第十二話:『教え』
上級生達に局地的に起こった混乱を聞いて、多くの下級生はほっと胸をなでおろした。次いで、第五師団長への恐怖が湧いた。
自分達の所に来なかったことに安堵しているのだろうが、それを見ていたアイカは呆れたような表情をしていた。
(会わなかっただけで、見には来てたんだけどね)
見に来ていたのはフィリア達で、自分達はおまけ程度にしか思われていない。それを理解しているアイカは、どうという思いもない。
ただ、妙に綺麗な男が覗き見てるなぁ、と不審者を見つけたような心持ちでいただけだ。
フィリアとルフォルはアイカと違い、少しばかり警戒していた。ミゲルは信用できるのだが、ジャンは性格的に微妙なのだ。王族であるからこそそれを理解している。
「…ちょっと見てみたかったかも」
同期生達がジャンの美貌を噂しているのを聞き、セラが小さく呟く。だが、フィリアとルフォルは反射的に首を振った。
見るだけで済めばいいが、そんなことはありえないと分かっているからこその反応だが、セラとアイル、コールにはそれがわからない。
不思議そうに首をかしげる三人に、アイカは面倒そうにため息をついた。
※※※
長期休暇後、武術訓練は形式を変えて対人戦へと移行した。
ここから、それぞれに合った得物の使用許可が下りる。ラスが槍を使うようになったのもこの頃だ。
アイカは何を使ってもだめなので、長剣に決めているが盾として使うことをミゲルに勧められていた。超近接戦(白兵戦)においてアイカは無双状態だからこその提案だ。
フィリアとルフォルは当然のように長剣だ。それ以外の方が二人には扱いにくい。
アイルも長剣を選んだが、槍にも興味があるらしく、ラスに指導を頼んでいた。今のところ、長剣の方が上手く扱えている。
コールは休暇中、ミゲルに指導を受けて二本のナイフに武器を定めていた。
セラはもうどうしようもない。軽くて扱いやすいレイピアを選んだが、後方からの魔法攻撃が主体となるだろう。
前衛はアイカとコール。中衛がフィリアとルフォル。後方援護がセラとアイル。
非常にバランスのいい人員編成だ。
ただ、団体戦は進級後で、今のところは個人戦なので特に意味はない。
そして、このカリキュラムに絶望したのがセラだった。魔法も使っていいのだが、素早く近づかれたり防がれたり回避されたりしたらセラには手だてが残っていない。
崩れ落ちたセラに、憐れみを抱く者はいなかった。長期休暇中、アイカ同様ミゲルに何とも言えない表情をさせていたから。
…才能がないのだと諦めるしかない。
「いきなり試合じゃないだけましでしょ?」
「練習の間に、やり方を考えればいいじゃない」
仕方ないと言わんばかりのアイカとちょっと眉を下げたフィリアに慰められ、セラは何とか復活する。
すでに着替えて修練場にいるアイカ達だが、遠巻きにされているのでかなり自由にしている。教官達はもう放置する方向で決まっているらしく、ほぼ無視している。
いきなり対戦を組んだりせず、最初は練習も含めて班内での模擬戦が指示される。
ひとまず、セラの面倒はフィリアが見ることになり、アイルはルフォル、アイカはコールと対戦することになった。
アイカは体術が突き抜けているので、近接戦に関しては特に問題はない。回避能力と動体視力を上げれば何とかなる。だが、セラは運動自体が苦手なので回避能力も動体視力も低い。才能がないと分かっていても、せめてそれらを鍛えるために修練が欠かせない。
セラにとっては苦痛の時間である。
鈍く響く金属音。気合と唸りの声。
未熟な生徒達が下手に怪我をしないように、対人戦になれば監視役の教官が増える。治癒魔法が使える教官も最低一人常駐している。
「腰が引けてるわ! 下がるのは良いけど、及び腰にならないで!」
厳しいフィリアの声に、セラは歯を食いしばって指示通りに何とか姿勢を立て直そうとする。だが、そう簡単にはいかない。出来ていれば、ミゲルだってさじを投げたりしない。
準備運動的に剣を合わせていたルフォルとアイルはそれを意識的に聞き流す。特にルフォルは、フィリアの厳しさと鋭さを知っているから。
それらが一切視界にも耳にも入っていないのか、アイカとコールの模擬戦は白熱していた。
厳しく大きな声を出すフィリアに驚いていた教官や生徒達も、アイカ達の模擬戦に見入っていた。コールはナイフなので、なぐり合っているようにも見える。
アイカは全て最小限の動きで回避しているのに対して、コールはほとんど受け止めるか弾くかしている。
避けるということがコールは苦手らしく、元々頑丈であることを生かしてこういうスタイルが確立された。ただ、一撃は強いものの回避された後のとっさの反撃が、少しもたつく。
逆に、身軽で回避が得意なアイカは体が弱いわけではないが、力が弱いため決定打に欠ける。相手の攻撃が入るとそれが決定打になりかねないので、全力で回避を続け、数を稼ぐしかないのでスタミナが問題になってくる。
男女差も含めれば、アイカの方が不利なのだが、体力温存のために動きを最小限にとどめているため、まだ余裕はある。
一応、模擬戦なので二人は本気で当てに行っていないが、周囲が思わず動きを止めてしまう程度には凄まじい攻防だった。
「…体力と打力で行けばコールだな」
「敏捷性と身軽さでアイカにも勝機は十分にある」
淡々と意見交換をするルフォルとアイル。
「決定打に欠ける以上、急所に叩き込むしかないのよね」
「でも、それくらいわかってるだろうから簡単には叩き込めないわよね」
いつの間にか手を止めて考察しているフィリアとセラ。
それらに反応もできず、教官も生徒達もただ立ち尽くす。
授業終了の鐘が鳴り響くまで、そのまま、異様な状況が続いた。
ちなみに、アイカとコールの模擬戦は、勝敗はつかないままだった。
※※※
くじで組み合わされた一対一の模擬戦を続けることおよそ一ヶ月。
月の終わりに、授業は形式を変えた。
一通り当たったので、クラス単位でトーナメントを組んだ。
くじ引きで組み合わされた結果、アイカ達は綺麗にばらけた。
第一試合は、フィリア対ロレノス伯爵次男。
「…やる前からわかってるわね」
「やる気ないにもほどがあるでしょう」
何とも言えない表情で呟くアイカとセラに、ルフォル達は完全同意なのだが頷くのはためらわれた。
フィリアが勝つから、というわけではない。実力でいえばフィリアが圧倒的なのだが、それ以前に相手はやる気がない。
理由など分かり切っている。
フィリアが王女だからだ。本気で相手して、怪我でも負わせようものなら後が怖い。
それがわかってしまったアイカ達は、どちらに同情しようか迷う。真剣に試合できないフィリアか。身分に遠慮しなくてはならない相手か。…相手が勝手に遠慮しているだけで、フィリアはそんなものどうでも良いのだが。
ただ、こういう状況でフィリアがどうなるのかわかっているだけに、相手への同情がわずかに勝った。
「冥福を祈っておくか…」
「トラウマにならなければいいけどな…」
「それは剣か? 女か?」
どっちもじゃね? と小声で言い合う男達を放置して、試合が始まる。
だが、決着は一瞬だった。
開始直後に相手の剣をフィリアが弾き飛ばし、足払いをかけて地面に倒すと顔面すれすれに剣を突き刺す。
