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双玉の戦乙女  作者:
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16/21

番外・一:『エルクイド侯爵家の内情』


 握りしめた内定書類を見下ろして、ラスは小さな笑みを唇に乗せて、門をくぐった。

 エルクイド侯爵家王都屋敷は、実はラバルド侯爵家王都屋敷に近くてロクランジェ公爵家王都屋敷からは遠い。家同士の交流はどちらもほぼないが。

 馬車を使わず、寮から徒歩でやって来たラスを、守衛はすまし顔で見送る。それに対してラスは片手をあげて簡単な労いの言葉をかけると、守衛はほんの少し目元を和らげた。

 良くも悪くも当たり前の貴族であるエルクイド侯爵家において特殊な立場のラスに対し、使用人達の態度は二分する。守衛のように好意的な者と無関心な者に。

 だからこそ、ラスは実家に対して愛着も好感も欠片も持つことが出来なかった。味方のいない場所で、自己を保つのは非常に難しく辛いことだったのだ。

 豪奢な玄関扉を抜ければ、待ち構えていたらしい侍女達にラスはついて行く。当主に会うのに、士官学校の制服ではだめなのだろう。

 ラスにとってはどうでも良いのだが、抵抗する気も文句を言う気も起きなかった。この家で、ラスの立場は侍女達よりも低い。


(ようやく、だな…)


 士官学校入学時から考えていたことを実行するのは、この時しかなかった。これを逃したら、次はいつ訪れるか分からない。

 ラスにとって、待ちに待った時であり、同時に、唯一無二の正念場だった。


※※※


 絹糸の刺繍が施された礼装(略式)に身を包み、ラスが足を踏み入れたのは家族が集うダイニングだった。応接間や執務室でなかったのは、ラスを『家族』の枠に入れている証拠だろうが、ラスにとってはどうでもよかった。

 上座に座るのは、口ひげを蓄えた初老の男性。がっしりとした体格と厳格そうな雰囲気に似合った少々厳つい強面で、入り口付近で立ち尽くすラスを見据える。


「…第四師団への入団が決まったそうだな」


 挨拶も着席を促すよりも、何よりも先に発せられた言葉に、ラスは何も感じなかった。

 第四師団、と聞いてラスが口を開くよりも先に反応したのは、同じテーブルの席についている太った青年だった。二十代半ばほどだろうか。

 顔立ちは悪くないのだが、内面の問題だろうか微妙な醜悪さがにじみ出ている。


「臆病集団ではないか。…まぁ、お前には丁度いいか」


 ふんと鼻を鳴らす青年を、ラスは横目で一瞥する。それ以上の反応はなかったが、もう一人の青年が鋭い視線を向けて口を開いた。


「お前が言えた義理か、ディーク。軍にいた五年間で何をしていたのか知っているんだぞ」


 太った青年―――ディークは、口をへの字に曲げてそっぽを向いた。非常に子供っぽい行動だが、本人はどうとも思っていないらしい。


「やめろ、ロギス。今はディークのことではない」


「…申し訳ありません。父上」


 もう一人の青年―――ロギスは、男性―――当代エルクイド侯爵ザインに頭を下げる。

 それら一連のことを、ラスは冷やかに見据えていた。

 ラスにとっては、実の父と年の離れた異母兄二人だが、良い思い出も感情もない。

 さらに、この場にはザインの正妻でありロギスとディークの母である侯爵夫人フィアレと三人の異母姉、ロギスの妻であるサラがいる。

 フィアレはラスのことはいない者とみなしているようで、完全に無視している。異母姉三人は、一人を除いて嫌悪をあらわにしていた。サラはチラチラとラスに視線を向けているが、夫の様子から気に掛けることも難しいようだ。

