第39話 異世界の洗礼
第39話 異世界の洗礼
オリオンの前方。
青白い世界境界がゆっくりと開いていく。
まるで海面を割るように。
あるいは巨大な門が開くように。
その向こうに広がる景色を見た瞬間。
栞は声を失った。
「……」
言葉にならない。
夜明け前の空。
どこまでも広がる巨大な森林。
山脈。
湖。
そして地平線の彼方に見える城塞都市。
地球には存在しない景色だった。
本当に。
異世界だった。
---
オリオンは静かに降下する。
北方物流中継局から数十キロ離れた無人区域。
直接接近しないのは安全対策だった。
アリアの判断でもある。
「魔力汚染濃度上昇中」
「慎重な接近を推奨します」
窓の外には紫色の靄が見えていた。
森の一部が歪んでいる。
木々がガラスのように結晶化していた。
神代が息を呑む。
「これが魔力災害……」
「昔はもっと酷かった」
カイルが小さく言う。
二人が振り向く。
「こんなものじゃない」
その表情は真剣だった。
「王国南部では都市一つ消えた」
静かな声。
だが重い。
これは物語ではない。
現実の災害だった。
---
オリオンが着陸する。
衝撃はほとんどない。
滑るように森の中へ降り立った。
ハッチが開く。
外気が流れ込む。
その瞬間。
栞は目を見開いた。
「うわっ!」
世界が違う。
空気が。
濃い。
説明できない。
山奥の森林に近い。
けれどそれ以上だ。
生命力そのものが濃縮されているようだった。
神代も同じらしい。
「なんだこれ……」
軽く眩暈を起こしている。
アリアが反応した。
「異世界適応反応を確認」
カイルが振り向く。
「始まったか」
「始まった?」
栞が聞き返す。
アリアが答えた。
「異世界由来環境への適応です」
「地球人のため通常は数年かかります」
「しかし管理権限の影響により短縮されています」
嫌な予感しかしなかった。
---
その時だった。
栞の視界に文字が浮かぶ。
本当に。
突然。
何の前触れもなく。
目の前へ青白い文字が出現した。
『補佐官適性確認』
『情報整理能力適合』
『技能付与』
栞は完全に固まった。
「え」
神代も同じだった。
「ちょっと待て」
今度は神代の目の前にも文字が浮いている。
カイルだけが平然としていた。
「落ち着け」
「落ち着けません!」
栞が即答する。
人生初の経験だった。
空中に文字が出るなど。
---
文字が変化する。
『補佐官技能』
『情報統合』
『取得』
その瞬間。
頭の中へ何かが流れ込んできた。
大量の情報。
しかし不思議と苦しくない。
むしろ。
自然に整理されていく。
バラバラの情報が一瞬で分類される。
図書館で蔵書を整理する時に似ていた。
だが速度が圧倒的に違う。
「……え?」
栞が呆然とする。
「情報が……見える?」
目の前にいる人。
地図。
資料。
状況。
その全体像が自然と頭へ入る。
何が重要で。
何が不要で。
どこに問題があるのか。
本能的に理解できる。
---
神代も異変が起きていた。
『知識継承者適性確認』
『古代文明理解能力適合』
『技能付与』
視界が揺れる。
そして。
今まで読めなかった文字が読めた。
オリオンの壁に刻まれている古代文字。
アリアの表示。
保守記録。
全部。
意味が分かる。
「うそだろ……」
思わず呟く。
今まで苦労して解読していた内容が。
自然に読める。
まるで最初から知っていたように。
---
栞も神代も混乱していた。
一方で。
カイルは少しだけ笑う。
「よかったな」
「よくありません!」
栞が叫ぶ。
「急にスキル生えたんですよ!?」
「異世界では普通だ」
「普通じゃないです!」
その通りだった。
だが。
カイルからすれば本当に珍しくない。
異世界では一定条件で技能が発現する。
才能。
経験。
環境。
様々な要因で。
ただ地球人に起きると思わなかっただけだ。
---
アリアが補足する。
「管理システムによる補助です」
「補佐官と知識継承者の権限が活性化しました」
つまり。
始まりだった。
二人は単なる同行者ではなくなった。
世界物流網再建の正式メンバーになったのである。
---
その時。
森の奥から咆哮が響いた。
グォオオオオオ!!
空気が震える。
神代が飛び上がる。
栞も固まる。
だがカイルは剣ではなく地図を開いた。
「北だな」
地図に赤い点が現れている。
巨大。
高密度魔力反応。
近い。
非常に。
アリアが警告する。
「魔獣です」
「推定脅威度B級」
神代が叫ぶ。
「B級ってどれくらい!?」
カイルが答える。
「警備兵十人なら壊滅する」
「十分強いじゃないか!」
---
だが。
その時だった。
栞の頭の中へ情報が流れる。
補佐官技能。
情報統合。
新たに得た能力。
周囲の状況。
地形。
風向き。
視界。
それらを勝手に整理する。
そして。
気付く。
「待って」
カイルが振り向く。
栞は森を指差した。
「こっちじゃない」
「何?」
「音はあっちから聞こえる」
別方向を指す。
「でも反響してる」
自分でも不思議だった。
なぜ分かるのか。
説明できない。
だが分かる。
カイルは少し驚いた顔をした。
そして。
確認する。
数秒後。
頷いた。
「正しい」
神代が目を丸くする。
本当に当たっていた。
---
アリアが即座に修正する。
「補佐官技能による環境分析を確認」
栞が固まる。
どうやら本物らしい。
その能力は。
---
神代もまた変化していた。
森の奥。
崩れた石碑。
そこへ目が止まる。
普通なら読めない。
だが今は違う。
文字が分かる。
意味が分かる。
「これ……」
近付く。
そして。
読み上げた。
「北方物流中継局まで二十三キロ」
カイルと栞が振り向く。
石碑だった。
古代物流網の案内標識。
三千年前の。
神代は思わず笑う。
「本当に読める……」
---
新しい能力。
新しい知識。
そして。
新しい冒険。
三人は少しずつ変わり始めていた。
異世界に来たことで。
地球人のままではいられなくなっていた。
---
その頃。
北方物流中継局。
最深部。
銀髪の少女は静かに空を見上げていた。
遠く。
遥か遠く。
修復者の気配。
補佐官。
知識継承者。
全てを感じている。
そして。
三千年ぶりに。
少女は微笑んだ。
「間に合った」
誰にも聞こえない声。
だが。
その瞳には久しぶりに希望が宿っていた。
そして彼女は知らない。
修復者たちが向かう道の先に。
第二認証鍵より先に。
さらに厄介な存在が待ち受けていることを。
北方物流中継局を守護する。
三千年間一度も停止しなかった。
最後の防衛軍団が。
今まさに目を覚まそうとしていた。
――第40話へ続く――
ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!




