが、二人もアイカの気迫に呑まれているのか青ざめて固まっている。


「エルクイド先輩…」


 背後からかけられた声に、ラスはぎこちなく振りかえる。

 そこには、息を切らせたセラがいた。炸裂音を聞いて慌ててやって来たのだろう。

 セラの視線が自分の手元に向かったのを見て、ラスは苦笑する。必要なかったかもしれない、と。

 だが、セラはそれに安堵したように息をついた。


「お願いがあります。アイカを止めて下さい」


「どういうことだ?」


「こんなことに遭遇するのは初めてですが、アイカは感情的になることがほとんどないんです」


 それは、セラ達が疑問に思い、気にかけていたことだ。

 アイカのテンションは常に低く、面倒くさがりで大抵のことは流してしまう。興味も好奇心も人より薄く、感情が露になることも少ない。

 そんな人が、感情的になって動いたらどうなるのか、考えるだに恐ろしい。

 まして、アイカの能力は非常に高い。発展途上といえど、純粋な魔力と素養から考えれば学校随一だろう。

 激情に触発されてそれらが爆発しないとどうして言える。

 その爆発が、大したことがないとどうして言える。

 セラから語られた言葉に、納得したミゲルとラスがアイカに振り返った直後、ラスは無意識に踏み出していた。

 アイカがその手を上げたからだ。何をしようとしているのかは分からない。だが、この状況的に魔法を行使しようとしているのは理解できた。

 だから、ラスは手に持っていた物を構えてアイカと相対する。その姿は、フェナルを庇う様ではあるが、フェナルの方が頭半分背が高いので体格的には庇いきれていない。

 アイカは見覚えのない小柄(アイカよりも頭半分高い)なラスの登場に、瞳を丸くする。構えられている得物にも。


「それくらいにしておけ、アイカ=アディス=ラバルド。これ以上は…ただの暴虐だ」


 言われ、アイカはようやく周囲を見る。

 死者はいないが、重傷者はいる。それを理解して、アイカは息をのみ青ざめた。自分がしたことに気付いたのだろう。

 その様子を見て、アイルとコールはホッと息をつく。

 アイルの肩を借りて、コールはふらつきながら立ち上がる。


「アイカ…」


 コールの静かな呼びかけに、アイカはビクリと肩を震わせる。

 恐る恐ると向けられる視線にコールは苦笑する。


「助かった」


 感謝と安堵が詰まった一言に、アイカは泣き笑いのような表情で頷いた。


「…カレゾル」


「…ロクランジェ」


「これに懲りて、無意味な差別はやめておけ」


「無意味な差別だと? 差別をした覚えなどない」


 その言葉に、アイカの緩み始めていた気配が固くなる。だが、ラスが腕を一閃させたことで気配は霧散する。同時に、フェナルが頬を引きつらせる。

 ラスが手に持っている得物は、ラスの身長ほどの槍だ。だが、槍とは少し形状が違う。柄の両端に片刃の穂先がついている。刃が向く先は逆だが、アイカとフェナルの首筋にピタリと添えられている。

 扱いの巧みさに、積み上げられた膨大な努力が垣間見えた。

 よどみなく、皮一枚で止められている。初めて向けられた凶器の刃に、アイカの背筋を氷塊が滑り落ちる。

 ラスの武術成績は学年で六位だ。主席がミゲル、次席がフェナルだ。

 不得手といえど、総合順位上位者であるラスの武術の腕は、一介の騎士を越えている。


「カレゾル。分を弁えるのは当然だ。お前の言い分も正しい。身分というものは、秩序を保つために必要だから存在する。だが、身分が上だから下の者を虐げて良いということはありえない」


「虐げた覚えはない。礼儀のなってないクソガキどもに説教していただけだ」


「お前が礼を尽くしていないのに、か」


「お前だって分かっているだろうが。身分というのは厄介だ。平民相手に親しげにするのは、侮られる理由を作ることになる」


 カレゾルもロクランジェも公爵家だ。王族の系譜に連なり、特にカレゾルは現王の妹が嫁いでいる。

 下手に親しくすることは出来ない。それはミゲルにも理解できた。

 だからこそ、ミゲルは忠告を絡まれるだろう当人達ではなく、アイカにしたのだ。身分的に問題ない相手を選んだ。フィリア達は曲がりなりにも王族なので、おいそれと声をかけられない。

 だが、それを考慮してもフェナルは過激すぎる。


「確かにな。だが、それは言葉を尽くせば出来ることだろう」


「痛い目を見なければ分らないこともある」


「それは最終手段だ。段階があるはずだ」


「…たかが農民、商人にその段階を踏み、下手に出て礼を尽くせとぬかすか」


「誰も下手に出ろなんて言ってないわ」


 刃を向けられている恐怖を押しやって、アイカが口を開く。

 自分を挟んで行われていたミゲルとフェナルのやり取りを、アイカも理解できた。アイカとて王族の系譜につながっているのだから。


「たかが、と考えないで。誰かが何かを担い、それがすべて違うからこそ世界は成り立っている。生まれが違うだけで、命は全て等しいのだから」


 この言葉には、ミゲルとラスも瞳を瞬かせた。

 二人は国内でも最上級の貴族だが、その考え方は良心的で平等だ。だが、それは少なからず上から目線のものだ。二人にその意識がなかったとしても。だから、アイカの言う、命は全て等しい、という言葉が理解できなかった。

 セラ達も、王属傍流の貴族から発せられるとは思えない発言に呆然とした。王侯貴族というのは、民を数でしか考えないものだ。どれだけ慈悲深いと言われようと、結局は王侯貴族が民を個として見ることはない。

