第9話 知識という魔法
第9話 知識という魔法
翌朝。
カイルは図書館の開館時間より三十分も早く到着していた。
完全に癖になっていた。
未知の土地へ入る時は早めに行動する。
斥候時代からの習慣だった。
「まだ開いていないか」
入り口の前で腰を下ろす。
手には昨日買ったコンビニのおにぎり。
異世界の携帯食料より遥かに美味い。
しかも安い。
カイルは真顔で考える。
(これを補給線に組み込んだ軍は負けんだろうな)
完全に職業病だった。
やがて開館時間になる。
自動ドアが開いた瞬間、カイルは真っ先に中へ入った。
司書の女性が少し驚いた顔をする。
昨日も朝から晩までいた人物だ。
印象に残っていたのだろう。
「おはようございます」
「おはよう」
自然に返事をする。
少しずつだが、この世界の生活にも慣れ始めていた。
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今日向かう場所は決まっている。
工学コーナー。
土木工学。
測量学。
構造力学。
昨日発見した新天地だった。
棚に並ぶ専門書を一冊ずつ取り出していく。
『測量学入門』
『土木施工管理』
『橋梁設計』
『構造力学基礎』
『地盤工学入門』
合計十冊。
一般人なら逃げ出す量だ。
しかしカイルは満足そうだった。
「良い本ばかりだ」
席につく。
まずは測量学。
ページを開く。
そして数分後。
「ほう……」
感心した。
実に面白い。
この世界には魔力がない。
だが、その代わりに数学がある。
幾何学がある。
計算技術がある。
魔法を使わずに距離を測り。
高低差を算出し。
地図を作成する。
発想としては異世界の測量士と同じだ。
だが手法がまったく違う。
「理論体系が完成しているな」
読み進める。
三角測量。
座標管理。
誤差補正。
統計処理。
見れば見るほど興味深い。
そして。
『空想具現』
再びスキルが発動した。
知識が流れ込む。
数式が立体化する。
理論が構造を持つ。
ただ読むだけではない。
完全に理解している。
脳が本と融合しているような感覚だった。
「なるほど」
カイルは手帳を取り出す。
試しに図を描く。
測量理論。
魔力探査術。
両者を組み合わせる。
すると。
今までより数十倍精密な測量術式が生まれた。
「……っ!」
自分で驚く。
これは異世界には存在しない。
地球の理論と魔法が融合している。
新しい技術だった。
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昼頃。
カイルはさらに構造力学へ進んでいた。
橋がなぜ落ちないのか。
建物がなぜ崩れないのか。
力がどう伝わるのか。
異世界では職人の経験則で作られていた部分を、この世界は数式化している。
「凄いな……」
思わず呟く。
王国最高の建築家ですら、この理論には到達していない。
特に衝撃的だったのは安全率の概念だ。
必要強度だけではなく。
余裕を持たせる。
想定外に備える。
予測不能に対応する。
その思想にカイルは深く共感した。
「素晴らしい」
安全第一。
それは彼の信条だった。
「この世界の技術者とは仲良くなれそうだ」
初めて少し笑う。
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その後。
地盤工学へ進む。
ここで事件が起きた。
地下水。
地層。
支持力。
液状化現象。
様々な理論を読み込んでいた時だった。
突然。
頭の中で何かが繋がった。
『空想具現』
『測量術』
『地盤理論』
『魔力感知』
全てが融合する。
次の瞬間。
視界が変わった。
「!?!?」
本棚が透けて見えた。
正確には違う。
地面の内部が見える。
建物の基礎。
地下配管。
地層。
水の流れ。
まるで地中を透視しているようだった。
カイルは慌てて能力を解除する。
鼓動が速い。
「今のは……」
深呼吸する。
何が起きたか分析する。
答えはすぐに出た。
地盤工学の理論を魔法に変換したのだ。
本来の探査術は魔力反応しか見えない。
だが今の術式は違う。
地質構造そのものを解析している。
土木知識によって進化したのである。
「危険だな」
そう呟く。
危険というのは、術式のことではない。
自分自身のことだった。
知識を得るごとに強くなる。
しかも成長速度が異常だ。
もし専門書を読み続けたらどうなる。
もし大学図書館へ行ったら。
もし研究論文まで読んだら。
カイル自身にも想像できなかった。
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夕方。
いつもの工事現場へ顔を出す。
すると責任者の男性が手を振った。
「おっ、先生!」
「先生ではない」
「いやもう先生だろ」
周囲の作業員も笑っている。
完全にあだ名になっていた。
責任者は図面を広げた。
「実はちょっと見てほしい場所があってな」
カイルは受け取る。
図面を見る。
現場を見る。
三秒。
「ここの法面が危ない」
即答した。
全員が固まる。
「え?」
「この排水だと次の大雨で崩れる」
責任者が顔色を変えた。
「マジか」
慌てて技術資料を確認する。
若手技術者も計算を始める。
十分後。
結果が出た。
「……本当だ」
「余裕係数足りてない」
「なんで一瞬で分かるんだよ」
カイルは少し困った。
説明が難しい。
異世界の測量術と現代土木理論の融合です。
そんな説明はできない。
「経験だ」
結局そう答えるしかなかった。
責任者は苦笑した。
「経験って便利な言葉だな」
その通りだった。
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帰り道。
カイルは夕焼けに染まる街を見上げる。
転移してまだ数日。
だが既に多くのことを学んだ。
地球。
とんでもない世界だ。
魔法はない。
しかし知識がある。
文明がある。
積み重ねられた技術がある。
そして。
その知識は、本の中に無限に眠っている。
カイルは静かに拳を握る。
「もっと学ぼう」
帰る方法を探すためにも。
生き抜くためにも。
そして何より。
純粋に知りたい。
この世界のすべてを。
その時ふと、図書館で借りたままの一冊を思い出した。
『星界魔導年代記』
あの妙に現実味のあるファンタジー小説。
古代文明。
管理者権限。
世界間物流路。
黒虚の顎と酷似した設定。
偶然とは思えない。
「今夜はあれを読むか」
カイルは知らない。
その小説こそが。
数百年前に失われた古代文明の秘密へ繋がる最初の鍵になることを。
そしてその作者が。
彼の運命を大きく変える存在であることを。
――第9話 了――
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