第3話 本の迷宮
第3話 本の迷宮
自動ドアが音もなく開いた。
カイルは思わず身構える。
敵意を感じない。
罠もない。
だが、扉に触れずに開く仕組みは十分に異常だった。
「……魔法か?」
もちろん違う。
この世界に魔力は存在しない。
それなのに信じられない技術だけが存在している。
昨日までの常識が、次々と崩されていた。
慎重に足を踏み入れる。
そして。
カイルは固まった。
「なっ……」
広い。
とにかく広い。
天井まで届く棚。
どこまでも続く本の列。
壁一面の書架。
数え切れないほどの書物。
冒険者ギルドの資料室など比較にならない。
王立図書館ですら子どもの遊び場に見える。
カイルの口から自然と声が漏れた。
「宝物庫か……」
彼は斥候だった。
未知を探る者だった。
だがその本質は学ぶ者でもある。
地形。
罠。
魔物。
気候。
生き残るには知識が必要だった。
だから本は好きだった。
好きだからこそ理解できる。
ここがどれほど異常な場所なのか。
「この世界は、これだけの知識を誰でも読めるのか……?」
信じられない。
知識は力だ。
王侯貴族や賢者が秘匿するものだ。
それが無償で公開されている。
狂気的ですらあった。
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しばらく歩き回ると、受付らしき場所を発見した。
だが今は近寄らない。
身元確認をされる可能性がある。
まずは情報収集が先だ。
地図を確認する。
館内案内図である。
森羅翻訳が働き、日本語は問題なく読めた。
「歴史……地理……科学……工学……」
聞いたことのない単語も多い。
だが気になる言葉があった。
地理。
カイルは反射的にその棚へ向かった。
数分後。
彼は世界地図の前で呆然としていた。
「世界が……違う」
大陸の形が違う。
海の配置も違う。
エルドバルト王国もない。
ゼノス帝国もない。
知っている地名が一つも存在しない。
完全な異世界。
ようやく現実として理解できた。
転移したのだ。
本当に。
「帰る方法を探さなければな」
だが慌てる気はなかった。
生きている。
なら何とかなる。
それがカイルだった。
まずは現地の調査。
それから帰還方法の探索。
順番を間違えない。
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数時間後。
彼は歴史の棚に座り込んでいた。
周囲には本の山。
十冊。
二十冊。
三十冊。
普通の人間なら数日かかる量だ。
しかしカイルの読書速度は異常だった。
斥候として培った観察眼。
そして魔力による記憶補助。
一冊を数分で読み終える。
それでも。
読めば読むほど衝撃だった。
魔王がいない。
魔族がいない。
ダンジョンもない。
魔法もない。
代わりに。
機械があった。
科学があった。
技術があった。
「人間だけでここまで発展したのか……?」
背筋が寒くなる。
異世界なら伝説級の大魔導師が築くような文明を、この世界の人々は魔力なしで実現していた。
空を飛ぶ機械。
海を渡る巨大船。
世界中を繋ぐ通信網。
そして。
数百年前の知識すら本として残っている。
「恐ろしい」
心からそう思った。
敵としては絶対に戦いたくない。
そんな文明だった。
そのとき。
頭の奥で何かが反応した。
じんわりと熱くなる感覚。
スキルだ。
『空想具現』
聞こえた気がした。
それと同時に本の内容が立体的に脳内へ再構築される。
知識がただの情報ではなくなる。
構造。
原理。
理論。
用途。
細部まで理解できる。
「……なるほど」
カイルはゆっくり本を閉じた。
このスキルは単純な暗記能力ではない。
理解能力そのものを拡張している。
学んだ知識を魔法技術として再構築する能力。
そんな予感がした。
試しに手を伸ばす。
木製の栞へ魔力を込める。
何も起こらない。
だが。
頭の中へ図形が浮かんだ。
構造式。
設計図。
理論モデル。
見たこともない概念。
まるで本そのものが自分の一部になったようだった。
「面白いな」
カイルは久しぶりに笑った。
異世界へ飛ばされた。
帰還方法もわからない。
本来なら絶望する状況だ。
しかし。
目の前には未知の知識がある。
世界中の叡智がある。
そして自分には、それを理解できる力がある。
ならばやることは一つだ。
「まずは学ぼう」
どんな地形でも。
どんな迷宮でも。
攻略には地図が必要だ。
この世界の地図を作る。
知識という地図を。
カイルは再び本棚へ向かった。
その視線の先。
ふと一冊の棚が目に入る。
【ファンタジー小説コーナー】
剣。
魔法。
ドラゴン。
異世界。
そんな文字が並んでいた。
カイルは足を止める。
そして。
少しだけ興味を持った。
まだ知らない。
この棚に眠る無数の物語こそが。
数年後、世界を救うための「鍵」になることを。
そして。
ある一人の無名作家の作品が。
古代文明の封印を解く正規パスワードだったことを。
その時のカイルは、まだ知る由もなかった。
――第3話 了――
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