第十四話:『後押し』
定期テストを無事(?)終えて、アイカがやってきたのはラバルド侯爵家の王都屋敷だった。領地を持つ貴族は、普段はそこにいるが年末年始には王宮に参内しなくてはならないので、王都に屋敷を持っている。
公・侯爵家や王族の屋敷(現在は空き家)が立ち並ぶ上級貴族街。その奥まった一角に存在するラバルド侯爵邸は、公爵家の屋敷と見劣りしないぐらいに壮麗で立派だった。握っている権力の大きさが如実にわかるが、アイカにとってはどうでも良い。
年末年始、士官学校の生徒はほぼ強制的に退寮させられる。
この世界では、年越しと共に一つ年を取るためだ。一年に一度の最も重要な行事であるため、家族と共に過ごすのが常識なのだ。例外は存在するが。
貴族は王宮参内もあるので、後継ぎとなるとなお大変だ。当代当主(基本的には父)と謁見に赴き、パーティに出席しなくてはならないからだ。
アイカは謁見にもパーティにもいかなくていい。本来なら、貴族の令嬢として社交界に顔を出すべき年齢(大体は十五歳前後でデビューする)であるが。
目の前にいる笑みを浮かべたラバルド侯爵リガードはそこらへんを全くもって気にしない。アイカにとって、それは幸いなので何も言わないでいる。
「…先王の離宮に行くのではなかったんですか?」
王都から少し離れた北の直轄地の離宮で暮らす先王に会いに行く、と言っていたにも関わらず、迎えに従ってやってきたのは王都屋敷だった。アイカは眉を寄せて、侍女に指示を出した後はのんびりしている養父を見る。
「すぐに行かなくても大丈夫だ。それに、準備が必要だろう」
「準備? 言われたとおりにしてきましたが…」
「お前のことだから、最低限の荷物をまとめてきただけだと思ってな。その通りだったから、こちらで整えておいた」
「…微妙にかみ合ってないんですが…。嫌な予感がするので帰ってもいいですか」
「お前の実家はここのはずだが?」
「寮にです」
「閉鎖されているから無理だろう。この機会に一斉清掃と点検・整備がされるしな」
「…何故」
「愚問だな」
ラバルド侯爵親子は共に魔術師で軍人だ。必然的に、士官学校卒業生でもある。知っていて当然だ。
それに気付いて脱力したアイカ。同時に、見計らっていたかのように侍女が五人入ってくる。内二人がアイカの両脇を捉えてソファから抱え上げる。
主家の令嬢に対してする行為ではないが、リガードは親指を立てている。それに侍女達は満面の笑みだ。
この主にしてこの臣下あり…。
「さぁさぁ、お嬢様。参りましょう」
「あぁ、やっぱり。手入れを怠っておられますね」
「いくらお若いと言えども、手入れは必須ですわ」
「ご安心くださいませ。最新のエステ技術を学んできましたわ」
「どこに出ても恥ずかしくない深窓の令嬢に仕上げて差し上げますわ!」
「おう。しっかり磨き上げてやってくれ」
笑みを交わしあう養父と侍女達に、アイカは頬を引きつらせる。
引きずられ始めてようやく、アイカは叫んだ。
「後で覚えてろっ!!」
容易に報復できる相手ではないと分かっているが、言わずにおれなかった。
連れ去られた先で、エステとヘアメイク、着せ替えが待っていた。
それらに興味関心が欠片もないアイカにとって、その時間は拷問以外の何物でもない。
※※※
淡い青色を主体に、淡い朽葉色がさし色として使われているドレスに身を包んだアイカは、ぐったりと馬車の座席に沈み込んでいた。足を組んでいるため、ほっそりとした白いふくらはぎがあらわになっている。本来なら叱責ものだが、現在、この馬車にはアイカ一人だからなので咎める者は誰もいない。
リガードはアイカとは別の馬車に乗っている。親子で別の馬車に乗ることはまずないのだが、義理の親子でしかない二人は無用な憶測を避けるためにあえて分乗した。貴族の中には、目を付けた美少女(美幼女を含む)を養女にして―――まぁ、結果として妾にする者もいる。事実はどうであれ、悪質な者達にとっては年頃の義理の娘と二人きりで馬車に乗るという多だけで格好の餌となり、前述のような貴族と同列に噂されかねないのだ。