 まともに相手できそうなのはサラだけだが、ラスは相手をする気がないのでザインが話し出すのを待つ。


「どこの所属だとて構わん。エルクイドの名に恥じぬよう、しっかりやればよい」


 家のために動くのを当然と思っているザインに、ラスは内心で嘲笑を浮かべる。


「…最終成績は総合で三位、か。中々だな」


 何位なら文句がないのか、とかはもう聞く気はなかった。

 ラスにしてみれば、化け物二人がいるのにどうしろというのか、という感じだ。それらに次ぐ順位を維持しているだけでも、十分だ。

 化け物が誰なのかは言わずもがなである。


「ラス」


「はい」


 呼びかけに、無感情な声を返す。

 無表情で視線を向けて来るラスに慣れているのか、誰も反応することはない。


「卒業祝いだ。望む物をやろう」


 何が欲しい、と続く言葉は一見親らしく思えるが、その根底にあるのが利用価値がある道具という認識だからラスが感謝を抱くことはない。


「…なんでもよろしいのですか?」


「構わん」


 きっぱりと言い切った言葉を言質として、ラスは口元にうっすら笑みを浮かべて告げた。


「爵位と家を」


 小さな笑みを含んでさえいる声音で端的に告げたラスに、数秒の空白の後、嫌悪と怒りをにじませた視線が突き刺さる。約二名は戸惑いもしくは無関心だったが。

 ラスの言葉を、ロギスとディークは同じ意味で受け取った。

 即ち、家督継承の要求、と。

 そこに至ったのは、二人がそれを最重要だと思っているからだ。そんなことに興味がない者がいるなど、考え付かない。

 ザインは、ラスの言葉の真意に半ば気付いているのか、眉を寄せて黙っている。


「…野良猫の子供は、分不相応な願いを口にするものですわね」


 フィアレの侮蔑を多分に含んだ言葉に、ラスは浮かべていた笑みを消した。

 ラスの母親は、元魔術師であるが病気で視力を失い、失職してからは娼婦となっていた。生まれは小さな商店で、魔術師になった頃に家族も家も少ない財産も相次ぐ不幸で亡くしていた。娼婦となって数年後、ザインが戯れに囲ったがラスが生まれるあたりで飽きたのか放置され、十年ほど前に病死している。

 生まれも血筋も転落も、あらゆることを踏まえても裕福な伯爵家出身のフィアレにとっては野良猫でしかない存在だろう。もしかしたら、それ以下に見ているかもしれない。

 母親の記憶が少ないラスにとって、薄情かもしれないが侮辱されたところでどうとも思わない。ただ、ラスはフィアレが純粋に嫌いなのだ。


「父上、何でもいいと仰いましたよね?」


「……そうだな」


 この念押しで、ザインはラスの要求を正確に理解したらしい。

 苦虫を百単位で噛み潰したような表情を浮かべているが、それにラスは内心で首をかしげる。悔しいともいえるその表情を浮かべる理由が、分からない。


「爵位は最下位で結構。家も当分は一人ですので大したものもいりません。領地も不要。経営できるとは思えないので」


 そこまで言ったところで、無視される形になっていたフィアレもロギスとディークも自分達の考えが的外れだと理解する。だが、まだラスの真意には気づかない。


「あ、エルクイドの家名もいりませんから」


 きっぱりと言い切った言葉に、反応しなかった者は一人しかいなかった。その一人が反応しないのはわかり切っていたので、ラスは無視する。


「家名は母の物を使いますので」


 エルクイドの家名すら捨てるということは、貴族としての独立を意味している。血統をなかったことにすることはできないので、エルクイド一族のくくりには生涯入ることになるが、それは仕方ないとラスは諦めている。せめて、名前だけでも、別物になりたかった。

 現在、エルクイドの家名を持っているのは本家である侯爵家とロギスが襲名している子爵家、ディークが襲名している男爵家、ザインの弟が創立した伯爵家の合計四つだ。同じ爵位に同じ家名は混乱するし面倒なので、ラスがエルクイドのままで爵位を持とうとすれば準爵しかない。ザインとしては、唯一の魔術師であり優秀な末息子にはある程度の爵位と財産を与え、子飼いにしておきたかった。その為、不出来すぎるディークを謹慎などと称して爵位降格をしようと画策していた。

 ちなみに、爵位降格は親だからと言って勝手にはできない。王への謁見を申し込み、王の許可を得る必要がある。その為の謁見は、すでに申し込んでいるあたり、ザインは随分前からそれを考えていたのだろう。

 だが、その画策はラスの言葉で水泡と帰した。

 同じ名で、同じくくりで、関わっていたくないとはっきり告げられて、言質も取られている。ザインにはどうしようもない。

 内輪だけでの会話なので、知らぬ存ぜぬはいくらでも通せるが、長らく生まれてこなかった魔術師を怒らせるのは得策ではない。ザインはそう考えて、ラスの要求をのまざるを得なかった。

