第5話:死者の遺品と、毒血の刃
素手で魔物を殴り、直接肉を噛みちぎる。
狂気と執念だけで二匹の魔物を喰らった俺だが、冷静になればなるほど、この戦い方の限界は明らかだった。
(いくら【自己再生】があるとはいえ、魔物とゼロ距離で揉み合うのはリスクが高すぎる)
首を刎ねられたり、脳を破壊されれば再生する間もなく死ぬだろう。
それに、先ほど手に入れた【麻痺毒(微)】。
これを相手に打ち込むには、俺が直接相手に噛みつくか、体液を浴びせるしかない。実戦で使うにはあまりにも隙が大きすぎた。
「……リーチが要る。武器になるものが」
俺は【隠密(微)】で気配を殺したまま、青白い【暗視】の視界を頼りに岩壁沿いを歩き始めた。
狙うのは、魔物の死体ではない。
このダンジョン『黒き顎』の奈落に落ちてくるのは、俺のような人間や魔物だけではない。過去に罠にかかったり、強敵に敗れて転落死した『冒険者』たちも、この底には無数に眠っているはずなのだ。
死体の山の周縁部、魔物たちの群れから少し離れた岩の隙間。
俺の予想通り、そこには岩に寄りかかるようにして事切れた、一体の白骨死体があった。
ボロボロに風化した革鎧。その骨の様子から、死後数年は経過しているだろう。
かつては彼も希望を胸にダンジョンへ挑んだ一人だったのかもしれない。だが、今の俺に死者への感傷など欠片もなかった。
「……悪いな。あんたの遺品、有効に使わせてもらうぞ」
俺は白骨死体の腰に手を伸ばし、腐りかけた鞘から一本の短剣を引き抜いた。
刃渡り二十センチほどの鉄のナイフ。
手入れもされず長い間放置されていたため、刃は赤黒く錆びつき、刃こぼれも酷い。物を綺麗に「斬る」ことはできないだろう。
だが、切っ先は生きている。「刺す」だけなら十分な凶器だ。
「……よし、これでいける」
錆びたナイフを逆手に構えた俺は、その刃先を、躊躇いなく自分の左手のひらに押し当てた。
そして、そのまま横に引き裂く。
「ッ……」
チリッとした痛みと共に、手のひらから赤い血が溢れ出す。
俺はその血を、錆びたナイフの刀身にべったりと塗りたくった。
【麻痺毒】のスキルを得たことで、今の俺の体液——血や唾液には、微弱だが魔物の神経を狂わせる毒が混じっている。
赤黒く錆びていたナイフの刃が、俺の血で濡れ、妖しい濡羽色に光った。
そして数秒後。
ナイフで切り裂いた左手の傷口は、【爬虫類の自己再生】の効果によって肉が蠢き、跡形もなく塞がっていた。
血を流す痛みに耐えさえすれば、無限に『麻痺毒の刃』を作り出せる。
【自己再生】と【麻痺毒】。手に入れたばかりの底辺スキルが、俺の中で凶悪なシナジーを生み出した瞬間だった。
(これで、わざわざ魔物に噛みつきに行く必要はない)
かすり傷ひとつでも負わせれば、毒が回って相手の動きが鈍る。
そこを一方的に解体し、動けなくなったところを最後に『喰らって』やればいいのだ。
錆びたナイフを握り直し、俺は再び死体の山へと視線を向けた。
先ほどまで、あそこで蠢く異形の魔物たちは『恐怖の象徴』だった。
だが今は違う。
【暗視】、【隠密】、【自己再生】、【麻痺毒】。
そして、毒血を纏った錆びた刃。
手札は揃った。
あそこで群れている魔物たちは、もはや脅威ではない。俺が地上へ這い上がり、あのクズ共へ復讐を果たすための『経験値』だ。
「さぁ……狩りの時間だ」
暗闇の底で、俺はひっそりと、だが凶悪な笑みを浮かべた。
生存のための防衛戦は終わった。ここからは、俺が魔物を狩り尽くす番だ。




