第36話:宣戦布告と、仮面の簒奪者たち
『七日後の正午。偽りの勇者どもを殺し、国を奪う。王都の正門を開けて待っていろ』
数日前、王城の玉座の間に一本の短剣と共に突き立てられたその黒い書状は、王国中枢を激しい怒りと屈辱で震え上がらせた。
たかが三人の逆賊が、一国の軍事力と、世界を救うとされる『勇者パーティー』に正面から喧嘩を売るなど、前代未聞の狂気である。
国王は激怒し、王国が誇る全戦力を王都の正門前に展開するよう命じた。
そして、約束の日の正午。
王都の正門前に広がる平野は、太陽の光を反射する『銀色』で埋め尽くされていた。
最前列に並ぶのは、全身を分厚い鋼で覆った重装歩兵団。その後方には数千の弓兵部隊と、王国最高峰の魔法使いたちを集めた宮廷魔導士団が陣取っている。総勢五万を超える、この国の全戦力だ。
そして、その大軍勢の中央、一際高い豪奢な天幕の下に、彼らはいた。
「ハッ! 逃げ出さずに本当に来るとは、見上げた馬鹿どもだな!」
金糸の入った特注の鎧を纏い、腰に国宝の『聖剣』を下げた男——勇者が、下品な笑い声を上げた。
彼の傍らには、パーティーの要である巨漢の重騎士、白のローブに身を包んだ優しげな笑みを浮かべる聖女マリア、そして底知れぬ魔力を放つ大魔導士が控えている。
「そのようですね。哀れな賊どもに、わたくしたちの『正義の力』を教えてあげましょう」
聖女マリアが慈愛に満ちた(ように見える)笑みで応じる。彼らの目には、迫り来る危機感など微塵もない。五万の軍勢と自分たちの力があれば、Sランクの魔物群であろうと蹂躙できるという絶対的な自負と『驕り』があった。
王都の強固な城壁の上では、数万の民衆がこの前代未聞の『公開処刑』を見物しようと鈴なりになっていた。彼らもまた、勇者と自国の軍隊が負けるなどとは夢にも思っていない。
だが——地平線の彼方に『三人』の影が姿を現した瞬間、その場の空気が一変した。
空を覆う雲が晴れ、真上の太陽が平野を照らし出す。
陽炎の向こうから、一切の足音を立てずに歩いてくる者たち。
先頭を歩くのは、漆黒のコートに身を包み、不気味な黒の仮面を被った大男。その背には、身の丈ほどもある禍々しい大剣が背負われている。
その右には、透き通るような銀糸の髪をなびかせ、絶対零度の冷気を纏った美しい魔女。
左には、気配すら感じさせないほど自然に影に溶け込み、二振りの紫光を放つ双剣を提げた小柄な暗殺者。
クロウ、シルヴィア、セリア。
『仮面の三人組』だった。
たった三人。巨大な軍勢に比べれば、砂浜の砂粒のような存在だ。
しかし、彼らが一歩、また一歩と近づくにつれ、五万の軍勢の間に得体の知れない『悪寒』が伝染し始めていた。
三人が放つプレッシャーが、常軌を逸しているのだ。
彼らの周囲だけ、空間の歪みすら感じるほどの濃密な魔力と殺気が渦巻いている。歴戦の騎士たちでさえ、本能が「あれは人間ではない、関わってはいけない怪物だ」と警鐘を鳴らし、握る剣がガタガタと震え始めていた。
「な、なんだあの禍々しい気配は……!」
勇者の額に、初めて冷や汗が伝う。
「怯むな! 相手はたったの三人だ! 弓兵、魔導士団、一斉攻撃開始! 跡形もなく消し飛ばせ!!」
勇者の号令と共に、王国軍が動いた。
数千の弓兵が一斉に弦を引き絞り、空を黒く塗りつぶすほどの矢の雨を放つ。さらに宮廷魔導士団が、数百もの火炎球や雷撃魔法を矢の雨に重ねて撃ち放った。
空を埋め尽くす、圧倒的な死の暴風。
それが直撃すれば、一帯の地形ごと吹き飛ぶほどの絶対的な破壊の雨が、歩みを止めない三人へと降り注ぐ。
城壁の上の民衆が悲鳴を上げて目を塞いだ。
だが——。
「虫の息ね。……そんな温い魔法で、私に触れられるとでも?」
シルヴィアが一歩前に出て、手にした『絶対零度の魔杖』を軽く天へと掲げた。
瞬間。
ピキィィィィィィィィィィンッ!!!!