 魔術師は完全に才能主義である。身分も血筋も関係なく、魔術師は生まれて来る。そのため、魔術師の横のつながりは強固で血統にこだわらず、魔法師団は一種独特な世界を構築している。国軍に入るので、魔法師団との関わりは希薄だが、関わらずにいることは出来ないので慎重になって困ることはない。

 エルクイド侯爵家がどれほどの権勢を誇っていようと、落ちる時は些細なことで一気に落ちるものだ。

 それをよく知っているからこそ、ザインは大きなため息をついて頷いた。


「…好きにしろ」


「ありがとうございます」


 感謝など欠片もしていないだろうに、ラスは恭しく一礼してさっさと出て行った。その足音がほとんど聞こえなくなった頃に、一番年下の女性が小さな笑みを浮かべて頬杖を突く。


「先手必勝、ね。ラスの勝ちだわ」


「キリア…」


「父様。エルクイドに、魔術師をとどめられなかったのは自業自得よ。兄様も姉様も侯爵夫人も、もちろん、父様もあたしも皆ラスにとって敵でしかないんですもの。力づくでの排除にならなかっただけ、マシだと思うべきだわ」


「何をバカな…」


「言っておくけど、ラスは士官学校で魔法成績トップを維持し続けていたのよ? 魔術師じゃない上、魔法に耐性のないあたし達をどうにかしようと思ったら、大きな魔法一つ使えばどうにかなるじゃない」


「そんなことをすれば周辺に被害が及ぶ。お人好しのあいつがするものか」


「ここは広大な敷地があるし、その程度の制御と加減が出来ないわけがないじゃない」


 ロギスの反論を、女性―――エルクイド侯爵家三女キリアは鼻で笑った。

 この中で、唯一の未婚女性であるキリアは、心の中でラスに羨望を抱いていた。

 魔法の才も武術の才も持たず、女であるがゆえに政略の道具にしかなれない自分と違い、ラスは自分の道を行ける。たった今、家からも解放された。

 その羨望から理不尽な振る舞いをしそうになる自分を制するために、キリアはラスを無視し続けた。存在ごとない者として扱うことで、キリアは愚かな自分からたった一人の異母弟を守り続けた。ラス自身がそうとは思っていなかったとしても。


「親が子を選べないように、子も親を選べないわ。この家に生まれることを選んで生まれてきたわけではないのに、母親を選んで生まれてきたわけではないのに、ただそれだけで理不尽に虐げられてきたラスが、この家に尽くすと思っていたの? だとしたら、頭おかしいわよ。父様」


 実父を頭おかしい呼ばわりしたキリアに、鋭い視線が突き刺さる。


「…やっぱり、貴族ではない下賤を母親に持つとこうも愚かになるのね」


 キリアより幾つか年かさの女性―――長女でありエルクイド伯爵夫人でもあるセリカは、眉をひそめて美貌をゆがめる。

 その発言に、キリアは反応せずに足を組んだ。


「あたしは、自分が愚かだと自覚しているから、その言葉は罵倒になりえないわ。ねぇ、父様」


 キリアの呼びかけに、ザインは眉をひそめて視線を向ける。

 ラスの言動による衝撃が和らいできたところで、追い打ちをかけるようなキリアに警戒しているらしい。

 その様子に、静かに瞳を伏せたキリアは口元に儚い笑みを浮かべた。

 瞬間、脳裏に浮かんで消えた笑みと声に、泣きそうになるのをこらえて口を開いた。


「自分がラスの立場だったら、と考えられなかった時点で、あたし達は等しく加害者であり敗者なのよ」


 数秒の間の後、開かれた視界に映った父をはじめとする家族(血縁上は)が、意味が分からないと言いたげな表情を浮かべているのに、キリアは全てを諦めて立ち上がった。


「…分からないなら、もういいわ」


 そのまま部屋を出ていこうとするキリアは、呼び止められるより先に自ら足を止めて振り返った。


「縁談はすべて断っておいてね。あたし、結婚する気は一生無いから」


 軽く放たれながら、突き刺すように鋭く重い言葉。

 それに、死すら覚悟しているのではと勘ぐってしまいそうになったザインは、唖然としたまま見送った。

 廊下に出たキリアは、肺を空にするような溜息をついて自室に向かって歩き出した。

 キリアの出自は、はっきり言ってラスとそう大差ない。実母はすでに亡くなっているが、後見として実家(魔法研究者を多数輩出した騎士家系)は存続しているので結構大きな差ではあるが。