ラバルド侯爵家に面と向かって喧嘩を売る者は滅多にいないが、残念なことに上位の貴族は存在し、その中には面倒な者達がいるので避けられることは避けるに限る。
そういった事情をアイカは一切知らないが、ひとまず大きなため息をついた。着せ替え人形にされた疲れも含め、これから行く先に色々と分からないことが多いため不安があった。
先王ギルバートが暮らす離宮があるのは、王都から北に馬車で一日程の距離にある直轄地だ。元は先王の正妃リーアンの実家の所領だったが、相次ぐ不幸で後継者を失ったため王直轄地として先王が管理下に置いた。親戚(血が繋がっているのが危ういような者達含む)が継承戦争を引き起こしかねなかったためだ。
ちなみに、離宮にはギルバート以外に住人はいない。女官や従僕はいるが。何故なら、王太后であった先王妃リーアンは五年前に流行病で亡くなっているからだ。その際、先王の側室であった女性―――リファは、王太后の席に座ることもできた(実家は伯爵家)のだが、それを固辞し続けた。
王を挟んだ正妃と側室としては異端ながら、二人は非常に仲が良かった。そこに至るまでには、かなりの紆余曲折があったらしいが。その為、リファはリーアン亡き後も自分は一女官という立場を崩していない。本来ならば女主という立場なのだが、現在は離宮の女官頭をしている。
事前に聞いたそれらの情報を反芻したアイカは、何とも形容しがたい表情を浮かべた。
(それだけ聞けば、人格者、と言えなくもないんだけどねぇ…)
フィリア達から現王の、ミゲル達からフェナルの母のことを客観的とはいえ聞いているので、素直に賞賛できない。
(子供の教育にはことごとく失敗してるみたいだし…)
名君の子供は名君とは限らない、ということだろうか。
それにしてももうちょっとまともに育てられないのか、という思いが浮かんでは消える。
(というか、過ぎたことだし、もう言ってもしょうがないよね…)
考えるのに疲れてきたので、アイカは思考を放棄して転寝に入ることに決めた。
フィリア達はすでに覚悟も決意もしているのだから、過ぎたことを他人がどうこう考えても意味はない。フェナルのことはアイカにとってはどうでも良い。
面倒くさがりなアイカは、決めたら早く必ず全うする。
今回も同様に、数秒後には本気で寝ていた。
夕暮れ間近、宿泊予定の街について侍女に起こされるまで、一度として意識を浮上させなかった。
離宮についたのは、翌日の昼をいくらか過ぎたくらいの頃だった。
昼食を済ませてから来ているので、軽食と紅茶が用意されていた。
ギルバートが笑って迎え入れたのは私用のリビングだ。
応接間とかではなく、極親しい者しか入れない一角に、さすがにアイカも緊張した。
淡い青色に白をさし色にしたドレスの裾をちょっと持ち上げて、控えめに一礼したアイカの顔を見たギルバートは、驚きに目を見張ってから懐かしげに微笑んだ。
「なるほど、確かに疑いようもない」
それは、アディス=ルゥナ=ラバルドの孫、という主張に賛同するしかないという意味だった。
「…皮肉な運命だな。リガード」
「幸い、と言え」
軽口をたたいて対面に座るギルバートとリガードから、少し距離を置いたソファにアイカは一人腰かけた。その前に、小さな正方形に切られた可愛らしいケーキがいくつも並んだトレイと紅茶が置かれた。
給仕をしてくれた女官に頭を下げて礼を言えば、驚愕したように固まった。それに首をかしげていたアイカは、ふと視線を感じた。そちらに顔を向ければ、リガードは笑いをこらえているのか肩を震わせ、ギルバートは瞳を丸くしてアイカを凝視していた。
「あれが常だ。気にするな」
ひらりと手を振ったリガードの声に、女官は慌てて頭を下げて退室していく。ギルバートはそれで我に返ったのか、ため息をついてリガードに向き直った。
「…リガードの所は、面白いな」
「退屈はせんな。まぁ、厄介なことはあるが」