模擬剣なので、鋭さは一切ないはずなのだが、深々と地面をえぐっている。
「…戦場では、誰も身分に遠慮なんてしてくれないわよ」
低い呟きと共に、フィリアが向けた視線に相手は震え上がった。
激しい怒りと侮蔑を込めた視線は、物理的な鋭さを持っていた。
王妃の子でありながら、その身分や立場を一切考慮されてこなかったフィリアだからこそ、その言葉は非常に重い。
現実を伴って叩きつけられた視線と言葉に、硬直したまま動けない相手に教官が駆け寄り、フィリアの勝利を告げる。
拗ねたような表情で歩いてくるフィリアに、アイカは苦笑しか浮かばない。
元より、フィリアもアイカも自分達に対して他の生徒が真剣に相手するとは思っていない。身分に遠慮することなどとうにわかっている。
本気でやりあっても、フィリアに勝てる者はほぼいないだろう。試験では対人戦ではなかったので、不明確だが。
次の試合はどこかぎこちない動きの男子二人だ。フィリアの怒気にあてられたのかもしれない。まぁ、それはどうでも良いのだが。
それは普通の試合だった。問題は、次の試合だ。
セラと女子生徒の試合で、女子生徒は騎士家系の生まれで剣に慣れている。はっきり言って、勝ち目はない。
これがただの戦闘訓練ではなく、武術教練であることがなお悪かった。
魔法による対人戦は、下手すれば死人が出るのでまだ行わない。ある程度の防御が確実にできなければ、魔法戦は教官達が許可しない。
つまり、この試合で魔法の使用は一切できないのだ。
結果として、わかり切ってはいたがセラが敗北した。フィリアの様に相手が一方的に勝ったのだが、セラは本気で踏ん張ってはいたので評価に値するだろう。
その後、十試合は特に一方的ではない対等な試合になった。ただ、男子生徒と女子生徒の試合だけは、前者に有利に進んだが。
ここまでは、特に問題はなかった。フィリアの相手の考え方と、セラの弱さを抜けば。
次の、コールと男子生徒の試合は、セラの時よりなお切実に問題だった。
二本のナイフを持つコールに教官や生徒達は眉をひそめたものの、長剣はあくまで基本であって絶対ではなく、最終的には自身に合った戦術を身に着ける必要性があるため何も言うことはなかった。
長剣とナイフではリーチの差がありすぎる。前者がかなり有利だ。組手ではないので、受け止めて弾くのは危険すぎる。
武器による問題もあるが、何より問題なのは相手だろう。
試験で五位になった、メザリエス辺境伯家嫡男ウェイン=ルオン=メザリエス。
位は伯爵でも侯爵並みの権力を持つ辺境伯家の嫡男であるためか、プライドが高い。そのプライドに応じた実力を持っているから別にいいのだが、フェナルに近いタイプなのでアイカ達にとっては苦手な相手だった。
ただ、フェナルもウェインも面倒なのは、ある意味でそれが正論であることだ。
長剣を構えるウェインは、青い髪と黒い瞳をしており、容貌は住人並だがピクリとも動かない無表情と感情を宿さない暗い瞳が異様なオーラを放っている。得体のしれなさがあるものの、普段は影が薄く目立たない。
それなのに、アイカ達はウェインがプライドの高い典型的な貴族と判断しているのは、同クラスであるフィリアとルフォルに対して彼が言った言葉が原因だった。
「僕は吟味なさった方がいい。価値なき存在と言えど、王族なのだから」
無感情に放たれた言葉の、『僕』が何を指しているのか理解した二人がウェインを敵認定したのは致し方ない。自分達のことなどとうに諦めた二人にとって、友人達をけなされる方が我慢ならなかったのだ。
それを聞き、アイカ達もそれとなく観察してみれば平坦な言動の影にプライドの高さがうかがえたのだ。結果、アイカ達も苦手と思い距離を置いている。
何とも苦々しい表情のフィリアとルフォルに対して、セラとアイルは少し心配そうだ。
アイカは無表情に、ただ目の前の状況を観察していた。ぶっちゃけ、興味がなかった。
コールの実力なら簡単に負けはしないだろうし、初の対人戦なのだから試験順位で下の相手に負けても恥にはならない。
そう考えていたから、特に気にしていなかった。ある意味、油断でもあったのだろう。
この時、気をゆるませた自分をアイカは後悔することになる。
始まりは、特に変わったことはなかった。今までの試合と変わらない自然な動き。
リーチの長い相手に対してコールは間合いを維持して隙をうかがい、近接戦主体の相手に距離を詰められないようにするウェインは同時に自身の間合いに相手を誘い込もうとする。
入学して半年ほどの少年達とは思えなかったが、そこを戦場かと思うほどに張りつめた状況に、教官達もかたずをのんだ。
先に動いたのはコールだった。
意を決して距離を詰めるとナイフで長剣を制しながら、上段蹴りを繰り出す。
武術教練なので、魔法以外の全てが使用可能だ。飛び道具はさすがにだめだが。
蹴りは避けて繰り出される斬撃を、状態をそらして即座に距離をとる。
どちらかといえば、格闘戦に見える。
接近、中距離、間合い取り、を繰り返す。互いに決定打を出せていないのだが、リーチの差かコールの負傷の方が多い。
レベルが高い試合内容だが、人数的な問題であまり時間をかけられない。教官が時間を確認し始めた時、ウェインの動きが変化した。相対しているコールにしかわからないほど、小さな変化だ。
わずかに刃の向きが代わり、嫌な予感がしたコールは無意識に状態をそらした。瞬間、右目に走った痛みに思わず視界を閉ざす。
それが致命的な失敗だった。
翻った剣がコールの首筋を狙う。
模擬剣であるため刃は潰してあるものの、鈍器としては十分に効果を発揮するため、瞬間的に呼吸が止まる。
横殴りに払われた衝撃でコールは倒れこむ。痛みと衝撃に、自分がどういう状況なのか、現在が試合であるということも意識から飛んでいた。だから、追撃が来ないことと耳が痛いほどの静寂に気づくのが遅れた。
真っ先に動いたのはアイカだった。
意識していたわけではない。ただ、考えるよりも早く足が動いていた。
手に持った模擬剣をただ横なぎに振り払う。
次の瞬間、耳障りな金属音を響かせて、アイカの剣がウェインの剣をたたき折っていた。
その光景に、誰もが目を疑った。
同じ材質、同じ形、同じ重さの武器で打ち合って片方だけが破壊されるなんてことはまずありえない。
同じ条件下での戦闘において、武器破壊を可能にするのは技量の差だ。破壊する方が圧倒的に技量が上でなくては、成しえない。
アイカの剣の腕は周知のとおり、同期の中では底辺だ。折れるとしたら、確実にアイカの方だろう。だからこそ、全員―――アイカも含めて驚愕した。
表情が変わらないながらもウェインも驚いているのか固まっている。ただ、コールだけは状況把握が出来ていないのか戸惑いが強い。
誰もが動けない中で、最初に復活したのはセラだった。
「教官」
わずかに戸惑いを含みながら、強い声音に教官は弾かれたようにセラの方を振り向く。
「…アイカ=アディス=ラバルドが介入してしまいましたが、勝敗はすでについていたものと思われます。介入に関しては、ウェイン=ルオン=メザリエスの追撃は不要なものであり、危険行為であったと考えられますので、不問に処すべきかと」
