第33話:伝説の暗殺者と、影の死闘
黒鉄の双扉を押し開けた瞬間、澱みきった極寒の魔力が、目に見えるほどの黒い霧となって通路へと溢れ出した。
暗殺教団の地下墓所、その最下層に位置する『霊廟の間』。
広大なドーム状の石室は、これまでの狭い通路とは比べ物にならないほどの異様な空間だった。壁面には無数の白骨がモザイク画のように埋め込まれ、怨念と呪詛が染み付いた空気が肌をチクチクと刺す。
そして、その空間の中央。
禍々しい装飾が施された巨大な石棺の上に、漆黒の装束に身を包んだ『首のない騎士』——いや、首のない『暗殺者』が、胡座をかいて静かに座っていた。
「デュラハン・アサシン……。伝説の教団長は、自らの呪いでアンデッドに成り果てていたか」
俺は仮面の奥で目を細め、静かに大剣の柄に手をかけた。
首なしの亡霊の膝の上には、俺たちがこの墓所に潜った真の目的である武器が置かれている。月明かりすら届かない深い地底にあって、自ら妖しい紫色の燐光を放つ二振りの刃——【幻影の双剣】だ。
『……生者ノ……匂イ……』
亡霊の首の断面から、地を這うような怨念の声が直接脳内に響く。
次の瞬間、亡霊が膝の上の双剣をゆっくりと握りしめた。
ドプンッ、と。
まるで泥の沼から湧き出すように、亡霊の足元の『影』から、全く同じ姿をした三体のデュラハン・アサシンが這い出してきた。
ただの幻影ではない。足を踏み出すたびに石の床が軋み、手に持った双剣のレプリカが冷たい殺気を放っている。完璧な質量を持った、物理的な分身だ。
「厄介ね。どれが本体か全く分からないわ。……まとめて凍らせる?」
シルヴィアが『絶対零度の魔杖』を構えるが、頭上のドーム天井からパラパラと崩れ落ちる砂岩の音が、それを躊躇わせた。
「いや、ここは俺とシルヴィアが囮になる」
俺は【黒霧魔法】を全身に纏い、シルヴィアの前に立った。
「あの分身は、あくまで『双剣の魔力』で創り出された影だ。俺たちで分身の注意を引きつけ、その隙に……セリア、お前が『本体』の首を刎ねろ」
「——御意」
俺の指示と同時に、セリアが完全に気配を消し、霊廟の深い影へと溶け込んだ。
それを合図にするかのように、四体のデュラハン・アサシンが一斉に動き出した。
『シネェェェェッ!!』
亡霊の咆哮と共に、二体の分身が俺とシルヴィアに向かって信じられない跳躍力で飛びかかってくる。
「【氷晶の盾】!」
シルヴィアが瞬時に展開した分厚い氷の壁を、分身の放つ双剣が、まるで紙を裂くように容易く切り裂いた。
「チッ……ただの分身のくせに、馬鹿げた膂力と切れ味だ」
俺は【紫電】を極限まで纏わせた大剣で、踏み込んできた分身の一撃を正面から受け止める。
凄まじい衝撃が腕に走る。アンデッド特有の痛覚を無視した力任せの連撃が、息つく暇もなく叩き込まれてくる。
広範囲魔法が使えないこの閉鎖空間では、奴らの圧倒的な手数が最大の脅威となる。俺の黒霧の盾も、一撃ごとに削り取られていく。
だが、俺たちの役割はあくまで『囮』だ。
(……見つけました)
霊廟の暗闇の奥深く。
俺とシルヴィアが激しい剣戟を繰り広げる中、セリアは残る二体の亡霊を、冷徹な捕食者の目で観察し続けていた。
同じ動き、同じ殺気、同じ魔力。
常人の目には、四体の亡霊に一切の差異は見受けられないだろう。だが、セリアの研ぎ澄まされた暗殺者の直感は、確かな『違和感』を捉えていた。
分身が動く際、床に落ちる『影』の濃さが、ほんの僅かに違うのだ。双剣の魔力供給源である本体だけが、周囲の影をより深く吸い込み、空間をわずかに歪ませている。
(向かって右……祭壇の側に立つ個体が、本体)
セリアは音もなく床を蹴り、壁を垂直に駆け上がった。
重力を無視したような動きで天井の梁に飛び移り、本体の真上——完全な死角へと潜り込む。
「【幻惑魔法】——『死の残像』」
セリアが両手の短剣から魔力を放つ。
直後、本体のデュラハンの周囲に、八人のセリアの幻影が同時に出現し、四方八方から一斉に襲いかかった。
『……!? オロカモノメ!!』
亡霊が双剣を振るい、凄まじい剣舞で八人の幻影を瞬時に切り裂く。
だが、それらは全て質量を持たない『ただの幻』。双剣が空を切った瞬間、アンデッドの体勢が大きく崩れた。
「——ここです」
天井から無音で落下してきた本物のセリアが、亡霊の背中に取り付いた。
右手の短剣が、亡霊の心臓にあたる『魔石』の位置を正確に貫く。
パキィィィンッ!
「ッ……! ギ、ガァァァァァッ!!」
本体の魔石が砕かれ、苦悶の絶叫が霊廟に響き渡る。
同時に、俺とシルヴィアと打ち合っていた分身たちが、一瞬にして泥のようにドロドロに崩れ落ち、元の影へと還っていった。
「やったわ!」
シルヴィアが歓喜の声を上げる。
だが、セリアの表情は険しいままだった。亡霊の背から素早く距離を取り、短剣を構え直す。
『ユル、サン……!! ユルサンゾォォォォッ!!』
魔石を砕かれたはずの亡霊の身体が崩れない。
それどころか、両手に握られた【幻影の双剣】がさらに強烈な紫光を放ち、亡霊の身体に強引に魔力を注ぎ込み始めたのだ。魔石の代わりに、双剣そのものがアンデッドの核として機能し始めている。
「……なるほど。術者が剣を使っていたんじゃない。あの『双剣の呪い』そのものが、術者を喰らい、亡霊を動かしていたのか」
俺は大剣を構え直し、舌打ちをした。
魔石を失ってもなお動く、呪いの器と化した伝説の暗殺者。
双剣の紫光が霊廟全体を照らし出し、亡霊の足元の巨大な影から、先ほどとは比べ物にならない数——十、二十と、次々に『影の分身』が這い出してくる。
「……クロウ様。あれは、私一人では裁ききれません」
セリアが俺の隣に降り立ち、短剣を構えながら言った。その声に怯えは一切ないが、純粋な戦力差と状況を冷静に分析している。
「だろうな。なら、ここからは……俺たち三人で、あの『呪い』ごとねじ伏せる」
俺は仮面の奥で獰猛に笑い、シルヴィアもまた、絶対零度の魔杖を強く握りしめ、魔女の冷笑を浮かべた。
伝説の暗殺者と、三人の異端者たち。
幻影の双剣を巡る死闘は、ここからが本当の始まりだった。