 それが当然で、アイカのような考えの方が異常だった。


「貴方がバカにした民がいなくては、国というのは成り立たない。王侯貴族の義務を放棄して、自分の考えを押し通すのはそれこそバカのすることよ」


「…お前にとって、王侯貴族とはどういうものだ」


 それは些細な好奇心。

 呆然としたように呟くラスには視線を向けずに、フェナルを睨むように見据え、アイカは端的に告げる。


「民への奉仕者」


 歴史において、国が王が倒れるのは民の反乱が原因であることがほとんどだ。有象無象の集まり、と見下していた民の微力によって権力と武力を握っているはずの王が倒される。

 それはすなわち、民がいなくては国も権力も成り立たないということを意味している。そんなもの、歴史を一通り学んでいれば分かることだ。アイカにとって、それが分からない者達が理解できない。


「身分という者が厄介だと分かるわ。それ相応の態度、矜持を示すことが必要だという事も。痛いめを見せることも必要でしょう。けれど、それらは根底に相手を尊重する想いがなければ意味がないわ」


 ただ見下し、蔑んだ言動を続けた結果は歴史に出ている。

 それを告げれば、ミゲルとラスが瞳を大きく見開いた。セラ達の表情がただ静かになり、今までとは違う小さな光が宿った瞳を向けている。

 誰もが沈黙したその場に、軽やかな拍手の音が響く。


「さすが」


 アイカを称える笑みを含んだ声に、フェナルは苦虫をかみつぶしたように表情を歪める。

 セラの後ろに現れたのは、王族の責務で王宮に出向いていたフィリアだった。その後ろには、ルフォルが面倒そうにため息をついて立っていた。


「カレゾル公爵公子」


「…何でしょうか」


「貴方は正しい。でも、アイカも正しい。考え方は人それぞれ、人の数だけ違う考えがある。だから、全ての考えは正しく、そして間違っている。…今回、アイルとコールに行った『説教』はアイカ、ロクランジェ公爵公子、エルクイド侯爵公子、そして、私と弟が間違っていると判断した。これがどういうことか分からないわけではないでしょう」


 これだけの有力貴族と王族(疎まれていても)が非難している。これ以上、主張を続けるのは得策ではない。

 それを示唆されて、フェナルは舌打ちをする。

 いくら現王の甥という背景があるにしても、ラバルドとエルクイドの二侯爵家にロクランジェ公爵家を敵に回してはやっていられない。三家とも飛び抜けた実力と功績を持っているからこそ。

 特に、ラバルドとロクランジェは全力で対立してくるだろう。エルクイドは色々と複雑な事情をはらんでいるから微妙なところだ。

 それでも、二家を敵に回すのはまずい。

 脳内で計算が終わったのか、フェナルはフィリアに向かって頭を下げた。


「…やりすぎだったようですね。行き過ぎた指導を認めます」


「頭を下げるべきは私ではないでしょう」


「殿下。それは確かですが、我が母は殿下の叔母であることをお忘れなきように」


 フェナルは王族傍流であるというだけで、王族ではない。だが、フェナルの母は違う。公爵家に降嫁したとしても、彼女自身の身分は王に剥奪されない限り王族のままだ。

 王族を母に持つ、ということの重みがあり、むやみに頭を下げることは出来ない。役職上の上司や身分が上ならばまだしも。

 現状、家の勢力は別にして、フェナルより身分が上なのはフィリアとルフォルだけだ。曾祖母が王族であるアイカも、初代以降王族と姻戚関係を結んでいないミゲルも、王族とは縁続きではないラスも、フェナルより下なのだ。

 王女の息子であるフェナルが、平民に頭を下げたことが知られては、色々とまずい。

 それは分かっているので、フィリアも言っただけなのだろう。

 小さくため息をついて、鋭い瞳を向ける。


「ならば、友人に代わって私フィリア=ルゥナ=リボニスが謝罪を受け取る。今後、このようなことをしないように心掛けてもらいたい」


「…了解しました。殿下、一つ申し上げておきます」


「何でしょう」


「ここにおいては、殿下は下級生。その旨、ご理解いただきたい」


「…この場を離れた後は、先輩として敬おう。ただし、またこのようなことがあれば、容赦はしない」


 その言葉に、フェナルは小さく笑う。小馬鹿にしたような笑みだ。それがどういう意味か、フィリアは理解した上で見ぬふりをする。


「かしこまりました」


 頷いたフェナルは、軽傷の同級生達に重傷者を担がせて、去っていく。

 それが見えなくなってから、ラスは槍をおろした。

 微妙な沈黙が降りる中、ため息をついたアイカはフィリアを振り返って苦笑した。


「…ありがとう、助かった」


「なら、良かったわ」


 あの場で、フィリアが出てこなければいつかアイカはフェナルに魔法を向けていただろう。それで、フェナルが死ぬかも知れなくても。

 だからこその感謝に、フィリアはことさら軽く応じる。

 そこに小さな笑みが浮かび、ミゲルとラスは肩から力を抜く。

 何とも言えないしこりを、心に抱えて。







 破壊された廊下は、ミゲルとラスがごまかした。どうごまかしたかは、アイカ達には分からない。ただ、どこか手なれた二人に、去年も同じようなことがあったんだろうなぁ、と思って全員が口をつぐんだ。

 面倒見のいい先輩達と知り合えて幸運だ、と思うことにして。


 入学から三ヶ月弱。

 『貴族』と『平民』。その身分の差を思い知らされた、初夏のことだった。









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