言いながら、怒りがわいてきたのか声音が冷えていく。
それに教官は気圧されながらも、セラの言い分に反論できなかった。
ルール上、第三者が介入した場合は無効試合となるか、庇われた者(この場合コール)が敗北となる。だが、今回の場合、セラの言う通り、コールは右目と首筋を負傷し、数秒とはいえ行動不能となっていたところに追撃するのは明らかな危険行為であり、それを止めるのは本来教官の役目だ。教官よりもアイカが先に動いただけで、その行動自体は咎められるものではない。
生徒に後れを取ったうえ、人命を優先した行動を非難することはできない。アイカの身分的にも、どうこう言うことはできない。アイカ本人はそれが何より嫌なのだが。
ぎこちなく動いた教官の指示により、ようやく生徒達が動き出す。
試合は、ウェインの勝利ということになった。コールが戦闘不能に追い込まれたのは事実なので、誰も異論はなかった。
コールの治療のために休憩をはさむことになり、アイカ達は教官から薬などを受け取って木陰に陣取った。
幸い、右目は皮膚を軽く切っただけのようで、血は滲んでいたが眼球そのものには問題はなかった。首筋も、しばらくは声を出しにくいが打撲だけで済んだ。
コール本人は負けたことに不満げであるし、少し違和感が残っているらしい。違和感の正体がわかっていないので、首をひねっている。
「どうせ、考えたってわかんねぇだろ」
「どういう意味だ」
「お前が受取ったままの意味だ」
コールとアイルの幼馴染独特の喧嘩は放置して、再開された試合を見る。二人の男子生徒の試合を挟めば、次はアイカの試合だ。
ちなみに、不完全燃焼らしいコールを除き、全員が怒りを抱いているのだが、それがうかがえない。全員、アイカから発せられる怒りの気配に気圧されているのだ。
若干、ウェインの命の心配をしてしまった。なぜなら、トーナメント方式なので勝ち進めばアイカとウェインはぶつかるのだ。
まぁ、どうなってもいいか、という結論に達したことが、全員の怒りが尋常ではない証拠だった。
だが、フィリア達は全力で一人の男子生徒に憐れみを抱くことになる。
キデュル男爵家次男ルドルフ=ルオン=キデュル。あまり良い噂は聞かないし、どうでも良い存在だが、キレているアイカの相手をするのはあまりにも可哀想だった。
文字通り瞬殺にされたルドルフは、哀愁漂う背中を丸めていた。ちなみに、試験成績は二十番台で、けして弱いわけではない。平均的な部類だろう。
八つ当たりでトラウマになるほど叩きのめされて、同情しないわけがない。少しばかり、付きまとわれていた間のうっぷん晴らしでもあるのだろう。
いくつかの試合を経て、アイルの試合になった。だが、そこで自分達のくじ運の悪さを痛感した。
ウェインのような気味悪さはないが、貴族としては平均的なバーレイス準爵家(貴族としては最下位)の息子だ。しかも、剣術の道場を開いているような剣の名門だ。
元は傭兵から起こった家系で、歴史は浅いが野戦に関しては評価が高い。前線での戦闘指南はともかく、戦略などの頭脳戦はいまいちなのだが。
名門だが、地位は高くないため変な方向にねじれたプライドを持っている。相手をするのはかなり面倒くさい。
これが討論でなくてよかったとアイルは心底から思ったが、相手が討論向きではなかったことを数秒後に思い出した。
つまり、力押しが得意なのだ。
アイルの剣術成績は四位だ。相対するゾイド=ルオン=バーレイスは試験で八位だった。試験の基本は剣術なので、得手が何であるかは対人戦が始まらないと分からない。
この時まで、ゾイドの得物が槍であるということを誰も知らなかったのだ。剣の名門であるからこその思い込みでもあった。
一般的な長剣と槍ではリーチと重量的な力に差がある。さらに、アイルは成績こそいいが戦闘においてはいまいち発揮されないことが休暇中に分かっている。
アイルの敗北は濃厚だった。
意外にも、勝負は対等だった。ゾイドが本気で踏み込んできていないだけかもしれないが。
槍にも興味を持っていたアイルは、間合いや振り方をラスから教わっていた。
そのおかげか、攻撃の七割ほど回避できているのだがが、アイルの方から攻撃できていないのであまり意味はない。
「分というものを知れ」
小さな呟きはアイルにしか届かなかった。
問い返す間もなく、槍の穂先(棍のように丸くなっている)が腹部に直撃する。
加減をしたのか、思わずせき込み激痛が走ったが、骨などに異常はなさそうだ、と判断したアイルは顔を上げて息をのむ。衝撃ではなく、ゾイドの黒い瞳が揺れていたからだ。
茶色の髪は刈り上げられ、まさに武人という感じで成長途中だがしっかりとした体つきをしている。印象的なきつめの眼差しが、様々な感情を浮かべて揺れていた。
不安。嫉妬。羨望。怒り。嫌悪。
負の感情が渦巻く中で、羨望の理由がわからないアイルは、しばし動きが止まる。
「…没落商人ごときが、貴族と肩を並べられると思うな」
吐き捨てるような口調と声音ながら、一瞬ゾイドの瞳に新たな感情が浮かんで消えた。
それに気づくより先に、アイルは頭部に衝撃を受けて昏倒した。
ゾイドが浮かべた感情に、気づいた者はいなかった。見ていたはずのアイルでさえ、意識が混濁したことで目覚めた時にはすっかり忘れていた。
浮かんだその感情が、罪悪感であることに、本人すら気づいていなかったのかもしれない。
ウェインの時とは違い、まっとうだった試合にルフォルは特に何とも思わなかった。
二試合はさんで、自分の番が来た時、ルフォルが感じたのは怒りと脱力だった。
フィリアと同じように、王族であることにしり込みしている姿に苛立ちだけが募る。コールのこともあるので、ルフォルは怒りを相手にぶつけた。ウェインはアイカに叩きのめされるだろうから、八つ当たりだ。
…アイカ達が思わず相手に同情したのは言うまでもない。アイカは人のことを言えないのだが、そこら辺は気にしていないらしい。
当然のごとく、ルフォルが勝利した。
人数的な問題で、全員が一試合終えたところで今日は終了となった。
続きは明日に持ち越された。
※※※
本来、休養日にあたる日。
残りの試合があるのだが、何故か上級生が見学に来ていた。
外廊下から見下ろしてくる上級生の中に、ミゲルとラスを見つけてアイカ達は何とも言い難い表情を浮かべた。それに、ミゲルは苦笑し、ラスは面白いと言わんばかりに笑っていた。
声には出さず、頑張れというように手を振られ、ぎこちなく手を振り返す。
「…面倒だと思ってたんだけどねぇ」
ミゲルとラスから視線を外し、アイカは力なく呟く。
人間関係ほど面倒なことはない、とアイカは思っていた。孤独から話せる相手を求めたものの、深くかかわろうとは思わなかった。何故か、抵抗なく自然に踏み込んでしまっているが。
アイカの呟きを聞いたフィリア達は、苦笑する。
面倒くさがりなのは事実だが、アイカは根本的にはお人好しで優しいのだとフィリア達は思っている。アイカ本人は無自覚だろうなとなんとなく察しているので、何も言わないが。
のほほんとした空気を醸し出しているアイカ達だが、他の生徒達は妙な緊張とよどんだ空気を背負っている。
