第22話 起動反応
第22話 起動反応
栞の人生で。
これほど静かな沈黙を経験したことはなかった。
会議室の時計だけが音を立てている。
カチ。
カチ。
カチ。
その音だけが妙に大きく聞こえた。
机の上には神代のスマートフォン。
画面には一通のメール。
たった一行。
> 第七物流ゲート起動反応確認
それだけ。
差出人不明。
署名なし。
説明なし。
だが。
神代悠人は青ざめていた。
カイルは立ち上がっていた。
そして栞だけが状況を理解できていなかった。
***
「そのメール」
ようやく栞が口を開く。
「何なんですか?」
神代は数秒黙り込む。
やがて深く息を吐いた。
「これは」
苦笑する。
「本来なら存在しないメールです」
「意味が分かりません」
「僕もです」
即答だった。
神代自身も混乱しているらしい。
だが次の言葉は重かった。
「ただ、一つだけ分かります」
スマートフォンを握る。
「この文言は曾祖父の手記にしか存在しない」
部屋が静かになる。
「つまり」
栞が続きを言う。
「誰かが手記を持っている?」
「それもあり得る」
「でも」
神代は首を振った。
「もっと嫌な可能性もある」
「何ですか」
神代は答えなかった。
代わりに資料を一枚取り出した。
古びた紙。
そこに記されていたのは停止した物流ゲートの記録だった。
その端に小さく書かれている。
> 起動反応確認時は管理権限保有者へ自動通知
栞の背筋が寒くなる。
自動通知。
つまり。
「まさか……」
「そう」
神代が頷く。
「これがシステムからの通知だったら?」
空気が凍った。
***
「あり得るな」
初めてカイルが口を開いた。
神代が驚く。
「信じるんですか?」
「信じるというより経験がある」
静かな声だった。
「俺は転移した直後に声を聞いている」
栞は思い出す。
修復者。
権限付与。
管理者候補。
そんな言葉を言っていた。
「同じだ」
カイルが言う。
「人間の会話ではない」
神代も頷いた。
「手記の記録とも一致します」
栞は頭を抱えたくなった。
異世界人がいて。
世界間物流ゲートがあって。
古代文明の自動システムが動いていて。
しかもスマートフォンへメールを送ってくる。
どんな世界観なのだろう。
***
しかし。
そこでカイルが突然尋ねた。
「送信元は追えるか」
神代が顔を上げる。
「え?」
「メールだ」
「どこから来た」
神代がはっとする。
すぐにスマートフォンを操作した。
一分後。
表情が変わる。
「……変だ」
「何が」
「送信元が存在しない」
栞が首を傾げる。
意味が分からない。
神代は続ける。
「経路情報が空白なんです」
「そんなことあるんですか?」
「普通はない」
そう言い切る。
「絶対ないとは言いませんけど、少なくとも僕は見たことがない」
さらに調べる。
何度も確認する。
だが結果は変わらなかった。
差出人不明。
送信経路不明。
発信元不明。
なのにメールは届いている。
***
その時だった。
カイルが資料へ手を伸ばした。
先ほどの物流ゲート図面。
第七物流ゲート、黒虚の顎。
それをじっと見つめる。
そして。
静かに呟いた。
「位置は分かるか」
神代が瞬きをする。
「位置?」
「物流ゲートだ」
「残骸でもいい」
「場所が知りたい」
栞が息を呑む。
その瞬間。
カイルの目的が分かった。
調査するつもりなのだ。
現場を。
異世界の遺跡を。
「ある程度なら」
神代が資料をめくる。
古地図。
座標。
手記。
何枚も重ねる。
「曾祖父は地球側にもゲートがあったと書いています」
「場所は?」
「たぶん日本」
「たぶん?」
「記録が曖昧なんです」
そこで神代が苦笑した。
「曾祖父も実際に見てないので」
***
そこから三人は資料整理を始めた。
気付けば夜だった。
神代の手記。
カイルのノート。
栞のメモ。
机の上には大量の紙が並ぶ。
まるで捜査本部だった。
そして栞は気付く。
自分も普通に参加している。
数時間前まで。
異世界なんて信じていなかったのに。
今では黒虚の顎調査会議のメンバーだった。
「おかしいな」
思わず呟く。
「何がです?」
神代が聞く。
「私、図書館のアルバイトなんですけど」
神代が吹き出した。
カイルまで少し笑う。
珍しい。
本当に珍しい。
栞は初めて見た。
心から笑っているカイルを。
***
だが。
その和やかな時間も長くは続かなかった。
突然。
カイルが顔を上げる。
「……待て」
低い声。
それだけで空気が変わる。
「どうしました?」
栞が尋ねる。
答えはない。
代わりに。
カイルの視線が窓の外へ向く。
夜の街。
車のライト。
人々の流れ。
いつも通りの光景。
しかし。
カイルは立ち上がった。
ゆっくりと。
まるで獣が気配を察知したように。
「誰かいる」
神代と栞が凍る。
「え?」
「外だ」
カイルは窓へ近付く。
街路樹の影。
ビルの隙間。
駐車場。
そこを見つめる。
数秒。
沈黙。
そして。
「消えたか」
静かに言った。
「誰が?」
栞が聞く。
カイルはしばらく窓の外を見たまま答えない。
やがて。
低い声で言った。
「俺たちを見ていた」
その言葉に。
栞の背筋を冷たいものが走る。
講演会は終わった。
異世界の秘密も知った。
まだ何も始まっていないと思っていた。
だが違った。
もう始まっている。
黒虚の顎の再起動。
謎の通知。
そして監視者。
世界門の秘密を追う者たち以外にも。
何かが動いている。
その事実だけが。
三人の胸へ重くのしかかっていた。
――第23話へ続く。
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