「自分の息子だろうに…」
「そっくりそのまま返してやろう。わしらは、子育てには壊滅的に向いとらん」
(確かに…)
紅茶を飲みながらリガードの言葉に、アイカは心で頷く。
先日、アイカも思っていたことだ。
痛いところを突かれたギルバートは、視線を泳がせてからわざとらしく咳払いをする。
「その厄介な息子を、自分の名代にして参内させて、心配ではないのか?」
「そこまでバカじゃない。それに、わしはアレが嫌いだ」
きっぱりとしたリガードの言葉に、部屋の空気がわずかに重くなった。
それに気付いていないふりをして、アイカは一つ目のケーキに手を伸ばす。
「今のラバルド侯爵はわしだが、別に行かなければならないわけではない。わしがここに来て、次期侯爵を参内させるのになんら不都合はないのだからな」
正当な理由をもって謁見を拒むリガードに、アイカは今度は行動で頷く。咀嚼する動きに合わせているのでわかりにくいが。
年始年末の謁見は、極近い親族(親兄弟、妻子など)の不幸があった場合に限り無しにできる。だが、リガードのように方便(しかもある意味正論)を使って謁見しない貴族も少なからずいる。
これから権限を移して近い内に爵位を継がせる、という意思表示のために後継者を一人で謁見に向かわせるのだ。その前に、数回にわたって同伴させ、顔見世をして周囲の貴族に周知させておく必要があるが。
リガードとリチャードの年齢を考えれば、それはおかしくないので誰も(一部除いて)不審には思わないだろう。まして、リガードはギルバートの従兄であり気の置けない友人だ。そちらを優先しても何らおかしくはない。ギルバートが先王であったからなおのこと。
「…お前らしい」
「お前は、弱くなったな」
変わらない従兄に苦笑したギルバートに対して、リガードは少々鋭さを載せた言葉をぶつけた。
「…そうだな。退位してから、体も悪くしている。先は短いかもしれん」
「わしより幾つも下だろうに」
鼻を鳴らすリガードは、けして本気でギルバートを糾弾しようとしているわけではない。
それが分かっているから、ギルバートの表情から笑みが消えることはない。
「…守ってやれない自分を、ここまで不甲斐なく思ったのは五十年ぶりか」
「アレは、先々王がバカだっただけだ。お前が負う必要はない」
「だが、あの子達のことは私の責任でもある。そうだろう?」
リガードは沈黙する。
アイカは、誰のことを言っているのか半分確信しながら、静かに耳を傾けていた。
「優秀で、優しい子達だ。なのに、バカ息子の所為で、苦しい思いをさせてしまった」
痛ましげに瞳を細めるギルバートに、リガードは深いため息をついた。
「…お前の手前勝手な罪悪感で、あの双子を『可哀想な子供』にするな」
きっぱりと切り捨てたリガードは、聞いていないそぶりで紅茶を飲んでいるアイカを横目で見やってから言葉を続けた。
「客観的に『可哀想な子供』かもしれないが、自身で立って歩んでいる者にとっては、その評価は侮辱でしかない。あの双子は、お前の様に弱くないぞ」
最後にけなされながらも、孫達が評価されたことの方が嬉しいのかギルバートは力の抜けた笑みを浮かべた。
「そうだな…」
「憐れむよりも、することがあるだろう。もはや、手を差し伸べる段階は過ぎた。後は、あの双子がありのままでいられる自由への道を、手助けしてやればいいだけだ。簡単だろう? 先王陛下」
「あぁ、本当に…」
心からの安堵を含んだ呟きとともに、自身へと向けられた視線にアイカはゆっくりと向き直った。ただ、まっすぐにギルバートの黒い瞳を見つめる。
数秒、見つめ合っていたがふいにギルバートが破顔して、アイカに小さく会釈を送った。それに面喰っている間に、ギルバートは最初と同じような微笑みを浮かべて、リガードに向き直っていた。その行動の意味を問うわけにもいかないアイカは、開きかけた口を閉ざす。
憑き物が落ちたような、決心がついたような力強い眼差しに安堵するリガードを、物珍しそうに見やるしかできなかった。