すでに負けた者にとって、見学するしかない立場を見られるのは肩身が狭いのだろう。緊張は上級生に見られているからだろう。ただ、単に上級生というだけではなく、主家にあたる家の人間や縁を持とうと画策している相手だったりするからこそのようだ。そういった相手に、情けない姿をさらすのは恥でしかないだろう。
そんな沈んでいる生徒達(およそ三十名)を放置して、授業が開始される。
第一試合は再びフィリアが相手を瞬殺したが。やはり、どうしても王族に妙な手加減をしてしまうらしい。
思わず、「トラウマ被害者二人目…」とアイカが呟き、ルフォル達が同意とばかりに頷いた。結果、戻ってきたフィリアにルフォルだけがヘッドロックをくらっていた。
ルフォルが失言してフィリアにしめられるのは日常茶飯事なので、アイカ達は気にしない。教官も生徒達もいい加減その光景に慣れてきていた。遠巻きにしているのでまだ慣れていない部分も多いのだが。
順調に試合は進み、アイカとルフォルも勝った。ウェインとゾイドも勝ち進んだので、アイカが小さくガッツポーズをした。自分の手で引導が渡せると喜んでいるのだろう。
その様子に、思わずを冥福を祈ったのは仕方ないだろう…。
意外にも、セラを倒した女子生徒は勝ち上がっていた。三回戦第一試合は、彼女とフィリアだった。
肩に届く銀髪と漆黒の瞳をしているメイア=ルガドゥは、フィリアを前にして緊張にこわばりながらも剣を握る手と姿勢はまっすぐにぶれない。
その様子に、フィリアはほんのわずか口端を吊り上げる。ルフォルくらいしか気づけないほどに、ささやかな変化だ。
身分への遠慮と緊張があるのはわかる。だが、真剣に立ち向かってくる姿勢も持っている。
今までとは違って、フィリアは本気を出せるかもしれないとわずかな喜びを感じていた。
剣を構え、開始の合図が響く。
始まった試合は、明らかな格差を感じられたが、フィリアの今までの二試合とは違って見応えはあった。
勝ったのはフィリア。メイアはどこか安堵しながらも、わずかに悔しさをにじませている。
その様子に、フィリアが感じた喜びは強くなる。だからだろうか、思わず声をかけていた。
「…少し、武器に振り回されている感がある。自分に合ったものを選びなおした方がいいと思うわ」
どちらかといえば小柄なメイアには、標準的な長剣では少々扱いにくいらしい。細剣にした方が賢明だろう、とフィリアは感じたのだ。
思わぬ人物からの思わぬ発言に、メイアは呆然とフィリアを見上げる。
それに対しては何も言わず、フィリアは一礼して下がる。
ようやくまっとうな試合になり、不機嫌ではなくなったフィリアに教官はほっとする。王族というのはその存在だけで萎縮と緊張を強いられる。不機嫌ならなおのこと。
感情の波が収まったフィリアを苦笑して迎えたのは、アイカとコール以外だった。
コールはいまだに不完全燃焼が不満らしい。
アイカはウェインを叩きつぶせることが嬉しいらしく、念入りに柔軟している。
素手での戦闘であるため、体を十分に温めておかないと怪我をする可能性が高い。それにしても、念入り過ぎるのでは? とフィリア達が思っているうちに、アイカの番になった。
相変わらず気味が悪いほど無表情なウェインは、長剣を手にしてじっとアイカを見ている。
立場から見れば、ウェインがアイカに遠慮することはないだろう。
家格はほぼ同じ。アイカは養女で市井生まれの市井育ち、ウェインは嫡男で正当な継承者。アイカの方が血筋は上かもしれないが、若干立場が弱い。家の継承に関しては役職も経歴もしっかりした義兄がいるので、関わることはまずありえない。
貴族としてみるならば、ウェインの方がわずかに有利だ。遠慮する理由がない。それはアイカもだが。
「…殿下方もそうだが、貴方もちゃんと選ばれるべきだ」
「何を選ぶの?」
「傍に置く僕を」
「僕を置いたことはないわ。必要としたこともない。私の傍にいるのは友人よ」
「ならば、友人はちゃんと選ばれるべきだ。曲がりなりにも王族の血を引いておられるのだから」
「…血筋はどうでも良いわ。私本人には関わりのないものだから。それに、私の友人のことを、他人にどうこう言われることではないわ」
淡々とかけられた言葉に、アイカは緩やかに笑みを浮かべて答える。
左右違いの瞳が微笑んでいないことは、傍から見ても明らかだった。
「もしかして、それが理由? コールを傷つけたのは」
「分をわきまえない者には、多少の痛みで思い知らせるのも必要だろう」
「…なるほど」
身分と言うものへの配慮は確かに必要だろう。それをしなくなってしまえば、秩序が乱れるもとになる。配慮を欠いた者には、相応の罰が必要なのは事実だ。それはアイカにもわかる。理解できないだろうが、言い分は納得できた。
確かにコールの身分は悪い言い方だが身分は底辺にあたる。アイカは貴族の中でも最上位の侯爵家令嬢だ。本来なら、言葉を交わすことなど許されないほどの差がある。しかし、当の二人が気にしていない上、形式上とはいえ二人は士官学校下級生という同じ立場にあるのだから、問題ないともいえる。
第三者がどういおうが、関係はない。
つまり、ウェインがコールに思い知らせる理由はない。
アイカから笑みが消える。
「ウェイン=ルオン=メザリエス」
唐突に呼ばれたフルネームに、ウェインは小さく眉を動かす。
この時、アイカ達は初めてウェインの表情が変わるのを見た。
「あんたは、自分が他人に与えた不当な傷が、自分に返ってくるとは思わないの?」
「…不当とは思わない」
「あんたがどう思おうが、相手と相手を思う人間にとってはそう取れるかもしれない。それによって、命さえ危険にさらされるかもしれない。そうは思わないの?」
「…なるほど。ありえるかもしれない。だが、ここは『学ぶ場所』だ。命の危険など滅多に起こらない。この試合も、安全を考慮して行われている」
なるほど、とアイカは声に出さず頷いた。
ウェインの言い分は正しい。本来なら、命の危険などない。行き過ぎた戦闘行為は、教官が止めることになっているからだ。
だが、その行き過ぎた戦闘行為をしでかした本人が言うことじゃない。
滅多に起こらない危険を、それに対処すべき教官が何もしなかった。それが普通と言わんばかりに周りは何も言わないが、アイカにとっては異常でしかない。
相手がコールだったからだと簡単に推測できる。だが、身分や血筋で命に上下をつける態度がアイカは気に入らない。
その事実を、当然のように受け止めているウェインに、アイカは怒りが募っていく。
まるで、自分の命は危険にさらされることはないと思っているかのように。それは、特権階級にありがちな選民意識ゆえだろう。
選民意識そのものが、間違えていることに誰も気づいていない。それを持っていないと思われるフィリア達ですら、その間違えていることに違和感を持っていない。それが当然として育っているのだから、致し方ないのかもしれない。だが、アイカが生まれ育った世界には選民意識が(表向きもしくは常識的に)なかったから、それは間違ったことだと考えるし苛立ちを覚える。
大多数が当然としていても、少数にとっては当然ではない。
