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第37話 帰還前夜

第37話 帰還前夜

オリオンのブリッジは静かだった。

地球側保守施設を出発してから数時間。

巡回艇は低位転送層を航行し続けている。

窓の外には幻想的な光景が流れていた。

青白い光の河。

その遥か向こうに見える無数の世界。

まるで星空の海だった。

だが今の三人に、それを楽しむ余裕はない。

第二認証鍵。

北方物流中継局。

魔力災害地帯。

正体不明の保守者。

そして。

ついに近付いた異世界帰還。

考えることが多すぎた。


---


栞はブリッジ後方の席へ座りながらノートを整理していた。

最近の日課だった。

図書館司書見習いとして身に付いた習慣でもある。

情報は整理しなければ意味がない。

ページをめくる。

最初の頃の記録が見える。

『毎日図書館へ来る変な外国人』

『土木工学の本を大量に読む』

『橋を見ると嬉しそう』

そこから先。

話はどんどんおかしくなっている。

異世界。

世界物流網。

古代文明。

管理局。

三千年前の革命家。

世界崩壊。

そして今。

自分は世界間航行船に乗っている。

「意味分からないなあ……」

思わず呟く。

神代が笑った。

「今さらですか」

「今さらです」

即答した。

本当に今さらだった。


---


神代は一冊の資料を閉じる。

古代文字の解読記録だ。

ここ数時間ずっと作業していた。

「気になることがあります」

神代が言う。

カイルが顔を上げた。

「何だ」

「北方物流中継局です」

ブリッジ中央に地図が表示される。

巨大な森。

王国北部。

人類未踏の領域。

そして。

第二認証鍵。

「保守記録が残っています」

神代が続ける。

「五年前」

「十年前」

「三十年前」

「百年前」

表示される記録。

一定間隔で行われている。

誰かが保守しているのだ。

明らかに。


---


「生存者か」

カイルが言う。

「あるいは管理端末」

神代が答える。

どちらもあり得る。

だが。

神代は首を振った。

「違うと思います」

「なぜだ」

「保守内容です」

新しい資料が展開される。

そこには。

設備補修。

外装整備。

侵入生物排除。

警戒区域拡張。

そんな記録が並んでいた。

そして。

神代は一行を指差した。

居住区画維持

ブリッジが静かになる。

居住区画。

誰かが住んでいる。

そうとしか読めない。


---


その時。

アリアが突然反応した。

「航路変更」

「異常空間を検知」

オリオン全体が微かに震える。

世界地図が切り替わる。

航路前方。

黒い領域。

歪み。

裂け目。

空間そのものが崩れていた。

栞の顔が引きつる。

「またですか……」

アリアが答える。

「世界境界崩壊現象です」

数週間前まで。

こんな言葉を聞いても理解できなかった。

今は違う。

世界そのものが壊れる現象。

それを知っている。


---


映像が拡大される。

黒い裂け目。

そこから何かが流れ出していた。

霧。

いや。

魔力だ。

紫色の光。

どろりとした密度を持つエネルギー。

アリアの表情が険しくなる。

「汚染濃度上昇」

「航路修正を推奨」

だが。

その瞬間だった。

カイルが前へ出る。

じっと裂け目を見つめる。

そして。

目を細めた。

「妙だな」

またその言葉だった。

栞と神代は顔を見合わせる。

最近分かってきた。

カイルが妙だと言う時。

大抵何か見つけている。


---


「何が見えます?」

栞が聞く。

カイルは少し考えた。

「流れだ」

「流れ?」

「本来ならこうならない」

裂け目を指差す。

魔力の流れ。

汚染の広がり。

世界境界の歪み。

全てが不自然だった。

まるで。

何者かが意図的に広げているような。

「自然崩壊じゃない」

その言葉に。

ブリッジの空気が変わった。


---


神代が立ち上がる。

「誰かがやっている?」

「可能性がある」

カイルは断定しなかった。

だが。

違和感は確かにある。

世界崩壊。

それは事故ではないかもしれない。

もしそうなら。

最後の管理者。

あるいは別の誰か。

意図的に。

現在進行形で。

崩壊を広げている。

そんな可能性が生まれる。


---


その時だった。

アリアが静かに告げた。

「目的地到達まで二時間」

ブリッジが静まる。

二時間。

ついにそこまで来た。

エルドバルト王国。

カイルの故郷。

北方物流中継局。

第二認証鍵。

全てが近い。


---


カイルは窓の外を見た。

久しぶりだった。

故郷を見るのは。

転移してから数か月。

長かったような。

短かったような。

不思議な感覚だった。

仲間は無事だろうか。

王国は変わっていないだろうか。

黒虚の顎はどうなったのか。

考えることは多い。

だが。

不安より先に思うことがあった。

「帰れるな」

その声は小さかった。

栞にしか聞こえなかった。


---


栞は少し迷う。

そして。

静かに尋ねた。

「嬉しいですか」

カイルは即答しなかった。

数秒。

沈黙。

その後。

小さく笑った。

「嬉しいな」

本当に珍しい表情だった。

図書館で出会った頃。

あまり感情を見せなかった男。

その彼が。

今だけは素直だった。


---


栞は少しだけ胸が痛くなる。

帰れる。

それは良いことだ。

本来の目的だ。

理解している。

だが。

もし世界物流網が復旧したら。

もし全てが終わったら。

この人は向こうへ戻るのだろうか。

ふとそんな考えが頭をよぎる。

そして。

すぐに振り払った。

今は考える時ではない。

目の前の問題が大きすぎる。


---


オリオンは加速する。

青い光の海を進む。

世界と世界の狭間を。

やがて前方に。

巨大な光が見え始めた。

一つの世界。

エルドバルト世界。

カイルの故郷。

そこへの入口だった。


---


その頃。

エルドバルト王国北方。

誰も近付かない禁域。

北方物流中継局。

三千年間眠り続ける巨大施設。

その最深部。

一人の少女がいた。

銀色の髪。

赤い瞳。

年齢は十代半ばほどに見える。

だが。

その瞳だけは異様に古かった。

少女は静かに目を開く。

そして。

小さく呟く。

「来る」

誰もいない部屋。

だが彼女は確信していた。

修復者が来る。

三千年待ち続けた存在が。

ついに。

ここへ。

「ようやく……」

少女は立ち上がる。

長い長い孤独の終わりを迎えるように。

そして。

第二認証鍵を巡る物語が。

静かに幕を開けようとしていた。

――第38話へ続く――

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