世界が凍りついた。
シルヴィアから放たれた極低温の冷気(Sランク魔物ブリザード・ロックの力を超える冷気)が、空中の水分を一瞬にして凍結させ、三人の頭上に『城壁』よりも巨大な氷の防壁を創り出したのだ。
激突する数千の矢は、氷壁に触れるよりも前に空中で凍りつき、粉々に砕け散る。
数百の火炎魔法も、絶対零度の結界に触れた瞬間に熱を完全に奪われ、ただの白い霧となって霧散した。
「な、ばか、な……! 我ら宮廷魔導士団の総攻撃が、たった一人の氷魔法に……防がれた、だと!?」
魔導士団の長が、信じられないものを見るように目を見開く。
「広範囲魔法が使えない地下は窮屈だったけれど……ここは空が開けていて最高ね」
シルヴィアが魔女の冷笑を浮かべる。
驚愕に包まれる王国軍。しかし、彼らの絶望はまだ始まったばかりだった。
「——あなたたちの相手は、上だけではありませんよ」
いつの間にか、セリアの姿がクロウの隣から消えていた。
次の瞬間、王国軍の密集陣形の中、兵士たちの足元に落ちる『影』が不自然に伸び、うごめき始めた。
「な、何だこの影は!?」
影の中から、ドプンッという音と共に、紫の燐光を放つ双剣を持った『セリアの分身』が次々と這い出してきたのだ。
その数、ざっと数百。
【幻影の双剣】の呪いを完全にねじ伏せたセリアは、この広大な戦場における全ての影を自らの領域に変えていた。
「【幻惑魔法】——『死の舞踏会』」
数百の分身たちが、一斉に兵士たちの死角から襲いかかる。
刃には幻惑の魔法が乗せられ、切りつけられた兵士たちは次々と同士討ちを始め、強固だった重装歩兵の陣形は、内側からあっという間に崩壊していく。
「あ、ああぁぁぁぁっ! なんだこれは! 敵がどこから……!」
「落ち着け! ただの幻だ! ……ぎゃあぁぁっ!?(物理的に斬られる音)」
たった二人の女によって、五万の軍勢の攻撃が完全に無力化され、逆に陣形をボロボロに引き裂かれていく。
勇者パーティーは、その光景をただ呆然と見下ろすことしかできなかった。
「さて……」
パニックに陥る軍勢を前に、いよいよ『王』が動いた。
クロウが背中の大剣をゆっくりと引き抜く。
彼の体から、漆黒の【黒霧】が爆発的に噴き出し、空の太陽を覆い隠すように広がっていく。
さらに、大剣の刀身にはバチバチと紫色の雷光【紫電】が走り、先ほど喰らったSランク魔物の【極寒の暴風】までもが、黒い霧と混ざり合って嵐のように吹き荒れた。
「準備運動にもならないな。お前らの『正義』とやらがどれほどのものか……見せてみろ!!」
クロウが、大地を蹴った。
その踏み込みだけで足元の岩盤がクレーターのように陥没する。
彼は軍勢の真っ只中へと跳躍し、限界まで魔力と筋力を圧縮した大剣を、横凪ぎに一閃した。
ズゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォォッ!!!!
黒と紫と白が混じり合った、災害のような斬撃の波動。
それが最前列の重装歩兵団を数百人まとめて紙切れのように吹き飛ばし、大地を深く抉り、そのまま王都の誇る強固な城壁の一部に直撃して、巨大な風穴を開けた。
「……ヒッ……!?」
城壁の上にいた民衆たちが、腰を抜かして震え上がる。
五万の軍隊など、この怪物たちの前ではただの『案山子』でしかないのだと、誰もが理解させられた瞬間だった。
土煙が晴れた戦場のど真ん中で。
周囲の兵士たちが恐怖で一歩も動けなくなる中、クロウは大剣を肩に担ぎ、遥か後方にいる勇者へと仮面越しの鋭い視線を向けた。
「さあ……復讐の始まりだ。そこから引きずり下ろしてやるよ、偽物の勇者」
たった三人による、一国を相手取った壮絶な成り上がり戦が、ここに幕を開けた。