それを理解していないのが、その意識よりも問題だった。
(自分が常識だと思ってんじゃないわよ…)
自分の考えが常識だと思っている奴に、権力も地位もあるとかなり面倒だ。完全にそれらを手中にしてしまう前に、痛い目を見て思い通りにいかないことを知らないと取り返しのつかないことになる。主に民が。
アイカの内心に芽生えているほの暗い怒りに気付かず、教官は開始の合図をする。
瞬間、何が起こったのか、ウェインは理解できずに硬直した。
アイカは口元に笑みを浮かべ、足を振り上げる。
開始位置ではけして届かない距離だが、現在、アイカとウェインは至近距離に立っている。
反応の遅れたウェインは、腹部に蹴りをくらって吹っ飛んだ。
教官も生徒達も何が起こったのか理解できずに。呆然とした。
いつの間にかアイカはウェインの前に立っていた。それを正確に認識する前に、アイカの攻撃は決まっていた。
吹き飛んだウェインは体勢を立て直して、素早く剣を構えるがアイカは動かない。
鋭く睨み据えて、自然体で立つ。それに得体のしれなさを感じたのか、ウェインも動こうとしない。
この世界に、合気道や柔道などは存在せず、国ごと地方ごとに特色はあれど体術は一辺倒なものだけだ。そのため、アイカの戦法は奇異なものに映るだろう。アイカの体術はけして合気道だけではなく、祖父から実戦形式(いわゆる喧嘩の仕方)も習っているので、ことさら不可思議なものとなっているだろう。
よく組手をしていたコールはすでに慣れているが、フィリア達はまだ慣れていない。小さく目を見開いている。
(強いは強いけど、やっぱり貴族ってことかな…)
アイカは、かつてリガードに言われたことを思い出した。
『武門の貴族とはいえ、ガキの頃はまだ実戦を知らん。綺麗な型どおりの戦い方しか出来ん。しかも、それが戦場では何の役にも立たないことを理解しておらん。そういう輩は、自尊心が高く、自分が間違っていないと思い込んでおる。アイカ。遠慮はいらん。そんな輩がおれば、容赦なく叩きのめしてしまえ。問題になっても、王族でない限りはどうとでもしてやる』
リガードに甘える気は一切ないが、ウェインは叩きのめさないと気が済まない。この際、言葉に甘えてしまおうとアイカは腹をくくる。
「来ないなら、こっちから行ってあげてもいいけど?」
上から目線で、挑発するように言えばウェインの眉が小さく動く。
常から無表情で変化などみじんも感じられないが、やはり十代の少年だ。感情を殺しきれない未熟さがうかがえた。
無言で剣を構えて間合いを詰めてきたウェインに、アイカは数歩下がる。
向けられた攻撃を最小限の動きで回避する。
振り下ろされる剣の腹を手のひらでたたく。完全に弾くことも無効化することもできないが、わずかに動きを止めることに成功する。
瞬間、強く踏み込んで拳をみぞおちに叩き込むと、前のめりになって呼吸が止まったウェインの側頭部に蹴りを叩きこむ。
遠心力で威力を上乗せした回し蹴りは、無防備なウェインの側頭部を直撃して吹っ飛ばした。
再び吹っ飛ばされて、痛みに揺らぐ視界の中でアイカをにらみつける。だが、アイカは追撃しようとはせずにその場から動かず、ウェインから視線を外さない。
教官がどうしようかとウェインを見やるが、それに気づいたウェインが鋭く一瞥することであげかけた手を下した。
いまだ、一撃もくらっていないアイカと違い、全ての攻撃をウェインは受けている。それから判断して、勝敗を決めることも可能だ。だが、ウェインに凄まれて教官は決定を延期した。
教官は侯爵相当の権力を有する辺境伯家嫡男を敵に回したくはないのだろう。それが吉と出るか凶と出るかはともかく。
「…幸運だけでここまできた野良犬が」
小さな呟きは、ウェインが思った以上に響いた。
ここまで一方的とは思っていなかった生徒達が、沈黙していたからだろう。
フィリア達の瞳がすぅと剣呑に細められる。生徒達はどう反応していいのか戸惑う。
おそらく、ウェインの中では、アイカとコールは同じ位置にいたのだろう。
アイカの血筋は王族に連なるものではあるが、生まれも育ちも市井だ。それを理由にけなしてくる貴族は確かにいる。というか、いた。
アイカ自身が気にしなかったのもあるが、しつこい輩はリガードがどうにかした。…どうしたのかは、アイカは知らないが。
別に、生まれをどうこう言われるのはアイカにとってはどうでも良い。祖父母や両親を貶されるのは我慢ならないが、他人の価値観で自分のことを言われることには頓着しない。貶したのは血筋なので、ギリギリセーフと言ったところなのだが。
確かに、大貴族の令嬢として何不自由な衣生活と強力な後見による安全を手に入れられたのは、幸運としか映らないだろう。アイカが生まれ故郷との永遠の別離、という代償を支払ったと知らないからこそ言えることなのかもしれない。
「野良犬の何が悪いの」
アイカの呟きは誰にも届かなかった。
口の中だけで発せられ、明確な音とならなかったからだ。
ウェインの持つ剣がゆらりと揺れる。空気と動きがわずかに変化したのを察して、アイカは身構える。
一呼吸の間をおいて、ウェインは動き出す。今までとは違い、明確な意図をもって動き出す。
増した速さで繰り出された突きは、アイカの目を狙っていた。顔を傾けるだけで避けたが、少し遅かったらしく頬を切っ先が掠める。
コールの時もそうだったが、刃を潰しているはずの模擬剣の切っ先は、何故か鋭い。切っ先だけなので、誰も気づかなかったのかもしれない。
高速で振り切れば、かすめただけでも切れることはある。コールの傷もごく浅かったため、誰も不思議に思わなかった。
だが、相対しているアイカは、意図的に鋭く細工されていることがわかった。そうでなければ、ほんのわずかかすっただけで血が出るような傷はできない。
アイカの頬の傷も、血が滲み始めている。少しすれば、頬を伝って流れていくだろう。
「…簡単に、人を傷つけるんだね」
アイカが避けていなければ、片目が潰されていた。最悪、死んでいた可能性がある。それはコールも同じことだ。
それを躊躇いなく、当然のごとく行う姿に、リガードの言葉の真意を理解する。
(人に傷つけられたことのないバカは、痛みを知らないから相手を容赦なく傷つける。それが死に至ると分かっていても…)
侮蔑を込めてガキ、とリガードが言ったのは、その罪深さを知らない未熟さゆえだったのだ。
アイカの呟きが聞こえていただろうに、ウェインは反応しない。
暗い瞳に、殺意が宿っていることに気付いて、アイカは唇をかみしめた。
アイカの脳裏に、再び浮かぶ言葉があった。
それはリガードの言葉ではなく、アイカの武術の師である祖父・太一の言葉だった。
『良いか? 今から教えるのは、人を壊す技であることを忘れるな。容易に人を傷つけられるのだと、それを念頭に置いておけ。学んだ技で、人を壊すのも、人を守るのも、お前の勝手だ。だが、人を壊した時、その時、自分もまた壊される覚悟を持て。因果応報。相手に対して行ったことは、自分にそのまま返ってくる。そのことを、忘れるな』
自分の行いの結果は必ず自分に返ってくる。そう繰り返した太一は、同時にアイカに対して、情けは人の為ならず、とも言った。
