第12話 知識の価値
第12話 知識の価値
図書館の窓から差し込む朝日が、机の上の本を照らしていた。
カイルは黙々とページをめくっている。
目の前には十冊の専門書。
その隣には『星界魔導年代記』第四巻。
さらにノートが三冊。
普通の人間なら試験前でも避けたくなる光景だ。
だが本人は満足そうだった。
「実に良い」
小さく呟く。
異世界では本は高価だった。
王立図書館ですら利用には許可が必要だ。
専門書ともなれば貴族か学者しか手に入らない。
しかし地球は違う。
知識が開放されている。
もはや狂気ですらある。
「この文明が強大な理由が少し分かってきたな」
知識を独占しない。
共有する。
積み上げる。
だから進歩する。
その発想自体が革命だった。
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昼前。
カイルは測量学の専門書を読んでいた。
昨日からずっと気になっている内容がある。
GPS。
全地球測位システム。
森羅翻訳がそう変換していた。
本来なら理解不能な概念だった。
宇宙。
人工衛星。
電波。
位置測定。
異世界の人間なら途中で諦める。
しかしカイルには『空想具現』があった。
理論を理解できる。
構造を組み立てられる。
そして。
魔法へ応用できる。
「もしレイライン上に定位ポイントを設置したら……」
ノートへ式を書く。
測量術。
探査術。
位置特定術式。
地球理論。
融合。
再構築。
すると脳内に新しい術式が現れた。
見たことがないほど洗練されている。
「ほう」
カイルは席を立った。
そして人気のない書架の陰へ移動する。
ほんの少しだけ魔力を流した。
瞬間。
頭の中に館内地図が現れる。
自分の位置。
非常口。
本棚。
階段。
閲覧席。
全てが表示される。
まるで上空から見下ろしているように。
「成功か」
すぐに解除する。
危険はない。
だが効果は異常だった。
従来の探査術より数十倍正確。
地球の測量理論が魔法を進化させている。
その事実に胸が躍った。
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「また何か発見した顔ですね」
不意に声がした。
振り向く。
朝比奈栞だった。
カウンター業務の合間らしい。
手には返却本が積まれている。
「そんな顔をしていたか」
「してました」
即答だった。
栞は少し笑う。
「工学書を読んでる時と小説を読んでる時で顔が違うんですよ」
「そうなのか」
「工学書のときは職人さん」
「職人」
「小説のときは冒険者です」
カイルは少し考えた。
否定できなかった。
実際、『星界魔導年代記』を読む時は未知の遺跡を探索している気分になる。
工学書を読む時は新しい技術を学ぶ職人そのものだ。
栞は興味深そうに机を見た。
「相変わらず凄い量ですね」
「まだ足りない」
「足りないんですか」
呆れられた。
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その時。
近くの閲覧席から困った声が聞こえた。
「うーん……」
中年男性だった。
スーツ姿。
書類と地図を広げている。
何か計算しているらしい。
だが上手くいっていない。
何度も首を傾げていた。
カイルは無意識に視線を向ける。
職業病である。
困っている人がいる。
しかも図面を持っている。
気にならないわけがない。
やがて男性が席を立つ。
コピーを取りに行ったらしい。
その際。
机の上の図面がちらりと目に入った。
カイルは反射的に固まった。
「……おかしい」
河川工事の図面だった。
ほんの一瞬しか見ていない。
だが違和感があった。
排水計画。
勾配。
流量。
位置関係。
どこか危険な気がする。
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十分後。
男性が戻る。
しかし相変わらず悩んでいた。
ついにカイルは立ち上がる。
「失礼」
「はい?」
男性が顔を上げる。
「ここの排水経路だが」
図面の一点を指差す。
「大雨時に逆流しないか」
男性が固まる。
数秒。
完全停止。
「……え?」
「勾配が足りないように見える」
静かな口調だった。
だが。
相手の反応は尋常ではなかった。
「ちょっと待ってください」
急いで計算機を取り出す。
資料を確認。
数値を再計算。
さらに別資料も開く。
そして。
顔色が変わった。
「本当だ……」
小さく呟く。
「え」
栞も驚く。
男性は椅子から立ち上がった。
「原因これか!」
周囲の利用者がびくりとするほど大きな声だった。
慌てて頭を下げる。
「すみません!」
そこから数分。
男性は猛烈な勢いで計算を始めた。
そして最後に深く息を吐く。
「助かった……」
本気だった。
汗までかいている。
「本当に助かった」
男性はカイルを見る。
「私は建設コンサルタントなんですが、この修正案で三日悩んでたんです」
「そうか」
「どうして分かったんです?」
困る質問だった。
異世界の伝説級測量士だからです。
とは言えない。
「経験だ」
いつもの答えだった。
男性は首を傾げる。
納得はしていない。
だが追及もしなかった。
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すると。
男性が名刺を差し出してきた。
カイルは受け取る。
読める。
森羅翻訳のおかげだ。
どうやら市内の建設コンサルティング会社の技術者らしい。
「もし良ければ相談に乗ってほしい」
「相談?」
「もちろん正式な仕事じゃありません」
そこを強調した。
「ただ、今日みたいに意見を聞けるだけでもありがたい」
カイルは少し考える。
悪い話ではない。
むしろ現代土木を学ぶ機会になる。
「分かった」
頷く。
男性は嬉しそうだった。
「本当に?」
「勉強になる」
それが本音だった。
金よりも知識。
今のカイルにとって価値があるのはそちらだ。
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男性が去った後。
栞がぽかんとしていた。
「……」
「どうした」
「今の見ました?」
「見ただろう」
「なんで一瞬で分かるんですか」
「経験だ」
「便利な言葉ですね」
昨日工事現場でも同じことを言われた。
カイルは少しだけ苦笑した。
栞は呆れたように言う。
「そのうち本当に教授とかになりそうです」
「教授?」
「凄い学者ってことです」
カイルは首を横に振る。
そんなつもりはない。
ただ。
生き残るために学んでいるだけだ。
だが。
その日の夕方。
図書館を出る頃には。
司書たちの間で新しい噂が広まっていた。
『土木の本を読むと問題点を発見する謎の外国人』
という噂である。
そしてその評判は。
少しずつ。
本当に少しずつ。
カイルの知らない場所へも広がり始めていた。
後に「異世界インフラ王」と呼ばれる男の名が。
まだ誰にも知られていなかった頃の話である。
――第12話 了――
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