※※※
客間に併設されている温室で、アイカはリガードに声をかけた。
「さっきのギルバート様の行動、説明してください」
「わしが分かっていると確信しているのはなんでだ…」
「わかっていないはずがないからです。良いからとっとと白状してください」
「それが物を聞く態度か…」
やれやれと言いたげなリガードは、面倒そうに呟いた。
「心配していた孫に、味方がいたことが嬉しかったんだろう」
「どうして…」
「曲がりなりにも、内乱の第一線で戦っていた武人だぞ。未熟者の内心や意思を読むなど簡単だ」
否定できないので、アイカは沈黙する。
「王としてよりも、父としてよりも、男としての情を優先させたアレに、ギルバートは失望している。だからこそ、後悔している。守れる立場にありながら、それを生かせない選択を行った過去の自分に対して」
「…もしかして、今日、ここに来たのは…」
去年、リガードは領地の城にいた。出かけるそぶりもそんな事実もなかった。なのに、今年は来た。それを、アイカは少しばかり疑問に思っていた。
「ギルバートはいつもそうだからな。大切な存在が絡んだ時、行動を起こすことを恐れて動けなくなる。それは、当然のことだろうが、動けないままでは何も始まらん」
リガードの言うとおりだった。アイカは同意するようにうなずく。
「孫の為に動きたいが、それが本当に孫の為になってくれるのかと不安だったんだろう。……一ヶ月ほど前に、内容のないいやに長ったらしい手紙を送ってよこすほど」
嫌そうに低めた声音で言いながら、べらんと広げられた手紙を見て、アイカは最初の数行で読むのを諦めた。そして、口をついて出そうだったツッコミは寸前で何とか飲み込んだ。
(巻いてったら、完全に巻物になるよね…)
巻物かっ、と思ったがこの世界に巻物はない。無用な問答は避けるに限る。
これを折りたたんで入れる封筒は、きっと特注だったことだろうと思いアイカは無言で続きを促す。
「だから、お前を連れてきた。孫の味方である、お前を」
確かに、それは安堵につながるだろう。そして、アイカが否定しないことで自分の行動に正当性を持って動けるのだろう。
「後、お前にも知らせておく必要があると思ってな」
「? 何をですか?」
「王族は、敵ばかりではないぞ?」
それは先王の事だけを指しているのではないと分かった。
同時に、王族全体に対して無意識に持っていた嫌悪感を自覚した。
直に見知っているフィリア達に傾倒するのは当然だが、そちらばかりに気を取られては公平さを失う。
それを遠回しに指摘されて、アイカは素直に頭を下げた。
年の功にはかなわない、と思わされた。
「若い内は幾度でも間違うもんだ。それを修正してもらえるのが子供の特権だ。あえて間違う必要はないが、間違いを恐れることだけはするな。ギルバートみたいにヘタレるぞ」
先王に対して随分な物言いだが、確かに、とアイカは思ってしまった。
息をつき、温室の花々を見る。話の内容に集中していて、ようやくちゃんと見た。
(…こんなふうに、穏やかであれたらいいのに)
それは不可能だろう、とアイカの本能が告げている。そして、不可能にするのは傍らのリガードであり、それ以外の多くの存在だということも何となく直感していた。
だが、嫌にはなれなかった。
来る時、困難に向かい打ち勝つための方法はその不可能を後押しした存在だというのもわかっているから。
自分達の背を押し、同時に、自分達の歩みを止めるかもしれない困難を押し出す。
そんな愉快犯のような存在であるリガードが、アイカは嫌いではなかった。
ギルバートとの謁見より三日後、年が明けた。
同時に、アイカは十六歳になった。
士官学校再開までを、ギルバートの離宮で過ごしたアイカはリガードには感じなかった祖母の面影を、ギルバートに見た。
確かに、血が繋がっているのだと感じられて、なんとなく胸が温かくなったアイカは笑顔で離宮を辞した。