人に向けた情けや優しさは、巡り巡って自分の利益になるのだと。
因果応報と情けは人の為ならず。この二つはアイカの深いところに根差した。だからこそ、アイカは積極的に相手を傷つけようとはしない。組手や今回のような理不尽は別として。
人と関わるのを煩わしく思うからこそ、傷つけることも守ることもしてこなかったものの、必要に迫られて選ぶのなら、アイカは守ることを選ぶに決まっている。
そして、守る際に抱くべき覚悟も聞かされた。
『自分が敗れた時、守ろうとした者が危険にさらされることを覚悟しろ。誰かを、何かを守ろうとする時、その存在そのものを背負っているということだ。生半可な覚悟で、関わるなよ』
祖父から告げられた覚悟に、アイカは深く頷いた。
だからこそ、関わることを避けていたともいえる。
今、アイカはその覚悟を決めて拳を握りしめた。
「痛みを、知ってもらおうか。まぁ、何があっても、自業自得ってことで…」
アイカの呟きの意味が分からなかったのだろう。ウェインは表情を変えずに剣を構える。
異様なほどの緊張感と気迫に押されて、教官は止めることが出来ずにいた。勝敗が明確になっていないのも理由だろうが、割って入る隙が見当たらないのが最大理由だろう。
だが、教官達の迷いや戸惑いはわずか数拍の間で終わる。
積極的な攻撃はやはりウェインだ。向かってくる相手に対して、アイカは待ち構える。
剣を避け、半回転して背を向けるとウェインの腕をとらえ、前進している動きを利用して、足払いをかけると上半身を倒す。
いわゆる、背負い投げだ。
体術に打撃はあっても投げ技はない。魔法戦に対応するために受け身は学んでいるだろうが、体術での応用は学んでいない。それを知ったうえで、受け身をとれないウェインを、アイカは首から落とした。
下手すれば死ぬし、そうでなくとも骨折などで後遺症が残ってもおかしくない。それを知ったうえで、容赦も躊躇いも一切なく技を決める。
衝撃に意識を飛ばしたウェインを見下ろして、アイカは疲れたようにため息をついた。
「…これで、少しは大人しくなるでしょう」
それ以前に、取り返しのつかないことになるかもしれないのだが、そこら辺は気にしていないらしい。
事実、最悪の事態(死亡)は免れたようで、ウェインは呼吸しているのであまり心配していないのだろう。
しばし呆然としていた教官達は、慌てて駆け寄ってウェインの様子を見る。
運よく、骨にも異常はないようで、気絶しているだけだと分かって教官達は一様に安堵の息を吐く。
アイカやフィリア達と同じくらい、ウェインは扱いに慎重になる相手なのだ。下手に怪我をされてはたまらない。
容赦なく叩きのめせて、アイカは満足らしい。立場がほぼ対等なので、文句を言われることもない。そもそも、アイカより立場が上の人間は数えるほどしかいないので、心配することもない。
特に問題はなさそうなので、清々しい思いでアイカはフィリア達とハイタッチする。
フィリア達も驚きの連続であったが、わだかまっていた思いが発散できたのは同じなので戻ってきたアイカに声をかけられて我に返った。
喜びを分かち合うアイカ達とは違い、生徒達は呆然としたまま動けないでいた。
その後、次の試合が始まったのは三十分以上後だった。
※※※
アイカの試合を見ていたミゲルとラスは、わずかに驚きをあらわにしていた。
「…不思議なほど、躊躇いがないな」
「普通、もっと躊躇うものだがな」
二人の疑問は同じものだ。
士官学校に入学してくるものが、入学前に対人戦闘をこなしていることはまずない。コールやアイルのような立場なら、喧嘩などしていることがあるだろうが。
貴族や裕福な家庭の者は、指南役を雇ったりする。武芸を学ぶ私塾(有料)も存在するが、所詮は金銭のやり取りによって成り立っている師弟関係だ。教授する者が容赦なく打ち据えることなどできはしない。
それは致し方ない現実だが、大抵の者がそれを『対人戦闘経験』として勘違いする。模擬であるという前提を忘れてはいないが、自分は負傷をいとわず戦ったことがあると思い込むのだ。そう言う者の中には、自分が強いという勘違いすらしている者がいる。立場に遠慮して相手が負けてくれていたことに気付かないで。
そして、やってきた士官学校で生まれはともかく対等な立場(建前上は)な生徒同士での戦闘で、自分の勘違いを思い知る。
中には、頭では分かっているつもりでも、実際に目の当たりにしてしり込みする者も出てくる。そういう者達は、実際には一定以上の実力を持っているのに発揮できない。相手を傷つけ、血が流れ、下手すれば死んでしまうかもしれないことを恐怖するからだ。そのため、躊躇いが生じる。
「躊躇いがある分には救いようがあるんだよな」
「痛みを知ってるってことだからな」
「そうそう。でも、中途半端な奴ほど知らなかったりするんだよな」
「…そうだな。どこぞの王族関係者とか」
「はっきり言ったらどうだ。変態の身内」
「…あえて否定できないところをついてくるな。わかってるならそれでいいだろう」
「どうにかしろよ、あの変態。濁して言われんのははっきり言われるのより腹が立つ」
「どうにか出来ていたら、現在はない。どっちにしろ腹を立てるんだったらいいじゃないか」
「……二つの話題を同時進行してんじゃねぇよ。つーか、酷いな」
途中で割って入ってきたフェナル(偶然近くにいた)と、視線も合わせないまま静かな口論を始めたミゲルに、ラスは小さく呟く。
(てか、こいつら実は仲が良いんじゃ…)
ぶつかる部分は多いものの、根っこの部分は非常に理性的で真面目なところが似ているので本来なら馬が合うのだろう。
一人、置いてけぼりになったラスは、呆れたような溜息をつく。
(ま、確かに、一番ダメそうなフェナルが知ってるってのは意外ではあるな)
それに、と思考をつなげてラスはミゲルを横目で見上げる。
フェナル同様にダメそうな立場にいるのが、ミゲルだ。
だが、二人とも知っている。最上級の貴族なのに、ではなく、最上級の貴族だからこそ。
上にいるのは王族だけと言っても過言ではない家柄に生まれた二人だからこそ、生まれながらに背負った責任と義務は計り知れないほどに重い。だからこそ、徹底的に教えられたのだろう。
痛みと言うもの。戦うことの意味。自分の立場と家の重さ。
知らなくては、上に立てない家だからこその教育が施されているのがミゲルとフェナルだ。本来はラスもなのだが、諸事情があってそこに当てはまらないので除外。
(メザリエスも、そうだと思ってたんだがな…)
辺境伯家も同じように高位の貴族で、辺境であるために戦闘に対しては厳しい教育を施されているはずだ。だが、ウェインの様子ではそれが見受けられない。
フェナルに通じる貴族としての正当性を持っているのだが、決定的に違うのはフェナルは覚悟していて、ウェインは覚悟していないことだ。
(こいつ、返ってくることを理解してるからな)
自分がした行動は、いずれ自分に返ってくることを理解し、フェナルはそれを受け止め対処する覚悟を決めている。だからこそ、どんなに過激なことでも躊躇わずに実行する。
それが傍迷惑だったりもするのだが、他人の信念や覚悟に口出しすることはできない。
