第16話 記憶の中の大賢者
第16話 記憶の中の大賢者
図書館の閉館を告げるアナウンスが流れていた。
だがカイルは席を立たない。
目の前に開かれているのは『星界魔導年代記 第五巻』。
周囲の利用者たちは帰り支度を始めている。
司書たちも書架の確認をしている。
それでもカイルだけは動かなかった。
視線は一文に釘付けになっていた。
管理者とは支配者ではない。管理者とは修復者である。
その一節が妙に引っ掛かっていた。
転移した直後に聞いた声。
【修復者認定】
【権限付与】
【修復者の到着を確認】
あれは何だったのか。
黒虚の顎で起きた事故。
世界を越える転移。
そしてこの本。
別々に見えていた点が少しずつ線になり始めている。
そんな感覚があった。
「……まだ何かあるな」
カイルは呟く。
直感だった。
斥候として何度も危険地帯を突破した経験が告げている。
何か重要なものを見落としている。
---
「カイルさん」
声がした。
顔を上げる。
朝比奈栞だった。
閉館作業中らしい。
手には返却された本の束を抱えている。
「閉館ですよ」
「そうだったな」
「また忘れてましたね」
「考え事をしていた」
栞は視線を本へ向けた。
『星界魔導年代記』
その表紙を見ると少し笑う。
「本当に好きになりましたね」
「気になるだけだ」
「普通それを好きって言うんですよ」
そうなのか。
カイルにはよく分からない。
異世界にいた頃も、本は好きだった。
だが今は少し違う。
この作品は情報源だ。
しかも世界の秘密に繋がる。
見逃す理由がない。
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二人は並んで出口へ向かった。
外へ出ると夜風が吹いている。
街はまだ明るかった。
カイルは未だにこの光景に慣れない。
夜なのに活動している都市。
補給線が途切れない文明。
考えるだけでも恐ろしい。
「そういえば」
栞が不意に言った。
「昨日の話なんですけど」
「昨日?」
「講演会」
作者の講演会だ。
カイルは足を止めた。
今最も興味がある話題だった。
「詳しく聞きたい」
「やっぱり食いつきますね」
栞が少し笑う。
そしてスマートフォンを取り出した。
カイルはもう驚かない。
地球人はみんな携帯式遠距離通信機を持っている。
そう理解していた。
「ほら」
画面を見せられる。
講演会の案内だった。
地元文化施設。
定員百名。
来週土曜日。
参加費無料。
そして。
作者名。
そこに書かれていた名前を見て、カイルは眉をひそめた。
「ずいぶん若いな」
「ですよね」
栞もうなずく。
「デビュー十年くらいですけど、まだ三十代らしいですよ」
若い。
もっと年配かと思っていた。
この知識量だ。
何十年も研究を続けた学者だと思っていた。
「不思議ですか?」
「少しな」
「ファンの間でも有名なんです」
栞は続ける。
「この人、やたら設定が細かいんですよ」
「知っている」
「でもインタビューとかでは、全部空想ですって言うんです」
空想。
その言葉にカイルの目が細くなる。
本当にそうだろうか。
どうしてもそうは思えない。
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帰り道。
二人は駅前まで一緒だった。
そこで栞がふと尋ねる。
「カイルさんって、どうしてそんなに勉強するんです?」
以前も似たようなことを聞かれた。
その時は単純に答えた。
生き残るためだと。
だが今回は違う。
少し考えてから答えた。
「帰りたい場所がある」
栞が足を止める。
「故郷ですか?」
「ああ」
「遠いんですか?」
カイルは夜空を見上げた。
遠い。
あまりにも。
言葉にできないくらい。
「たぶんな」
そう答えるしかなかった。
栞は少し黙った。
やがて小さく言う。
「見つかるといいですね」
その言葉は優しかった。
カイルは少しだけ驚く。
異世界でも親切な人間はいた。
だが地球にはそういう人が多い気がする。
少なくともカイルが出会った人間はそうだった。
工事現場の人々。
佐伯。
図書館の司書たち。
そして栞。
運が良かっただけかもしれない。
それでも悪くない世界だと思えた。
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その夜。
宿泊施設の個室。
カイルはノートを広げていた。
今までの情報を整理するためだ。
斥候にとって記録は命である。
情報を整理しなければ、必ず見落としが生まれる。
ノートには既に大量の文字が書き込まれていた。
【黒虚の顎】
【世界門】
【物流路】
【修復者】
【管理権限】
【アルカディア】
【星界魔導年代記】
それらを線で繋いでいく。
すると。
一つの可能性が浮かんだ。
「もし……」
仮説だった。
まだ証拠はない。
だが。
もし黒虚の顎が遺跡ではなく施設なら。
もし転移陣が罠ではなく物流設備なら。
もし自分が偶然飛ばされたのではなく選ばれたのなら。
全ての前提が変わる。
「……いや」
首を振る。
推測だけで結論を出してはいけない。
それは危険だ。
証拠が必要。
現地調査が必要。
情報収集が必要。
だからこそ講演会へ行く。
作者に会う。
何かが分かるはずだった。
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その時だった。
机の上に置いていた『星界魔導年代記 第五巻』が微かに光る。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
「!?」
カイルは反射的に本を掴む。
だがもう光は消えていた。
静寂。
何も起こらない。
しかし。
表紙を開いた時。
以前にはなかったものが現れていた。
最後のページ。
余白部分。
そこに淡い文字が浮かんでいる。
まるで誰かが後から書き加えたように。
【管理権限照合中】
カイルの背筋を冷たいものが走る。
空想具現の影響か。
本そのものの異常か。
分からない。
だが一つだけ確かなことがあった。
この本は。
本当に。
ただの小説ではない。
「面白い」
恐怖より先に笑みが浮かぶ。
未知の発見だった。
斥候として。
そして探求者として。
これ以上ないほど心が躍る。
窓の外では都会の灯りが輝いている。
その光の向こうで。
作者との出会いの日が近づいていた。
そして同じ頃。
市内のどこか。
一人の男が古びた机に向かっていた。
机の上には大量の資料。
古い手記。
そして見覚えのある紋章。
男は小さく呟く。
「まさか、本当に反応したのか……」
その声は震えていた。
驚愕と期待が混じった声だった。
カイルはまだ知らない。
講演会の日。
自分を待つのは人気作家ではなく。
数百年越しの因縁と、異世界へ帰るための最初の扉であることを。
――第16話 了――
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