 だが、そういう家であるために、魔法の才を持たなかったキリアに対する親族のあたりはきつい。その為、キリアは疎遠ではあるが、後見であることに変わりはないので定期的にご機嫌伺いはしている。

 男爵令嬢が母である長女セリカと子爵令嬢が母である次女ユニスに比べて、格がかなり劣るのでラスが生まれるまでは虐待の標的だった。

 だからこそ、この家の中で誰よりもラスの想いと立場を理解できていたが、積極的に関わろうとしなかった。


(我が身可愛さでやってたことだから、何も誇れることじゃないけどね…)


 自分が再び標的になるのは嫌だった。

 同じく虐げると嫌いな家族と同類になるから嫌だった。

 結局は、自分のためにラスを犠牲にしていたのだとキリアは理解している。だからこそ、せめて、最後だけでも姉として家族を糾弾した。それが何か意味のあるものになるとは欠片も思ってはいない。結局は、ただの自己満足で、自分を納得させる為のものだとキリアはわかっている。

 褒められることも、誇れることもない、と自分を評価しているキリアは、脳裏に再び浮かんだ儚い声音を思い出して泣きそうになった。


『ラスを想ってくれて、ありがとう』


 光宿さぬ瞳を細めて微笑んだ病床の美しい女性の面影を、キリアは忘れられなかった。幼い弟を犠牲にして安寧を得たキリアに、女性はそれでも嬉しそうに笑って言ったのだ。


「最後まで、自己満足でしかないけど、少しは貴方の想いに答えられたでしょうか?」


 キリアが憧れてやまなかった才能を持った女性に、返事はないと分かっていながら小さく呟いた。

 貴族の結婚に絶望した自分の意地でしかないことを、キリアは自覚している。それが欠片も償いにならないだろうことも。けれど、通した意地であり覚悟だった。


「…あたしの分まで、幸せになればいいわ」


 ただ一人に向けた祈りの言葉が、相手に届かないと分かっていた。それでも、言わずにはおれなかった。どこまでも自己満足でしかない、と自嘲しながら。


 後に、後継者不足によって後見のログワード家をキリアが継ぎ、後世まで名を残すことを、この時は誰も知らない。


※※※


 私物の少ない自室を手早く片付けて、ラスは必要最小限の荷物を大きなカバンに詰め込むと着せられた礼服を脱ぎ捨ててさっさと屋敷を後にした。

 時期的なもので寮は閉鎖されているが、魔法師団は常に人がつめている。例え、国軍所属が決まっていても魔術師であるならその宿舎を一時的に借り受けることは可能だ。卒業間近の士官学校生ならなおのこと。

 縁戚や家の付き合いには顔を出したことがないので、気にする必要はない。独立するにしても、魔術師の一代限りなら、付き合いが偏っていても誰も気にしない。魔術師 = 変人の図式が常識になっているからだが。

 煩わしさから解放されるなら、変人認定くらいはラスにとって許容範囲だった。異母姉達の所為で女性に対して苦手意識があるため、結婚とかも考えていないからこそだ。


「…問題があるとすれば、魔法師団のメンバーだよな」


 魔術師は生涯現役とさえ言われる。

 高齢になれば研究や後進育成にシフトチェンジしていくが、魔法師団から籍を抜く者はほとんどいない。その為、勤続二十年など若造と言われるほどだ。

 つまり、ラスの母親を知る者がまだ在籍している可能性がある。

 盲目になったことで娼婦に落ちた同僚を、軽蔑している可能性は大きい。魔術師は総じてプライドが高いのだ。

 ラスは母親似なので、気づかれる可能性も大きい。

 面倒なことになりそうだ、とラスはため息をつく。


 その心配は、十数分後、魔法師団のメンバーと対面したことで吹き飛んだ。

 全員が大歓迎で、小柄であることも手伝ってもみくちゃにされたのだ。

 母親が予想外に愛されていた事実を知って、困惑するラスが復活するまで一時間ほどかかった。






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