「…つーか、睨み合うな。周りが引いてんぞ」
いつの間にか、口論を終えて睨み合っていたミゲルとフェナルに、ラスが低く呟く。
二人の空気に恐れをなした生徒達がじりじりと距離を開けているせいで、クレーターのようになっている。気付いていなかったらしい二人が、ラスの呟きで気付いて視線をそらす。
その様子に、ラスは苦笑する。
ラスにとって、ミゲルは気心の知れた友人だ。それほど深い付き合いではないが、他の友人達と一線を画すのは事実だ。対して、フェナルのことは天敵のようにすら思っている。相容れない性分なのだから仕方ない。
だが、友人と天敵が似たり寄ったりだと言うのは、非常に複雑だ。
(まぁ、アイカほどじゃないだろうけどな…)
本人が自覚しているかどうかはともかくとして、アイカはその周囲が複雑だ。
表向き知られていることと、知らされていない事実。
後者を知っているのは、ほんのわずかだ。そして、アイカはそれを知らない。だからこそ、何よりも複雑になっている。
(さすがは守護神ってとこか)
裏側を操作し、その複雑な現状をあえて作り出した人物を思い描いて、視線を下げる。
ようやく、試合が再開するところだった。
※※※
波乱なく試合は進み、トーナメントの準決勝。
第一戦は、アイカ対フィリア。
剣術における力量差はもはや比べる必要もないほどだが、体術と剣術では先が読めない。アイカの体術が見たこともない(フィリア達にとって)ものだからこそだが。
中々に白熱し、互いに遠慮容赦なしではあったものの、最終的に勝利をもぎ取ったのはフィリアだった。
大接戦だったが、長剣への対抗策が万全でなかったのが痛かった。それをアイカは自覚しているらしく、悔しそうに歯噛みしながら口の中で何か呟いている。何を言っているのかわからないが、おそらく、聞いてもわからないだろうなと思ってフィリア達は放置しておくことにした。
第二戦は、ルフォル対ゾイド。
ゾイドは多少のしり込みが見られたが、ルフォルに対して本気でかかっていた。
(強いけど…)
何故か、ルフォルはゾイドが力を調整して、自分の実力を操作しているように感じられた。だが、そうだとしても理由がわからなかった。
フィリアやルフォルに遠慮した結果ならば、アイルやコールより下でなくても良かったはずである。アイカに遠慮すればビリ付近なので、家庭環境的にできなかったと分かるのだが。
(アイルの時は、容赦なしに見えたんだけどな)
相対しているからこそ、微妙な間があることに気付いた。
非常に分かりにくいものの、ふとした時にゾイドは隙を作っていた。罠かと思ったので、突っ込んだりはしなかったが、それが罠ではなく負ける気で作っているのに気付いた。
気付いたのは、一回隙に突っ込んでみたからだ。一拍の間をおいて繰り出された攻撃に、負ける気でいると気付かない者はいない。…中にはいるかもしれないが。
遠慮か、と少しイラッとしたがそうではないような気がして、ルフォルはよくよく観察することにした。そして、実力の操作ということに気付いた。
操作することが目的だとしても、どこか妙だと感じた。
(あぁ、そうか)
ゾイドの立場に、ルフォルは気づいた。
準爵という地位は、非常に弱く不安定なものだ。高位貴族と違って複数の爵位を持っているわけではないため、次男以下は貴族になれない。自身で出世して貴族かそれに準じる立場になるか、下手すれば身分を下って平民になるしかなくなる。
ゾイドは、バーレイス準爵家の六男―――兄五人と姉一人を持つ末っ子だ。
貴族の情報をある程度把握しているルフォルは、それに気づいた。
立身出世しようにも、曲がったプライドを持つ家では難しいだろう。兄達を押しのけるような真似は望まれないだろうし、針の筵になりかねない。
いまだ親の庇護を必要とする成人前の現在、下手に機嫌を損ねて放り出されたらたまったものではないだろう。
アイルが気づいたように、ルフォルも気付いた。
感じた違和感に、違和感の原因に。
揺らぐ眼差しに、渦巻く負の感情に、ルフォルはどう反応すればいいのかわからなかった。
ゾイドは、自分の立場に不安や恐怖、怒りを抱きながら、自分で選んで未来を作れるアイル達がうらやましくて仕方ないのだ。
(分からないではないな)
王族という身分に縛られ続けるルフォルには、なんとなくわかった。身分を名を捨てることをいとわないルフォルだが、家庭や立場に問題を抱える者すべてが同じような覚悟を持てるとは限らない。
ゾイドは、覚悟を持てずにいるのだ。だからこそ、身分をいとわず自身の道を歩けるアイルとコールがうらやましいのだ。
(自分には出来ないことを出来るって、確かに羨ましいよな)
複雑に絡み合った感情を制御しきれないながらに、ゾイドは自分の立場と家を考慮して動いている。
ルフォルは一瞬瞑目して、強く踏み込んで作られた隙に打ち込んだ。
わき腹を薙ぎ払った瞬間、ゾイドがわずかにほっとしたのを見てルフォルは何とも言い難い表情を浮かべる。
「…捨てられないものがあるのなら、捨てなければいい」
不意にこぼれたルフォルの呟きに、わき腹を抑えて崩れ落ちたゾイドがわずかに顔を上げる。
「良いじゃないか。自分の望む場所に立っても。それが、自身の力であるのなら」
瞳を見開いたゾイドに、ルフォルはそれ以上何も言わなかった。
ちらっと教官を見れば、慌てたようにルフォルの勝利を告げる。
動く様子のないゾイドが、武器を取り落しているからだろう。それに、これ以上続けてもゾイドに勝つ気がない以上意味がない。
「ゾイド=ルオン=バーレイス」
去り際、呼ばれた自身の名にゾイドはどう反応していいのかわからなかった。
「自分がどう動きたいのか、それをまず考えるべきじゃないのか」
言葉の意味を、ゾイドが理解できたかはわからない。
ルフォルにとってはそれはどうでも良い。言いたいことだけ言って、さっさと戻っていく背中を、ゾイドは呆然と見て、しばらくしてうつむいた。
教官に声をかけられてのろのろと動きだしたゾイドに、アイカは首をかしげる。
「なんか言ってたみたいだけど、何言ったの?」
「特別なことは何も」
「…心えぐるようなことを言ったわけじゃないわよね?」
「僕はアイカやフィリアみたいに鬼畜じゃないから」
さらりと何でもないような声音で言った言葉に、セラ達は即座に視線を外した。今までの経験により、この先にあることを予見したからだ。
そして、予見した通りの光景が繰り広げられた。ただ、一つ違うところがあったが。
「~~~~~~~~っ!?」
うっかり失言したルフォルを毎回締め上げるのはフィリアなのだが、今回はアイカだった。
何やら複雑な姿勢で、頭一つ分近く身長の違う少年を締め上げるアイカは、恐ろしいほどに無表情だった。それを見ているフィリアも無表情だったが、少しばかり驚いているらしい。
誰も見たことのない絞め技(?)の形に、教官も生徒も目をむいている。覗き込んでいる上級生達もだ。
いわゆる、コブラツイストというものなのだが、この世界の人間が知っているはずがない。
ちなみに、アイカが知っているのは祖母が好きだったからだ。実際にするのではなく、観戦するのが。
