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第20話 継承者

第20話 継承者たち

講演会が終わった後も。

朝比奈栞は、どこか現実感を失っていた。

参加者たちの拍手。

サイン会へ向かう列。

楽しそうな会話。

その全てが妙に遠く感じる。

理由は簡単だった。

壇上で起きた、あの一瞬。

カイルと神代悠人。

二人が視線を合わせた瞬間、何かが起きた。

言葉では説明できない。

けれど確信だけはある。

あれは偶然ではなかった。

そのまま神代本人に別室へ案内され、気付けば今、自分も会議室に座っている。

本来なら部外者だ。

それなのに誰も止めなかった。

まるで、自分がこの場にいることが最初から決まっていたように。


---


会議室のドアが閉まる。

静寂。

神代がゆっくりと鞄を開いた。

取り出されたのは、古びた革表紙の手帳だった。

傷だらけ。

色褪せている。

けれど大切に扱われてきたことだけは分かる。

神代が最初のページを開いた。

その瞬間。

カイルの目が変わった。

栞はそれを見逃さなかった。

今まで何度も見てきた顔だ。

工事現場で問題を見つけた時。

橋の構造に感動した時。

地図を読み込んでいる時。

そして。

『星界魔導年代記』を読んでいる時。

何か重要なものを見つけた時の顔だった。

「その紋章……」

カイルが静かに呟く。

神代もまた頷いた。

「知っていますね」

「知っている」

短い会話。

だが二人は既に通じ合っていた。

栞だけが置いていかれている。

ページには見慣れない紋章が描かれていた。

円の中に幾何学模様。

どこか機械的で。

どこか神秘的。

ファンタジー小説の挿絵にも見えるし、企業ロゴにも見える不思議な紋章だった。

「まずは確認させてください」

神代が言う。

「あなたはどこでこれを見ましたか」

カイルは迷わなかった。

「黒虚の顎」

神代の顔色が変わる。

栞でさえ分かるほどだった。

「本当に……」

神代が椅子にもたれかかる。

「実在したんだな」

「実在を疑っていたのか」

「当然です」

神代は苦笑した。

「だって曾祖父の日記にしか登場しないんですよ」


---


それから一時間近く。

会話は続いた。

神代は次々と資料を広げる。

古地図。

設計図。

古文書の写し。

意味不明な数式。

そして『星界魔導年代記』の設定資料。

栞に理解できるのは半分以下だった。

だが。

分かることもある。

神代は嘘をついていない。

そして。

カイルも嘘をついていない。

「曾祖父は言っていました」

神代が一枚の紙を机へ置く。

そこには古い肖像画が描かれている。

長い髪。

ローブ姿。

賢者のような人物。

「この人が始まりだと」

「異世界から来た大賢者」

「アストレア」

その瞬間だった。

カイルが反応する。

「知っている」

神代が息を呑む。

「やっぱり」

「大賢者アストレア」

カイルは絵を見つめたまま言う。

「異世界の歴史上人物だ」

栞の思考が停止する。

異世界。

歴史上人物。

大賢者。

何を言っているのだろう。

現代日本で。

講演会の会議室で。

だが二人は真剣そのものだった。


---


そして。

栞はついに我慢できなくなった。

「待ってください」

二人がこちらを見る。

「さっきから異世界とか言ってますけど」

声が震える。

「本気なんですか?」

誰かが笑って否定してくれると思った。

ファンサービスだとか。

創作の延長だとか。

そう言ってくれると思った。

だが。

誰も笑わない。

神代も。

カイルも。

真面目な顔のままだった。

「カイルさん」

栞はゆっくり尋ねた。

「異世界人なんですか」

沈黙。

数秒。

そして。

カイルは静かに答えた。

「そうだ」

栞の世界が止まった。


---


そうだ。

たったそれだけだった。

だがその一言は重かった。

これまでの記憶が一気に繋がる。

コンビニを補給拠点と呼んだこと。

道路に感動していたこと。

橋を芸術品みたいに見ていたこと。

土木の本を異常な速度で読んでいたこと。

常識が微妙にずれていたこと。

全部。

全部説明できてしまう。

「え……」

情けない声しか出ない。

「え?」

もう一回言ってしまう。

すると神代が苦笑した。

「その反応になりますよね」

「なりますよ!」

思わず叫んだ。

「普通そうなりますよ!」

二人とも落ち着きすぎている。

特にカイル。

本人が一番異常なのに妙に平然としている。

カイルは首を傾げた。

「そんなにおかしいか」

「おかしいです!」

即答だった。

神代まで吹き出している。


---


しかし。

少しずつ。

本当に少しずつ。

栞の混乱は落ち着いていった。

なぜなら。

目の前にいるのは変わらないからだ。

異世界人だろうと。

なんだろうと。

図書館で毎日本を読む変な人。

工事現場を助ける人。

橋を見て嬉しそうにする人。

困っている人を放っておけない人。

それは全部変わらない。

「……ずるいですよ」

気付けばそう呟いていた。

「何がだ」

カイルが尋ねる。

「異世界人だったなんて」

栞はため息を吐く。

「もっと怖い人かと思うじゃないですか」

「怖いのか」

「普通は」

すると神代が笑った。

「でも、この人は怖くありませんよね」

栞は少し考える。

そして頷く。

「全然」

本当にそうだった。

むしろ安心する。

それが自分でも不思議だった。


---


だが空気が和んだのも束の間だった。

神代は一枚の資料を取り出した。

今までとは違う。

かなり古い紙だった。

そこに書かれている文字を見た瞬間。

カイルが立ち上がる。

【第七物流ゲート 黒虚ノ顎】

完全に一致していた。

神代は低い声で言う。

「曾祖父の日記によれば」

「黒虚の顎はダンジョンじゃありません」

「物流施設です」

栞の背筋が寒くなる。

物流施設。

その言葉自体は地味だ。

だが。

神代の口調は全く地味ではなかった。

「世界と世界を繋ぐための施設」

「古代文明アルカディアが構築した巨大ネットワーク」

「そして」

ページがめくられる。

最後の記録。

そこにはこう書かれていた。

【管理者不在】

【修復者到来待機】

カイルの目が細くなる。

神代の表情も消える。

そして。

その場にいた三人全員が理解した。

その文書は。

カイルを指している。

「修復者……」

栞が呟く。

神代は頷く。

「たぶん」

「この人です」


---


そして。

さらに続く言葉が。

空気を凍らせた。

「ただし問題があります」

神代は机に最後の資料を置いた。

そこには崩れた円環構造が描かれていた。

世界門。

その破損図だった。

「ゲートは停止しているだけではありません」

資料の赤い注記を指差す。

「崩壊しています」

「今も」

「少しずつ」

部屋が静まり返る。

「もし放置したら」

神代は真っ直ぐカイルを見る。

「あなたの世界も」

そして栞を見る。

「この世界も」

最後に静かに告げた。

「巻き込まれます」

その瞬間。

栞は初めて恐怖を覚えた。

異世界が実在することよりも。

転移が本当だったことよりも。

大好きな本の設定が現実だったことよりも。

今、自分の世界が危機にあるという事実に。

そして。

カイル・ヴァンガードは静かに拳を握った。

その目にはもう迷いがなかった。

帰る理由ができた。

そして。

守る理由もできた。

――第21話へ続く。

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