第48話:狂宴の終わりと、空の玉座
マリアの首が床に転がり、地下礼拝堂を支配していた異常なまでの魔力圧が完全に霧散した。
王城の最奥を包み込んでいた静寂は、先ほどまでの激しい死闘が嘘のように穏やかで、しかし確かな『死』の匂いに満ちていた。
ガラン、と。
クロウの手から、ボロボロに欠けた大剣が滑り落ち、石の床に重い音を立てる。
「……終わっ、たか」
クロウは限界を迎えた両膝を突き、その場に崩れ落ちそうになった。
直後、左右から柔らかな感触が彼を支える。
右からはシルヴィアが、左からはセリアが、それぞれ満身創痍の体を引きずりながらクロウの肩に腕を回し、彼が倒れるのを防いだのだ。
「ええ、終わったわ。……私たちの、完全勝利よ」
シルヴィアが、泥と血にまみれた顔で、しかしこれまでにないほど美しく晴れやかな笑みを浮かべた。
「クロウ様、ご無事で本当に……本当によかったです……!」
セリアはクロウの肩に顔を埋め、ポロポロと安堵の涙をこぼしている。
三人はそのまま、汚れた床の上に並んでへたり込んだ。
誰も言葉を発する余裕はない。ただ、お互いの体温と、荒い息遣いだけが、彼らが確かに生き残り、最強の敵を打ち倒したという事実を証明していた。
奇跡でも、隠された力でもない。
それぞれが背負った復讐心と、地を這うような努力、そして互いの命を預け合う絶対的な信頼。それだけで、彼らは「神」を名乗った化け物を力ずくで引きずり下ろしたのだ。
数分の休息の後、クロウがゆっくりと立ち上がった。
「……さて。いつまでもこんな死体だらけのカビ臭い地下にいる趣味はねぇ。上に行くぞ」
「そうね。玉座が私たちを待っているわ」
クロウがシルヴィアとセリアに手を差し伸べ、二人を力強く引き上げる。
三人は、息絶えたマリアの死体と、完全に干からびてミイラと化した国王や腐敗貴族たちの死体の山を一瞥することなく、王立礼拝堂の重厚な扉を開け、地上へと続く大階段を上り始めた。
◆ ◆ ◆
一方その頃。王都の正門前では、劇的な状況の変化が起きていた。
王都の空を覆っていた禍々しい赤い光が完全に消滅し、吸い上げられていた生命力が空から『光の雨』となって民衆たちの体へと降り注いでいたのだ。
「あ……体が、元通りになっていく……!」
「俺たち、助かったのか……!?」
倒れ伏していた数十万の民衆たちが、次々と起き上がり、自分の手や顔を確かめ合う。
死の淵から生還した彼らの目に、最初に飛び込んできた光景。それは、王都の城壁の近くで、未だに地面を這いずり回っている惨めな男たちの姿だった。
全身の骨を砕かれ、黄金の鎧がひしゃげた勇者アレク。
そして、シルヴィアの魔法によって下半身を完全に氷漬けにされ、ガタガタと震えながら命乞いをしている大魔導士である。
「見ろ……あの勇者と魔導士を」
一人の民衆の呟きが、やがて巨大な怒りの波となって群衆に伝播していく。
「あいつら、俺たちを守るどころか、聖女と一緒に俺たちを殺そうとしたんだ!」
「化け物を城に招き入れたのはあいつらだ! 英雄の皮を被った、ただの人殺しだ!」
群衆の怒りは、もはや誰にも止められなかった。
彼らは落ちていた石や木の棒を拾い上げ、かつて熱狂的に崇拝していた『勇者パーティー』の生き残りたちに向かって、怒号と共に殺到した。
「ま、待ってくれ! 誤解だ、俺は勇者だぞ! 世界を救う存在なんだ! お前らのような下民が、俺に触れるなァァッ!」
勇者アレクが血を吐きながら叫ぶが、その声は群衆の怒号に呆気なく掻き消された。
「ひぃぃっ! やめろ、私は国最高の魔導士だ! 頼む、助けてくれぇっ!」
大魔導士の泣き叫ぶ声も虚しく、彼らの体はあっという間に怒れる民衆の波に飲み込まれていく。
かつて権力と名声をほしいままにし、クロウたちを虐げてきた偽りの英雄たちは、皮肉にも彼らが最も見下していた『力なき民衆』の無慈悲な暴力によって、そのプライドも命も完全に踏みにじられ、歴史の闇へと消えていった。
◆ ◆ ◆
外の凄惨な復讐劇(私刑)の騒ぎは、分厚い城壁に阻まれ、王城の最上階までは届かない。
静寂に包まれた王城の最奥。かつてこの国を支配していた国王が座る『玉座の間』。
重厚な扉が、ギィィィィッと音を立てて開かれた。
夕日が差し込み、赤く染まった豪奢な空間。その一番奥に鎮座する、黄金と赤のビロードで飾られた巨大な玉座。
主を失ったその絶対的な権力の象徴の前に、血と泥にまみれた三人の簒奪者——クロウ、シルヴィア、セリアが、ゆっくりとした足取りで歩み寄る。
「……随分と、趣味の悪い椅子だな」
クロウは、玉座の前に立つと、片手でその背もたれを軽く叩いた。
「ええ。でも、今のこの国で、その椅子に座る資格があるのは、あなただけよ。クロウ」
シルヴィアが、慈愛と、深い信頼を込めた瞳で彼を見つめる。
「クロウ様。私たちの……いえ、あなたの国です」
セリアもまた、クロウの前に片膝をつき、絶対の忠誠を示すように頭を垂れた。
二人の言葉を受け、クロウは静かに目を閉じ、そして、ゆっくりと息を吐き出した。
理不尽な理由で全てを奪われ、嘆きの谷へ突き落とされたあの日から、全てはこの瞬間のためにあった。
クロウは身を翻し、王国の歴史上、いかなる王よりも堂々とした態度で、その玉座に深く腰を下ろした。