数分後、開始された決勝戦で、十数秒でルフォルがフィリアに撃沈させられた。その原因が先のコブラツイストであるかどうかは、定かではない。
※※※
色々な波乱含みの中で、あまりにもあっけない決勝戦の様子に、ミゲルとラスは笑いをこらえるしかない。フェナルは若干の呆れを含んだため息を落として、踵を返した。
ぞろぞろと同級生達が去っていく中で、ミゲルが小さな呟きを落とした。
「…メザリエス辺境伯、か」
さっきまでの笑いの余韻などない低い呟きに、ラスが頬杖をついて視線を向けないまま返す。
「南、か。確か、マルエランの領地に近い」
「近いが、接していない。その上、微妙な方角だからさほどの親交もないようだが…」
「叔父殿に言っておいてはどうだ?」
「おそらく、当に知っていると思うぞ?」
「…だろうなぁ」
「バーレイスは…」
「そろそろ落ち目だな」
「その根拠は?」
「アレ、六番目だろう? その上がどういう立場か知ってるか?」
嫌悪をにじませたラスの様子に、ミゲルは眉を寄せる。
嫌な予感がした。
「長男はとうに軍役義務を終えて故郷に帰っている。後継ぎだから、そうおかしいことじゃない」
「確かにな」
「次男と四男は武術には向かなかったらしく、官吏として内務に努めている。所属派閥はウェルシュテンだ」
現王妃の派閥に属しているということが形式なのか、事実なのか。形式ならば、ラスはこんな言い方をしない。つまり、事実なのだろう。
「三男と五男は軍に属してるが、三男は縁談がまとまってカレゾル派の騎士の家に先年婿入りしている。二人は仲が良いらしい」
「…なんだ、その兄弟」
嫌な予感が斜め上(悪い意味で)をむいて的中した。
文武に半数ずつ分かれているのはまぁ良いとして、それぞれ別の派閥に属するとはどういうことなのか。しかも、カレゾルとウェルシュテンが不仲なのは周知の事実である。
思わず、ミゲルが遠い目をして呟いてしまってもしょうがない。
「ちなみに、唯一の娘だが…」
「…それも問題なのか?」
「…お前、もう少し年頃の娘の話題に敏感になれ。立場的には無関心でいられないだろうが」
「…………」
恋愛ごとに疎いことも縁談が多いことも自覚はしているらしいミゲルは、沈黙する。
立場的に、年齢の見合う令嬢の売り込みは非常に多い。主に兄が事前にやんわりと断っているのを知っているので、ミゲル自身はどこの家からとか全く知らない。興味がないので知ろうともしない。
「まぁ、気にしなくても大丈夫な部類だけどな」
「どういうことだ?」
「虚弱体質なんだと。月の半分、起き上がれずベッドの上だそうだ。ちなみに、味噌っかす扱いの末っ子を唯一可愛がっているとか」
「毎回思うが、お前の情報源はどこだ…」
「バーレイスの元侍女、カレゾルの解雇された従僕、ウェルシュテンの元針子、キデュルの元執事…」
「もういい」
元使用人達とどうやって知り合い、本来、口が堅いはずの彼らからどうやって聞き出したのか、とか疑問は尽きないがまっとうな返答はないだろうと思ってミゲルはぶった切る。
「つまり、ソレか」
「…バーレイスの領地は、特産もなく、豊かでもない。並の中の並、貧しくはないが貯えもしにくく、飢饉が三年続けば崩れかねない土地だ。そこで、虚弱体質で政略にも使えない役立たずを養うのは大変だろう」
しかも、医療費が嵩む上、治癒系の魔法は通常の医療費の倍が最低額で、定期的に依頼すればとんでもない金額になる。魔術師自体が少ない上、治癒系魔法を使える者が少ないからだ。
体が弱いから、縁談を他家に持っていくこともできない。息子を売り込もうにも、上位の家は家の乗っ取りを疑われかねないので、同格か格下にしかやれない。
準爵家ならば、確かに役立たずとしか表現できないだろう。
「姉を人質に取られ、士官として出世しなくてはならないが、兄を超えてはならない、と」
「…哀れだな」
ゾイドの兄は、二人とも尉官(大尉・中尉・少尉の事、士官として最下級)から出世できていない。
ミゲルはそのことを思い出し、ただ一言呟く。
非難も罵倒も思い浮かぶが、自分達がどうにかできるわけではなく、どうにか出来ても動くわけにはいかないため、ただ憐れみだけを発露する。
ラスも同じ思いらしく、同意するように深いため息をつく。
「…下級生は、大変だな」
「他人事か」
「あいつらのことは、他人事だ」
「お前も、内容は違うが面倒事がまとわりついているだろう」
「…お前もな。まぁ、家族の問題はない分、楽ではあるだろうけど」
「否定はしない」
自分達の胸の内に浮かんだ複雑な事情と感情に、嫌悪を込めたため息をついて、解散していくアイカ達を見る。
「…あいつら、知ってるのか?」
「殿下達は、知っているんじゃないか? 情報収集には余念がないようだ」
「おれとしては、そっちの情報源の方が気になる」
確かに、と思ったがミゲルは数秒の間をおいて続けた。
「アイカは、気に留めていないだろう。セラ達は、そんな考え自体が浮かんでいないんじゃないか?」
「…まぁ、カレゾルのことがあるにしても、すぐ貴族社会に慣れろってのは無理があるからな」
「そうだな」
しばし、沈黙が続く。
どちらともなくため息をついて、歩き出す。
「その時にならないと、わからん」
「だな」
その会話を最後に、二人は沈黙を守ったまま寮の自室へと帰って行った。
※※※
寮の自室で就寝準備をすべて終え、ベッドに寝転がったアイカは天蓋を呆然と見つめていた。
アイカの脳裏には、今日、幾度目か分からない祖父の言葉が蘇っていた。
『人を殺すのに、武術の会得も、武器も必要ない。指一本でも、殺そうと思えば殺せる。ただ肩を押しただけで、倒れた時に頭を打って死ぬことだってある』
事実を淡々と語る祖父は、普段の朗らかさなど欠片も感じさせなかった。
『人は、簡単に命を奪ってしまえる。感情の揺らぎ一つで。お遊びの動作一つで。…そこに武器を持ち込めば、悲惨なことになるのは目に見えている。だが、それが分からないバカが世の中には多い』
かつて、何かあったのだろう。嫌なことを思い出したと言わんばかりに口元を曲げてため息をついてから、再び口を開いた。
『だから、愛華。理解する必要はない。ただ、知っておけ。覚えておけ』
一拍の間をおいて、道場の壁にかけられていた日本刀(真剣)をとってアイカの前に置き、一段と低い呟きを落とす。
『人が、人である限り、その存在こそが凶器だ』
「…その存在が生み出した道具も、凶器」
続いた言葉を音として発し、アイカは腕で視界を覆う。
今回の対人戦で、それを理解した。
刃を潰しても人の視界を永遠に奪ってしまえる道具は、確かに凶器。だが、それを生み出し、扱う人こそが何よりも危うい。
道具は使い方次第、とはよく言うものだ。
(お祖父ちゃんの言ってたこと、わかった気がする…)
扱う人の感情または思想こそが、凶器。
つまりは、そういうことだ。
だからこそ、アイカは祖父から武具術に関しては一切手ほどきを受けなかった。ただ、対抗する術は徹底的に教え込まれたが。
暗くなった視界で、再生される亡き祖父の姿と声に、何かが湧き上がってくるのを無視して、アイカはそのまま眠りに落ちていった。




